7.スピラ・カナンに至るもの 最初に感じたのは、無限の闇だった。 広さや高さはおろか、上下の概念すらもない。無論、自らの体の感覚などあるはずもなかった。 (……死んだのか。俺は) 男が最後に立っていた場所は戦場だ。死ぬことなど、とうに覚悟は出来ている。 (助かったのかな、あいつらは) 闇の中に浮かぶのは、穏やかに笑う少女の顔だ。彼女達の居場所を護れたのだろうか……それだけが、気掛かりだった。 「ああ。気が付いたようですね、クワトロ」 その無明の闇の中に、声が聞こえた。 (……声?) 愛しいひととは違うが、少女の声だ。 「まったく、無茶をして……。陛下に何と報告させるつもりだったのですか?」 そうだ。 聞き覚えのある声。 闇の中に、一条の光が差す。 「……あいつは強いから、上手くやるさ」 そうだ。 俺はまだ、生きている。 闇を切り裂き、網膜に光が映り込む。 視覚と聴覚、次々と取り戻されていく五感の中。 最後に取り戻したのは。 全身を貫く、激痛だった。 熱と痛みを全身に感じながら、クワトロはぼんやりと宙を見上げている。 「全身打撲に骨折七箇所、火傷や傷は三十までは数えましたが、あまりに数が多かったので途中で放棄しました」 既に意識は戻っていた。少女の声が誰であるかも、今では簡単に判別できる。 「一応数えようとしたのか……ムディア」 アリスがグルヴェアに投入したプリンセスガードの一人。戦闘よりも探索と情報収集に長けた彼女は、最終決戦の場よりも相応しい場所にいることを選んだらしい。 「それから……。私とシスティーナでは、どうすることも出来ず」 横になったクワトロを見つめるのは、三人の少女だった。 一人はムディア。 もう一人は、同じプリンセスガードであるシスティーナ。 そして最後の一人は、顔の半分を包帯で覆い、マントで体を包んだ娘。 「……すまん、ラピス」 少女、ラピスの左腕に当たる場所は、不自然にへこんでいた。恐らくそれが、無理な戦い方を強いた代償なのだろう。 「問題ありません。マイ・ロード」 意志の籠もらぬその言葉を胸の奥に片付けて、クワトロは言葉を切り替える。 「それで、今の状況は? 俺はどれだけ眠っていた?」 「一晩ほどですわ」 システィーナの言葉に、ほぅとため息。 どうやら、目が醒めたら全てが終わっていた、という事にはならずに済んだらしい。 「レッド・リアは初撃を放った後、アークウィパスに移動を開始。予定では、そろそろ戦闘が始まっている頃かと」 窓の外には淡い光が見えている。 獣機の半分ほどの速さでアークウィパスに向かえば、確かにこのくらいで現地に着いているだろう。 「あの攻撃はどうなった?」 「不明です。ココとの魔術通信は衝撃の余波で混乱したままですので……」 ココには腕の良い占術師も多い。その声にきちんと耳を傾けていれば、それなりの対応はしているはずだ。 今はそれを信じるしかない。 「そうか……。ココが投入した他の戦力はどうだ? アークウィパスに向かってるのか?」 「それが……」 しかし、その問いに、今まで的確な答えを返していたムディアが口をつぐんだ。 「どうした? グルーヴェにはロイヤルガードも何名か投入していただろう?」 ココ王家が国軍を動かせば大事になる。そのため、ココ王族直属のガードを冒険者扱いで支援に向かわせていた。 「はい。ツキマル・イマミヤ以下、ロイヤルガードの第二期・第三期メンバーを中心に投入しましたが……」 新人である第三期メンバーの実力はよく知らない。けれど、グルーヴェ支援の片翼となる第二期メンバーの実力は、相対したクワトロ自身がよく知っていた。 「古代遺跡カウンター・バベルにて、赤の後継者の別勢力、ヴァルヴァナ・ドラグーンと交戦。バベルの起動阻止は出来ませんでしたが……首謀者のヴァルヴァナは撃破」 「さすがだな。皆無事か?」 「……同時に、ロイヤルガードも全滅しています」 だからこそ、その情報に絶句する。 