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狂気-insanity-
第2話



 ふと、リンカは瞳を開いた。
 体内に組み込まれたタイマーが、命じられたその機能を忠実に働かせたのだ。
 「……あと、二分…」
 確認するように小さな声で呟き、顔をほんの少しだけ横へと向ける。
 そこにあるのは、彼女の主…ミハイルの穏やかな寝顔。
 そう。リンカが眠っている場所は、彼女をメンテナンスする為の無愛想な作業台
ではない。二人で寝るにも充分以上の広さのある、暖かく柔らかいミハイルのベッ
ドの中なのだ。
 リンカは腕枕してくれているミハイルに静かに寄り添うと、そっと瞳を閉じた。
ミハイルに起こすように言われた時間まで、あと一分と少々。それまでは、このま
までいられる。
 「時間……」
 だが、幸せな時間はすぐに過ぎ去ってしまう。
 「マスター。マスター?」
 リンカは半身を起こすと、控えめな声でミハイルへと声を掛けた。それに応じ、
ミハイルはゆっくりと瞳を開く。
 「おはようございます、リンカ。時間ですか?」
 「はい」
 満足のいく答えを聞くと、ミハイルは自分の顔を覗き込むようにしていたリンカ
をそっと抱き寄せた。リンカはミハイルのなすがまま、抗う気配すら見せない。
 ミハイルはリンカの頭部に丁寧に埋め込まれた排熱用特殊繊維……しなやかな髪
の毛の感触を楽しみながら、彼女の耳元へと囁きかける。
 「さて…と。リンカ、今日の予定はどうなっていますか?」
 「はい。本日の予定は……」
 主の胸に顔を埋め、リンカは命じられるままに今日の予定を話していく。普段ずっ
と一緒にいるので、ミハイルの約束事や予定は完璧に覚えているのだ。
 ちなみに、ミハイルの体も半分はサイボーグである。実際の所、体内に目覚める
ために必要なタイマーは入っていたし、ここ数か月の予定も恐ろしく詳しい所まで
頭の中に入っていた。
 だが、それでもリンカに起こしてもらい、知っているはずの予定を教えてもらう。
別に大した理由ではない。自分が零から作り上げた愛娘の成長を見るのが、彼のさ
さやかな…そして最大の楽しみだからだ。
 「マスター……」
 ミハイルの腕の中で、リンカがふと口を開いた。
 「? 何ですか?」
 リンカはそれ以上何も言わない。だが、何か言いたい事があるのだろう。ミハイ
ルは彼女の髪の毛を優しく撫でながら、彼女の次の言葉を待つ。
 時計の秒針が二周目に差し掛ろうとした頃、リンカはようやく次の言葉を紡ぎだ
した。
 「全準備時間を考慮しても、研究所に行くまでに2時間の余裕があります。お休
みになられた方が…」
 ミハイルの手が止まる。昨晩は論文の作製に思った以上に時間を取られ、ほとん
ど寝ていない事を思い出したのだ。
 「そうですね。リンカ、時間になったら起こして貰えますか?」
 「イエス、マスター」
 細やかな気配りを加えられるようになったリンカに少しだけ驚き、そして嬉しく
思いながら、ミハイルは穏やかな笑みを浮かべていた。

 「おや、ミハイル博士。何かご用ですかい?」
 機神格納庫を通り掛かったミハイルに、そんな声が掛けられた。
 科浦団魔。警視庁から霊子力研究所に出向して来ている、機神隊の男である。性
格は粗野で粗暴、問題が絶えないという話もある。出向の理由はその辺りにあるの
ではないかと、まことしやかに噂されていた。
 「いえ、別に用というほどの物ではないのですがね」
 「ははは。そこの人形の嬢ちゃんのスパーリング相手でも探してるのかと思いま
したよ」
 そう言ってへらへらと笑う。相手を完璧に見下し切った口調だ。
 ミハイルの研究は『限定された空間内戦闘において、最高の効率を発揮できる機
神の開発』…である。平たく言えば強力な戦闘用アンドロイドの開発なのだが、戦
闘用機神の研究者として見れば、これはかなり異端の研究といえた。しかも、その
研究成果はただの女の子にしか見えないリンカ一人。
 そういうわけで、科浦のようにミハイルの研究を馬鹿にしている者は少なくない。
 「スパーリング……考えた事もありませんでしたね。なら、科浦殿。リンカの相
手をお願い出来ますか?」
 「な………」
 これには科浦の方が面食らった。からかっただけのつもりなのに、逆にカウンター
を食らってしまったのだ。
 しかし、これは考え様によっては好機とも言えた。スカした外国野郎の鼻をあか
せる、絶好の機会。
 「あ、ああ。いいぜ? あんたの大事なお人形さんを、粉々にされてもいいのな
らな」


