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 見上げれば、そこに広がるのは煤煙に覆われた空。

 その空を隔てれば、天に掛かる月とて常に朧月となる。
 月の本当の輪郭を知ったのは、齢を重ね、住んでいた街を出てからのことだ。

 男は知らぬ。
 かつては彼の生まれ育った街でも、本当の月の姿を見る事が出来たのだと。
 王国第二の都としての繁栄を謳歌する代わり、その街は誇りと……本当の空を失ったのだ。

「…………来たか」

 故に、焦がれるのだ。
 清い空を。
 穢れた煤煙にも、呪われた薄紫の大気にも覆われぬ、清き清浄な空を。

「話を……聞かせて貰おうか」
 そんな男の元に現れたのは、数名の男達。
 互いに正体を気取られぬよう階級章を布で覆い、顔も頭巾で隠しているが……どの者達も、ある程度の規模の隊を預けられた、キングアーツの諸将達である。
 だがその中に、男にとって予想外の人物がいた。
「……テメエもか?」
 他の将達と同じく、そいつも頭巾で顔を隠している。
 けれど男は、その瞳を見るだけでそれが誰かを理解出来た。
「状列瀬の家は、東方の貴族に連なる名でな」
 呟くその名に、周囲の頭巾達がわずかに揺れる。
「けど、覚悟は……あるんだな」
 男の問いに、頭巾のそいつは答えない。しかしその瞳の奥にじりじりと燻るのは、ただ一人顔を露わにした男のそれと質を同じくする物だ。
 清い空を、自らの故郷に取り戻す。
 誇りを失い、与えられた繁栄を貪る、煤煙に覆われた故郷に……本当の姿を取り戻すのだ。
「そいつはお前の好きにしろ。だが、勝算はあるのか」
「ある」
 正体を明かされたそいつの件は落ち着いたとみたのだろう。
 当然とも言える問いを投げてきた覆面の輩に、男はきっぱりと断言した。
 この先の世界に待ち受けるのは、果てなき戦いの引き金だ。
 それも、かの王国が経験したこともない規模での、大戦争。
 初めてそれを視た時、男はそれをただの夢だと思った。
 けれどそれは、多少の誤差こそあったものの、確実に現実へと繋がる道となっていたのだ。
 ならば。
 それを上手く利用出来れば、北方の侵略者たる彼の大国に……そして、薄紫の壁に隔てられた知らぬ地にさえ、莫大な損耗を与えることが出来るだろう。
 それこそ、各地に燻る男達のような瞳を持つ者達を、押さえることが出来ぬほどの……。
 そしてそれは、抑圧された世界を解放する嚆矢となるはずだ。
「任せろ」
 男の自信に、覆面の男達はそれ以上の言葉を持たぬ。
 彼の者に同調する程度の意思はあっても、それを覆すだけの言葉を、情報を、持ち合わせてはいないからだ。
 故に、覆面の男達は沈黙し……やがて、男に無言で手を伸ばす。
「必ず成し遂げてみせる」
 その手を、男は不敵な笑みと共に握り返した。
「……我が故郷の独立をな」
 それこそが、この場にいる男達全ての悲願。
 かつて侵略され、膝を屈した祖国の再びの独立。
 それを成し遂げるためなら、その手を血に染めることとて躊躇いはしない。

