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狂気-insanity-
第3話



 「く……」
 青年は、小さなうめき声を上げた。
 「僕は……僕………は…………」
 全身が引き裂かれるように痛い。鋼鉄の部品で構成された四肢と人間の体の部分
の境目が、悲鳴…いや、絶叫を上げる。
 機械の部品が、人体との完璧な適合を果たしていないのだ。
 だから、戦いなどで強い負荷を掛ければ反動は全て帰ってくる。
 「失敗…作…で……は………」
 精神崩壊すら起こすほどの激痛に、青年の意識は闇の中へと墜ちていった。


 長い廊下を、一人の白衣の男が歩いていた。
 「先生、息子は…息子は助かりますでしょうか?」
 その隣に追従するように歩く、男と女。男の方は取り乱したかのように叫ぶ女を
宥めるようにしているから、多分この二人は夫婦なのだろう。
 無論、夫の表情も取り乱してはいないものの、深刻な色が濃い。可愛がっていた
息子…しかも、一族の盟主となる大事な跡取り息子だ…が大怪我をし、生死の境を
彷徨っているのだ。無理もないだろう。
 「先生……息子の事、宜しくお願いします」
 「任せておけ」
 夫の声に白衣の男は小さく首肯き、手術室へとその姿を消した。


 「ふぅ………」
 青年は一息吐くと、開いていた紙をそっと畳んだ。
 紙…手紙の内容は大した事ではない。いつもと同じ、実家からの『留学の期間を
延長しないか?』という内容のものだ。
 「やれやれ……」
 チィィィィ……………ン…
 と、突然に響く、モーター音。耳を澄まさなければ聞こえないような小さな音だ
が、静かな病院の廊下にはその音は意外と響いてしまう。
 その音の源は、青年の腕と指からだ。
 「『機械人間は目障りだ』と正面から言えばいいのに…」
 そう。
 青年は、サイボーグだった。

 青年がサイボーグになったのは、物心付くか付かないかの頃だった。森で遊んで
いた所を、手負いの熊に襲われたのだ。
 その瀕死の重傷となった彼を救ったのは、一人の科学者。彼は四肢の形を失った
青年に『機械化』という手段で新たな…そして人間よりも高機能な…手足を与え、
サイボーグとして再び生きる手段と身を護る術…護身術…を与えてくれたのだ。
 だが、その日から生活は一変した。
 優しかった両親や弟達は異形の姿と化した青年に対して冷たくなり、腫れ物に触
るような態度を取るようになってしまったのだ。親戚や他の人間の態度も、大体同
じようなもの。
 青年は賢かったから、「機械の体の自分にどう対処していいのか分からないんだ
ろうな…」と思っていた。
 しかし、青年は知ってしまった。
 「あんな半分機械の人間がこの一族の盟主となるなど、我が一族の恥だ」という、
一族全員の本音を…………

 「まあ、別に構いませんが……」
 特に寂しそうでもなく、青年は航空便の封筒へと折り畳んだ手紙を放り込む。
 青年は特に人付き合いの好きなタイプではなかったし、好きな研究が出来ればそ
れでよかった。世界中の大学の研究所を転々としていた青年だから施設に困る事は
ないし、その間に取った特許もあるから資金面にも困らない。むしろ実家である財
閥の面倒ごとに巻き込まれない分、追放同様のこの状況は好都合とすら言えるだろ
う。
 そんな事をなんともなく考えていると、病室から看護婦が出てきた。
 「ミハイル博士、教授が御呼びですよ」
 「はい」
 呼ばれた青年…ミハイルは短くそう答えると、自らをサイボーグへと生まれ変わ
らせた科学者の病室へと向かった。

