2.王都からの手紙
灰色の拳を一杯に開き、次にした動作はその拳を握りしめる事。
軽く構え、今度は拳を突き出せば……。
拳の到達範囲の限界に至る瞬間、構えた拳はその関節が外れたかの如く、その数倍の長さへと一気に伸長する。
「アレク! 調子はどう?」
足元の少年の声に応じて拳を引けば、伸びた腕は元の長さへと滑らかに戻っていく。
それは、先刻外に調査に出掛けたヴァルキュリアのアームコートと同じ姿を持つ機体であった。
「ああ……悪くない。手間を掛けさせたな、ククロ」
少年の声に応じ、機体各所のスピーカーから響くのは、まだ若い男の声。
ヴァルキュリアのまとう影武者ではない。本当のライラプスの主たる、ソフィアの兄王子の声だ。
「気にしないでよ。本当は別の仕掛けを付けたかったんだけど……」
本当は、両腕をただ伸びるだけでなく、もっと遠くまで届くようにしたかったククロである。しかし悲しいかな資材も機材も限られた最前線、ククロの思うような仕掛けは実現出来ず……結局、王都から運び込まれた部品を組み付け、調整を施すのが精一杯だったのだ。
「いや、これで十分だ。……それとだな」
スピーカーからの声はその言葉の途中まで。
僅かな間を挟んで格納庫に響くのは、灰色の騎士の背中から抜け出した、アレク自身の肉声だ。
背中を預けたハンガーの脇、設えられたタラップを降り、この城塞の責任者はようやく復帰を果たした自らの相棒を見上げてみせる。
「エレの機体に付いているスピーカー、ライラプスにも付けられないか?」
その問いは、ククロにとってはむしろ予想通りのもの。
それが彼から来るであろう事を、ククロは既に知っていたのだから。
「アレは改良中だよ。もうちょっとしたら出来ると思うけど……」
むしろ、さらりと答えが返ってきたのに鼻白んだのはアレクの方だったらしい。若きメガリの主はふむ、と小さく呟き……。
「何に使うんだぁ? 王子さん」
アレクが次の問いを紡ぐよりも早く言葉を放ったのは、話題に出ていた女性自身だった。ククロを後ろ抱きに抱え、その肩にのしかかるように顎を乗せてくる。
「帰っていたか、エレ」
確かこの時間は、ソフィア達は外に演習に出ているはずだった。どうやら思っていた以上に、ライラプスの調整に時間を掛けてしまっていたらしい。
「アタシが言うのも何だけど、いらねえだろ」
アームコートは、確かにメガリの外での音声会話手段を持たない。だが、アームコート同士や本部との連絡は、備え付けの通信機で事足りる。
「それにメガリの中じゃ…………」
そう言いかけたところで格納庫に入ってきたのは、八脚を備えた巨大な非人間型のアームコートであった。
そいつは機体の先端に付いている申し訳程度の頭部でエレ達の姿を確かめて……。
「エレちゃん、ククロ君。今よろしくて?」
「……ああやって今のスピーカーでも使えンだから」
程よいタイミングで響き渡った女性の声に、エレはそう合わせてみせる。
「威嚇目的……という事ではダメか?」
「それこそ武器を打ち合わせりゃいい。アーレス辺りがああいうの得意だろ」
時々行動を共にするはみ出し者部隊が得意とするそれらの荒々しい行為を、エレは決して嫌いではない。
流石に王族がアレをするわけにはいかないだろうが、戦意向上のためなら試してみてもいいんじゃないか……くらいは内心思っていたりする。
「声が出したいって事は、話したい相手がいるんだろ?」
「……さあな」
どうやら、スピーカーの件に関してはエレから色よい返事を貰えないと悟ったらしい。アレクは諦めたように小さく呟いて、八脚のアームコートから降りてきた車椅子の女性に視線を向けた。
「プレセア大隊、本日の輸送任務完了致しました。損害はありませんわ」
「ご苦労」
穏やかに敬礼してみせる車椅子の女性に、アレクも小さく頷いてみせる。
そんな軽い報告を済ませた後、プレセアの脇から伸びてきたのは車椅子の内に折り畳まれていた幾つかのアームだった。
三本のその先にそれぞれ掴まれているのは、一つずつの封筒である。
「はいこれ。二人にソイニンヴァーラ技研からの手紙」
帰って来るなりスピーカーでエレとククロに声を掛けたのは、どうやらこれが目的だったらしい。
