8.フェアベルケンの守護者 中天にかかる陽光が照らすのは、大地に伏した伝説の巨神と、静かに構える鎧装の老爺だった。 内部より中枢を破壊されたレッド・リアは、ロゥ達が脱出した頸部から細い煙を上げるだけで、千メートルを超える巨躯は動く気配もない。 「さて。では、始めるとしようか」 老爺が拳を軽く握れば、鎧甲が軽い唸り声を上げ始める。その先に現われるのは、大気より絞り出した高圧の水球だ。 「……休憩はナシか。龍王」 小さく呟くロゥに、老爺は苦笑。 「言ったであろ?」 レッド・リアを倒せば、次は冒険者達の番だと。 停滞すべきフェアベルケンに進歩をもたらす者達も、フェアベルケンをゆっくりと滅ぼす力……すなわち、『悪』となる。 「ホシノ」 世界は進み、世界は歩み。世界は絶えず進歩する。 だが、世界が歩む道は無限ではない。行き着く先にあるものは、ただ滅び、儚く消えていく事だけだ。 いつか滅ぶのは世の定め。けれど、終わりを一瞬でも遅らせるため、その場で足踏みを続けさせる事はできる。 「行けるな? 自分ら」 故に、龍王は絶対正義を名乗る。 それに従う獣王ホシノも、いつもの笑みと共に立ち上がった。 「応」 赤兎が大剣を引き抜いて。 「……はい」 シェティスも言葉少なく、超獣甲をまとう。 「……ボンバーミンミ」 「はいはい」 そして、龍王の視線に軽く肩をすくめる、ボンバーミンミ。 「安心せい。この後にあるのは、永劫の休息よ」 その言葉と同時、龍王は初撃を放つ。 狙うは、少し離れたところに腰を下ろしていた小さな少女。 「!」 超高圧の水球が解き放たれ、波濤と化して少女を飲み込んだ。 「コーシェっ!!」 叫び、走り出すロゥだが、そこに襲い来るのはロゥの身の丈を超えるほどの大剣の斬撃。 「ドラウンッ!」 超獣甲で受け止めるものの、そのまま一気に押し流される。 「魔法王の裔の力は、少々厄介だからな。古代魔法など使われる前に、先に消させて……む?」 しかし。 圧殺されるほどの高圧を受けてなお、少女は死んではいなかった。 ばさりと翻るのは、黒衣の翼。 そこから剥がされ、千切られた黒羽根が、少女の眼前をひらひらと舞う。 「クロウザ……さん」 クロウザ・アスマル。 「大丈夫か?」 驚きに立ち上がれぬコーシェを見下ろし、穏やかに声を掛ける。 水弾が爆ぜる直前、自らの超獣甲……鋼鉄の黒羽根を盾とし、コーシェを護りきったのであった。 「……こちらは翼を半分持って行かれました」 安い代償ではない。 「問題ない」 しかしそれを聞いてなお、クロウザは口元から笑みを絶やさぬまま。 むしろコーシェの瞳には、快絶の笑みが一層深みを増したようにさえ見えた。 「流石。一筋縄ではいかんか」 対する龍王も、静かに笑う。 同時に周囲に現われるのは、無数の水球。 たった一発でクロウザの黒羽根の半分を引き剥がした水球さえ、獣機王にとっては奥義どころか必殺の一撃でもありはしない。 「……面白い」 前後左右上方下方。 回避不能な必死の弾幕が、クロウザとコーシェに向けて襲いかかる。 かわす隙はなく、防ぐ術もない。 「クロウザっ!」 「ちぃっ!」 対するクロウザは、残る黒羽根を全て広げ……。 連打する爆発が、戦場を覆い尽くした。 「……びっくりしたぁ」 小高い丘の上、硝煙の中から現われたミーニャは目の前の相手に非難の声を上げる。 「人の名乗り中に何てことを、ミンミ!」 「そう言われてもねぇ……」 ココにいた時とは違うんだけどね、と口の中だけで転がし、ミンミは再び杖を構え直す。 「まあいいわ! ボンバーミンミ、あなたの野望はこのシューパーガールが止めてみせるっ!」 高い所からの登場は基本中の基本。逆光が有ればなお良し。 昼間のせいで逆光は守れなかったが、高い所はしっかり確保し、鋭く相手を指差して名乗りを上げ直す。 リテイクが入った時点でグダグダになっていることなんか、気にもしない。 「……いや、私も巻き込まれてるだけなんだけど」 「……へ?」 