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−Prologue−
 あたしの体から、ゆっくりと力が抜けていく。 「……どうしてそんな無茶な戦い方ばっかり……」  赤い色に染まった視界に、一人の女の子の顔が映し出される。  だれだっけ……もう、そんな事もわかんないや…… 「だって、こういうのって……かっこいいじゃない」  そう答えたのは、どうして?  何が、かっこいいから……なの?  考えるのもめんどくさい。そういうのって美しくない気もしたけど、今のあたし にはそれこそどうでもいい事のような気がする……。 「もう……」  泣きそうな顔で、女の子はあたしの血だらけの額にそっと唇を寄せた。  ばさっ!  あたしは、ベッドから飛び起きた。  はぁ……はぁ……はぁ……  息が、荒い。少々の喧嘩でも息なんて切らせないあたしの息が、乱れている。 「…………ちゃん……」  まだドキドキしている胸にそっと手を当て、一つの名前を口にしてみた。  ここ何ヶ月かは全く口にしていなかった、その名。 「…………ちゃん」  もう一度、口にしてみる。  そして……  あたしの目から、一筋の涙が流れた。




−ARASHI−
(その1)



Act.1

「あのさぁ……ユイカぁ」
 少女の細い手を取ったままで呆れたように呟くのは、一人の青年。
「何よ」
 地面にぺたんと座り込んだ姿勢で、少女は答える。彼女を取り巻くように不思議な
布状の物体……彼女の武器……が浮かんでいる所を見ると、先程まで誰かと戦ってい
たのだろう。
「お前、もうちょっと安全な戦い方とか、出来ないか?」
 少女の肌は小さな頃から十年近く旅ばかり続けているというのに、ヴァストークの
陶磁器のように白さを保ったままだった。年頃の街娘達のように目立った手入れをし
ているわけでもないのに、日焼けする気配すらない。
 その純白の肌と絶妙なまでのコントラストを構成している真紅のラインにそっと手
をかざしつつ、青年はぼやく。
「背後からでも襲えって? そんな卑怯な事、出来るわけないじゃない」
 何やら不満そうな少女の言葉に、青年からの返答はない。青年は何やら短い言葉を
呟きながら少女の腕を掴んでいるだけだ。
 だが、返事は全く別の方向から来た。
「スタックの言うとおりよ。いくら私が防ぐと言ったって……五人の敵のど真ん中に
突っ込まれちゃ、防御しきれないもの」
 ユイカの周囲にふわふわと浮かんでいた布が、少女の華奢な体をゆっくりと抱きし
めるように動き……そのまま、一人の少女の姿を虚空より出現させる。ユイカにそっ
くりの少女ではあるが、ストレートに伸ばした長い髪と淡い色のワンピースでユイカ
との見分けは容易に付く。
「お前が叔父さんの言う『美学』って奴にこだわってるのは解るけどよ……その、何
だ? 自分が怪我しちゃどうにもなんねえだろ。その辺を気を付けてくれるとな…
…」
 ようやくユイカの腕から手を離し、スタックは口を開いた。
「……うん。解ってる。朱鳥も、ごめんね」
 ユイカはいつになくしおらしい口調で返事を返し、スタックが手をかざしていた所
に赤い瞳を寄せる。そこに刻まれていた赤いラインは跡形もなく消えていた。スタッ
クの使った、治癒術のおかげだ。
「…………そっか。分かりゃ、いいんだがな。分かりゃ……」
 いつもなら「そんなの解ってるわよ!」とか何とか言って結局大喧嘩になるはずな
のに、その気配が一向にない。
 調子の狂ったスタックは、ユイカを抱きしめていた朱鳥と不思議そうに顔を見合わ
せていた。


Act.2

「クワイプ……ねぇ。『あの』クワイプ・ルガーディアでしょ? お客さん、あいつ
には手ェ出さない方がいいよぉ」
 酒場のマスターはスタックの話を聞くなり、開口一番そう答えた。
「そんなにヤバい奴なのか? こないだ戦った奴なんだが……」
「ヤバいも何も、イっちゃってる奴さね。国家要人、女子供一切関係なしにとりあえ
ず殺れればいいやって感じでよ。ラザフェルスとかバサーティアじゃ幾つもの村が全
滅させられたし、最近じゃファニアの大神官をさらったりとか何とかやりたい放題さ。
でもって、狩りに来た賞金稼ぎを片っ端から狩り返すもんだから……」
 ちょっとだけ意味深な間を置き、マスターは台詞に合わせて閉じていた右手をぱっ
と開く。
「賞金はさらに倍々ってなワケだ。ま、狩り返しじゃ伝説の賞金首『殺戮者』も一緒
だけど、あっちはまだ無差別殺人はしないらしいからな……」
 伝説の賞金首の話はスタックも聞いた事があった。何をやったのかは知らないが、
嘘か真か億単位の賞金が掛かっているという。ただ、あくまでも伝説上の存在であり、
本当に実在する人物なのかどうかは甚だ怪しい所ではあったが。
「まあ、そういう物騒な連中とは俺は一生関わりたくないけどね」
 マスターはそこまで言うとカウンターに置いてあったグラスを取り、再びそのグラ
スを磨き始める。一方のスタックの方もグラスを取り、安物の発泡酒を口に運ぼうと
して……
 そんな時だった。
 血だらけの男が、慌てて駆け込んできたのは。


