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7.鼓動という、その名

 風が、頬を流れていく。
 見上げてあるのは、蒼い空だけ。
 頭上にあるはずの白い雲は、今は彼らの足元にある。
「アノニィ」
 高い高い空の上で、ソカロは傍らの少年に声を掛けた。
「何でしょうか?」
 一同はアノニィの駆る獣機の手のひらに乗っている。彼の灰色の獣機も意志を持っているのか、駆り手であるはずのアノニィもソカロ達と共にいた。
「この獣機、休憩を入れなくていいのか?」
 アノニィの獣機がココとグルーヴェの国境を飛び立って、かれこれ三時間ほどが経つ。
 一般に、獣機の連続飛行可能時間は一時間ほどだ。かつてドゥルシラでレヴィーからアークウィパスまで飛んだ時も、イーファはドゥルシラに何度か休息を挟ませていた。
「……休憩? 貴方がたではなく?」
 だが、ソカロの問いに少年は不思議そうな顔をする。
「たかだか半日動かしたくらいで動かなくなるなんて……グレイ=ドールはそんな欠陥品ではありませんよ?」
「欠陥品……?」
 アノニィの屈託のない表情を見る限り、ソカロの言葉を冗談と取ったのだろう。少なくとも、悪意や嫌味を交えて答えているようには見えない。
(これが完全な獣機だとすると、今の獣機というのは……?)
 わずか一時間しか戦えない獣機が、半日以上も動き続けられるこの灰色の獣機と戦って、勝てるものなのだろうか。
「さあ、到着しましたよ」
 それからさらに二時間ほど飛び続け、一同は目的の場所にたどり着いた。
 巨大な宮殿と、そこに垂直に突き刺さる巨大な箱船という、異様なオブジェを持った街。
「ようこそ。スクメギへ」
 この戦いの、はじまりとなった街へと。


 ソカロが通された部屋は、ごく質素な一室だった。調度そのものはきちんと揃っているが、どれも別段高価な品物ではない。
 そこはどう見ても、スクメギ代官という地位にある者の執務室とは思えなかった。
「暫しお待ち下され。我が主は、すぐに参ります故」
「頼みます。リヴェーダ卿」
 黒外套をまとった蛇族の案内者はうやうやしく一礼し、応接間を兼ねた執務室から姿を消す。
「スクメギ、か……」
 スクメギ、である。
 グルーヴェの隣国、ココにある古代遺跡。古代の遺産を巡る一連の事件の、発端となった場所の一つ。
「ソカロ様は、ココの貴族に連なる方でしたのね」
 応接間のソファーに腰を下ろした少女が、静かに言葉を紡ぐ。
 フードの所為で、姿はおろか、表情すら分からない。
「もはや捨てた名です。今は一介の冒険者にしか過ぎませぬ」
 少女の言葉にソカロはそう答えつつ、自嘲気味に笑う。
 コーシェの紹介状に、目の前の少女。知り合いであるイーファやイシェファゾの名前。そして、捨てたはずのバルバレスコの名。
 その全てを駆使した結果が、今この場所にいる自分自身なのだ。
(道化のフィアーノと同じ、だな……)
 むしろ、それよりも滑稽かもしれぬ。
「……グルーヴェは、どうなっているのでしょうか」
 フィアーノであれば、少女にこんな不安げな言葉を言わせる事もなかっただろう。笑いの一つも誘えぬ道化では、何の意味もない。
「グルヴェアで話した通りです。あれからまだ十日……どれだけ急いでも、本隊はアークウィパスにも着いていないでしょう」
 ソカロ達がコルベットを後にして、まだ二週間。ジンカにアークウィパス以外を攻める余裕が生まれるのは、まだまだ先の話だろう。


