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凶風
-Magatsu Kaze-
(その3)



 「な……なんて事を…!」
 赤い鮮血の軌跡を描き、男の子はとさり…と軽い音を立てて石畳の上に崩れ落ち
た。その光景を見た瞬間、ユイカはあわてて男の子の方へと近寄ろうとする。
 だが。
 (ユイカ! 行っちゃ駄目!)
 彼女の怒りを代弁するかのように燃え上がっていた焔の羽衣が、ユイカの細い足
へと絡み付いていた。汗ひとつかいていないユイカの白い足に、焔の照り返しが映
える。
 「朱鳥!?」
 ユイカが足に力を込めると、その分締め付けも激しくなっていく。まるで、その
動きを封じるかのように。
 「あらら……。その賢い『共有者』のお陰で助かったようだね……。馬鹿なお嬢
さん……」
 そこに響く、声。
 子供の、声。
 「誰………? まさか……そんなわけないよね…」
 いかに建物に反響して響こうとも、師匠である老爺から相応の訓練を仕込まれた
ユイカには音の源が分かる。しかし、その音源があるのは……
 「ほんと、残念だよ。この姿だったら油断するし、簡単に殺せると思ったんだけ
どな……。ざーんねん」
 死んだはずの、男の子の処。無論、今の声が響いてきたのも、同じ処からだ。
 「いい加減に猿芝居はやめたらどうです? 虐殺者!」
 ランスを構えたままのシオンは男の子の骸に向け、冷徹に言い放つ。その瞳に宿
るのは、見る者を畏怖させる事など造作もないほどの殺気。
 「そんな恐い目で睨まなくってもいいよ。今日はシオンさんに勝ちを譲っとくか
らさ」
 その瞬間。
 倒れていた男の子が、ひょいと起き上がった。
 「こないだの調伏術士の時は僕の勝ちだったから、これでイーブンってとこか…
…。それにしてもあの調伏術士、人質取ってやっただけであっさり操られちゃうん
だもん。バカだよねぇ…」
 鮮血や傷跡は幻だったのだろうか。傷一つない男の子の姿で、クワイプは何事も
なかったようにそう呟く。
 その額にあるのは、他の男達と同じ、奇怪な刺青。
 「ま、そのうちまた殺しにくるよ。そん時は一つよろしくね。シオンさん、それ
とそっちのおねーちゃん」
 そして。
 『虐殺者』クワイプ・ルガーディアは、その姿を消した。


 「なるほどね……。そういう相手ってワケか……」
 ユイカ達は多少早めの夕食を食べながら、シオンの話を聞いていた。彼とクワイ
プの関係、それと、彼等のしてきた事を…である。
 「『最強を求める』を名目に、大量虐殺を行なう殺人快楽者……最低の人間です
わね」
 菜食主義者なのか、相変わらずサラダを食べながらそう呟く朱鳥。気に入ってい
るのか、使っているのは昼食の時と変わらない箸だ。
 「少なくとも私は勝負や戦以外で人を殺そうとは思いませんよ。こちらが不利な
戦ともなれば手段を選ばない時も無いとは言いませんが……。まあ、傍から見れば
私もクワイプも同じかも知れませんね…」
 その言葉に、シオンは小さく苦笑を浮かべる。彼の傍らには、分厚い布で覆われ
た長い物体…血塗られた力晶石のランス『殺戮の七』…が置かれていた。
 「で、これからキミはどうするの? あたし達はこの辺をぶらぶらする予定だけ
ど……」
 「私はクワイプを倒しに行きますよ。彼の存在は私個人としても迷惑ですし、
『殺戮者』の私とすれば……」
 少しだけ間を空け、言葉を続ける。
 「殺すべき相手ですしね」
 その言葉に反応したのか、傍らの布包みが小さな共鳴の音を立てた。
 「そうですか……」
 共鳴の音が頭に響いて気分が悪いらしい。額に細い指を当てながら、朱鳥が呟く。
 「それでは私はこの辺で失礼しますよ。そちらの彼女にもあまりいい影響はない
ようですしね」
 「そうしてくれると嬉しいわね。あ、別にキミが悪いわけじゃないんだけど…」
 無論、ユイカにはランスと朱鳥の間に何が起こっているのか分からない。だが、
朱鳥の様子からあまり彼女の体に良いことが起こっていないのは分かる。
 「気にしなくても構いませんよ。では」
 そして、『殺戮者』シオン・ヴァナハは彼女たちの前から姿を消した。


