4.大いなる天貫く槍 太刀が重装を叩き割る。 豪槍が節足を薙ぎ払う。 烈弓が甲殻を打ち貫く。 さながらそこは、白と鋼の混じり合う舞踏場と化していた。 比率としては白の数がはるかに多い。だが、単調なステップを踏むだけの白に対し、鋼の舞踏は文字通り舞台全てを踏破するかの如き進撃。 「ベネ! そっちはまだか!」 白い甲殻に混じり舞う、重装の白が叫ぶ。彼の周囲にあるのは、巨大な重矛から繰り出される鋼色の旋風だ。 暴風が吹き荒れるたびに白い異形『魔物』の外殻が砕け、昆虫じみた部品が舞い踊る。 「もうちょっとだ! そう急くんじゃないよ、坊や!」 答えたのは双剣を構えた細身の鎧兵。全身を鎧で覆っているというのに、異形の周囲を疾走し、飛翔し、重さなど微塵も感じさせない動きで魔物の群れを切り刻んでいる。 白い重装騎士が辺りを巻き込むかのような円状の戦い方をしているのと対照的に、こちらの細身が描くのはひたすらの直線。ただ一点を目指し、敵陣を突破する。 跳躍。 「見つけた!」 呟き、女は笑み一つ。 跳躍軌道の先。視線の先にあるのは半ば崩れ落ちた石造りの建物だ。だが、鋼の兜を通してみれば、その遺跡がまだ生きているのが分かる。 思考する間に、死んでいたはずの遺跡が僅かに鳴動。次の瞬間には、遺跡の周りにぼやけた影が浮かんでいる。影は見る間に形を整え、やがて白い異形の姿に結像した。 女の視線と、産まれたばかりの魔物の視線が絡み合う。 「……やば」 四つの異形が大地を蹴った。本能だろう、女の進撃を正面から受け止める軌道で。 二体までなら跳躍の加速で切り裂ける。けれど、そこを抜いた所で加速は止まる。 空中だ。残る二体の攻撃を防ぐ術は、無い。 「無茶だよぅ、ベネぇ!」 美女の周りに、どこからともなく少女の泣き声が響き渡った。 「やるしかないだろ! シグ、覚悟を決めなっ!」 無論、女はそんな泣き言をあっさりと両断。 接敵は一瞬。決断も一瞬。 「行くよ!」 加速に任せて二体を切り裂く。その重斬に勢いを削がれ、跳躍が自由落下へと変調。完全な無防備状態になった飛べない鎧は、魔物の良い的へと変わる。 しかし、連なってきた二体の斬撃は、鎧がいるはずの空間を空しく過ぎるだけだった。 「やれば出来るじゃない。シグ」 二対の刃のその間。 こちらも双剣を構えて立つ、影一つ。 それは今までの甲冑に比べて、はるかに小さい姿だった。 否、こちらの影の大きさが、本来の人間の大きさなのだ。鎧や魔物の方が、人間よりはるかに巨大なのである。 「残念。少し、的が小さかったねぇ」 落下を始めた魔物の破片の上。豹頭の鎧をまとった女が、笑っている。 一瞬で巨大な機械甲冑を人間サイズの鎧に替え、連なる斬撃をかいくぐったのだ。 「ふぅ……」 続いて、疲れたようなため息と、ぎし、という鈍い音が響く。 「遅いぞーぅ、ムディア」 「貴女が迅すぎるんですよ」 見下ろせば、そこにいたのは一人の少女だ。 片手に提げた細い鉄鎖はいかなる力が働いているのか、ベネに追撃を掛けようとした二体の魔物に絡み付き、その巨躯を完璧に押さえ込んでいる。 「タイミングを合わせるよう、打ち合わせたじゃないですか」 「そんなの……忘れちまったよ!」 敵陣真っ只中に立つ少女だが、不思議と周囲の魔物が襲いかかる気配はない。それもそのはず、周囲の魔物は既に少女の鎖に絡め取られた後だからだ。 「まあいいや。そっちは任せた!」 圧倒的な力で引き戻される魔物を踏みつけ、獣の鋼をまとったベネはさらに跳躍。新たな加速を得て流星の如く叩き付けられた双の剣風は、淡い光を放っていた遺跡を真っ二つに叩き割る。 「アルジオーペ! こちらベネンチーナ! 