 そう。
 例え、どんな事を……どんな道を選んだとしても。





第2話 『いまひとたびの出会い』
−キングアーツ編−




1.薄紫の空を射貫くもの

 薄紫の大気を切り裂くのは、片手剣にしては大きく、両手剣にしては小さい、片手半の鋼の刃。
 振り下ろされたそれを受け止めるのは、大型の盾である。
「ええ、ソフィア姫様。そんな感じです」
 大型の盾からひょこりと顔を出した猫背のアームコートからの少女の声に、片手半の剣を構えていた黒金の騎士は満足げに肩の力を抜いてみせた。
 構えを解き、剣を鞘へと収めていく。
「……けれど、本当に良いのですか? 訓練とは言え、曹長の私が隊の指揮を取るなど」
 周囲で刃を交わし合う鋼の騎士達は士官階級を持つ者がほとんどで、兵卒階級の彼女よりも下は一人しかいない。
 さらに言えば、この手の訓練が必要なほど戦闘経験が足りない者も、この場には恐らく一人しかいなかった。
「別にいいんじゃない? コトナは教導隊出身なんだし、学べることは多いもの」
 だが、そんなコトナの疑問を黒金の騎士は少女の声で笑い飛ばす。
 そもそも隊の訓練指揮をコトナに命じたのは隊の長たるソフィア自身なのだ。不満などあろうはずもない。
「そうですね。最近、基礎がおろそかになっていた点は否めませんし」
「僕は姫様が良いなら、それで構わないよ」
「……私は昔を思い出してちょっと微妙かも」
 そして、士官達も口々にそう言う中……ただ一人ぼそりと呟いたのは、弓を備えた軽装の騎士である。
「一番基礎の足りていない少尉殿は、後で補講ですかね」
「ちょっ!」
 思わずそんな声を上げる弓の騎士に、辺りから笑いが弾けた。
 その様子に、コトナは自身からの通信を切り、小さくため息を一つ。
 先日の魔物の巣での戦いから、既に十日ほどが経とうとしている。コトナ自身は同行していなかったが、その戦いで弓使いの少尉は親しい友人を一人喪っていた。
 一時は塞ぎ込んでいた彼女だが……今はこうして、軽口の一つも叩けるほどには立ち直っている。
(カラ元気でも、元気……という事ですよね)
 ここは戦場で、死は誰にも等しく訪れる隣人だ。
 避ける事の出来ない死はあるにせよ、それを一歩でも、一瞬でも遠ざける手段は必ずある。
(姫様……)
 それを形にするために、教導隊から前線に復帰した彼女は、ソフィアの頼みに応じて再び教導の鞭を取る事にしたのだ。
「ん? ありゃ、王子さんの機体か?」
 だが、そんな柄にもない考えに苦笑いを浮かべるコトナの機内に響くのは、防御とは限りなく縁遠い軽装を施された、紺色の異形からの声である。
 申し訳程度に付けられた手が指差すのは、灰色の装甲をまとう細身の騎士の姿だ。
「ホントだ。おーい、兄様ー!」
「……違う」
 けれど、手を振るソフィアの声に短く応じたのは、彼女の兄王子ではなく……余りに愛想のないひと言だった。
「ヴァルか。……外装を変えたと聞いていたが、本当だったのだな。偵察か?」
 僚機の問いにも、灰色の騎士は移動速度を緩めようともしない。
「敵の偵察が来ている。下らん用なら切るぞ」
「今までの重装型と防御の癖が変わっているはずですよ。少し慣らしてから行きませんか?」
「……不要だ」
 それきり、通信機には灰色の騎士からの応答はなかった。
「最近、多いわね」
「だねぇ。飛行型の魔物も多いし……」
 敵の偵察が厳しくなったのは、魔物の巣での望まぬ戦いが終わってからの事だ。こちらの勢力圏はおろか、メガリ・エクリシアの近くにまで飛んでくる事も増えていた。
 蜂の巣を初めに突いたのはこちらだから、相手が警戒する事も理解出来なくはないのだが……。
「姫様」
 それぞれ武器を収めてそんな話をしていると、通信機に飛び込んできたのは今度は男の声だった。
 ただしそれも、ソフィアの兄王子の声ではない。
「アーデルベルト。あなたも出撃?」
「ええ。また飛行型の魔物の出現報告がありまして……弓兵の試験も兼ねて」
 やがてやってきた声の主は、山羊角を備えた騎士であった。
「弓兵って、こいつらか?」
 そんなアーデルベルトの後ろに並ぶのは、彼の部隊特有のカラーリングを備えたいつものアームコートだけではない。
 異常に大きな腕に大型の弓を備えた、どこかアンバランスな機体である。まだ灰色の下地塗装しかされていないそいつらが、彼の言う『弓兵』なのだろう。
「それで、そちらからイノセントと日明をお借り出来ませんか?」
「……私の槍が届くとは思えませんが?」
 弓を備えたジュリアが弓兵の先達を任されるのは分かる。しかしコトナのアームコートは槍と盾を持つだけで、遠距離に対しての攻撃手段はない。
「縁起担ぎじゃねえの?」
 僚機の言葉に「まさか」と思うが……。
「弓兵の教導経験はあるだろう?」
「……まあ、一応は」
 ここまで弓に特化した機体の指揮をした事はないが、確かに弓使いのアームコートの指導経験はゼロではない。近接戦仕様の機体が多いアームコートだが、ジュリアのように遠距離から中距離を重視した機体も僅かながら存在する。
 もちろんそんな機体には、近接戦を重視したアームコートとは全く違う運用方法が適用されるのだ。
 アーデルベルトがコトナに求めるのは、そのノウハウなのだろう。
「二人が良いなら、任せるわ。どうする?」
「行ってきます!」
 ソフィアの言葉に、ジュリアは元気よく即答した。
「曹長の小娘の指揮に、不満がないのであれば」
 そして、コトナも小さく頷いてみせる。
「なら決まり。アーデルベルト、後でちゃんと返してね」
 アーデルベルトは重々しく首を縦に振り、二人増えた部隊を再び動かし始めるのだった。

続劇

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