 「ミハイル……お前には謝らなければな…」
 ベッドの中の老人は、小さく呟く。その姿は生命維持装置や無数のチューブに繋
がれ、既に人間と呼べるかどうかすら怪しい姿だ。
 生命維持装置に生かされた屍…そんな言葉が、ミハイルの脳裏を一瞬よぎる。
 「拒否反応の事ですか? 教授」
 ミハイルの体はもともと、金属やセラミックなどの異物に対して一般人よりも強
い拒絶反応を示す体質だった。教授はそれを承知の上でミハイルの体にサイボーグ
手術を施したのだ。
 もちろんある程度の抑制は薬で何とかなるから、日常生活には特に支障はない。
ただ、少し強い出力を出すと、拒絶反応の発作…気が狂う程の激痛…が起きてしま
う。
 「それもある……。無論、お前の両親から出された破格の報酬に目がくらんだも
の確かだ…」
 20年近くも前の事だ。今ならサイボーグ手術もさほど珍しいケースではないが、
当時は一生に一度あるかないかの大実験である。しかも、被験者は金属に対して拒
否反応を起こすような特殊な人材。
 科学者としては、放っておく手はない。
 「それ程の条件なら僕もきっとやっているでしょう。それに、その事ならば僕も
知っていますが……?」
 教授の言葉に、怪訝そうな表情を浮かべるミハイル。この事はとっくに知ってい
る事だったし、同じ科学者として共感も出来る。今更謝られる程の事でもなかった。
 「だが、私が謝りたいのはそんな事ではない……あの事件の、真相だ」
 教授の瞳は既に何も映していない。死期が近いのか、機械部品に交換された視神
経は既にその効力を失っていた。
 「お前が大怪我をした時に襲われたのは、何だったかな…」
 「僕は手負いの熊だと聞いていますが?」
 正直な所、この事はミハイルもよく覚えていない。自己防衛本能が働いたらしく、
記憶の中からはすっぽりと抜け落ちていた。状況などは全て後から人に聞いたもの
だ。
 「あれをやったのは私だ」
 何も映さぬ瞳で天井を見上げ、教授は小さく呟く。
 「あの頃の私は困窮の極致にあってな。どうしても実績と金が欲しかったのだ」
 「……」
 ミハイルからの返答はない。サイボーグの技術の基礎を仕込んでくれたのも、格
闘技を仕込んでくれたのも、この教授という男なのだ。彼なりに教授の事は尊敬し
ていたし、だからこそ新型の小型人型機神『リンカ』建造の忙しい合間を縫って、
見舞いにもやって来たのである。
 「お前の家は大財閥だったからな。地位も名誉も金もある。そこの次期盟主を助
けたとなると…な。まあ、助けた後にお前が疎まれるようになった事は計算外だっ
たが。それに…」
 「言うな…」
 既に誰に向かって喋っているのかすら分からなくなっているのだろうか。教授は、
さらに言葉を続ける。
 「あそこまで発作が酷い事もな。もう少し何とかなると思っていたが。全く……」
 「言うな……言うな……」
 今までの尊敬も、敬愛も。全てを裏切る言葉に、ミハイルは両の耳を押さえた。
 だが、ミハイルの補助頭脳に組み込まれた聴覚回路が、教授の言葉を正確に彼に
伝えていく。
 「とんだ失敗作だ」
 「言うなァァァァァツ!!」
 そして、ミハイルの中で、何かが切れた。
 『相手』に飛び掛かって無理矢理押さえ付け、その細い首をへし折ろうと乱暴に
手を掛ける。
 首の骨が軋み、圧迫された気管から押し出された息が漏れる。『相手』の抵抗は
力を失っているからか、既にない。
 ミハイルは首に掛けた手にさらに力を込め……


 「マ……スター?」
 そこで、気が付いた。
 「リン……カ?」
 リンカを組み敷き、その首をへし折ろうとしている自分の姿に。
 「夢……でしたか…」
 愕然としたままリンカの首から手を離し、指の痕の付いている彼女の頚をそっと
撫でる。今度はへし折るためでなく、愛しむために。
 リンカの細い首に、ミハイルの指が細い汗の筋を描いた。
 「マスター…大丈夫…ですか?」
 リンカはそう言いながら、汗の浮いているミハイルの額をハンカチで丁寧に拭っ
ていく。表情など滅多に顔に出さない娘だが、今の灰色の瞳には心配そうな表情が
浮かんでいるようにミハイルには思えた。
 「ええ。僕は問題ありません…。それよりも、リンカは大丈夫ですか?」
 触った限りではリンカの頚にダメージはない。だが、それでもミハイルは尋ねた。
理由は分からなかったが。
 「はい。ダメージはありません…」
 辺りを見回すと、屋敷の自分の部屋だ。倒れたミハイルをリンカが運んでくれた
のだろう。
 「あ、お屋敷のマスターのお部屋です。ここが一番安全と判断したので。お薬も
投与済みです」
 そのミハイルを雰囲気を察したらしいリンカが、少し間を置いて口を開く。完成
したばかりの頃には出来なかった細かい心配りが出来るようになった事を、ミハイ
ルは喜ばしく感じていた。


 「リンカ。もし僕がまたこんな暴走をしたら……僕がリンカを破壊する前に、僕
を殺してください」
 その夜。ベッドの中でミハイルは、腕の中のリンカへと声を掛けていた。
 だが、その言葉にリンカは小さく首を傾げる。
 「どうしました?」
 「命令が…理解不能です…」
 リンカの中で、ミハイルは絶対の存在として規定されていた。不可侵であるその
存在を傷つける者…『敵』を排除する、という命令なら理解できるが、主を自ら傷
つけるとは……。
 「今日のように途中で気が付けばいいのですが…。僕にリンカを破壊させるよう
な真似はさせないで下さい…」
 彼の最高傑作…リンカ。ミハイルは彼女の研究と改装に人生の全てを捧げてもい
いと思っていたし、彼女以外に自分用の機神を建造する気も既になかった。大破し
たからといって作り替える事にすら、今では嫌悪感を覚えるのだ。
 ならば、そうなる前に自分がいなくなった方がいい。その最後の幕を下ろしてく
れるのが自らの生涯を賭けた最高傑作ならば、科学者として言う事はなかった。
 「状況がシュミレート出来ません……理解…不能です」
 小さく呟くリンカ。その声は、少しだけ震えていた。
 「そうですね……。変な事を言ってしまいました。忘れてください、リンカ…」
 リンカの瞳に浮かんだ涙をそっと拭い、ミハイルは少女をそっと抱きしめていた。
第4話に続く
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