だが。ぽつりと呟いたミンミの言葉に、言葉を失った。 「まあ、協力するって言っちゃった手前、ここで逃げるわけにもいかないしねぇ……」 龍王とは、利害が一致していたから協力態勢にあっただけ。ミンミとしては、赤のディスクが手に入ればそれで良かったのだが……レッド・リアとシェルウォードが倒された以上、その目的は達成できそうにない。 正直、ミーニャ達の掃討などどうでも良かった。 「約束は守らないとね」 自分を殺す相手にそれはないだろうと思いつつ、ミンミは苦笑。 「ま、いいわ。そんなわけだから、あなたも死んで頂戴」 それと同時に周囲に生まれるのは、破壊の炎。全てを焦土と変える九つの宝珠が、シューパーガールに向かって襲いかかる。 ミンミのいきなりの戦闘モードに、ミーニャは対応しきれない。 「ひゃっ!」 だが。 九つの爆発が起こったのは、シューパーガールの目の前ではなかった。 「……あんたは突っ込むだけか、シューパーガール」 見上げれば、そこにあるのは長い戦棍。 少女の背後に立つ長身は……。 「助かったぁ。ありがとね、イシェ」 九つの炎弾を操った戦棍をくるりと回し、無言で肩へと担ぐ。 「あら。あなたも来るのね」 「少しだが、前に教わったからな……」 イシェがティア・ハートを持っている事を教えてくれたのは、目の前にいる魔術師だ。そのティア・ハートを使うことで、彼はこの戦いをくぐり抜けてきた。 「なぁに? 強くなったから見てください! 師匠! ってヤツ? 悪いけど、そういう熱血ってもう十分足りてるのよねぇ……」 苦笑しつつ、ミンミ。 「誰の事よっ!」 「…………」 ミンミは黙ったまま。 「…………」 イシェももちろん答えない。 ただ、どちらもゴーグルを掛けた少女を見つめているだけで……。 「何よ、イシェまで……」 「……別に」 見上げる視線に瞳を逸らす。 「……じゃ、師匠を倒して新しい力でも手に入れたい? 残念だけど、そういう持ち合わせもないわよ」 ミンミは魔術師だ。魔術書だけなら奪い取る事も出来ようが、心に刻んだ魔法や知識を奪い取る術は、流石のミンミも心得がない。 「そんな先の事なんか知るか。ゴールがあるなら、先を考えるのはそこに着いてからだ」 さしあたりのゴールは、降りかかる火の粉を払う事か。 「分かり易いわね。そういうのは、好きよ」 微笑むミンミの辺り一面に、無数の炎が燃え上がる。 「なら、私もその理屈で行くわね」 まずは二人を倒して、考えるのはそれからだ。 赤の力を手に入れるなり、どさくさに紛れて逃げおおせるなりすればいい。いずれにせよ、これ以上状況が悪くなることもないはずだ。 「行くわよ、イシェ!」 「……おう」 「あたしを忘れるなっ!」 そして二人は走り出す。 文字通り、降りかかる火の粉を祓うために。 直線の突撃を払うのは、巨大な刃の一撃だった。 「ちぃぃっ!」 騎体全身に仕込まれた制御機構を連動させて、ロゥは一瞬でその身を切り返す。態勢が整う前にダッシュを掛けて、加速の勢いで強引に体を安定させる。 その一撃も、受け止められた。 「こんなものか? ロゥ・スピアード」 咆吼するのは仮面の男。 血の色の鎧をまとう、二メートルを超える巨躯の持ち主。 二撃を受けた。ならば、次は攻撃だ。 「くそっ!」 初撃をバックラーで受け流し、二撃目は超獣甲の推進器を使った超回避。受け流しただけだというのにバックラーには薄くヒビが走り、腕は衝撃の痺れが抜ける様子もない。 「あの巨神の中で力を使い果たしたとは言わせんぞ?」 大気を震わす咆吼をまとい、赤兎は加速。 ロゥに肉薄し、その距離で斬撃を叩き付ける。 「ハイリガード! あの野郎、ホントに全部忘れてやがるのか!?」 赤兎は常にロゥに苦手な間合、苦手な所に攻撃を打ち込んでくる。そのうえ、こちらの攻撃は計ったような正確さで受け止めていた。 まるで組み打ちのような応酬は、野生の動きと戦士の勘だけでどうにかなる動きではない。