4.約束の地へ
薄紫の荒野をゆっくりと進むのは、黒金の騎士と、灰色の鎧をまとう細身の騎士。
「スミルナかぁ……」
そして、二体を守るかのように隊列を組む、数名の騎士達だ。
「ソフィアは行ったことあるの?」
「イサイアスの西の山にあるスミルナには、一回だけ」
周囲を囲むジュリアの問いに、ソフィアは短く答えるだけだ。
先日のアーデルベルトが行った調査で護衛の多くは外観だけは目にしていたが、ソフィアは調査に同行していない。もちろんスミルナ・エクリシアに向かうのは初めてだ。
「そっか……」
だが、その戦いでジュリア達は親しい友人を喪っていた。
戦場での人死には避けられないこととは言え、見に行った事を羨ましいとはなかなか言い出せるものではない。
「そういえば、リフィリア」
そんなどこか重苦しくなりがちな空気の中、ジュリアは僚機の名を呼んだ。
「結局あのドレス、持ってきたの?」
「っ!」
アームコートは軍服での着用を前提に作られているから、ドレスやコートなど裾の長い服を着て動かすのは難がある。そのため、ジュリアもリフィリアも、出立の時はいつもの軍服だったが……。
「あ。それ、あたしも気になってたんだ。結局どうしたの?」
今回の調査は、調査であると同時に、少しの慰安も兼ねたものだ。原住民との遭遇の可能性もあったため、不要な警戒感を抱かせる軍服を着用しての調査は禁止されていた。
だからこそ先日、少女達はその為の服を買いに行ったのだが……。
「い、一応……。ソフィアとイノセントも……」
そこで三人が選んだのは、揃いのドレス。
どこかの地方の民族衣装らしかったが、リフィリアがじっと見ていたのをソフィアとジュリアも気に入って、結局リフィリアを押し切るようにして三人で買うことにしたのだ。
「ちゃんと持ってきたってば。ね、ソフィア」
「もちろん。お揃いにしようって言ったもんね」
普段から愛らしい私服を着慣れているジュリア達はともかく、リフィリアには多分に後悔の念がある。
買い物の場では勢いで買ってしまったが、本当にそれで良かったのだろうか……と。
「ですが……本当に……?」
普段なら勢いで買ってしまった服はクローゼットの奥底に永久の封印を施してしまうのだが、二人の前で買った以上、なかったことにするわけにもいかない。
「えー。絶対似合うって。ねえ、セタ」
「そうだね。リフィリアさんはスタイルも良いのだから、もっとお洒落に気を遣ってもいいと思うよ」
「ふ、服など……階級が示せれば良いではありませんか……」
もともと民族衣装も軍服も、自らの出自や所属を示すためのものだ。それに機能性が加われば、リフィリアとしては言うことはない。
「全面的に同意します。朝、着る服を選ぶ手間が省けるというのは、とても良い物ですしね」
「……なあ、王子さん」
コトナはそもそも自分で着る服なんか選ばないだろう……と思いながら。少女達の話を楽しそうに聞いていたエレは、隊列の中央を進む灰色のアームコートへと声を掛けた。
「何だ?」
その問いは普段の彼女にしては珍しく、どこか真剣味を帯びたもので、アレクもそれなりに真面目に応じてみせるが……。
「こう言ってる連中がいることだし、どうだ? 軍服をもっとこう、胸元開けたり、短いスカートにしたりさ……。動きやすくなるし、男どもの士気向上にも繋がるだろ」
もちろんそれで一番得をするのは、提案者である彼女自身なのだが。
「ははは。検討しておこう」
「ちょっと、兄様!?」
思わず抗議の声を上げた妹姫を抑えるかのように、アレクは声の調子を変える。
「それより、見えてきたぞ」
灰色の騎士の指し示す方。
そこに広がるのは、薄紫の荒野にそびえる、緑の園であった。
差し出されたのは、一枚の羊皮紙だ。
「え? 担当変更?」
ひらひらと揺らされるそれを指して興味なさそうに受け取り、ククロはその内容を流し読みし始める。
「ああ。もうテメェはクリムゾン・クロウの機体を触らなくて良いってこった。副長様も了承済みだよ」
それは、ククロたち整備部隊の配置変更を指示する書類だった。主に、アーレスが率いる部隊の整備管轄に関わる指示書である。
「第二班に引き継ぎですの……?」
それはメガリ・エクリシア副長のサインの入った正式な書類だった。ククロの脇にいたプレセアが見ても、おかしな点はどこにもない。
もっとも、そんな物を偽造する意味など、あるとも思えなかったけれど。
「大丈夫なのかなぁ? キララウス隊やソールズベリ隊の整備もあるし、こないだからアーデルベルト隊も入ったのに……」
