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7.月下離別

 夕食を終え、レムはほぼ半年ぶりに自身の部屋に戻っていた。
 真紀乃はまだ、階下で家族と話をしているはずだ。
 お義父さん、お義母さん、レムレム。
 夕食開始後ほんの五分で言われるだけ言われ尽くした彼に、彼女一人を階下に残して怖いものなどもう何もない。それに、彼には一つ、片付けるべき役割があったのだ。
「ゲートの移動に時間が掛かるようになったのはごく最近だけど、原因は不明。まだ調査中……と」
 夕飯の時に父から聞いた話を、華が丘から持ってきたノートに逐一書き記していく。
 ゲートの異変については大魔女を筆頭に各所から調査が入っているようだが、まだ明確な結論は出ていないのだという。それが嘘か本当かは分からなかったが、父親が嘘をついているようには見えなかった。
 少なくとも、父のいる現場レベルまで落とし込めるような状況には、なっていないということだ。
「明日は図書館でメガ・ラニカの成り立ちと、ゲートの抜け穴があるっていう噂を追ってみる予定です……こんなもんかな」
 メガ・ラニカの成り立ちはともかく、抜け穴の噂は都市伝説の類だ。しかし、全ての構造の把握されていないなら、ゲートの抜け穴が本当に無いとも言いきれない。
 先日の女王トビムシは誰かの召喚魔法で喚び出されたわけではないらしいと、さる情報筋から聞いていた。あれだけの巨大甲虫が通れるような抜け穴があるなら、これからもメガ・ラニカの怪異が華が丘へ流れ込んでしまう可能性は否定できない。
「そういえば、レイジが召喚魔法が使いにくいって話をしてたっけな……」
 それも、ごく最近になってからの話。
 ゲートの異変に、女王トビムシ。何かメガ・ラニカにとって良くない前触れで無ければいいのだが……。
「後はまあ、レイジ任せかな……」
 ひとまず、今日の段階で分かるのはこれだけだ。
 レムは内容をまとめたノートを切り取ると、丁寧に折りたたんで宛先を書き記す。
 包んだ掌の中で精神を集中させれば……。
 開いた掌から飛び出したのは、一羽の鳩だ。
「なるべく急いでくれよ?」
 白い鳩はレムの言葉に応えるように小さく鳴くと、窓を飛び出し、東の空へと飛び立っていく。
 手紙を直接相手の家に送り届ける『伝書鳩』は、さして強力でも信頼性の高い魔法でもないが、携帯の電子メールが使えない現状では最も早い通信手段となる。住所もちゃんと書いておいたから、近くまで届けば誰かが拾って届けてくれるだろう。
「明日の朝までに届けばいいけど……」
 明日の昼には、レイジは良宇と共に友達の家を回る旅に出ると言っていた。他のクラスメイトの家まではさすがに分からないし、明日の朝を逃せばレイジとは本当に連絡が付かなくなる。
 だが、ひとまずはこれで任務完了だ。
「さて。明日は調べ物かな……」
 そんな事を考えながら、精霊が転じた月の浮かぶ夜空を見上げた、その時だ。
「……真紀乃さん?」
 見慣れた後ろ姿を大通りに見つけ、レムは思わず窓からその身を躍らせる。
 電源こそ入っていないが、携帯はポケットの中。
 彼のレリックも、そこにストラップとしてぶら下がっている。


