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 操縦席に組み込まれた通信機から。
 あるいは、神獣を伝わって届くテレパスから。
「総員、進撃!」
 響き渡るのは、声。
 続くのは、鋼の騎士たちが歩き出す音であり、神の獣たちの咆哮である。
 メガリ・エクリシアから。
 八達嶺から。
 出陣していくのは、互いの誇る戦闘兵器。
 それは版図拡大の為の武力となり、薄紫の滅びの原野を踏破する為の足となり……異形の敵と戦うための、刃となる。
「姫様……姫様……っ!」
 アームコートの着用者が。
 神獣の駆り手が。
 正規兵も、義勇兵も。
 呟き、抱く想いは、誰もが同じ。
 姫。
 仕えるべき主であり、守るべき指導者であり、敬愛すべき平和への導き手であった彼女たち。
 だが、既に彼女たちはいない。
 卑劣な異形どもの罠に掛かり、和平の実現半ばで、若すぎるその命を散らしてしまったのだ。
「本作戦の目的は、いまだ清浄の地に置き去りにされた姫様のお体の回収である!」
 整然と歩を進める彼らに届くのは、改めての作戦指示だった。
「だが、彼の地への侵入を阻もうとする敵との遭遇が想定される!」
 既に幾度となく聞かされている内容だ。もはや一言一句まで覚えている。
「その場合の命令はただ一つ!」
 けれど改めての言葉が、兵達にこの作戦がいかに重要で、かつ絶対に成功させねばならないものである事を認識させる。
「殲滅せよ!」
 応と呟き、兵達はさらなる一歩を踏み出すのだ。

 目指す先は清浄の地。
 キングアーツではスミルナ・エクリシア。
 神揚では北八楼と呼ばれる場所。

 最初の決戦が始まるまで、あとわずかの時しかない。





第6回 前編




 青い空に舞うのは、大鷲の翼。
 だがその翼は、いつもの力強い羽ばたきも、優雅な滑空も出来ずにいた。ぎこちない羽ばたきの合間、空を滑る時も必死で力を込め、折れそうな翼の形を支えるので精一杯。
 いつ失速してもおかしくはない翼で清浄の地の空を翔るのは、鷲翼の少女である。
「沙灯……もう少し。もう少しだけ、頑張って!」
 そしてその腕に抱きかかえられているのは、金髪の少女の首。
「うん……大丈夫、だよ」
 ソフィアの声に、かすれ、崩れ落ちそうになる意識を必死につなぎ止め、沙灯は歯を食いしばって背中の翼に力を込める。
「ねえ、ソフィア……やっぱり……」
 そんな懸命の羽ばたきを続けながら、沙灯はぽつりと腕の中に声を掛けた。
「絶対にダメだよ」
 だが、彼女が何を言うのかソフィアは分かっていたのだろう。言いかけた途端にそれを全力で否定する。
「そんな力使ったって万里は喜ばないよ。あたしだって、ずっと沙灯と一緒にいたいんだ」
 それは、沙灯のあの力についての話だった。
 時を戻せばやり直せる。だがその話から代償を察したソフィアが口にしたのは、万里と全く同じ否定の言葉だった。
「兄様も万里もいなくなっちゃったけど……それでも、沙灯もあたしもまだ生きてる。だから、あたしと一緒に頑張ってよ」
「そう……だね。ごめん」
 腕の中の優しい言葉に弱気を振り払えば、遙か彼方に見えるのは、薄紫の滅びの原野。
 そして……その地を北と南から進んでくる、砂煙だ。
 目指すのは、その邂逅点である。
「こんな事で、負けてられない……!」
 沙灯が口の中で紡ぐのは守護の神術。
 二人の切り札となるはずの、護りの言霊。
「そうだよ……あたしと沙灯で、兄様と万里の気持ちを……!」
 呟くソフィアの耳元に揺れるのは、アレクの遺した金の指輪。
 彼女の頭を抱く沙灯の指に輝くのは、万里の遺した銀の指輪。
「うん……。絶対に、守るんだよね!」
 沙灯は翼を大きく羽ばたかせ。
 その先に待つ薄紫の死の世界へと、力一杯飛び込んだ。