我、泉の破壊に成功せり! 以上!」 「了解。総員、これより掃討戦に移りなさい」 ぱちぱちと、焚き火がはぜている。 「なあ、アルジオーペさんよ」 小高い丘の上、鎧の群れと白い異形のぶつかり合いを見渡せる場所で、長身の男はそう問い掛けた。料理番の男なのか、革のエプロンに片手にはおたま、といった出で立ちだ。 「何かしら?」 男の隣、簡易テントの下に広げられた作戦卓で指揮を執る女が柔らかく答えた。こちらはひょろりとした男とは対照的に、濡れたような黒髪を腰まで伸ばした、肉感的な美女である。 「将軍補佐官のアンタや近衛の俺達が、こんな事してていいのか?」 作戦卓やテント、他の機材。二人だけの本陣のあちこちに描かれた紋章は、グルーヴェ王国軍近衛部隊の物だ。 なぜそんな大層な物が一介の魔物討伐部隊に与えられているかといえば、この部隊が将軍直轄の近衛部隊の一つだから、という簡単な理由にしか過ぎない。 「こんな事も何も……グルーヴェ軍が過ぎた力を駆るのは、こいつらの為よ?」 グルーヴェに極端な軍事力が発達したのは、数多くあった魔物の出現地点『泉』に対抗するためだ。その流れを考えれば、確かに近衛部隊が魔物討伐をしてもおかしくはないが……。 「それに私は、ムディアの監視役でもあるし……上で何か動きがあれば、呼ばれるわよ」 軽い言葉と共に、三歩下がる美女。 代わりに男が、三歩前に出る。 「じゃ、俺はとりあえず、料理番兼……」 テントの前に現れたのは、白い外殻を持った巨大な異形の姿。だが、着地したと同時、突き上げるような衝撃がそいつの体に襲いかかった。 次の瞬間には轟という音が爆ぜ、鈍い衝撃が大地を震わせる。 「アンタの護衛って事か」 崩れ落ちる魔物の足元にいたのは、料理番を名乗った男だった。 赤い炎を放つ輝石を片手に。残る片方に持っているのは、何の変哲もない長い棒……棍である。 男とて近衛兵の一人、ただの料理番ではない。炎の魔石を使う、ひとかどの冒険者だ。 「獣機とティア・ハートは相性悪いものねぇ。でも、私は貴方の料理、嫌いじゃあないわよ?」 魔物の襲来など無かった事のように話す二人の所に、はるか頭上から声が飛んできた。 「補佐官さんよー。泉討伐、終わったぜ」 見上げるほどの巨大な鎧。先程敵陣真っ只中で暴れていた、白い重装甲冑である。 これが獣機。魔物を完全に圧倒する、フェアベルケンの守護者。 「ご苦労様。イシェが昼食の支度をしてくれているから、戻った人から食事になさいな」 「わーい。ご飯だってさ」 あまりにも場違いな子供の声と共にその巨大な姿がゆらりと揺れ、宙から小柄な少年が放り出される。 「ハイリガード! いきなり戻るがっ」 慌てて着地した少年の上から降ってきたのは、もっと小柄な幼子だ。 少年の頭をしっかりと踏み台にし、華麗に着地。 「気ぃ抜いてるロゥが悪いんじゃん。ばーか」 そして彼女達こそが『獣機』の本性。ビーワナ種六番目の種族にして、人と鋼の間を行き来する、鋼鉄の一族なのだ。 「怪しい人物……ねぇ」 がたがたと揺れる馬車の上で、妖艶な美女は華奢な指をおとがいに添えた。 「一番怪しいのはココの近衛の貴女で、将軍に一番煙たがられてるのは多分私でしょうね」 「……まあね」 ムディアがココのプリンセスガードという事は、フェーラジンカと顔を合わせた段階で既にバレていた。その割にこうして自由に動けているのは、アルジオーペという監視役が常に傍にいるからだ。 「それ以外で怪しいとなれば、あの娘かしら」 「ベネンチーナが?」 がたがたと揺れる馬車の中で、ムディアは思わず聞き返す。 「出自という話ではね」 グルーヴェの近衛は全てグルーヴェの臣民で、アルジオーペを筆頭に名家の出身が多い。