「確定情報か」 「はい。その情報をくれた三期メンバーのマオ・シェンマオは、私が看取りました」 マオは強力な防護に身を包んでいたため、最後まで残れたのだという。しかしその彼女でさえ、システィーナに報告を伝えることが精一杯で、命を繋ぐことまでは出来なかった。 「……そうか」 システィーナの言葉に、それ以上の言葉が続かない。 「俺達が出来ることは?」 ようやく口を開けたのは、十分な時間が過ぎてからのこと。 ラピスが獣機の姿を使えない以上、これからアークウィパスに向かっても間に合いはしない。 「グルヴェアに残留した部隊が、落下したスピラ・カナンの救助活動を行っています」 「分かった」 そう呟くと、クワトロは包帯だらけの体を引き起こす。 地に堕ち、真っ二つに断たれた都は、既に街の原型を留めてはいなかった。 「これが伝説の空の都……か。無惨なものだな」 ラピスに右半身を支えて貰いながら、クワトロは小さく呟く。 「はい」 何と無しに蹴った小さな破片も、本来ならば獣機の一撃さえ耐えきる神話の遺物のはずだ。 「いずれココ王家も、こんな運命を……」 十万年を経た神の一族さえ、最後は地に堕ち、欠片と化すのだ。フェアベルケンのいち王族でしかないココ王家とて、例外では……。 「辿らせるおつもりですか?」 「教訓にするだけだよ」 させるものかと口にして、クワトロは歩を進める。 廃墟しか残らぬ市街地を抜けて、大きな基部を持つ尖塔群の残骸へ。 「基本構造はココやエノクと変わらんな」 基礎の広さと位置関係からすれば、王宮だろう。古代遺跡には尖塔が多く見られるし、古代王宮が尖塔を中心に構成されていても不思議ではない。 「はい。恐らく、この奥に……」 「マスター。生命反応が」 感情のこもらぬラピスの言葉に、クワトロは声を荒げようとして……。 「こちらに来ます」 続く言葉と、現われた男の姿に言葉を失った。 「……そんな、まさか……」 驚くのも無理はない。クワトロだけでなく、システィーナやムディアさえ息を飲んでいる。 「よぅ」 肩口から両腕を失い、全身を血に染めたその男。 「獣王様……!」 それは誰あろう、アークウィパスに向かっているはずの獣王そのひとだったのだから。 「ここや。ワイだけじゃ、見てのとおり手が足らんでな」 無くなった両腕を見てそう言うと、獣王はへらりと笑う。 失血が酷く、誰が見ても致命傷なのは明らかだった。だからこそなのか、この男は傷の処置より道案内を優先している。 「ムディアっ!」 「はい!」 クワトロが叫んだときには既にムディアは光の鎖を展開させていた。それを瓦礫に器用に走らせて、大きな塊をひとつずつ引き剥がしていく。 やがて瓦礫の底から現われたのは、幻獣種の若者だった。 「息がある……」 掛けよるムディアとシスティーナが青年を抱き寄せ、怪我の具合を確かめる。 だが、緊迫した表情はそこまでだった。 「クワトロ様」 どちらも悲痛な表情を浮かべ、首を横に振る。 「そうか……」 瓦礫が落ちてきた段階で、致命の一撃は入っていたのだろう。幻獣種の強靱な生命力だけが、青年をここまで生き長らえさせてきたのだ。 「おい、しっかりしろ」 少女達に抱かれた男に静かに声を掛ければ。 「……貴公は?」 青年は、弱々しく瞳を開いた。 「ココ王国のアルド王子だ。獣王ホシノ殿の要請で、救助に来た」 「そうか……。すまんな、ホシノ」 「滅相もない。殿下」 「アルド殿。私もホシノももう無理のようだが、生存者がいれば、救ってやって欲しい」 青年も、自分が助かる、とは言わなかった。 だからこそ、クワトロ達も儚い希望を与えることは出来なかった。 「貴公は?」 ホシノが命を賭して救助を頼み、殿下と呼んだ相手だ。龍王不在のスピラ・カナンでほぼ最高位に位置する者なのだろうが……。 「…………」 既に答えはない。 