 薄紫の空を舞うのは、瑠璃色の翼。
 だが、それはいつものように力強い動きではない。ただゆっくりと、ぎこちなく空を舞うだけだ。
 やがて飛ぶ事を諦めたかのように舞い降りたのは、輸送部隊の大型神獣の鞍だった。
「ロッセ殿。本当によろしかったのですか?」
 そんな瑠璃色の飛行型神獣……テルクシエペイアに掛けられたのは、九尾の白狐からの声。
「ロッセ殿なら、このテウメッサを駆ったとしても……誰も文句は言いますまいに」
 テルクシエペイアの中にいるのは、もちろん本来の主である鷲翼の少女ではない。
 黒豹の脚を持つ青年……ロッセである。
「構いません。今は一体でも前線で戦える神獣が必要なのですから」
 ロッセはこの作戦の総指揮を司る立場。もちろん戦いの心得もあるが、万里のように最前線で戦うことではなく、最前線で指揮を取る事が役割となる。
 故に今日の九尾の白狐や鷲翼の怪鳥を駆るのも、今は亡き狐耳の姫君や行方不明の鷲翼の少女ではなく、前線での戦いを任された将達の一人であった。
「せめて、ズルワーンが間に合っていれば……」
「文句を言っても仕方ないでしょう」
 帝都で建造が急がれていた神獣は、この後の大攻勢には間に合うだろうという話である。だが、そんな追加の戦力も今は届いていない以上、考えても仕方のないものだ。
「前線から報告! 北八楼付近に、キングアーツの巨人兵部隊を確認!」
 そのテレパスはロッセだけでなく、他の将達にも伝わっていたのだろう。勢いを増す神獣達の咆哮の中、ロッセは静かに全ての神獣達に向けて言葉を放つ。
「……やはりいましたか。総員、戦闘用意」
 既にこの世界に希望などない。
 選択は、失敗だったのだ。
 テルクシエペイアの翼と同じ色のひと組の指輪を握りしめ、男は静かに言葉を放つ。
「奴らをこれ以上姫様の体に近付けさせるな! 進め!」


 周辺を警戒していた物見の兵からの報告に、銀髪の青年は閉じていた瞳を静かに開く。
「……来たか」
 義体を通して流れ込んできたアームコートの視覚情報には、薄紫の世界を蹴立てて迫り来る異形達の姿が映っている。
「捜索部隊は先にスミルナ・エクリシアへ取り付け。姫様の回収を優先しろ」
 通信装置に指示を送れば、環の側にやってきたのは防御部隊を指揮する青い騎士だ。捜索部隊がソフィアの亡骸を見つけるまで神獣達を食い止める、防御の要である。
「司令官代理。ハギア・ソピアーはどうだ?」
 そう。
 環が乗っているのは、黒金の騎士。
 かつてはソフィアの愛機であった、ハギア・ソピアーであった。
「……重い。調整はしたが、厳しいな」
 環も体の大半を義体に置き換えた身。そして、キングアーツの武人である。後方での指揮が主とは言え、アームコートをまとい、操る心得は十分以上に身に付けているはずだったのだが……。
 調整を完全に済ませた黒金の騎士は、それでもクセが強すぎた。武器もバランスの悪い片手半ではなく普通の片手剣に変えていたが、それでも思い通りに動かせるようになるまでは今しばらくの時間がかかる事だろう。
「幾つか装備の封印も解いたって聞いたぞ。それでも無理か」
「やってみん事にはな」
 歴戦の古強者であるハギア・ソピアーには、幾つもの使われていない機構が封印されている。封印を兼ねた装甲や補助機関が機体の剛性や強度を高めていることもあり、ソフィアはそれを解く事にさして関心がないようだったが……。
 封印を解いた機能がどれほどのものかは、いまだ環も把握しきれていない。戦いの中で、ひとつひとつ使いこなしていく事になるだろう。
「それで普通に戦ってた姫さんは、やっぱ凄い方だったんだな。……お前は今日は、慣れる事に集中しろ」
 重装甲と大パワーがあったとしても、まともに動けなければ足手まとい以上にはならない。
 青い騎士のその言葉に小さく頷き、黒金の騎士は前線のやや後方へ配置に付く。
「迎撃部隊、前へ! 姫様を助けるまで、あの神揚の魔物どもを森に近付けさせるな!」
 青い騎士の檄が飛び。
 前線で防壁を張る大盾と長槍を持った騎士達が、激しく自らの武器を打ち鳴らす。