ククロの所属する第一班が専用機や特殊機の整備を主に行う部隊であるように、第二班は量産機の整備を得意とする部隊だ。アーレス以外は基本的に同型機のクリムゾン・クロウを管轄するというのは、分からないでもない。
ただ、数の多い量産機の整備を一手に引き受ける班でもある。特に対魔物の兵力増員が行われた今、第二班もそれらの整備で忙殺されていると聞いていたのだが……。
「俺が知るかよ。お前ら一班は姫様や王子様の機体に集中しろって事じゃねえの?」
「ふぅん……。まあ、決まった事なら仕方ないけど」
ライラプスの修復も終わり、ハギア・ソピアーも順調に稼働している。ククロ達としてはひと息付いて、むしろ余裕が出てきたくらいだったのだが……。
「ソル・レオン、面白い機能が色々付いてたから、楽しかったんだけどなぁ」
古い機体には用途不明の機能が付いている事も少なくない。それらに対して考察や想像を巡らせるのも、技術者の楽しみの一つである。
「……おい、ククロ」
だが、技術者のそんなひと言に、アーレスは静かな口調で目を細めてみせる。
「ん?」
「お前、ソル・レオンのどこまで見た?」
「どこまでかなぁ……。見られる限りは、全部見たつもりだけど。どうかした?」
整備する以上は、不明な機能は不明なりに機体に悪い影響がないかくらいは確かめるものだ。
「……何でもねえ。そんだけだ」
問いの意味が分からないのだろう。首を傾げるククロにそう呟き、アーレスはその身を翻す。
薄紫でない。
緑、である。
かつて見た礫砂漠のスミルナとはまるで違う。薄紫の異形の地に忽然と現われた広く静かな森は……まさに死の大海に浮かぶオアシス、清浄の地と呼ぶに相応しい様相を備えたものだった。
「本当に森なのね……」
そんな貴重な場所だから、アームコートで踏み荒らすわけにはいかない。一同は森の端でアームコートを降り、それぞれの支度を開始する。
「では予定通り、我々はここで待機を」
「つまんねえな……」
そんな中、アームコートを降りないままなのはコトナとエレだ。
本当ならばアームコートに偽装を施し、全員で調査に向かっても良かったのだが……先日の戦い以降、魔物の警戒頻度が上がっていることもあり、警護として残ることになったのだ。
「ジャンケンで負けたんだから、文句言わないの!」
「へぇへぇ」
調査用の服に着替えて自らの機体から降りてきたジュリアに言われ、紺色の異形のアームコートはそれきり外部スピーカーを黙らせてしまう。
「エレ、何かあったら起こして下さい」
「いいけど……せめてアタシの所に来て寝ろよ」
もっとも、傍らのコトナにやる気のあるのかないのか分からない事を言われ、すぐにそんな事をぼやいていたけれど。
「私がいくら小さいと言っても、アームコートの操縦席に二人はちょっと……」
そもそもエレと一緒にいて、コトナを大人しく寝かせてくれるとも思えない。
「…………」
そんな一同の中。
エレ以上に黙ってしまった者が、一人いた。
「あ、可愛い! やっぱり似合ってる!」
リフィリアである。
前開きの襟刳りの深いブラウスに、前を紐で締め合わせたベスト。腰から下を覆うのは、踝までのスカートとエプロンだ。
「それより……イノセント……。その格好は……?」
だが、リフィリアが絶句しているのは自身の装いについてではない。
既に用意を調えて外に出てきていた、ジュリアの格好を見たからだ。
彼女が着ているのは、軍の支給品である調査用の防湿コート。軍服らしさを消すためにスカーフなどで簡単な装飾が施されてはいるが、その程度だ。
どう見ても、買い物の時に買った服ではない。
「森の中でディアンドルなんて、裾が引っかかっちゃうでしょ?」
「さっき持ってきたと……!」
だからこそ、リフィリアも彼女達に合わせてこの格好に着替えたというのに……!
「……そりゃまあ、持っては来たけどさ」
本来は労働着としての出自を持つというディアンドルだが、彼女にとってはおしゃれ着の一つである。木の枝に引っ掛けて裾でも破っては、それこそ目も当てられない。
「リフィリア。その格好はよく似合っているが、吸湿コートと手袋をしないと義体が錆びるぞ」
「で、殿下…………っ!」
そう言うアレクも傍らにいるセタも、着ているのはもちろん支給のコート。ジュリアのように少し着方を変えて同じ服に見えないようにしているが、基本は変わりない。
そして。
「お待たせー! あ、リファ可愛い!」
「ソフィアまで…………!」
最後に現れたソフィアが着ていたのも、リフィリアと揃いで着ると約束したディアンドルではなく、軍支給の防湿コートだった。
続劇
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