 次郎長三国志に、図書室で借りた世界の竜神話。
 オススメ時代劇百選に、端にあるのは立て掛けたスケボー。
「変わってない……よなぁ」
 目の前の本棚は、全てレイジの記憶にあるままの姿。
「これがお前がいつも出してる本棚か」
「ああ。最近、なんか取り出しづらかったんだよな……。だから、誰かが位置でも変えてるんじゃねえかと思ったんだけどよ」
 夕食の時、レイジの部屋には誰も入っていないと聞いていた。実際確かめてもみたのだが、魔法陣の上に置かれた本棚はおろか、ベッドや椅子の位置まで、半年前にレイジが出発したあの日のまま。
「さっきの馬もか?」
 夕食の前にブラッシングとエサやりをしてきたホリン家の愛馬のことだろう。レイジも何度か華が丘に呼び出したことがあるから、彼のことは良宇もよく知っていた。
「ああ、トビーは平気………」
 そう答えかけて、言葉を止める。
「どうした」
「……いや、トビーも感じてるのかもしんねえな」
 召喚魔法は、自身と対象の空間を一時的に繋げ、自身の手元に対象を喚び出す技だ。その逆の行程を踏む……空間を繋げ、対象ではなく自身の手を対象の側へと伸ばす……のがレイジの魔法の本棚なのだが、その理屈を考えれば、愛馬にも同じ現象が起きている可能性はある。
 ただ、トビーは人の言葉を喋れないし、仮に喋れたとしても、召喚魔法で異界へ至る間の体感時間がどう変わったかなどまでは……分かってはいないだろう。
 レイジがその異変に気付けたのは、自らの体を召喚魔法に委ねているからこそだ。
「トリモチ結界の時は、冬奈の魔法と相乗効果が出てたらしいんだけどな」
 他にも起きたいくつかの異変は、夏休み直後の調査で原因が明らかになっていた。
 試験の時のトリモチ結界の暴走は、近くに設置していた冬奈のトラップとの相乗効果に因るものだったらしいし、部活動攻防戦の時の将棋部のレリックが不調になった件は、術者である部長の戯れだろうという結論が将棋部内から出されていた。
 複数の魔法を重ね掛けする事による相乗効果はごく普通のテクニックで、レイジ達も幾度か使ったことがある。それが故意ではなく偶然に起きただけだから、特に問題はない。
 部長の戯れに至っては、事件ですらなかった。
 だが、レイジの召喚魔法の異変だけは、明らかに質が違っている。
「良宇、おめぇはどう思…………って、大丈夫か?」
 見れば、傍らの相方は棒立ちになったまま、頭から湯気を昇らせているではないか。
「お、おう……。で、結局オレは何をすればいいんだ?」
「今のところは何も出来ねえからな……」
 この件については、まだ情報収集と推論を重ねるべき段階だ。実働部隊の良宇が出る場面はない。
「強いて言やあ、明日も早ええし、とっとと寝ちまおうぜ」
 逆を言えば、実働部隊が動くのは、事態の最終段階となる。
 それが良いことであれ、わるい事であれ。
「明日は美春の家だったな」
 友人巡りの旅のトップバッターは、美春百音。家の位置が分かりにくいとかで、近くの村で合流する手はずになっていた。
「後はレムに期待かな……」
 さしあたりの情報源は、ゲートの案内人であるレムの父親だ。
 明日の朝あたり、伝書鳩が届いていれば良いのだが……。
 そんな事を思いながら、レイジは相棒と寝床の支度を始めるのだった。