 攻めるのは、神揚の誇る神獣達。
 守るのは、キングアーツの守護者たるアームコート。
 その二つが激突する、寸前だ。
 二つの勢力を遮るように森の中から飛び出してきたのは、小さな小さな翼だった。
「な…………!」
 神獣達が足を止めたのは、それが知った翼だったから。
「そんな……!」
 アームコート達が思わず構えを解いたのは、彼女が両手で掲げていた小さな頭が、誰か分かっていたからだ。
「姫、様……?」
 ソフィア。
 既に死したと伝えられていた、美しい髪の第一王女。
 首だけの痛々しい姿ではあったが、鷲翼の少女に掲げ上げられたその瞳には意思の光が灯り、口は何かを訴えようと大きな声で叫んでいる。
「沙灯殿……! 生きておられたか!」
 沙灯。
 あの悲劇の中、行方不明になったと聞いていた鷲翼の少女。
 血まみれの無残な姿ではあったが、神獣達に何かを伝えようと、薄紫の世界にその翼を大きく広げている。
「みんな! あたしは生きてる!」
 響き渡るのは、ソフィアの声。
「皆も! こんな事をしても、万里は喜びません!」
 そして、沙灯の声だ。
 防護の神術を使えば、わずかな時間であれば薄紫の世界でも生を繋ぐ事が出来る。それは、エクリシアや八達嶺まで辿り着くのは不可能だとしても、こうして清浄の地の周辺に飛び出すだけなら、可能な程度の時間だった。
「生きて……おられた……! 姫様っ!」
 ソフィアの耳に届くのは、通信電波に変換されたアームコート達の声。歓声を上げる兵達は、彼女達の主の生還に武器を打ち鳴らし、既に戦う事など忘れている。
「沙灯殿………」
 沙灯の心に届くのは、神獣達を経由して放たれたテレパスだ。
 万里が死んだ事が間違いないのは、沙灯の声で理解した。
 だが万里を悼む気持ち、万里の遺志に従う気持ちは、彼らから戦いの意思を喪わせるのに十分なもの。
「良かった……みんな、分かってくれたよ。ソフィア」
 沙灯の両手で高く高く掲げられたソフィアの頭。
 頭上の親友に向けて、沙灯はどこかほっとしたように声を放つ。
 神術の防御効果もあとわずかしか保たない。けれどこの様子なら、ひとまず清浄の地に戻って、それからみんなでこれからの事をもう一度話し合う事は出来るはずだ。
「うん! これで、戦いは…………」
 おわる。
 そう続くはずのソフィアの言葉が聞こえてくる事は……。


 ソフィアの言葉の代わり。
 薄紫の荒野に響いたのは、ぽん、というあっけない音だった。
「え…………?」
 鷲翼の少女の頭上から降ってくるのは、金色の繊維状の何かと、幾つかの金属片。
 そして……歪み、ひしゃげた、金と銀の二つの指輪。
 支え、かざしていた手の感触は極端に軽い。
「ソフィ……ア……?」
 見上げれば、そこにはもう、何もなかった。
 ソフィアの頭も。
 沙灯の両手も。
「…………っ!」
 両手を失った痛みはない。何が起こったかを、全ての感覚が理解する事を拒んでいるのだ。
 神揚が何かしたわけではない。
 沙灯が声を掛けている間、誰一人として武器を構えた様子も、神術を使う気配もなかったからだ。
 振り返れば。
 沙灯の視線、鷲の目を持つ金色の瞳が捉えたのは……。
 奥に控える、黒金の騎士。
 その面頬の中央。わずかに残る、輝きの残滓。
「え……」
 当然ながら、神揚の民である沙灯にアームコートの知識はない。
 それがブラスターと呼ばれる光線兵器の一種だという事も、今までは封印されていた黒金の騎士の本来の力だという事も、知らなかった。
 だが、神術の知識はある。
「破壊の……光……」
 さる神術師の一族の秘伝とされる、触れただけで敵を粉砕する強力な攻撃神術。
 南下と北上。神獣とアームコート。神揚とキングアーツの思想が源を同じくし、近しいものだとすれば、そんな神術に等しい効果を持つ武器があったとしても、何ら不思議ではない。
 ソフィア達との触れ合いと、今までの戦いの中で自然と身に付いてきた思想の中で。
 神揚の兵達はおろかキングアーツの兵達すら気付かなかった真実に、沙灯だけが一瞬で辿り着いていた。
「誰…………」
 誰があの騎士に。ソフィアがずっと乗っていた黒金の騎士に乗り……ソフィアを殺したのか。
「が……」
 犯人に気付いたのは沙灯だけ。
 ほんの一瞬の出来事だ。他の者達は、誰一人として気付けない。
 気付けなかったのだ。
「は…………ッ」
 それが、故に。
 鈍い衝撃と同時、沙灯の口から吐き出されたのは、彼女自身の赤い血だった。

続劇

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