そんな中で出身がはっきりしないのは、先日近衛に入営したロゥとイシェ、ベネンチーナの三人のみ。 ただ、ロゥはスクメギや赤の襲撃事件で常に最前線で戦っていたし、イシェは襲撃事件の時はココ王家の重鎮達と共にいた。 唯一動きがはっきりしないのが、ベネンチーナなのだ。襲撃事件の時はシーレアにいたらしいが、将軍に会うまでは単騎でいたため、どこまでが本当かは分からない。転移の魔法でも会得していれば、王城からシーレアまで一瞬で動く事も難しくはないのだ。 シーレアにいた事自体は、何のアリバイにもならない。 「でも彼女は、獣機……」 不倶戴天の敵である赤の末裔と契約を結ぶ獣機がいるだろうか? ムディアはそう言おうとして…… 「あの子、騙されやすそうよ?」 「……確かに」 アルジオーペの言葉に納得し、言うのをやめた。 「いずれにせよ、我が軍の中にそんな敵対者がいる可能性がある、というのは気に入らないわ。将軍は内輪もめを嫌うから、彼には言えないけれど……私で良かったら協力しましょう」 「ええ。よろしく頼むわ」 美女の細い手をそっと取り、ムディアは軽く頭を下げるのだった。 アークウィパスとは、グルーヴェ北方にある古代遺跡の名称である。 かつては寂れた遺跡だったそこも、一つの発見以来、グルーヴェの最重要施設の一つとなっていく。 獣機の発掘である。 大理石の白に包まれたアークウィパスの地下に眠る、人型の巨大甲冑。ギリューと名付けられた一連の獣機達は、赤い泉と魔物の脅威に怯えるグルーヴェ国民の守護者となった。 現在はグルーヴェ王国軍の本拠地となり、名実共にグルーヴェの守りの要としての姿を整えている。 その白亜の遺跡のあちこちから、剣戟の音が響き渡っていた。 戦ではない。訓練である。 「ベーネー」 長剣と棍のぶつかり合いを遠目に眺めながら、銀髪の少女は傍らの赤い髪の娘に声を掛けた。 「何か、最近変なんだよぅ」 「シグの頭が?」 答えるベネは長剣と棍の戦いに気を取られ、話半分にしか聞いていない。 「ちーがーうーーーー!」 長剣の少年が棍の広い間合をかいくぐり、一気に距離を詰めていく。接近戦になれば間合の短い剣の方が有利かと思いきや、棍使いは巧みに棒を持ち替え、移り変わる間合に即座に対応する。 距離を取れば、持ち手を長く取った長棍が剣の間合の外から容赦なく襲いかかる。 「何か、ずっと見られてるみたいなの」 千変万化の戦棍に死角無し。かつて冒険仲間から聞いた言葉を思い出し、ベネは身を固くする。 「おーい、ロゥ。ベネが怖がるから、ストーカーとかすんじゃないよ」 「はァ? なンでそんなぐはっ!」 掛けられた言葉に反応した剣士に、横合いからの打撃が襲いかかった。 「ほら、よそ見しない」 片手でひゅんひゅんと棍を旋回させ、棍使いのイシェは表情を変えぬまま。 「こんなんじゃなくってー!」 「こんなんとは何だ! こんなぐふっ!」 次に入ったのは、正面からの突きだった。 「……だから、よそ見するなって」 か、と大理石の地面に棍を衝くイシェ。使っているのはごく普通の木の棒だ。が、槍のような貫通特性こそないものの、そこから繰り出される衝撃は他の武器に劣るものではない。 「そんなんじゃなくって、もっとこう、にゃーっていうの! いやーなかんじ!」 「……分かんないよ、それじゃ」 意味不明なシグの説明を聞く事を完全に放棄し、ベネは剣対棍の四度目のぶつかり合いに意識を集中させるのだった。 そんな光景を遠目に眺め、将軍補佐官の美女は呆れたようなため息を吐いた。 「ムディア……悪いけど」 傍らにいた少女も、同じようなため息を吐いた。 