確実にロゥの事を知っている動きだ。 「そのはず……だけど」 「それとも、お前の姉ちゃんが何か小細工してるのか!?」 超獣甲は確かに動作のサポートをするが、あくまでもサポートだ。鎧の側で完全に動きを支配できるわけではない。 「出来るわけないでしょ!」 もしもあるなら、同系機である自分にも付いているはずだ。 しかし、自分の記憶にも、レヴィー家でメンテナンスを受けた時も、それらしい機能は見つからなかった。 「そもそも、そんな機能あるワケが……」 攻撃を受け流しつつ、推進器を逆噴射。バックステップの距離を増して、重矛のリーチを稼ぐ。 ハイリガードに出来るのは、せいぜいその程度だ。戦いを見ている限りでも、カースロットがそれらしい機能を使っている様子ない。 「……もしかしたら、体が覚えてるのかも」 「……なるほどな」 体で覚えた事は、頭で忘れても本当の意味では忘れないという。 「なら、思い出させてやろうじゃねえか! その体によっ!」 打ち合う二人を見下ろす高みに、乙女達は立っていた。 立っていた、という発言は不適切だろうか。それぞれが獣機をまとい、その翼を広げ、宙に浮かんでいる。 「先輩……」 鋼まとう乙女達で、最初に口を開いたのは……メルディア・レヴィー。 「本当に、戦わないといけないんですか?」 傍らのイーファも獣甲をまとってはいるが、武器は背中に置いたまま。メルディアも同じだ。相手の動きに即応はできるが、先制攻撃を仕掛けられる体勢ではない。 それが、少女達の気持ちの表れでもあった。 「らしいな。だがこれも、ドラウン様の選ばれた道だ」 イーファやメルディアを向かい合う位置に浮かぶのは、シェティスだ。 直線状の銀翼を背中に広げ、こちらは片手に槍を提げている。 「……だからって! 私達は、先輩とも、龍王様とも戦う気は無いのに……」 イーファ達にシェティスと戦う気はない。龍王の命に従う気こそなかったが、世界に混乱をもたらす気持ちもありはしなかった。 だが、そんな中立も、龍王は許さないという。 「しかし、いずれマーキス殿は粛正されるだろうよ。フェーラジンカが言ってくるか、龍王様が命じられるか……それは分からんがな」 「そんな……」 「……確かに」 シェティスの言葉よりも、苦々しげに呟くメルディアのひと言に、イーファは息を飲む。 「メルディア!?」 そう言いながらも、イーファだって分かっているのだ。 王都侵攻に、ヴァーミリオン。結果はどうあれ、マーキスが赤の一味としてグルーヴェの混乱に荷担したのは紛れもない事実だった。 グルーヴェ中枢まで赤の後継者が入り込んでいた事と、オルタが許した事でうやむやにされてはいるが、かといってマーキスの罪全てが帳消しになったわけではないのだ。 「その時、貴公らはマーキス殿を大人しく差し出せるか?」 「そんなわけないでショ!」 背中から槍を引き抜き、腰だめに構える。 「そうだ。ならば、今この場で全ての憂いを断つがいい。ここで私達を倒せば、少なくとも龍王の脅威は無くす事が出来る」 こちらを指し示す細槍の先端を、シェティスは満足そうに見つめている。 「だからって……!」 槍は構えた。 まだ、突撃はしない。 したく、なかった。 「やれやれ。せっかくこちら側から、戦う理由を付けてやったというのに」 動く気配のないイーファに、軽くため息。 「そんな事では死ぬぞ、イーファ・レヴィー」 そして、音もなく飛来した光の矢を、ひと息に打ち払う。 「っ!」 慌ててイーファが振り向けば、そこにあるのは弓を放ち終えた相棒の姿。 「……平行線よ、イーファ様。これ以上、どれだけ話しても無駄だわ」 「武器を取れ、イーファ・レヴィー。そして私を倒し、自らの居場所を手に入れてみせろ」 戦端はメルディアによって開かれた。 シェティスも既に槍を構え、完全な戦闘態勢にある。 残るは、イーファの心ひとつ。 「……くっ」 「それでも来ないなら、私から征くぞ。シスカ!」 