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17.混沌をテラスひかり

「…………ふぅ」
 見上げた先にある物は、巨大すぎる大太刀だった。
「ああ。やっぱりこういうの見ると、落ち着くなぁ……」
 刃渡り3.4メートル、重量75キロ。
 一見軽く思えるが、通常の刀が1キロ前後という事を考えれば……まともな人間が使うための武器ではなく、完全に奉納用の神器である事が分かるだろう。
「わっせ、わっせ、わっせ、わっせ!」
 だが、そんなレムの落ち着く心に勢いよく飛び込んできたのは、社殿の外から響き渡る咆哮だ。
「八朔! あと五十回じゃ! 気合入れぇっ!」
「朝っぱらからやってんのに、まだ半分あるのかよ!」
「もう半分じゃ! 気合じゃ! 気合ーっ!」
 聞き慣れた声に外へと出てみれば、見慣れた顔が揃っていた。
「……………何やってんだ? お前ら」
 どたどたと石畳を駆け抜けていく良宇と八朔の背中を見送っておいて、手水舎に腰掛けているレイジとウィルに声を掛けてみる。
「オヒャクドマイリっていう、地上の風習なんだって。八百万人いる神様に、願いが叶うよう百回くりかえしてお祈りするそうだよ」
「……祈りすぎだろ」
 そもそもメガ・ラニカには、神に祈るという習慣がない。
 自力で奇跡を起こすための手段が身近に存在する世界という事もあるし、歴史的な由来もある。さらに言えばメガ・ラニカを創造したのも、顔も見たことのない神などではなく偉大な彼らの祖先達だ。
 せいぜい、メガ・ラニカ創造の際に祖先達に力を貸したという『ツェーウー』なる存在が、守り神として祭られている程度である。
「ホントは誰かに見られてもマズいらしいんだけどよ。まあ、昼間の事だからそこはしゃあねえやな」
 既にレイジとウィルがいる段階で、その前提は破綻済みだ。いまさらレムが増えた所で、さして問題はないだろう。
 そんな事を話していると、良宇と八朔が戻ってきた。
「神様仏様! どうか、茶道部が成立しますように!」
「しますように!」
 ぱんぱんと柏手を打ち、深く一礼。
 振り返り際に、こちらを向いた。
「レイジ! あと何回じゃ!」
「四十九回だよ。一回前に自分で五十回って言ってたじゃねえか」
「そうか! なら、あと四十九回じゃい!」
 そして、五十二回目のダッシュを開始。
「おおー!」
 八朔もヤケクソ気味にそれへと続く。
 階段を下れば、見えなくなるのはあっという間だ。
「なあ。さっきのカミサマホトケサマってのは……八百万人いる神様の、一体どいつなんだ?」
 メガ・ラニカには、神に祈る習慣が薄い。
「…………さあ?」
 だから細かい宗教用語は、地上の文化に関心の深いウィル達ですら、それほど理解してはいないのだった。
 

 場所は戻って華が丘。
「今日は楽しかったねぇ!」
 街に一件の喫茶店、カフェ・ライスのオープンテラスにやってきたのは、隣町から帰ってきた買い物組だ。
「あら、いらっしゃい。みんな」
「こんにちわ、菫さん」
 出てきたのはカフェを仕切る女主人。夫のマスターはいつも通り、店の奥で黙ってグラスを磨いている。
「あれ? 今日は委員長、お休み?」
 だが、いつもならいるはずの祐希がいない。普段の休みなら、ここでバイトをしているはずなのだが……。
「今日はお休みなのよ。明日は来ると思うけど、何か用でもあった?」
「いや、別に何もないんですけど……」
 ついでだったから気にしてみただけだ。どうせ月曜になれば学校で会えるのだから、わざわざ貴重な日曜を潰してまで会いに来る必要はない。
「キースリンの事で、ちょっと言いたい事があって」
 だが、冬奈は声のトーンをわずかに落とし、悟司達の様子を確かめてから、言葉を続けてみせる。
 どうやら男連中は気が合う所があったのか、マスターの所で何やら話し込んでいるらしい。
 この距離ならば、聞かれる事はないだろう。
「なになに? キッスちゃんの事が、どうかした?」
 だが、その話題に口を挟んでくる客がいた。
「あれ……ひかりさん。どうしたんですか?」
「菫ちゃん、あたしの後輩だもん。祐希もお昼作ってくれなかったし、ちょっとご飯食べに来てたの」
 晶たち華が丘の出身者はひかりと呼ばれた女性を知っているようだが、ファファや真紀乃は当然ながら面識がない。
「どなたですか?」
 祐希と親しいのは分かる。雰囲気からすると、少し年の離れた姉といった所だろうか。
 まさかキースリンがいるのに、年上の恋人という事はないだろうが……。
「委員長のお母さん」
 言われた瞬間、思考が止まる。
「…………ええっと」
「初めまして。祐希の母のひかりです。いつも息子がお世話になってます」
 ひかりを見た後、視線は隣の菫へ動く。
 指を折って確かめて……。
「…………華が丘って、不老不死の秘法とかあったりしませんか?」
 真紀乃はぽつりと、それだけを呟くのだった。


