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 宙を走る革鞭が、渡された鋼材にしゅるりと絡み付いた。手応えで固定の具合を確認し、少年は宙にある身を右腕一本で前へと引き寄せる。
 半ばまで体が進めば、もう革鞭の固定は必要ない。僅かに緩めて鞭を引き戻した時には、既に左手の革鞭が新たな部材を捉えている。
 海竜の革で作られた二つの鞭を巧みに操り、小柄な影は捕捉と解放の連続でセルジラの橋下街を翔け抜けていく。
 最後に鞭が絡み付いたのは、鋼ではなく太い木材だった。胴回りが少年ほどある重厚な丸太は少年の重みに小揺るぎもせず、少年の着地を受け入れる。
「到着、っと」
 目の前のドアに彫り込まれた紋章は、少年の左腕に巻かれた腕章と同じ物。ビッグブリッジの案内を取り仕切る、ガイドギルドの溜まり場だ。
「戻りましたー」
 ちょっとした酒場になっているそこに集まっていたのは、種族も年もバラバラの一団だった。
「お疲れ、ヒューロ。どうだった?」
 声を掛けてきたのは、身軽さを自慢とする猿族の男だ。身軽さが生活力に直結するセルジラで、最も多い種族である。
「別に。いつも通りッスよ」
 今日の客は冒険者らしい二人組。探索の先導ならともかく、観光案内では冒険者も観光客も変わらない。自分の飛び降りに有翼種らしい少女が慌てて飛び出したのも、ガイドをやっていれば珍しくない光景だ。
 椅子に腰を下ろし、帰りに買ってきた夕飯を広げる。
「鳥の串焼きか。美味そうだな」
 そのヒューロの頭の上に、いきなり荷重が加えられた。
「……ギル」
 串焼きを持ったまま、頭上の少年の言葉に半目で応じるヒューロ。
「一本分けてくれよ。俺、これから客が来るんだけど、腹減っちゃってさぁ」
 この橋下街には珍しい、ラッセの青年だ。五年ほど前に他の街のギルドからビッグブリッジに流れてきて以来、ここのガイドギルドの一員として働いている。
「それが人にモノを頼む態度かよ……」
「いや、ちょうどいい位置に頭があるからさ」
 不機嫌な少年の言葉などなんの威圧にもなっていないらしく、ヒューロの頭に肘を載せたままで青年はへらりと笑った。その上から串焼きに手を伸ばそうとして、流石に少年からその手を叩き落とされる。
 ギルの手をはたいたままの姿勢で、少年は静かに一言。
「……ひとくち1スー」
「はぁ? そんなの、一本で1スーってトコだろ!?」
 一本の串に鳥肉は塊で付いている。だいたい三口で食べ終わる大きさだから、ヒューロ価格だと一本3スーといったところか。
 相場の三倍など、ボッタクリも良い所だ。
「なら、自分で買いに行けば?」
 それが出来ないからヒューロに頼んでいるのだ。もちろん相手もそれを知っての事。
 だが、背に腹は替えられない。
「ちっ……。ならヒューロ、ナイフ」
 忌々しげにポケットから青銅の硬貨を取り出し、テーブルに放り投げる。
「持ってないの、知ってるだろ」
「言ってみただけだよ」
 苛立たしげな少年の答えを待たず、ギルはポケットから自分のナイフを取り出して肉片を三等分。1スー分を取り上げて、そのまま口に運ぶ。
 腕の下の少年は刃物の類を一切持たない。ギルは理由までは知らなかったが、冒険者や職人にはその手のルールを持っている輩がごまんといる。そんな由来など一々聞く気にもなれなかった。
「じゃ、そろそろ時間だから行くわ。御馳走様」