内容が分かっているのだろう。エレは薄い封筒をさして面白くもなさそうに受け取り……。
「ホント!? やったぁ! 待ってたんだ!」
それとは対照に、小包と言えるほど分厚い封筒に飛びついたのは、エレの束縛から抜け出したククロである。もどかしげに封を破り、内に納められた分厚い資料を確かめていく。
「……セタ君は?」
そんなククロを機械式の単眼で見つめながら、プレセアが問うたのは、ここにはいない青年将校の事だった。
どうやら三本目のアームの宛先は、彼らしい。
「さあ? さっきの教練じゃ一緒にいたけど……」
コトナとジュリアはアーデルベルト隊に同行しているが、他のメンバーは一足先にメガリ・エクリシアへと戻ってきていた。
今頃はシャワーでも浴びているか、昼寝でもしているのではないか。
「セタ君にも手紙があるのだけれど……悪いけど、どちらか預かってくれません? ……殿下。今回の補充物資受領の手続きを」
「分かった。ククロ、後の事は……」
だが、二人の問いに少年からの返事はない。
「わぁ……こんな所まで調査が進んでるんだ。なるほどなるほど……」
受け取ったばかりの資料以外は目に入っていないのだろう。一文字一文字舐め取るような勢いで資料を読み進めているククロに、エレは苦笑いを一つ。
「……読み終わるまで無駄だろ。いいよ、アタシが伝えといてやるよ」
アームコートの事は、放って置いても勝手にやるだろう。ならば、エレの役割は一つしか残っていない。
車椅子から伸びたアームから手紙をひょいと取り、エレは大きく空いた胸元へそれを無造作に突っ込んでみせるのだった。
○
「ああ、セタ。探したぜ」
エレが青年を見つけたのは、もう探すのをやめて昼寝でもしようと戻ってきた宿舎での事だった。
「どうしたんだい?」
「これ。アタシの親父から手紙、プレセアから預かってきた」
エレは意味ありげに微笑むと、ゆったりとその身を屈め……胸元に挟まれた素っ気ない封筒をことさら見せ付けるようにしてみせる。
浮かべた微笑みは、どこか誘うようにも、取れるものかと挑んでいるようにも見えるものだったが……。
「ありがとう。助かるよ」
その胸元からひょいと封筒を引っこ抜いた青年の表情は、いつもと変わらぬ穏やかなものでしかない。
「……けど、何の手紙なんだ? あんたの話なんて、親父から一度も聞いた事ねえけど」
セタの態度に面白くない物を感じながらも、エレは興味本位でそう問うてみせた。
彼女の古巣、ソイニンヴァーラ技研で開発された機体を着ているセタだから、技研とはそれなりの繋がりもあったのだろう。けれど家族の繋がりのあるエレや、アームコートの申し子とでも言うようなククロはともかく、セタはそれらとは限りなく縁遠い所にいるように見える。
「この間、ククロ君を通じてちょっとした資料をね。そのお礼だと思うよ。……ああ、やっぱりそうだ」
薄い封筒に入っていたのは、やはり素っ気ない便箋が一通だけ。もともと技術者肌で筆無精なエレの父親にしては、礼状を送るだけでも珍しいと言えたが……。
「資料ねぇ……。アンタがそんなにアームコートに興味があるとは思わなかったけど」
「ふふ……。そうかい?」
ともあれ、これでエレの任務は完了だ。
プレセアへの報告はセタがするだろうから、後は部屋に戻って昼寝でもするか……。
「セタ! エレー!」
そう思ったところで飛んできたのは、廊下の向こうからの元気一杯の声だった。
「ジュリア達が帰ってきたから、今からみんなで街にお買い物に行くんだけど。良かったら一緒に行かない?」
「ああ。もちろん構わないよ」
自らの主の言葉に、セタはいつもの穏やかな笑みを浮かべて一歩を踏み出し。
「……守るための力は必要だろう?」
すれ違い様に呟くのは、そんなひと言だ。
「エレはどうするー? 今度のスミルナ調査に着ていく服、選ぶんだけどー!」
「行くに決まってンだろ!」
そしてその背中を追うように、エレもソフィアの言葉に返事を寄越してみせるのだった。
続劇
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