「あと十回じゃぁぁ!」
 朝っぱらから続いていたお百度参りも、いよいよ大詰め。ついに一桁台も目前となっていた。
「だぁらぁぁぁっ!」
 叫ぶ良宇に、八朔ももはやワケの分からない叫びを上げるだけ。
「なあ。レム」
 程良く壊れた二人を眺めつつ、レイジは隣の少年の名を呼んだ。
「無理は承知で言うんだが……。名前だけでも、貸しちゃあもらえねえか?」
 主語はあえてぼかしたまま、言葉を紡ぐ。
 地上の流儀というならば、神に祈るのもいいだろう。地上から取り寄せた歴史小説にも、神に祈り、必勝を祈願する登場人物が数え切れないほど出て来ている。
 だが、神に祈っても解決はしない。
 最後にモノを言うのは、自らの力と、行動だけだ。
「…………ダメか?」
 無論、こういう強引な手法は良宇から厳重に止められていた。
 だが、朝早くから夕方まで、お百度参りまでして達成を懇願する良宇のためだ。例え恨まれようとも、彼の願いを叶えてやりたかった。
「別にダメじゃないんだが……すまん。こないだの攻防戦の前に、将棋部に入ったんだ」
「………そうか」
 副部員も拒みはしないが、部の結成にカウントはされない。
 今この瞬間欲しいのは、まだどこの部にも所属していない正部員になれる名前なのだ。 
「悪いな。そこまで深刻になってるなら、考えても良かったんだが……」
「や、俺も相当ヤキが回ってるらしいや。さっきのは忘れてくれ」
 レムの言葉に、すっと熱くなっていた体が落ち着いていくのが分かった。
 きっとここでは、断られるのが正解だったのだろう。
 そういう意味では、責任の一端を神という他人に転嫁する『神頼み』という方式も、精神衛生を保つという観点から見れば間違ってはいない気がした。
「ああ、そういえば……」
 ついに一桁台に到達し、やはり意味不明な叫びを上げている二人を眺めながら。
「茶道部向きな性格してる奴が、普通科にいたぞ? 行ってみたらどうだ」
 レムの言葉に、レイジは静かに頷いていた。