凛とした叫びと共に、銀色の輝きが青い空を直線に駆け抜ける。 「ちぃっ!」 真っ直ぐに来た拳を、ベネは双剣で受け流した。 左右の拳を左右の剣で、ではない。体重の掛けられた右拳を、両方の剣で受け止め、流したのだ。 「ホントに容赦ねえな、この野郎ッ!」 圧倒的な加速とパワーに、超獣甲をまとった体さえも悲鳴を上げる。 「ヒルデはどうか知らんけど、ワシが自分に容赦する理由があるか?」 振り抜いた拳は引き戻さない。拳を起点に体を前に飛ばすことで、相対的に拳を戻す。 退くことなく、常に前。 それが、獣の王の戦い方だ。 「……ないね」 シグがそう呟いた瞬間、二撃目が来た。 「この莫迦っ! そこで速攻納得するヤツがあるかっ!」 サイドステップで横に避けつつ、ベネは言葉の悲鳴を上げる。拳圧に体が流されかけるが、バックステップで後ろに下がっていたら、受ける圧は横の比ではなかったはずだ。 「ふぇーん、だってー」 「ここで押し問答にすりゃ、ちょっとは時間が稼げただろっ!」 わずかに生まれた相手の隙に、両の剣を振り下ろす。だが、獣機シーグルーネのパワーをもってしても、姉妹機であるブリュンヒルデの超獣甲を貫くことは出来なかった。 それどころか、打ち込んでも、下がりさえしない。 相手の姿勢が全く崩れていないのを瞬時に察し、ベネは後ろへステップを踏む。 「あ、そうかー」 追撃の拳は、来なかった。 「自分ら、おもろいなぁ」 「そりゃどうも」 獣王は笑っているが、こちらとしては洒落にもならない。 圧倒的なウェイトとパワー、防御力。そして何より経験の差。関節部を狙えば貫けるだろうが、相手の武器は双剣よりも隙の少ない格闘技だ。そこを狙えるほどの隙は見せてくれそうになかった。 双剣で傷ひとつ付かない相手に、どうやって戦えと言うのか。 「まあ、する問答なんかないから、問答無用でぶん殴るだけやけどな」 「結局そのオチかよっ!」 必死でかわす。 相手の動きは早くはあるが、スピードだけはこちらが優勢。このまま逃げ続け、隙を探すのが戦術の定番なのだろうが……。 正直、スタミナではこちらがかなり分が悪い。 「シグ、全力で行く! この剣が無いと、相手は全力で来れないんだろ?」 ならば、逃げ続けてもジリ貧だ。 選べるカードはただ一つ。 短期決戦しかない。 「おっけー!」 シグの言葉と共に、左の剣が無数の光球を生み出した。 叩き付けるように振り抜けば、光弾の群れは獣王めがけて一斉に襲いかかる。 「むっ!?」 双の拳で五発目の光弾までは撃ち落とした。しかし、六発目は肩、七発目は膝に命中。続く光弾も獣王の防御をかいくぐり、各所へ次々とヒットしていく。 光弾は動きを鈍らせ、輝きで視界を奪う。 「これでっ!」 ベネの声は聞こえた。けれど、宙から双剣を振り下ろす姿は見えはしない。 闇色の軌跡を描き、右の剣が肩口の光球を切り裂いた。 「くっ!」 断ち切られた光球は内側に向けて衝撃を炸裂させる。獣王がうめき声を上げるのも構わず。ベネは続けざまに双剣を奔らせ、獣王を拘束する光球を切り裂き、指向性の衝撃をぶち込んでいく。 いかに鉄壁の防御を誇ろうとも、その防御自体を揺さぶる衝撃は体内に達する。それは、超獣甲とて同じ事。 「これでっ!」 最後の光球を、双剣で三つに叩き斬る。 一際大きな衝撃が獣王の背中を抜け、大地に小さなクレーターを生み出した。 「……やった、か!?」 全ての体力を注ぎ込んだ、全身全霊の連発だ。 さしものその一撃に、獣王は腕を交差させた姿勢をとったまま、動く気配もない。 続けざまの衝撃に気を失ったか、あるいは……。 「……自分ら、一つ勘違いしとるから言うとくけどな」 交差をさせた腕の下。 静かな声が重く響く。 「ワイの本気モードは、拳やで?」 低音の揺れに感じたか。ぴし、という金属質な音が木霊する。 次の瞬間響くのは、金属の砕け散る高い音。 「っ!」 獣王の超獣甲ではなく、シーグルーネの双剣が砕ける音が。 響き渡る。 |