「このお方の名前は、イズニール・ダイバ」 ホシノが口にしたその家名に、一同は眉をひそめる。 「……ダイバ?」 ダイバといえば、確か……。 「龍王リキオウ・ダイバとシズカが第一子。スピラ・カナン第一王位継承者や」 予想できないことではなかった。 しかしそれでも、そこにいた皆はたまらず息を飲むのだった。 「クワトロ。どこに行っていた?」 グルヴェアに戻ってきたクワトロを待っていたのは、鹿族の青年だった。 「フェーラジンカか……」 「どうした?」 沈んだ様子の一同に、グルーヴェいちの勇将は首を傾げる。 「後で話す」 ダイバ王子と獣王の亡骸は王宮跡に置いてきたままだ。そちらの回収の手配もしなければならない。 「そうか……それより、お前にお客さんだ」 「俺に?」 グルーヴェで生き残っている知り合いは、既にアークウィパスに向かった後。覚えている限り、それ以外はここにいる二人だけのはず。 このタイミングで本土から応援が来たとは思えない。 「あ、アルド様!」 だが、その顔を見た瞬間、クワトロの疑問は氷解した。 「エミュ!? それに、レアルも……どうしたんだ?」 セルジーラに派遣されたエミュとレアル。なぜかタイネスに向かったはずのクラムもいる。 見知らぬ顔が二人いたが、気の強そうな少女の方が恐らく保護対象の娘なのだろう。 「あと、俺はここではクワトロって名乗ってるんだが」 「そんなことよりアルド様、イルシャナさまはっ!」 「そんなって……」 声もないクワトロの代わってエミュの質問に答えたのは、ムディアだ。 「既にイルシャナ様達はアークウィパスにいるわ。敵の主力がそちらに向かっているから」 返事がない。 どうやら、ムディアの言葉の意味を消化し切れていないらしい。 「要するに、ここにはいないって事だよ。エミュ」 難しい顔をしているエミュに苦笑しつつ、レアルが噛み砕いて説明してやる。 「じゃ、そっちに行こう! レアちん、そのアークなんとかの場所って分かる?」 「いや……」 アークウィパスは軍の重要拠点ではあったが、それ以外には街さえもない辺境の城塞だ。要は、レアルたち盗賊や冒険者には用のない場所なのである。 エミュと出会うまで諸国を回っていたレアルも、名前くらいは知っていたが、細かな場所までは覚えていなかった。 「ムディア。俺の仕事、まだ残ってたらしいな」 「そのようで」 困る一同に、クワトロは一歩踏み出した。 痛みにバランスを崩した体を、寄り添ったラピスがそっと支えてやる。 「クラムはムディア、システィーナと残ってこちらの仕事を手伝ってくれ。残りは俺がアークウィパスに案内する。いいな?」 的確な指示を出すクワトロを見て、一同はクワトロがかつてシーラのプリンセスガードの長であり、今はココの王を支える立場に有る事を何となく思い出した。 「あとエミュ、治癒魔法使えたよな?」 「うん。その怪我だね?」 包帯まみれでまともに歩けないようでは、話にならない。 「あと、お前達は……?」 そして残ったのは、クワトロの知らない少年と少女の二人組。 「ナンナちゃんと、ヒューロくんだよ」 「ヒューロ・セーヴルっス」 「ナンナズ・スクエア・メギストスと申しますわ」 優雅に一礼する少女の名で、二人の素性はあっさりと知れた。 「……獣機后と従う者か」 従う者という扱いにヒューロが少し嫌な顔をするが、いちいち構っている暇はない。さらりと放置する。 「ナンナちゃん。もう一息、お願いして良い?」 「もちろんですわ」 「助かる。急げば、昼までには着くか……」 恐らくナンナは、セルジーラから休み無しで飛んできたはずだ。女の子に無理をさせるのは正直気が引けたが、ここで無理をしなければ、全てが手遅れになってしまう可能性さえある。 なりふりなど、構ってはいられない。 「お昼?」 だが、クワトロのその言葉にナンナは余裕の笑みさえ見せた。 「朝のティータイムまでには、着いてみせますわよ」 |