 「手加減はしねえぜ? 本当にいいんだろうな」
 「ええ。こちらも手加減はしませんから」
 ミハイルのすました返答を苦々しく思いながら、科浦は自らの機神を進ませてい
く。
 科浦の機神は『三八式達摩』。20mを越える、重装甲が自慢の大型機神である。
基本設計は多少古いが、その分機体の仕上がりには自信があった。
 だが、相対するミハイルのアンドロイド『リンカ』は微動だにしない。
 「バカにしてやがるのか……? 潰れろっ!」
 牽制とばかりに蹴打を放つ。全高があまりに違いすぎるため、主力攻撃のパンチ
は放てないのだ。
 「リンカ。翻弄なさい」
 ようやくミハイルが口を開く。だが、その命令はあまりに単純なもの。
 「イエス、マスター」
 その瞬間、全く動かなかったリンカが、動いた。

 「ヤロウ…ちょこまかと動きやがって……」
 蹴打を放った瞬間には、人形は彼の背後にまわりこんでいる。しかし、攻撃を仕
掛けてくるわけではない。
 ミハイルの指示どおり、完璧に相手を翻弄しているのだ。
 「馬鹿に……するんじゃねえ!!!」
 叫ぶやいなや、腕に仕込まれたランチャーを連発する団魔。だが、それも虚しく
大地をえぐり、爆風を立てるのみ。
 「そろそろいいでしょう……。リンカ、攻撃開始」
 「イエス、マスター」
 リンカはそう答えると軽くダッシュし、ほんの一瞬で達摩との間合を詰めた。そ
のまま達摩の装甲を踏み台に、達摩の頭上へと跳躍する。
 「サイ=プレート、展開許可」
 ヒュゥゥン…
 その瞬間、彼女の周囲が一瞬ぼやけ、輝く壁が現われた。これが高機動戦闘用ア
ンドロイドである『リンカ』と並ぶミハイルの研究の成果、『攻性防御装甲・サイ=
プレート』。大型機神のような装甲を施す事が出来ないアンドロイドに十分な防御
力と装甲を与えるための、極めて強力なエネルギーフィールドだ。
 「最大攻撃力のチェックを行ないます。一撃で決着をつけなさい」
 ただの平面だった『サイ=プレート』が、ポリゴンの角のような鋭角的な形状へ
とその姿を変えていく。これがサイ=プレートの打撃攻撃形態だ。
 「チェックメイト…ですね」
 達摩の頭部装甲がリンカの一撃で打ち砕かれるのと、
 ミハイルの勝利宣言は。
 全くの同時だった。


 数時間後。
 「リンカ。今日はご苦労様でした…」
 ミハイルはリンカの背中から巨大なバックパックを外し、近くの台の上にゆっく
りと置く。リンカ専用に作っているパーツだから、見かけほど重い物ではない。
 ここは研究所で与えられた、ミハイルの実験室。ミハイルはここでリンカの新装
備のテストを行なっていたのだ。
 「Aユニットの調子はどうですか? 負荷は大きくありませんか?」
 そう問われたリンカは、不思議そうな顔でミハイルを見つめる。自分に関する全
てのデータを知っているはずのミハイルが、いまさら何を聞くというのだろう…と
言った風だ。
 「使っている者にしか分からないという事もありますからね。何か不都合な点が
あれば、遠慮なく言うのですよ。そちらの方がより完成度も高くなりますし」
 ミハイルはそう言いながら、ロッカーからコートを取り出して羽織った。今日実
験室で行う予定の研究は、全て済ませてしまったのだ。後は自宅の研究室で行なう
べき実験だけしかない。
 「あの…マスター」
 「何ですか」
 小さなスツールにちょこんと腰を下ろしたまま、リンカが小さな声でミハイルへ
と声を掛ける。
 「ユニットの大きさを…もう少し…小さくした方がいいと思います…」
 「可動範囲への干渉もないし、あの大きさでもバランスは十分に取れるはずです
が……? それとも、何か他に問題があるのですか?」
 ミハイルはそう言うとリンカを立ち上がらせ、自分のコートの内へと招き入れた。
その青年に体を預けると、小さな機械の少女は青年に聞こえるか聞こえないかとい
う程の声で呟く。
 「ユニットを付けると…こうやって貰えなく…なるから」
 意外な返答に一瞬驚いたような表情を浮かべるものの、思わず小さな笑みを洩ら
すミハイル。
 「ふふ………。分かりました。そういう事なら、先にR2システムの方の研究を
進める事にしましょう。Aユニットは形状バランスから見直しですね」
 対妖魔消滅フィールド『R2システム』。最近研究所の方で再開された研究だが、
フィールドの制御系がサイ=プレートに近いものらしい為、ミハイルも研究のかな
りの所まで関わっているのだ。
 「リンカ、これから忙しくなりますよ。構いませんか?」
 「イエス、マスター」
 普段と全く同じ抑揚を持ったリンカの声が、ミハイルの耳には妙に弾んでいるよ
うに届いていた。
第3話に続く
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