「ごめんね。レムレム……」
 真紀乃は小さくため息を吐くと、一度だけその家を振り返った。
 レムの家だ。
 レムの家族への挨拶も出来たし、ご飯もご馳走になった。
 写真もちゃんと渡せたし、レムとの思い出も沢山作った。
 唯一の心残りは、自分で撮った写真に気に入った一枚が見つけられなかった事だが……まあ、それはこの『旅』から帰ってすれば良いことだ。
 小さなバッグを背負い直し、思いを振り切るように、前を向く。
 そこに、いた。
「真紀乃さん……?」
 いつの間に回り込んだのだろうか。
 そこに立つのは、彼女の大事なパートナー。
 レムだ。
「ありゃ、見つかっちゃいましたか」
 苦笑する真紀乃に、レムが流される事はない。
「どこに行くの?」
 強い口調で、問いかける。
「えへへ……ちょっと、コンビニに……」
 真紀乃の答えに、レムの目は笑っていない。
「いやぁ。レムレムに恥ずかしい思いさせちゃったし、ちょっと反省してこようかと……」
「いや……その事はとっくに諦めてるから……」
 流石にその話にはレムもがっくりと肩の力を落としたが、そこで見せる隙が明らかにわざとである事は、対峙している真紀乃が一番よく分かっていた。
 ならば。
「ええい、仕方ないっ! テンガイ……」
 使う手段は実力行使。
 真紀乃の腕に巻かれた携帯は既に起動済み。ワンアクションで携帯に繋がれた四つのストラップが本来の姿を取り戻し、雷をまとって一つの姿へ重なり合おうとして。
「ああっ! せっかく作った短縮版のバンクなのに!」
 合体の雷光を払うのは、それをはるかに凌ぐ雷と風の渦。
「悪いね。お約束は、今日は通じないよ」
 いつの間に抜き放たれたのか。レムの両手にあるのは、雷と嵐、二つの属性を操る双刀だ。
 精霊の転じた月の明かりを静かに弾き、レムはいつでも攻めに転じる構え。
 レムも伊達や酔狂で四月朔日の道場に通っているわけではない。訓練の成果は、確実に彼の力となっている。
「むぅぅ……合体破りの回は、まだ見せてないはずなのに……」
 弾かれた四つのレリックは、力なく地面に転がったまま。再起動させるためには、一度拾い上げて制御を取り戻す必要がある。
 無論、その隙を見逃すレムではないだろう。
 だが!
「ひゃあっ!」
 起死回生のダッシュを掛けた真紀乃の前を吹き抜けるのは、レムの双刀から放たれた風の渦。
「どうしたの、真紀乃さん。最近……変だぜ?」
 一歩を動く必要もない。
 隙を見せ、語りかけてなお、ただひと太刀でレムはこの圧倒的優位を保ち続ける事が出来るのだ。
「こないだは大ケガして帰ってくるし……京都だって、何があったんだよ。まるで…………」
 ぎり、と唇を噛み、レムは言葉を絞り出す。
「ちょっと前の、オレみたいだ」
 重なるのは、双刀の力を抑えようと、必死にあがいていた頃の姿。荒ぶる刀の力のまま、クラスの担任教師に本気で戦いを挑んだ事も、昨日のことのように頭に浮かぶ。
「…………ごめんね、レムレム」
 真紀乃から一番近いレリックまで、七歩の距離。
 七歩を詰める間に、レムは力を放つだろう。
 不壊とされるレリックはこの程度の嵐では傷一つ付かないし、真紀乃自身に向けるつもりでないから、遠慮する必要もない。
 だから。
「あたしは、どうしても強くならないといけないの!」
 真紀乃は、七歩を詰めることはしなかった。
 取り出したのは腕の中。
 六角に刻まれた金属片。
「……もう一つ、レリックを!?」
 レリックの複数所持は無い話ではない。A組の担任は二つのレリックを使いこなすし、レムの双剣もそれに近い性格を持つ。
 だが、真紀乃がレリックをもう一つ持っているなど、レムは聞いたこともない。
「……ごめん。先生」
 短く呟き、真紀乃はついに、その名を口にした。
「武装錬金!」