「ええ……」 ここ数日ベネとシグを見張っていて知ったのは、ベネが何も考えていない事と、シグがその分考えて空回りしている事の二つだけだった。 もしこれが全て演技なら、名高いココの水上劇場でも主演を務められるだろう。 「じゃあ、軍部にはいないっていう事?」 「少なくとも、近衛にはいないでしょうね」 一般の兵士が幹部と接触を持てる機会はほとんどない。士官達はグルーヴェの正規兵だけで構成されているから、こちらも赤の後継者が入り込む余地などない。 「それじゃあ私は軍議があるから、一度本部に戻るわね」 今後の方針を決める会議だという。王都で何らかの動きがあったらしい。 「ええ。また何かあったらお願いするわ」 その晩。 近衛部隊の詰め所にふらりと顔を見せた将軍は、疲れ一つ見せぬ顔で丸椅子の一つを陣取り、見守る兵達に言葉を放った。 「グルヴェアで再編されたミクスアップ指揮の部隊が、こちらに向かっているそうだ」 構成は歩兵中心。中には獣機の姿も見えるが、これはわずかだという。 「では、ついに議会派の連中と?」 「無論そうなる。貴官らも、日頃の鍛錬の成果を出し切れるよう、頼む」 対するこちらは獣機が主力。歩兵千騎に相当する獣機であれば、数万の兵とて怖れるに足りぬはずだが……その割に、ジンカの表情には険が取れぬままだ。 「勝ち目はあるのか?」 故に、ロゥは問うてみた。 「敵の切り札次第だな」 「……そんな物があるのか?」 ある、とジンカは断じる。 「グルヴェアに入れていた密偵が、そんな連絡を入れてきた」 以来密偵は、消息を絶った。 軍部でも屈指の諜報員だったが、相手にもそれだけの使い手がいるという事なのだろう。 「とりあえずティア・ハートのような武器という想定で、アルジオーペ達に作戦を練らせているが……」 今のフェアベルケンで獣機と互角に戦えるのは、獣機自身かティア・ハート使いだけだ。相手の部隊にこちらより多い獣機がいない以上、その方面で考えるのが妥当な考えと言えた。 「なあ、将軍」 動揺が走る一同の中、一歩進み出た者がいた。 「革命派の連中と手を組むってのは……」 そう言いかけて。 「……無理そうだね」 周囲に立ち昇る、殺意にも似た怒りの空気に発言を訂正する。 「ベネ。部外者の君らなら、そういう考えも出るだろうな。それは、悪い事ではない」 普段軽妙なフェーラジンカの言葉には、珍しく硬い響きが籠もっていた。 両肩を覆うように広がった板状の双角が揺れる様が、彼の感情を如実に示している。 「だが、我等はグルーヴェ王国の軍人だ。その我々が、陛下や王太子はおろか、デバイス様まで手に掛けた奴らと手を組む事だけは……断じて出来ん」 一息つき、出された水で軽く口を湿らせて気分転換。 「貴公らは一時しのぎで、自分の大事なものの仇を許せるかね?」 「それは……」 逆に問い掛けられ、質問者は言葉を止めた。 「じゃあ、王党派は?」 「オルタ殿下の指揮とあらばやぶさかでもないが……コルベットは、『指揮権を我々に返上するなら、入営を許してやっても良い』だそうだ」 グルーヴェ王家に長く仕えるディバイドブランチ家のジンカだ。王族であるオルタ・リングとも、いくらかの面識があった。 優しい娘のはずだが、コルベット公のような野心家といては、傀儡としてしかその存在を認めてもらえまい。 「八方塞がりか……」 「だが、革命派を倒すにも、オルタ殿下を助けるにも、まずはミクスアップを破らねばならん。諸兄ら、力を貸してくれるな?」 頭を下げる将軍に、その場にいた誰もが『応』と答えるのだった。 (ジークベルトよ……お前は、デバイス様まで手に掛けて、どうするつもりだったのだ) フェーラジンカの心の声は、まだ誰にも届かない。 |