こんこん、と響いたノックの音に、答える声はなかった。 最近はいつもの事だ。気にせずウォードは扉を開ける。 「殿下、調子はいかがです?」 「……大丈夫、です」 返ってくるのは短い答えだけ。グルーヴェの新たな女王は、相変わらず部屋の隅にうずくまったまま。 先日の戦いから塞ぎがちではあったが、この間の侵入者騒ぎでその傾向はさらに酷くなった。 あの騒ぎから十日も経つというのに、表情さえも隠したいのか、コーシェが着ているフード付きのローブを羽織るほどだ。 領主であるコルベット公爵は最近外出が多く留守がちで、彼女を止められる者はこのコルベットに誰もいない。 「夕食、ここに置いておきますね」 答えはないが、ベッドサイドのテーブルに夕食の載ったトレイを置いておく。いつも半分ほどは減っているから、腹が減れば勝手に食べるだろう。 「……殿下」 やはり、答えはない。 「自分が赤の後継者だという事を、気にしているのですか?」 「……」 グルーヴェの次期女王は、沈黙を守ったまま。 「貴女は女王になる事を望んだのでしょう? なら、どうして今更その程度の事を悩むのです?」 「……それは」 力なく答えかけたオルタの手を、ウォードは乱暴に引き上げた。 「ち、ちょっと……」 小柄な少年とは思えない意外な力に、流石のオルタも慌てた声を上げる。 「一度、案内したい所があります」 そのまま腕を引き、オルタが閉じこもっていた部屋を後にする。 「正直、イライラするんですよ。導き手であるはずの貴女が、そんな風だとね!」 乱暴にドアを開ければ、その先には猫を連れた小柄な少女の姿があった。 「ウォード、どうかしたの?」 不機嫌そうなウォードと、困ったようなオルタ。その不可解な組み合わせに、コーシェも思わず首を傾げる。 「邪魔ですよ、コーシェ」 だが、ウォードはその問い掛けに応じず、道をふさぐコーシェをただ突き飛ばした。 「ちょっと……!」 その行為に、ウォードの動きがぴたりと止まる。 少年の腕を掴んだオルタが、少年を引き止めたのだ。 「謝りなさい。シェルウォード」 「……完全に腑抜けたわけでは、無いようですね」 腕を曳く意外な圧力に、ウォードは小さく感嘆の声を漏らす。その反応はむしろ、少年の望むべきものだ。 「ちょっとレッド・リアに行ってきます。先程の事は、申し訳ない」 「……え?」 ウォードの唐突な台詞に、コーシェの反応が一瞬遅れた。思考が追い付いたのは、二人が廊下の向こうに姿を消してからだ。 慌てて立ち上がり、オルタ達を追おうとするが……。 「どうかしたの? ウォード、凄い剣幕だったけど」 廊下に姿を見せたのは、道化だった。 彼女の大きな蝶の羽根は狭い廊下を塞ぎ、横をすり抜ける事を許さない。 「何か、オルタ様を連れてレッド何とかに行くって……」 「……へぇぇ」 「や、ちょっと、どいてよぅ」 「あらあら、ごめんなさい」 どうにかして横を抜けようとするコーシェをやんわりとせき止めつつ、道化はくすくすと笑う。 「私、ウォード達を連れ戻してくるね」 ようやく蝶羽根の結界を抜け出したコーシェは、ぱたぱたと廊下を駆けていく。 「ええ。気を付けてね」 その背中を見送り、道化は相変わらず笑うのみだ。 コーシェと入れ替わりに姿を見せたのは、二人の少女だった。 「あら、メルディア」 「フィアーノ! 殿下は?」 手紙を手にした彼女は、珍しく慌てている。普段なら後の侍女がなだめているところだが、今日は彼女も余裕がないらしい。 「殿下なら、ウォードに連れられてレッド・リアに行ったけど……」 「レッド……何?」 言ってから、レッド・リアの存在は秘密だった事を思い出すが、慌てているメルディアはその名を不審に思う様子もない。 「さあ? 何だったかしら」 「でも、それはマズくない? コルベット公爵はいないし、今の殿下は……」 むしろ、別の所に気付きかけるが…… 「それより、何? 急ぎの手紙でも来たの?」 フィアーノのその言葉に本題を思い出したらしい。 「そうだ! ワタクシ、グレシアとちょっとレヴィーに戻ってきますから」 「あら。何かあったの?」 「不肖の従姉妹殿が、アークウィパスで行方不明になったみたいなのよ……。全く、役に立たないったら」 レヴィーの家から手紙が届いたのは、今朝になってからの事。