 ユイカは、夢を見ていた。
<あなたが、私の護衛をしてくれるの?>
 一人の、少女の夢。無垢で無邪気な笑みを惜しげもなくユイカや朱鳥に向けてくる、
幼い少女の夢だ。
<私ね、お友達っていないの。護衛もだけど……お友達になってくれると、もっと嬉
しいな>
 夢の中の彼女は、同性であるユイカですらはっとなるほどの可愛らしい笑みか、幼
い年齢にそぐわない寂しげな表情のどちらかしか浮かべていない。そんな彼女をユイ
カも朱鳥も心の底から大切に、それこそ妹か娘のように思っていたし、彼女も二人に
なつき、愛してくれていた。
 しかし。
<しょうがないよ。ユイカちゃんも朱鳥ちゃんも一生懸命やってくれたし……他の護
衛の人達だって……>
 ゆっくりと歩み去る、少女の背中。
 辺りに漂うのは、むせ返るほどの血の臭いと、何かの焼ける臭い。
<けど、忘れないでね。私との約束……。絶対に、だよ?>
 右腕と違って折られていない左腕を届かない少女の背中へと伸ばし、ユイカは声に
ならない叫びを上げる。
 付けられたばかりの鋼鉄の腕枷が、やけに重かった。


「夢……か」
 天井にかざした左腕を見上げ、ユイカはぽつりと洩らした。
「嫌な、夢……」
 かざしたままの左腕を、ベッドの上に力無く投げ出す。左腕に填められた鋼鉄の腕
枷とそれに連なる鋼の鎖がじゃらり……という、可愛らしい少女にはそぐわない異様
な音を立てるが、ユイカとしては既に慣れてしまっているから気にもならない。
「最近はやっと見なくなってたのに……な」
 のろのろと半身を起こし、傍らで眠っている朱鳥を起こさないよう、ベッドサイド
の荷物の中から薄手のタオルを取り出す。寝間着代わりの薄手のシャツが大量の寝汗
でべとついて、気持ち悪かったのだ。
 と、その時。
「ユイカ! 入るぞっ!」
 余程急いでいたのだろう。ノックすらせず、二人の部屋へと飛び込んでくるスタッ
ク。
「あ……」
 その瞬間、彼はいきなり硬直してしまった。青年の目の前にいたのは、あられもな
い姿で汗を拭いているユイカと、可愛らしい寝息を立てている朱鳥の姿。
 しまった、殴られる! そんな100%確定の予測が、青年の全身を支配する。
「あれ?」
 が、ユイカの態度はいつもと全く違っていた。たくし上げていたシャツを下ろして
軽く整えると、自分の掛けていた薄い毛布で朱鳥の寝姿をそっと隠し……
「何か……用?」
 そんな問いを掛けてきたのだ。
「何か、用があったんじゃないの?」
 いつもなら、口よりも先にとりあえずグーでスタックをぶっとばしておいてから、
乱れた服をちょいちょいっと直し、その後にようやく怒りのこもった詰問口調で言葉
を掛けてくるはずなのに。
 スタックにそっちの趣味はないから、思いっきり殴られて嬉しいわけでは決してな
いが、それでもいつもと全く違う調子で来られるとかえって困惑してしまう。
「あ、ああ……。このすぐ近くで、夜行の輸送隊が襲撃に遭ったってさ。他の傭兵連
中も出てるみたいだし、俺達も出張らないか……と思ってな」
「ん、分かった。朱鳥を起こしたらすぐ行くから、五分だけ待ってて」
 普段なら、ここでも「何でそんな大事な事を早く言わないのよっ!」とか何とか言
って、理不尽極まりない第二撃が来るはずなのだ。で、スタックがダウンしている間
にさっさと準備を整えてしまうのである。このユイカという娘は。
 だが、それも来ない。
「………了解」
 今一つ調子が出ない様子で、スタックはユイカの部屋を後にした。
続劇
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