「あれが、ギルのお客ぅ?」
 ギルが立った後にやってきたのはネコ族の少女だった。サンダル履きという橋下街では不便な格好をした彼女は、橋上街の案内を専門にするメンバーだ。
「らしいな」
「なんか、暗いねぇ」
 カウンターで少年が話しているのは、足元まであるマントを身にまとった三人組である。誰もが顔をフードで覆っており、一人が頭一つ高い以外は特徴すら分からない。
「……訳ありなんじゃね?」
 だが、ここもフェアベルケン屈指の街道の街だ。素性を明らかにしたくない旅行者は大して珍しくないし、旅人の事情まで気に掛けるのは彼らの仕事ではない。
 もちろん、ヒューロも少女もそんな輩を案内した事など何度もある。
「で、何で俺の晩飯食ってるんだよ。ジニー」
「いや、美味しそうだったし……」
 気付けば、ギルによって三等分された鳥肉は残り一切れになっていた。その上、ジニーが肘を置いているのは例によってヒューロの頭の上だ。
「ちょうど収まりが」
「良くないッ!」
 ジニーは頭一つ分、ギルは頭二つ分ヒューロより背が高い。椅子に座っていれば、確かに肘を置くのに丁度いい位置にある。
「ったく、油断も隙も……ッ」
 ヒューロは頭上のジニーが取り出していたナイフを押しやり……
 その瞬間、狭いガイドギルドの窓からごうと潮風が吹き込んだ。
「ひゃあっ!」
 突風は三人組のマントを大きくはためかせ、うち一人のフードを吹き飛ばす。
「……あ」
 中から現れたのは、茫洋とした少女の顔と、ふわりと流れる銀色の髪。
 少年の声に反応したか、ゆるりと巡らせた少女の瞳が、ヒューロの黒い瞳と重なり合う。
 柔らかな褐色の肌の中心に浮かぶ色は、青。早暁の空の如き、闇から明ける、蒼い瞳。
「……っと」
 少女本人が反応するより早く、周囲の二人が少女のフードを素早く掛け直した。恐らくはどこかの要人か何かなのだろう。残りのフードがこちらに追求の視線を向けてくるより早く、我に返ったヒューロは少女から瞳を逸らす。
「そっかぁ。ヒューロって、あんな子が好みなんだ?」
 呆然としていたヒューロの隙を突き、包みの中に残っていた一切れをひょいと取り上げるジニー。
「……バカ言え。帰る」
「はーい。お疲れー」
 空になった包みを気にする事もなく。
 ヒューロは不機嫌そうに席を立ち上がると、開いた窓から革鞭を放ち、夕闇のビッグブリッジへと飛び出すのだった。


 夕日に染まる内海を眺めながら、犬族の老人は穏やかに呟いた。
「セルジーラの王都は楽しかったかの?」
 橋上にある旅籠の一つだ。イェド風の窓枠に背を預けたまま、老犬はベッドに腰掛けた少女に問い掛ける。
「うん。面白い街だねぇ、ここ」
 先程も、内海にかかる夕陽が綺麗だとはしゃいでいた程だ。少女は久しぶりに見る海と、橋上の不思議な街が随分とお気に召したらしい。
「そうか。で、首尾のほうは?」
 ベッドに腰を下ろしているのはもう一人。鋭い目をした片目の少年だ。
 少女と共に、先程ヒューロに街を案内されていた少年である。
「連中の進入経路はだいたい見当が付いたよ。そちらは?」
「サンクリフ陛下はココの戴冠式の後、橋を抜けて領内の周遊に回っておるそうだ。もう暫くは戻らぬであろ」
 橋の際に建てられた宿からは、ビッグブリッジ中央に建てられた王宮を見る事は出来なかった。王不在の積層城塞を。
「なら、多少派手に動いても大丈夫……か」
 王の耳に入るまでに決着を付けられるはず。運が良ければこの迷宮都市だ。地元の警備隊にさえ気付かれずに事を済ませられる可能性もある。
 無論、少年の予測が間違っていなければ……という但し書き付きではあるが。
「貴公の考えはそう間違っても居るまい。儂とて、連中の立場ならそうする」
「そう。少し、安心した」
 老犬の言葉に、隻眼の少年はゆらりと立ち上がった。それに応じるよう、少女もすいと身を伸ばす。
 少年は勿論、少女とて一廉の冒険者だ。表情は静かに、先刻までの子供のようなはしゃぎようは何処にもない。
「ならば、行くとしよう」
 宵闇に流れる答えは、応、の一言のみ。


続劇
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