5.祖は、血塗られた魂 ココ王国、王城。 「……あら?」 大量の布団を抱えたまま走っていく謎の塊を見て、ココ王国第二王女アリシア・テ・コーココは目を丸くした。 慌てて呼び止め、問い掛ける。 「マチタタ、どうしたの!?」 振り返った布団の山は、振り返っても布団の山だった。足元でゆらゆら揺れる尻尾だけが、ネコ族のビーワナだという事を示している。 アリスに問われ、布団の塊が喋った。 「どうしたのって、こんな良い天気なんだし。お布団干さなきゃ勿体ないかなぁって思って」 アリスの部屋の布団は既に干し終わっており、こちらは侍女達の物だ。少しずつ運ぶのが面倒なので、まとめて持ってきたのである。 「その気持ちは嬉しいけれど……貴女、グルーヴェに行ったんじゃないの?」 第二次調査に続いて第三次調査にも参加したムディアをフォローするため、先日の会議でマチタタもグルーヴェに向かうよう、指示したはず……だったのだが。 「……へ?」 「……覚えていないなら良いわ。改めて命じるから、良く聞いておいてね」 グルーヴェに向かい、赤の後継者を倒す事。アリスは静かな口調でそれを命じ、布団の山も器用に片膝を着いてその命を受け取る。 そして立ち上がり……。 「はーい。じゃ、布団干したらいってきまーす」 ぱたぱたと庭の方へと駆けていく布団の山を見送りながら、傍らに控えていたネコ族の娘が呟く。 「それにしても姫様、よくあれがマチタタって分かったにゃりね」 さっきのマチタタはスカートの辺りまで布団に埋もれていた。服の色を見れば所属くらいは分かるが、普通は顔を見なければメイドの判別などつきはしない。 「あら。尻尾の艶を見れば、それくらい分かるわよ」 あれだけ可愛がったのだもの、と恥ずかしげもなく呟き、傍仕えの少女達に愛を注ぐ事も怠らないと評判の姫君は柔らかく笑う。 「そ、その辺の事……ナコココとしては、もう少し詳しく教えて欲しいにゃりよ」 「あら、ナコからの誘いなんて珍しい。布団は干してあるそうだから、外かしらね」 「にゃ、にゃんですとー!」 嫌がるネコ族の娘の襟を掴み、アリスはマチタタのいる庭へ向かうのだった。 闇の中を、ぱちぱちと炎が爆ぜている。 白亜のアークウィパスには無数のかがり火が焚かれ、完全な臨戦態勢が整えられていた。 かがり火の届くはるか先には、同じような炎の群れがある。 グルヴェアからやってきた、ミクスアップの軍勢だ。王都の志願兵や中央の領民からなる歩兵を中心に約三万。アークウィパスに立てこもる軍人五千の、ほぼ六倍に値する。 「全く、決戦前だってのに……。もうちょっと良いもん食わせろよ。肉とか」 そんなアークウィパスのかがり火の下、芋のスープを食べながらロゥはやれやれとぼやいた。 「ああ、贅沢言うんなら、食わなくていいぜ」 「……悪かった」 単に言ってみたかっただけなのだ。別にイシェの料理に不満があるわけではない。 「この戦が終われば、王都にも戻れよう。そうすれば、ココの友人に飯くらいおごってやるよ」 「へぇ。豪気だねぇ」 兵士達の様子を見回りに来たジンカの言葉を、ベネンチーナが混ぜ返す。 やるべき事はした。これより先は、運を天に任せ、全力を尽くすしかない。 「とはいえ、最後まで相手の切り札の事は分からず仕舞いか……」 唯一の気がかりはそれだった。 礫砂漠を挟んだ向こうに陣を張るミクスアップの軍勢に、新兵器らしい影は見られない。ギリューではない獣機がいくつか見えるが、それはこちらも同じ事。 それに、獣機を主力とするジンカの軍に獣機をぶつけても、互角の戦いになりこそすれ必勝の切り札とはならないだろう。 「予定の作戦通りにやるしかない、か」 「だな。こればかりは、戦ってみるまで分からんよ」 一時は明るくなりかけた場を、再び重い空気が支配する。 その時だ。 「聞こえますか? ロゥ。ロゥ・スピアード!」 ロゥの傍らでスープを食べていたハイリガードの唇が、少女の言葉を紡いだのは。 「聞こえますか? ロゥ。ロゥ・スピアード!」 その呼びかけは、ハイリガードではない少女の声で、もう一度行われた。 「誰だ?」 通信状況が悪いらしく、少女の声とは分かるが、誰の声までかは分からない。 「通じた! こちら、メルディア・レヴィー。分かりますか?」 冷静だった声に、わずかに安堵と喜びの色が混じる。だが、メルディアと名乗られてもロゥには誰だか分からない。 わずかに考え、ここ数ヶ月に戦場で会った者達の顔を思い出していく。 「……シェティスの部下で、弓撃ってたほうか?」 「ま、まあ……そうですが」 喜びの声が、微妙な色に変わる。 だがこの場で、レヴィーの名を知る者がもう一人いた。 