 その夜。
 「ねぇ、ユイカ?」
 形の悪い枕を寝心地良いように整えながら、朱鳥は傍らで寝支度をしているユイ
カに声を掛けた。焔の翼を出していない今だと、朱鳥も普通の女の子と何ら変わり
ない。
 「何?」
 適当に相づちを打つユイカ。が、タイミング良く返事するところを見ると、別に
本当に聞き流しているわけではないのだろう。
 「あのシオンって人に付いて行こうって思わなかった?」
 「全然」
 その言葉を、一瞬で否定するユイカ。
 「彼に付いていけば、色々と面白そうな事ありそうだったじゃない」
 「却下」
 にべもない。
 「私に遠慮してる……ンっ!」
 「朱鳥…」
 と、ユイカはその朱鳥の口(とついでに鼻)を一瞬で塞いでセリフを止め、少し
怒ったような口調で言葉を続ける。
 「いい? あたしはあの人みたく『戦い』が好きなんじゃないの。あたしが好き
なのは、『冒険』なの。『戦い』とか『最強』とか『限界』とか……あぁもう、そ
ーいうめんどくさい物は、全部『冒険』にくっついてくるオマケなの。オマケ。
分かる? ……って、朱鳥!?」
 そこに至って、ユイカはようやく気が付いた。慌てて朱鳥の塞いでいた口(と、
ついでに鼻)を解放する。
 「こ…今度こそ死ぬかと思ったわ……」
 「ゴ、ゴメンね、あたしったらつい……」
 ぜいぜいと荒い息をついている朱鳥の背中をさすりながら、ユイカはそう声を掛
けた。
 「別にいいわよ。それより、もう寝ましょ。今日は色々あって疲れちゃったし…」
 整え終わった枕を並べ、朱鳥とユイカは一つのベッドに揃って潜り込んだ。どち
らかといえば小柄な二人だし、小さな頃からこうやって眠っていたから、多少狭い
のにも慣れている。
 「おやすみ、朱鳥」
 「ええ。おやすみ…」
 そして、二人は眠りについた。


 「………ふぅ」
 獣脂の煙の染み付いた天井を見上げながら、ユイカは小さくため息をついた。
 シオンに同行しようと全く思わなかった…と言えば嘘になる。彼と行動すればス
リルのある冒険が楽しめるだろう。
 それに数倍する激しい戦いがあるとしても。
 だが。
 「朱鳥………」
 傍らで寝息を立てている、相棒を見遣る。
 ユイカの魂の半分と古代の秘宝の力で生まれた、魔法生命体…『共有者』朱鳥。
ユイカが魔法を使えない原因は、朱鳥が彼女の魂の半分…魔法的な側面の全てを奪
っているからと言っても良い。
 ちなみに気鎧を使った時に朱鳥が気鎧の一部に変化するのは、魂を共有する故の
事だ。要はユイカの魂の半分という、元の姿に戻るだけなのである。
 「けど、そんな事…どうでもいいよね…」
 物心つく前からユイカの傍にいてくれた、大切な相棒。一緒に育ち、一緒に笑い
、
泣いた、魂の共有者…朱鳥。
 魔法が使えないくらい安いものだと、素直に思う。
 (朱鳥のあんな苦しそうな顔、もう見たくないもん…)
 彼女の笑顔を犠牲にして得た、スリルある冒険。そんなものはユイカにとって、
価値も意味もない。
 そんな事をぼんやりと考えていると、ゆっくりと眠気が襲ってきた。目蓋が、少
しずつ重くなってくる。
 「朱鳥、おやすみ……」
 「ン……おやすみぃ…ユイカぁ……」
 寝言を言いながら、朱鳥がユイカにしがみ付いてきた。そんな朱鳥にそっと頬を
寄せ、ユイカも自分を包み込み始めた眠気に身を委ねる。
 明日は楽しい一日になればいいな、と思いながら。
第4話へ続く
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