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8.それぞれの決着

 跳躍するのは白と白。
 交差するのは拳と刃。
 曇り始めた空を背に、団地の屋上に音もなく舞い降りたのは白いマントの少年だ。
「…………っ!」
 今の交差の一合で少年の刃は弾き飛ばされていた。激闘の余波を受け続け、ついに着地の衝撃で限界に達したか、白い仮面を固定していた紐も切れ、その場にはらりと落ちていく。
 仮面が取れたからとて、既に……いや、初めて刃を交えたその時から……相手に正体は知られた身だ。焦る必要などどこにもない。
 しかし、仮面と刃を弾き飛ばされてなお、露わになった少年の表情に浮かぶのは余裕の二文字。
「フッ………。見事なり、マスク・ド・ローゼ」
 対する白衣の男は、どこにもダメージを受けた様子はない。
 けれどそれでも相手の名を呼び、称えたのは……。
 彼の背後にある巨大装置に突き立てられた刃が、装置のデジタルゲージを停止させていたからだ。
「当たり前さ。レディ達の喜ぶ顔を曇らせるわけにはいかないからね」
 マスク・ド・ローゼの目的は、白衣の男との戦いに勝つ事ではない。クリスマスを中止させないこと、そしてクリスマスを楽しみにしている女性達の笑顔を絶やさないこと、それだけだ。
 それが成されるならば、男との戦いの勝敗など、さほど重要な要素ではない。
「素晴らしい。素晴らしいよ……君と錬金術部で共に戦えなかったのが、本当に残念だね……」
 けれど、それは男も同じ事だ。
 彼がこの戦いに賭けたのは、装置の起動。それを止められてなお、これほどに相手を称える余裕を持っているということは……。
「だが……」
 心底満足そうな表情で男が白衣の内ポケットから取り出したのは、いつもの試験管ではなかった。
「……こんな事もあろうかと!」
 その手に握られるのは、先端に小さなボタンが組み込まれた、グリップ状のパーツである。
「………何?」
 親指のワンアクションでボタンの保護カバーを弾き飛ばせば、ボタンがせり上がると同時にグリップの基部からしゅるしゅるとアンテナが伸びていく。
 赤々と灯る小さなLEDは、グリップが完全な起動状態に至った事を示すものだ。
「今このタイミングでかの名言を口に出来るなど……僕にとって、今日は本当に最高のクリスマスだな」
 運というものが天秤の如く傾くものだとすれば、いままさにこの瞬間の運は、仮面の少年ではなく白衣の男に傾いていると言って良いだろう。
「ポチッとな!」
 歓喜すら含んだ言霊と共に、男はグリップのボタンを強く強く押し込んだ。
 再起動信号を受けて停止していた装置が再び息を吹き返し、デジタルゲージはスタンバイの表示へと即座に切り替わる。
「ふはははは! さらばだ、クリスマス!」
 そして、装置は起動して…………。


「ごめんなさいっ!」
 二人の少年に向けて勢いよく下げられたのは、少女のおさげ頭だった。
「……………」
「……………」
「……………ダ、ダメ……?」
 固まったままの二人に向けて、百音は恐る恐る顔を上げて問いかけるが……。
「ここまで引っ張って、それかぁ……」
 ようやく緊張の糸が切れたのだろう。レイジはその場にへなへなと座り込み。
「………痛み分けか……」
 悟司もわずかに吐息をついてみせる。
「え、ええっと、二人とも……ダメってわけじゃ、ないのよ?」
 どちらの想いも嬉しいのだ。だがもちろん、どちらも選べないというわけでも、どちらもダメだというわけでもない。
「何というか……今は、ちょっとそういうのが考えられないっていうか………ね?」
「じゃあ、まだ俺にも可能性はあるって事か……」
「それは、僕にもって事だよね」
 返事も出来ないまま今度は固まる側にされた百音の様子を、無言の肯定と取ったのだろう。レイジは差し出された悟司の手を取ってゆっくりと立ち上がり……浮かべるのは、いつもの余裕の表情だ。
「よし! なら、来年もガンガン攻めるからな! 手始めに大晦日からお参りにいかねぇか? 日本にはお礼参りって風習があんだろ?」
「……二年参りじゃない、それ」
 そもそも大晦日からの誘いなら、来年からガンガン攻めるどころの騒ぎではなかった。一週間も経たないウチから本気モードである。
「そうそれ! で、どうだ!」
「もちろん僕も行くけどね」
「あ、あはは………あ」
 答えに詰まり……そして、それが無言の肯定と取られてそのまま押し切られてしまうだろう事は想像に難くなかったが。それでも百音は、言葉を途切れさせてしまう。
「お?」
 見上げれば、いつしか曇った空に舞うのは灰色の重甲をまとう曇天竜。
「へぇ………雪か」
 そしてその間からゆっくりと降りてくるのは。
「ホワイトクリスマスだね。素敵……」