革命派に陥とされたアークウィパスからロゥと脱出した後、行方が分からなくなったらしい。 「じゃ、レヴィーからアークウィパスに?」 「多分、そうなると思います」 今のアークウィパスは革命派が駐留し、軍部派が大規模な奪還作戦を展開している、グルーヴェ最大の激戦区だ。 辺境のレヴィーと違って、ちょっと、と気軽に行ける場所では決してない。 「まあ、急な話ねぇ」 しかし、そんな危険な話をフィアーノはあっさりと流した。 「でも、役に立たないなら、捨てちゃえばいいのに」 「……そうも言ってられないもの。ドゥルシラもいるし」 フィアーノの言葉に苦笑を一つ残し、メルディアは階段を駆け下りる。 「じゃ、行ってくるわ。コーシェ達にもよろしくね」 「ええ。がんばってね」 面倒くさそうに長い髪を軽く梳き、蝶の女は薄く笑う。 地面がわずかに揺れたのは、メルディアが獣機に乗って出撃した衝撃だろう。 「これからどうなるのかしら。どうするのかしら。ねぇ、ソカロ・バルバレスコ……」 Excite NaTS "Second Stage" 獣甲ビーファイター #4 オルタ・リングの涙(後編) 6.始まりの街へ グルーヴェの荒野を囲む峻険な山地に、男の姿があった。 一人ではない。後には、日除けのフードをかぶった娘らしき影が続く。 今のグルーヴェは内乱の真っ只中にある。研究者や旅芸人が歩き回れるほど安全な場所ではない。が、かといって傭兵や冒険者にしては装備が軽装過ぎた。 「大丈夫か?」 山地の半ばまで進んだ所で、男が少女に声を掛けた。 「……はい」 少女はそう答えるが、フードの奥の息は荒い。強がっているのは、誰が見ても明らかだった。 目の前の男と違って、別に体力に自信があるわけでもない。そもそも、こういった山歩きに少女は慣れていないのだ。 「大丈夫では、ないでしょう」 男は珍しく優しい声を掛け、少女の小さな手をひょいと取り上げる。 「頂上まで行ったら休憩しましょう。強行軍になって申し訳ない」 謝りはするが、強行軍を止める気はない。ここで無理をしなければ、全てが無駄になってしまうのだから。 「……はい」 少女の目から見る男の背中は、普段より少しだけ大きく見えた。 だが。 「貴殿」 頂上に待つのは、視界を覆う黒い影。 風をはらんで広がるそれは、外套だ。 「この先に進む事、まかりならん」 そして、低い声。 「何で……あんたが、こんな所に」 予想外の邂逅に、男は静かに問い掛ける。 黒外套は男の探していた相手の一人。同時に、こんな場所にいるはずのない相手でもある。 彼は、ここからまだまだ離れた場所にいるはずなのに。 「知りたいなら、それなりの訊き方があるであろ?」 だが、返ってきたのは男をからかうような笑み。 「そうだな……」 だから、男は動いた。 自らの意志を貫くために。 黒外套は、男の動きにしゅるりという警戒の声を上げた。 「……ほぅ。こんな年寄り相手に剣を抜くか」 黒外套がフードを脱げば、その下にあるのは蛇族の老爺の顔だ。 軽く身を屈ませ、右手には魔術師の杖。口元がわずかに動いているのは、呪文詠唱に入っているからだろう。 言う事は老人だが、動きはまるきり戦士のそれだ。 「まさか」 爬虫類独特の瞳で見据えられつつも、男はサングラス越しに薄く笑う。 「……む?」 次の瞬間、男は腰に提げた細剣を鞘ごと引き抜き、無造作に放り投げたではないか。 がらがらという空虚な音を立て、銘入りであろうサーベルは老爺の足元に転がっていく。 「ココ王国スクメギ領代官補佐・リヴ・エイダ卿とお見受けする。コーシェイ嬢の紹介で、スクメギ代官・イルシャナス卿にお目通り願いたい」 男の口にしたその名前に、蛇族の老爺はわずかに眼を細めた。 「その名を呼ぶか……。貴公、名は?」 問う言葉には、わずかな不審が籠められている。 「ソカロ・バルバレスコ。一介の冒険者です。こちらは我が友人の……」 「……ルゥ、と申します」 ソカロの後に控えていたローブの少女も、か細い声でそう名乗る。 「名乗り方が違う気もするが……まあ、よかろ」 ソカロの放り捨てた細剣を拾い上げ、リヴェーダは背後の崖に声を放った。 「では、スクメギまで案内しよう。アノニィ殿、お願い申し上げる!」 「な……っ!」 そこから現れたのは、スクメギともアークウィパスの獣機とも違うラインを持つ、灰色の巨大歩兵だった。 |