 女三人寄れば姦しい。
 六人寄れば、混沌が生まれ。
 八人寄れば……それはもう、止められる者など誰もいない事を示していた。
「でしょー! 全く、我が息子ながら情けないったらありゃしない!」
 相席となった女子高生と全く同じレベルで腹を立ててみせるひかりは、当然ながら一滴の酒も入ってはいない。
「そうなんですよー。なんか、キースリンちゃんが見ててかわいそうで……」
 彼女が聞いていたのは、キースリンに対する祐希の学校での態度について。
「キッスちゃん、森永くんのことでヤキモチ焼いてばっかりなのにねー」
 どうやら女子達から見れば、二人の関係はそんな風に写るらしい。
 猫をかぶるにも限界がある。
 そして、家の態度は外でも出る。
 つい先日彼女が注意したことが、既に現実の物となっていた。
「お父さんはクールで格好良かったけど、あれじゃ完璧超人どころか冷酷超人よねー。ファイティング・コンピュータかっての!」
「ひかりさん、それ微妙に分かりづらいです」
 真紀乃の言葉にジェネレーションギャップをついつい感じてしまうものの、そんな事はどうでもいい。
「そんなことより、キッスちゃんの応援だよ! ボク達で何とか出来ないかな……?」
 そう。まずは、そこなのだ。
「ひかりさん、協力してくれますか?」
「当たり前でしょ! 菫ちゃんも協力してくれるわよね?」
「え……? 私もですか……?」
 家、学校、バイト先の連携なくして、祐希の更正はありえない。さらに菫はひかりの後輩、その申し出を拒むことなど許されなかった。
「そうだ、ひかりさん」
 バイト先への協力を半ば脅迫レベルで取り付けたところで、晶がぽつりとその名を呼んだ。
「ひかりさんには、アレがあるじゃないですか……」
 言われ、ようやく気が付いた。
「そっか。アレ使えばいいのか……」
 面倒臭がりを地でいくひかりも、華が丘の住人だ。
 この街の住人だけが使える切り札を、無論彼女も持っている。
「水月屋。お主もワルよのぅ……!」
「いえいえ、四月朔日屋ほどでは……」
「なんでひかりさんじゃなくて、あたしに振ってくるのよ」
 そして、姦しいをはるかに越えた八人は、恐るべき計画をさらなる段階へと進めていくのだった。


 お百度参りが終わったのは、日が暮れる少し前のこと。
 一同と別れ、良宇が家に帰り着く頃には、とっぷりと日も暮れていた。
「ただいまー」
「あ、レイジさん。アニキ、お帰り」
 廊下でたまたま顔を合わせたのは、良宇の妹だ。
 小腹のご機嫌取り用の煎餅を咥えたまま、自分の部屋に戻ろうとしている所らしかった。
「そうだ。さっき父さんが帰ってきて、アニキに郵便が来てたって」
 良宇の父は郵便局の配達員だ。この家も配達エリアに含まれているから、郵便物を持ってくること自体は不思議でも何でもないが……。
「……オレに?」
 肝心の良宇に、手紙を送ってくるような知り合いはいない。果たし状の類なら心当たりがなくはないが、切手と住所のある果たし状など聞かないどころか、盛り上がりに欠けること甚だしかった。
 いつも郵便が置いてある玄関に戻れば、そこには確かに一通の封筒が置いてある。
「華が丘高校………?」
 そして差出人は、華が丘高校。
「とりあえず、開けてみたらどうだ?」
 何やら厳重な封がしてある上に、真っ赤な枠で親展の二文字が囲ってある。そこらのダイレクトメールとは、漂わせる空気そのものが違っていた。
「お、おう……」
 中身を破らないように一度明かりにかざしておいて、封筒の上部をびりびりと破いていく。
「………なんだ?」
 出てきたのは、一通の書類。
「……合格通知? 何で今更……」
 それは、華が丘高校の合格通知だった。
 もちろんこの家でただ一人、華が丘高校を受験した、良宇宛のもの。
「郵便事故じゃないの? 父さんもたまにあるって言ってたじゃない」
 高い精度を誇る日本の郵便システムだが、ベースはあくまでも人の手だ。ごくわずかな確率ではあるが郵便物が途中で失われ、届かなかったり配達が極端に遅れたりする事がある。
 それを郵便事故と呼ぶのだが……。
 どうやら良宇の合格通知で、そのごくわずかな確率が起きたらしい。
「まあ、足りんよりはいいだろう」
 もっとも、良宇は既に華が丘高校に席を置く身。いまさら『実は間違いでした』と言われれば困るが、『やっぱり合格してました』なのだから、特に問題はないはずだ。
「そういうもんか」
「それよりレイジ。レムから聞いたという話、聞かせてくれ」
 家の用事があるとかで、レムは最後までお百度参りの現場にはいなかった。ただ、家へと帰る直前に、レイジに茶道部結成の助けとなる情報を預けておいてくれたらしい。
「おう、そうだそうだ……」
 不要な書類より、まずは目先の茶道部だ。
 レイジもその言葉に従い、良宇にレムの話を始めていく。

 だが、良宇はその書類のある一点を見逃していた。

 書類の作成された日付は、入学試験の合格発表日当日。
 すなわち、良宇がローリから入学資格をもぎ取った四月初頭の、はるか前だという事を。


続劇

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