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導風
−Michibiki・no・KAZE−
(その3)



「ン……」
 少女は、ゆっくりと瞳を開いた。
 まだ今一つ覚醒しきっていないトロンとした紅の瞳に、木造の天井が映り込む。
どうやら宿屋の一室か何かなのだろうが、どちらにせよこんな建物には全く見覚え
がない。
「ここ……」
 ぼぉっとした頭で、あたりを見回……そうとする少女。体はやけに重たく、何だ
か他人の体のようだ。
「ユイカ!」
 その瞬間、何かが凄まじい勢いで抱きついてきた。
「あ……朱鳥」
 胸元に顔を埋めて泣き始めた相棒の頭を、少女……ユイカは優しく撫でてやる。
ユイカが朱鳥のよく手入れされた銀髪を撫でさせて貰うのは何だか久しぶりで、つ
いついその柔らかい手触りを楽しんでしまう。
 まだ、意識は今一つハッキリしていない。
「ユイカのバカ……。何日も起きなくって……私、すっごく心配したんだからね。
もう、ユイカが死んじゃったらどうしようって……ひっく……」
 後の方は涙声になってしまって言葉にならない。涙でべたべたになった顔をユイ
カの胸に押しつけ、再び泣きじゃくり始める。
「よ。気が付いたか」
「スタック……」
 そして、もう一人。
 こちらもユイカが昏睡状態だったこの数日間、全く眠っていないのだろう。長身
の青年……スタックの表情にも、焦燥の色が濃い。
「ボロボロね」
「俺や朱鳥に散々心配掛けといて……そのオチがそれかい」
 苦笑しつつ、スタックは答える。だが、その表情に怒った様子はなく、むしろほ
っとした雰囲気が感じられた。
「あ、そうそう。毒消し煎じてきたから、ちょいと傷見せな」
 今だに泣きじゃくっている朱鳥を軽くずらし、ユイカの胸に丁寧に巻かれた包帯
を手際よく解いていくスタック。傷口本体はようやく塞がりつつあったが、まだそ
の傷跡は生々しい姿をユイカの色白の胸に刻んでいた。
 スタックは確かに治癒術が使える。しかし、メインとなる剣術や攻撃魔術の片手
間に覚えたような術だ。アミュレットの補助を受けなければ使えないし、威力もた
かが知れている。正直な所、心臓に達しようかというユイカの傷を処置できたこと
自体が奇跡に等しいと言えた。
(……俺にもうちょっと力がありゃあ、この傷も綺麗に消してやれるんだろうがな
……)
 そんな事を考えながら、ユイカの胸の傷口に煎じたばかりの解毒薬を塗っていく。
無理して使った強力な治癒術でほぼ全てのヴァートを使い切ってしまい、解毒の術
まで力が回らなかったのだ。
 後はこうして薬草を煎じた薬で何とかしていくしかない。
(……まあ、弱い毒だったのがせめてもの救いか……)
 ふと、ここに至ってユイカの混濁した意識が段々とハッキリしてきた。
「……スタッ……ク?」
 目の前にいるのは、一人の青年……スタック。
「!!!」
 見れば、スタックは自分のはだけた胸を堂々と触っているではないか。
「この……馬鹿ぁっ!」
 何日かぶりのユイカの拳が、青年の頬に見事にヒットしていた。
 …………合掌。


「……みんなには迷惑掛けちゃったわね」
 泣き疲れて眠ってしまった朱鳥の頭をそっと撫でながら、ユイカは小さく呟いた。
「まあな。流石に今回は色々大変だったからな」
 そう言いつつスタックは朱鳥を抱きかかえ、そのままユイカの傍らのベッドに運
んでやる。その右頬は何故か真っ赤な手の跡が付いていたりするが、青年がその事
を特に気にした様子はない。
「朱鳥なんざ、ずっと徹夜の看病だったからな……。安心して一気に疲れが出たん
だろ」
 ユイカが運び込まれてから一度も使われてはいなかったのだろう。朱鳥が使うは
ずのベッドは整えられたシーツがかかったままだ。そのベッドに朱鳥を横たえ、ス
タックはそっと毛布を掛けてやる。
「ま……とりあえず、お前もさっさと寝ろや。何だったら、付いててやろうか?」
 ようやく意識が戻っただけの状態だ。いくら鍛え方が普通の女の子とは違うから
と言っても、まだまだ安心していい状態とは言えない。
「……ううん。スタックも寝てないんでしょ? だったら、あたしはもう大丈夫だ
からさ、スタックも寝なよ」
 スタックの言葉に小さく頷き、ユイカも再び横になった。