 スクメギのはるか南。
 アークウィパスの地では、ソカロの予想通りの事態が起こっていた。
「ラーゼニアの敵部隊、動き出したぞ」
 見張りに立っていたクロウザからの伝令に、営倉にいた雅華はやれやれと苦笑する。
「……いい加減、各個撃破されるだけって気付かないかねぇ。編成は?」
「獣機五、騎兵が二千というところか。三日前よりは少し多いが、本隊ではないな」
 確か昨日までは獣機三、騎兵が千二百くらいだったはず。どうやら補充が来たらしい。
「だね。ジークとクワトロに連絡しといてくれるかい」
 承知、とクロウザは姿を消すが、指揮官代理である雅華が動く気配はない。
「また出ないのか?」
「当たり前だろう」
 皮肉っぽく呟く虜囚に、雅華は呆れたように呟く。
 相手は獣機が五騎に騎兵が二千。
 こちらから出るのは、十を切る数の獣機だけ。
 無論、こちらにも騎兵や歩兵はいる。しかし、余分な戦力はない。消耗戦を狙ってくる相手に付き合ってやる義理など無いのだ。
「今は最低限の戦力で叩く。向こうが、全力で掛かってくる気になるようにね」
 グルーヴェ軍の本隊がグルヴェアを立ったという報告は既に入っていた。あと三日もすれば、このラーゼニアにグルーヴェ軍の最大戦力が集結するに違いない。
「こっちは連中が放置してる魔物の討伐までしてやってるんだ。そのくらいの横柄したって、バチは当たらないさね」
 その中には、フェーラジンカもいるはずだ。
「それにしても、そっちの娘はまだ潰れたままなのかい? ウチとしては、アンタ達には早く出ていって欲しいんだけどね。ベネンチーナ」
 営倉の隅にうずくまっている少女を見て、雅華はため息を吐いた。
 そもそも、捕虜を取る気などなかったのだ。彼女が心を壊したのは革命派の所為だったから、仕方なく置いているだけだ。
「ああ。システィーナ達が来た頃から、もっと酷くなったみたいでね。どうしたらいいものか……」
 その原因は、ベネンチーナにも、シーグルーネにも分からない。
「……ドゥルシラ……ごめん、ごめんね……」
 ただ少女は、胸元のプレートを見つめてそう呟くのみ。


「……何だ?」
 ふと、ソカロは執務室の机の上に置かれた物に気が付いた。
 手のひらほどの大きさのプレートだ。相当な職人の仕事だろう。銀製らしき板には精緻な彫刻が施されている。
 それだけならただの調度品と気にも留めなかったろう。
 だが、プレートの一角だけがつぎはぎされたようになっているのが気になった。磨き上げられた銀盤の一部を強引にむしりとり、色も素材も違う板きれを無理矢理溶接してあるのだ。溶接痕も醜いままで、表面をヤスリで均した様子もない。
 宝石まで組み込んで仕上げた工芸品にしては違和感がありすぎるし、修繕したのであればあまりにもお粗末な仕上げ方だ。飾ってある以上、製作途中というわけでもないはず。
 それに何より、その中央にはめ込まれた、黄色い宝玉は……
「ティア・ハート……?」
 工芸品などに使われるはずのない魔法の石。
 確かにティア・ハートは自ら発光する、美しい宝珠だ。けれど、フェアベルケンで自ら光る宝石を作る事は難しい技術ではない。ティア・ハートよりも安価で美しい石はいくらでもある。
 ココの王族に並ぶ者が、道楽でこんな物を買い集めるとも思えなかった。
「そのオンビートに触れてはなりませんよ。ソカロ卿」
 不可思議なアーティファクトに目を奪われていると、入口から凛とした声が掛けられた。
「……オンビート(鼓動するもの)? ティア・ハートではないのですか?」
 部屋と同じく質素なドレスをまとった少女は、イーファやオルタと同じくらいの年頃だろう。しかし、その物腰ははるかに落ち着いたもの。
「最初の質問はそれについて、になりそうですわね。ソカロ・バルバレスコ殿」
 案内人の蛇族の老爺と獣機使いの子供、それに侍従らしき十歳ほどの少女を一人、連れている。
「宜しくお願いします。イルシャナス・スクエア・メギストス殿」
 イルシャナは呼ばれたその名にやや表情を曇らせるが……。
「……では、その前に」
 イルシャナは細い右手を軽く一振り。
 振り抜いたその手に握られていたのは、白銀の細剣だ。いつの間に抜いたのか。それ以前に、どこに隠し持っていたのかすら分からない。
 だが、その剣はいま、間違いなく少女の手に握られていた。
 ソカロの反応よりもはるかに迅く踏み込み、鍛え抜かれた切っ先を鋭く突きつける。
「!」
 突きつけられたのはソカロでない。
 ソファーに腰を下ろした、ソカロの連れ。
「貴女も名乗られてはいかがですか?」
 細剣の先で弾かれたフードの中から現れたのは……
「赤の後継者の女王、オルタ・ルゥ・イング・グルーヴェ殿」
 コルベットにいるはずの、グルーヴェ第一王位継承者の顔だった。



続劇
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