 広い森に響き渡るのは、続けざまの炸裂音。
 三発目までは規則的に。
 四発目が聞こえるのは、三度に一度という所か。
「…………ふぅ」
 銀色の弾丸に戻るよう念じ、悟司は戻ってきたそれを手の中へ。
 標的にしているのは、森の一角に生えている、腰ほどの高さがある水晶の塊だ。幾度砕けようとも無限に再生を続けるというそれは、悟司が弾丸を構え直す頃には本来の形に戻っている。
 次の炸裂音は、三発だけ。
 だが、水晶の再生が終わっても……次の炸裂音は、響かなかった。
 悟司の背中側。館に通じる扉が開いたからだ。
「……美春さん。起こしちゃった?」
 見れば、そこにいるのは寝間着に着替えた百音の姿。
「ううん。ヤガー達とお話してたから、平気だけど……まだ、練習してたの?」
 夕食を終えた後、悟司は魔法の練習をしたいと魔法人形のティンキーに相談していたはずだ。その頃からずっと訓練をしているとなれば、かれこれ四、五時間はこの森に籠もっている計算になる。
「お話……?」
「うん。子供の頃の話とか……って、悟司くんも知ってるよね?」
 百音も中学に上がるまでは、華が丘で暮らしていた。悟司とは小学校も中学校も同じだったから、当時のことは互いに知らないわけではない。
「まあなぁ……。そういえば美春さんって、こっちに来てからはどんなことしてたんだ?」
 メガ・ラニカに移り住んだ時の細かい話は、悟司はよく知らない。当時は彼も部活動で忙しかったし、知らない仲ではないとはいえ、そこまで親密な仲というわけでもなかったのだ。
「うーん。あんまり身につかなかったけど、魔法の修行とか……いろんな所を、旅して回ったりかな」
 当時から祖母の後を継ぐべく、魔女っ子としての修練を続けていたのだが……もちろん、悟司に本当の事を話せるわけがない。
 心の中でごめんと手を合わせながら、漠然とした言い方で誤魔化すしかなかった。
「へぇ……」
 だが、どうやら魔法の秘儀に関することだと察してくれたのだろう。軽く流してくれた悟司に、百音はもう一度心の中で手を合わせる。
「今もね、新しい魔法の練習してるんだ」
「どんな魔法なの?」
「へへ……使えるようになってからの、お楽しみ」
 それは、ハルモニィではない、百音の姿で使えるようにと訓練している魔法だった。使いこなせるようになれば、必ずや悟司の力になれるだろう。
「そっか……。なら俺も、美春さんに負けないようにこれを使えるようにならないとな……」
 普段のように的を並べ直さずに済む分、訓練の効率は倍以上に跳ね上がっているはずだ。こんな良い場所を使わせてもらっているのだから、成果の一つも上げなければ格好が付かない。
 悟司は銀色の月を見上げ、八発の弾丸を強く握りしめる。


 扉が開き、入ってきたのはパジャマに着替えた晶だった。
「あぁ……いいお湯だった!」
 ハークの家は村の隅、小高い丘の上に建てられていた。
 地上の常識で言えば、そんな高所で水を確保するには動力式のポンプを使うしかなく、動力を手に入れるアテがなければお風呂に割く水など期待するべくもないのだが……。
 幸いここは魔法の世界。水を喚び出す魔法は定番中の定番だ。ハークの家族はあまり魔法が得意ではないらしいが、そんな彼らでもお風呂のお湯を準備する魔法くらいは使うことが出来た。
「おかえり」
 入れ替わるように出て行こうとするハークを、晶は慌てて呼び止める。
「ちょっと、どうしたのよ。ハークくん」
 毛布を抱えたその様子は、お風呂に入りに行こうとするようにはとても見えない。
「晶ちゃんが寝られるような部屋ってここしかないし。ボクは物置で寝るよ」
 ハークの家は、ごく普通の一軒家だ。祖父と祖母で一つ、母親に一つ、そしてハークの部屋が一つと、残る部屋は物置が一つとなっている。
 要するに、晶を泊めるための客間がないのだ。
「別にここで寝たらいいじゃない」
 晶が戻ってきたのは、ハークの部屋だった。家族が特に何も言わなかったため、晶はここで寝るつもりだったのだが……。
「ウチでだって、別に珍しくないでしょ?」
 晶の家では、朝まで二人でゲームをやって、そのまま寝てしまう事も珍しくない。大抵は晶がベッドに潜り込み、ハークは床で丸まっているのだが……特にハークから苦情が出たことはなかったはずなのだが。
「………今日はゲームとかないから、そのまんま寝るしかないよ?」
 携帯の電源は、ここではテント生活の頃以上に貴重なものだ。あの時は授業中の充電が許されていたから、少しのゲームに割く程度の使い方も出来たが……メガ・ラニカではその充電をする場所すらない。
 もちろん電池式の充電キットは持ち込んでいたが、それも無尽蔵にあるわけではないのだ。携帯の電源は何かの時の着スペルやレリックの発動用に、温存しておく必要があった。
「ハークくん、あたしがゲームばっかりしてるって、思ってない?」
「……違うの?」
「…………違わないけど」
 即答してくるハークに、珍しく言い返す言葉もない。
「ならたまにはゆっくり寝なよ。じゃあね」
「もう……」
 ゲームが無くとも、する事くらいあるというのに……。
 ばたんと閉じられたドアに、晶は思わず手元にあった枕を投げ付けるのだった。


続劇

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