 華が丘に一軒だけあるカフェに下がるのは、本日貸し切りの看板だ。もっとも冷気を遮る結界の張られたテラスの賑わいを見れば、看板など無くとも貸し切りなのは明らかだったけれど。
「雪だ……!」
 結界の外にちらちらと舞い踊る白い物を見て歓喜の声を上げるのは、長身の女だった。黙っていれば美女で通じるその顔に浮かぶのは、まるきり子供の表情である。
「ちょっとはいりちゃん、葵がひどいんだけどー」
「ひかりさん、ルリ、聞いてます? だから、マーヴァのバカが……ですね!」
 だがそんな雪も、他の呑み客達には関係ないらしい。ひかりに呼び戻されて、はいりも苦笑いしつつ親友の元へ。
「葵ちゃん。マーヴァ君にフラれたからって、ひかりさん達に当たっちゃダメだよぅ」
 黒竜退治のためメガ・ラニカに駐留していた騎士達が、別の一団に引き継ぎをしたのが昨日のこと。もちろん隊長を務めていた彼も、メガ・ラニカに戻ってしまったわけで……。
「そうよ。メガ・ラニカでのクリスマスなんて、ケーキ食べるだけのイベントじゃない。彼氏に仕事優先されたって、仕方ないってば」
 ただでさえ宗教色の薄い日本のクリスマスからさらに宗教色を抜いたのが、メガ・ラニカのクリスマスである。本当の意味でケーキを食べてプレゼントを交換するだけのイベントに成り下がっているため、イベントとしての普及度はともかくとして、重要度に関してはメガ・ラニカ社会では限りなく低いままだ。
「あんなの彼氏じゃないっ! 柚も聞いてる!?」
「聞いてるよぅ……。あぅぅ………」
 十六年ぶりに再会した親友の意外な酒癖の悪さに、柚子も困った表情を浮かべるだけ。近くの席でやはりお酒を呑んでいたパートナーに助けを求める視線を送ってみるものの、気付かれた様子はない。
「もう柚ちゃんもお酒呑んじゃいなよ。祐希たちだってきっと今頃呑んでる頃だし」
 代わりに、隣に座っていたひかりから、ワインの入ったグラスが差し出されてきた。
「あの、私、戸籍上はともかく身体的にはまだ未成年なんですけど……」
 そもそも担任教師達が目の前に居るのにそんな事を堂々として良いんだろうか……とも思ったが、これ以上のことは言わないでおくことにする。
「それより雪だよ、雪! せっかくのホワイトクリスマスなんだから、みんなもっと楽しそうにしようよ!」
「クリスマスに男もナシでこうやってくだ巻いてるのが?」
「いや、なんというか、そういう生々しいのはナシで……」
 やはりワインのグラスをちびちびと舐めていたローリのひと言に、はいりは困り顔を浮かべるしかない。
「あの、ウチは旦那さまいるんだけど……」
 だがローリの言葉に、菫はテラスの奥で黙々とグラスを磨いている男を指し。
「あたしもいるぞ」
 ルーナもやはり、近くの席で黙々とチキンを食べている伴侶を指してみせる。
「わたしも……陸さん来てるんだけど」
 ついでに言えば、ルリの夫も月瀬の隣で黙ってケーキを食べていた。女性陣の所にいると酔っ払いに絡まれるから、近寄りたくないらしい。
「あーもぅっ! クリスマスなんて爆発しちゃえばいいのよ! はいり、力戻ってるんだしクリスマスって中止に出来ないの!?」
「出来ないってば……」
 酔っ払いの暴言でクリスマスが中止になってはたまらない。
 はいりは雪の降る空を見上げ、やはり困ったように笑うだけだ。