「やれやれ……。何でこう、あいつと居るとこう心配事が続くかね」
 スタックは自らの部屋のベッドに腰を下ろすと、小さく愚痴をこぼした。
 隣の部屋はユイカ達の部屋だから、あまり大きい声は出せない。それどころか、
スタックがちょっと気合いを入れて殴れば穴が開くだろう薄い壁だ。下手すれば今
の言葉も聞こえていたかも知れなかった。
「まあ、何にせよ無事で良かった……か」
 風情のある言い方をすれば、朱鳥の祈りが天に通じた……といった所だろうか。
 正直な所、ユイカが目を覚ます確率は5分5分程度だったとスタックは思ってい
る。本当なら医者やどこぞの神官に見せるのが筋だったのだろうが、いかんせんこ
んな森の中の集落に医者や治癒術の使える神官など居るはずもない。無人の家を一
件貸してもらえた事と、村の長老に解毒の薬草の調合法を教えてもらえた事だけが
数少ない救いだったろう。
 ちなみにスタックも年に一度するかしないかの『お祈り』という物をガラにもな
くしていたりするが……不信心な彼の祈りが天に届いたとは思っていなかった。
「さてと。当分はこの村でゆっくりするとして……」
 怪我人のユイカはもちろんの事、朱鳥は徹夜の看病で神経をすり減らしているし、
スタック本人もヴァートを使い果たしていて大した魔術は使えない。
 こんな状態で旅をするなど、無茶や無謀を通り越してただの自殺行為だ。
「……今日は寝るか」
 よく考えると、ユイカが倒れてからろくに眠った覚えがない。久々にゆっくり眠
れるな……などと思いつつ、スタックは眠る支度を始めた。


「ふぅ……」
 ベッドに体を横たえたまま、ユイカは小さくため息を付いた。
 今回の件だけは、流石の彼女もかなり堪えていたのだ。
 別に胸の傷はどうと言う事はない。ユイカも年頃の女の子だから全く気にならな
い……というワケではなかったが、これは自らの不注意で付いた傷だ。責任は自分
にある。
 堪えていたのは、朱鳥やスタックの事。
 彼女達に心配を掛けた事だけが、悔しくてたまらないのだ。
「あたしもまだまだ……ね」
 ぽつりと呟き、朱鳥のベッドの方へゆっくりと頭を向ける。
「?」
 と、朱鳥のベッドとの間にあるテーブルに置いてある『何か』に気付き、そちら
の方へとユイカは視線をやった。
「おみな……えし?」
 そこに飾ってある、小さな花束。
 黄色い花を咲かせた、女郎花の花束だ。
 ユイカはその小さな花を咲かせる植物に解毒作用がある事など知らない。もちろ
ん、彼女の体内の毒がこれのおかげで癒やされた事も知るはずはなかった。
 だが、その花の存在が強烈に気になるのだ。極端に目立つ花でも、何か思い出が
あるというわけでも無いはずなのに。
「何だろ……。あたし、この花の事で何かあったかしら……?」
 襲ってきた眠気に負けたからか。ユイカはその花に関する記憶を思い出す事なく、
再び深い眠りについた。


「『私を生き返らせて』……か。なるほど。あの子らしいわね」
 屋根の上に腰を下ろし、『彼女』はくすくすと笑みを浮かべた。
 端から見れば、少女にしか見えないだろう。だが、その顔に浮かぶのは、『母親』
としての優しげな表情。
「まあ、決まりではあるから叶えはしたが……。本当に良かったのか? あの『願
い』は向こうでの事に使うべき物なのだろう?」
 彼女の目の前……何もない空中……に浮かぶのは、純白の翼を持った青年だ。空
を飛んでいるはずなのに、その翼を動かす気配もなくそのまま宙に浮かんでいる。
「ま、どうしてもって言うんなら、あたしの願いを使わせてあげなさいな。あたし
の願いは無効になってるんでしょ? 丁度いいじゃない」
 『彼女』の願いは、『自らの愛した者達を巻き込まない事』だった。しかし、彼
女の愛娘が巻き込まれた時点で、彼女の願いは無効化されているはずだ。
「……すまんな。契約する時まで名前を聞かなかったのだ……。完全に俺のミスな
んだが、今更『お前はダメだ』などと言えなくてな」
 青年はもともと一人で行動しているし、相手とするのも一人の時ばかり。その為、
いちいち名前を使わなくても会話が成立してしまうのだ。
「それから、今回の件に関する記憶は全て封印しておいたぞ。生きている間の彼女
には不要な情報だろうからな」
 それ以外の事は本当に細かい所まで気が付く、優秀な青年なのである。名前に関
しては無頓着な事だけが、欠点だった。
「助かるわ。生まれる前とか死んだ後の事なんか、生きてる間は知らない方がいい
事だものね」
 少女は少しだけうつむいてそう呟く。そして、何かを吹っ切ったのか、顔を上げ
た。その表情は、どこにでもいる、ごく普通の少女の物。
「さて、と。それじゃ、今回の件の事後処理と書類の書き換えは宜しくね。ったく、
折角あの人といい気持ちで寝てたのに……邪魔してくれちゃってさ。ふん」
 不意に吹いた夜風に小さく身を震わせつつ、少女は苦笑を浮かべる。いくら防寒
着代わりにマントを羽織っているとはいえ、夜は冷えるのだ。
「ああ。後は俺の仕事だからな。それでは、邪魔したな」
 青年は純白の翼をばさりとはためかせると、そのまま消えてしまった。一体どう
したものか、辺りには気配の欠片すら残っていない。
 まるで、幽霊のように。
「ったく……」
 その幽霊青年が消えた後。少女は腰掛けていた屋根から立ち上がると、小さく口
を開く。空元気を装っていたのか、今までの明るい表情は欠片もなく、その顔つき
は暗く沈んでいる。
 自らの子供が一度死んで蘇ったなどと聞かされて、平静を保てる親など居ない。
しかも、自らも深く関わっている永劫の戦いに巻き込まれる事になったとなると…。
「あんまし親に心配かけさせんじゃないわよ、ユイカのバカ……」
 寂しそうなその言葉は夜の闇の中に吸い込まれ、誰の耳に届く事もなかった。
第7話に続く!
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