「レヴィー家の者か? こちら、フェーラジンカ・ディバイトブランチ。分かるかね?」 「ジ、ジンカ将軍!? ロゥ、あなた何処にいるんですか!? 私はてっきり……」 抵抗派に行ったと思った、と言いかけて、慌てて言葉を止める。 「アーク何とかいう遺跡だが……」 「……まあ、いいです。そちらにイーファ・レヴィーはいませんか?」 無論、ロゥはイーファと言われても誰だか分からない。 「先日の戦いで、槍を振り回していた短気で頭の悪いほうです」 そう言われ、何となく思い出す。 「槍使いって、お前の相方の?」 「失敬な。そんなのではありません!」 不機嫌さを露わにして否定するメルディアとロゥの問答ではいつまで経っても話が進まないと見たか、ジンカが口を挟んだ。 「……レヴィー家の者はこちらには参戦していないな。貴公が参戦してくれるのか?」 「いえ、残念ながら、ワタクシはミクスアップ卿の指揮下にあります」 率直なその言葉に、和み気味だった場の温度が一気に下がる。 「では、何用だ? イーファ嬢に個人的な宣戦布告でもしに来たかね?」 警戒を露わにしたジンカの問いに、メルディアは驚くべき言葉を続けるのだった。 「こちらの『ブラディ・ハート』についてのお話を……我がグレシアの秘匿回線です。こちら側での傍受はありませんので、ご安心を」 全ての話を終え、メルディアは獣機のシートに静かに身を沈めた。 「良かったな、ご主人」 響くのは耳元から。シートに備えられた装置から、グレシアの声が聞こえてくる。 「……何よ」 「イーちゃんが向こうにおらんで」 レヴィー領でイーファに会った時。メルディアは、一本気な彼女は軍部に付くだろうと思った。 そしてブラディ・ハートの存在を知ってから、今までずっとそれを伝えようと思っていたのだ。 だが獣機の通信とて万能ではない。情報収集に優れたグレシアとて、数キロの会話が限界だ。その距離に知り合いの存在を感じたのが、わずか数刻前の事。 「べ、別に……そんな事、関係ないわよ」 その事を知ってから落ち着きなく過ごしていた主の事を思い出し、グレシアはくすくすと笑う。 「な、何よ。そんな……笑わなくても……いい、じゃない」 赤くなった顔をグレシアのシートに埋め、少女は切れ切れの言葉で小さく呟いた。 「でもグレシア……」 「ん? 何や?」 恥ずかしがる主を愛おしく思いながら、獣機の娘は鋼のその身に似合わぬ柔らかい声を返す。 「どうしてワタクシ、そんな大事な事を貴女に言われるまで忘れてたのかしら……」 天窓から差し込む光に顔を上げ、オルタは静かに呟いた。 「私……どうしたら、いいんだろう」 コルベットの修道塔、礼拝堂である。かつては暇さえあればここで祈っていたものだが、今は次期女王としての役がある為、その暇すらも与えられない。 寝る前に訪れ、わずかな祈りを捧げるので精一杯だ。 「龍王様……法王様……」 どうか私に導きを。 だが、ビーワナやラッセの祖となった『王』にどれだけ祈ろうとも、答えは返ってこない。 代わりにぎぃ、と礼拝堂の扉が開き、足音が近寄ってくる。気付いて顔を上げれば、そこにいるのは侍女と道化の二人だった。 「どうしたのです? 二人とも」 既に夜も遅い。二人とも自分の部屋に下がり、床に就いていたはずだ。 「オルタ様は、これからどうしたいの?」 「それは……」 突然のコーシェの問い掛けに、オルタは口をつぐんだ。 「祈った所で、『王』は、何も答えてくれませんよ」 痛い所を道化に突かれ、さらに言葉を詰まらせる。しかし、それは自分が一番気にしていた所でもあった。 長い逡巡の果て、顔を、上げる。 「……戦争を終わらせて」 迷いながら口にした言葉。 「穏やかな国を作りたい」 連なる言葉は初勅の勢いに乗せ、わずかに早く出た。 「出来る事なら、アークウィパスで始まる戦も止めたいの」 あったのは放つか否かの迷いだけ。言の葉自体は、既に定まっていたのだから。心の中、幾百、幾千と繰り返した想いをただ、口にするだけで良かった。 「コーシェは、力を貸してくれる?」 正面からの問いに侍女は答えない。 ただ、首を縦に振っただけ。 「フィアーノは?」 不安が落ちたよう穏やかに微笑み、オルタは蝶の翅を持つ道化にも問い掛けた。 「お任せを」 こちらは芝居じみた動きで、優雅な礼ひとつ。 「なら……」 静かに呟き、広間の外へ。 グルーヴェの空。天窓からでは見えなかった丸い月を、静かに見上げる。 「月が、出ていたのね……」 礼拝堂の天窓からは見えなかった光景だ。それも、一歩踏み出すだけで自由に見る事が出来る。 「なら、行きましょう。二人とも」 どこまでも高い夜空の下、グルーヴェの新たな女王は穏やかに呟くのだった。 |