 雪の舞う空を翔けるのは、古ぼけた竹竿と、それに腰掛けた少年だった。
「ウィル!」
 やがて団地の屋上に探していた対象を見つけ、ゆっくりと高度を下げていく。
「やあ、八朔か」
 竹竿をがらりと放り出して駆け寄れば、その場に腰を下ろしていたパートナーは穏やかに微笑んでみせるだけ。
「大丈夫か? 柚子さんからクリスマスを中止にするとか何とかってメールが届いたから、探しに来たんだけど」
 ウィルが集合時間に来ないのはいつもの事。普段なら放っておく所だが、事件の匂いがすれば流石に話は別だ。
 何かあるとは思っていないが……もし何かあれば冗談では済まない。
「ああ。残念ながら、クリスマスは中止にされてしまったよ」
「中止ぃ?」
 言われても、どう中止になったのかはよく分からなかった。少なくとも上空から見た限りでは、商店街でも住宅街でも普通にクリスマスは続いているようだったが……。
「代わりにホワイトクリスマスになってしまったようだ」
「……それって、中止になってるのか?」
 むしろ雪のないクリスマスより、ホワイトクリスマスの方が気分が出て良いことではないか。
 もともと華が丘は瀬戸内の温暖な気候もあり、雪が降ることは滅多にないし、降ってもほとんど積もらない。そのぶん雪に慣れていないから、この積雪でも道路は渋滞し鉄道も遅れるだろうが……せいぜいその程度だ。
「少なくとも、ただのクリスマスではないだろう?」
 そういう意味では、白衣の男は自らの宣言を果たしたという事になる。それに対しての敗北感は特にないが、自分の腕がまだまだという事と、向こうに傾いた運気の天秤については、思うところがないわけでもない。
「そっか。けど、そんなお前と一緒にいるのが男で悪かったな」
「構わないさ。この雪を見た女の子達が、幸せな気分になれるのなら……それで、十分だよ」
 呟き、ゆっくりと立ち上がる。
 再びレリックの細剣を起動させれば、音もなく身を包むのは雪色の仮面と雪色のマント。
「さて。良ければもうひと仕事手伝ってくれないか? 例の魔法は……ちゃんと覚えてくれたんだろう?」
「分かってるよ。ったく、仕方ねえな……」
 取り出した魔法携帯から流れるのは、軽いテンポの短いリズム。それは対象の魔法を拡大し、その効果範囲をより広める力を持つ。
 八朔の魔法に乗るのは、ウィルの放った幻覚魔法。
 範囲を大きく拡げられた白い花びらの幻が、雪に交じって華が丘の街にゆっくりと降りそそいでいく。


「あれ……? これ、花びら……」
 広げた手のひらにひらひらと舞い落ちたそれは、音もなくその姿を消していく。
(幻……かな?)
 魔法か、それとも魔法都市では起こりうる自然現象なのか。華が丘でずっと暮らしてきたリリも、花の幻が降るのを見るのは初めてだったが……ツェーウーの再封印によってマナのバランスが変わった今なら、何が起こってもおかしくはない。
「くしゅんっ!」
 わずかに寒さを感じ、小さくくしゃみをひとつ。
 道場に戻ってコートも取ってきた方が良いかと思うが……。
「………あ」
 ぴたりと身を寄せてきたのは、柔らかな毛に包まれた小柄な体。
「………あったかい?」
「うん。ありがと、セイルくん」
 耳と尻尾の生えた小柄なパートナーに柔らかく微笑んでおいて、このままでいいかと思い直す。暖かいのは触れ合っている腕や胸あたりだけだが、それでも今はこうしていたかった。
「リリさん……」
 小さな声に気が付けば、目の前に差し出されているのは小さな箱が一つ。
「開けていい?」
 頷くセイルから箱を受け取れば、その中に入っていたのは……。
「えっと……これ、指輪?」
 淡い銀色の輝きは、普通の銀やメッキとも違って見える。何か特殊な魔法の物質なのだろうか。
「……竜の鱗」
 へぇ、と小さく呟いた所で、リリはセイルが先月メガ・ラニカに行っていたことを思い出す。確か、竜退治だと言っていたが……どうやらこれは、その戦利品らしい。
「じゃ、これってセイルくんが作ったんだ……」
「リリさんに何があっても、これからは僕が必ず護ってみせるから」
 華が丘からメガ・ラニカに流れこむマナの安定が図られたことで、リリに与えられた宿命は今のところその役割を失っている。
 世界の滅びに関する研究も少しずつだが進んでいるというから、おそらくリリの宿命も、研究の完成と共にこのまま忘れ去られていくのだろう。
 だが、もし仮にリリの身に宿命が襲いかかったとしても、次は彼が護ってみせる。
「だから、これはその約束。受け取って……くれる?」
 見上げてそう問うセイルの言葉に、リリからの答えはない。
 もしかして、図々しいことを言ってしまっただろうか。
 セイルはわずかに首を傾げるが……そんなセイルに向けられたのは、わずかに間の抜けたリリの言葉だった。
「ごめん。セイル君がそんなに喋ったの、初めてだったから……ちょっとびっくりしちゃった」
「言いたいことは、言わないと……だから」
 それに答えるリリの言葉はない。
 代わりに、銀鱗から削り出された指輪をそっと指にはめてみせる。
「えへへ…………似合うかな?」
 左手の薬指で鈍い輝きを放つそれに、セイルも無言で首を縦に。
 答えなかったのではない。抱きすくめられたリリの腕の中で、続く言葉を紡げずにいるのだ。
「セイルくん。もう少し……こうしてて、いい?」
 胸元に伝わってくる感触と温もりを感じながら、リリはもう少しだけ、愛しい人の小さな体を抱く腕に力を込める。


続劇

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