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18.武士の本懐

 普通科棟一年フロアの廊下を、巨大な影がのしのしと歩いていく。
 普通科棟に魔法科の生徒が来ることはほとんどない。すれ違う者が皆振り返る巨体は、そんな視線を気にすることもなくひたすらに歩を進め……。
 やがて止まったのは、ある教室の前。
「御免!」
 がらがらと鳴るサッシの音より、挨拶の声が大きく響く。
「どうかしましたか? このクラスに……番長はいませんよ?」
 叫ぶ良宇に、たまたま入口の近くで他の生徒と話していた女子が応じてくれた。話し相手は良宇の迫力に硬直したままだが、こちらの女子はそれほど驚いた様子がない。
「いや、このクラスに武士がいると聞いてな」
「……武士? ああ」
 その女子は、少し考えると……。
「武士! 武士はおらぬや!」
 教室の中に向けて、張りのある声を上げた。何か相応の訓練でもしているのか、さして大きい声でもないその声は凜と通り、部屋全体に響き渡る。
「ここにいるぞ!」
 その呼びかけに応じ、教室の隅のあたりで立ち上がるのは細身の影。
「何ですか? 五十公野さん」
 やってきた細身の少年は、以前レムと一緒に剣道部の体験入部をしていた少年だった。
「果たし合いの申し込みだそうですよ」
「……え?」
「いや、そうじゃなくってだな………」
 そこで、良宇はようやく気が付いた。
「……そうか。武士を目指しているというのは、お前か。竜崎」
 良宇の声で自称武士の側も気付いたのだろう。良宇の巨体を驚きもせず、むしろ軽く相好を崩してみせる。
「………維志堂くんか」
 維志堂良宇、三月三日生まれ。
 そして彼も、同日生まれ。
 さらに狭い華が丘のこと、生まれた病院も同じであった。密な付き合いがあったわけではないが、かといって知らない仲というわけでもない。
「で、何の用だい?」
「うむ。武士を目指すというなら、いい修行を教えてやろうと思ってな」
「……ホント?」
「やるか?」
 良宇の問いに、
「やる!」
 竜崎は即答。
(竜崎君、内容聞いてないみたいだけど……いいのかしら)
 ただ、黙っていた方が面白そうだと思ったので、五十公野の側からは特に何も言わないでおく。
「よく言った! なら、放課後校庭に来てくれ!」
「分かった!」
 茶道は、武士の精神鍛錬手段という一面も持つ。
 少なくとも、武士を目指すステップとして、全く違っているわけではない。
(やった! 維志堂くんみたいになれる特訓なら、ぼくも立派な武士みたいに男らしく……!)
 もっとも、少年が求めているのは、精神修養よりもまずは肉体的な鍛錬法だったのだが……。


 そして、放課後。
「茶道……部………」
 校庭の隅に置かれたパイプ椅子に腰を下ろしたまま、竜崎刀磨は呆然とそう呟いていた。
 募集ブースに着いた瞬間、入部届に名前は記入済み。武士に二言はないだろうと言われれば、間違いでしたというわけにもいかなかった。
「まあまあ竜崎君。結構美味しいし、美味しいよ」
「別に美味しいって二回言わなくて良いですよぅ……ビッグランドー先輩」
 お茶菓子を食べながらのビッグランドーのフォローにも、呆けたような言葉を返すだけ。
 精神修養も大事だとは思うが、まずは体を作りたい。そんなお年頃なのだ。
「ああ。いらないんなら、もらうね。お菓子」
 だが、出されたお茶菓子をビッグランドーにバクバク食べられている刀磨の様子を気にすることもなく、長机の良宇たちは渋い顔のまま。
「刀磨を入れても、四人か……」
 良宇に八朔、ビッグランドー。今日入ってくれた刀磨を入れても、正部員はまだ四名。
 今日が募集期間最終日だというのに、最後の一人がやってくる気配は……ない。
「せめて、副部員四人で正部員一人にカウントできるってぇんならいいんだけどなぁ……」
 兼部している部員は、レイジだけではない。他の部に顔を出しているウィルとキッスもいる。
 こちらも三人ではあるが、レムという心当たりもあるし、他にも数人なら何とかできないわけでもない。
「やはり、一年目は同好会から頑張るか……」
 今の構成でも、同好会としてなら活動できないわけではないのだ。顧問も予算も部室も付かないが、どれも茶の心を理解するために必ずしも必要なわけではない。
「おいおい。ここまで来て弱気か? 良宇」
「……そうだな、すまん」
 レイジの言葉に、良宇は伏せていた顔を上げる。
 まだ今日一日が残っているのだ。
 諦めるのは、最後の一日が終わった後で良い。
「校内を呼び込みして回るか……」
 回りに迷惑を掛けるような派手な広報活動は、生徒会から禁止されていた。だが、もはや手段を構ってもいられない。
「ビッグランドー先輩。二年で、何とか………」
 言いかけたところで、八朔は動きを止めていた。
「むぐむぐ……なに?」
「あの、そっちのちっこいのは……?」
 ビッグランドーの隣でお茶菓子を食べているのは、まだ白いままの刀磨ではない。
 八朔も良宇もレイジも、それなりに知った顔。
「…………?」
 お茶菓子を頬張ったまま首を傾げるのは、A組のセイルだった。
「こんな美味しいお菓子が食べられるなら、入っても良いってさ。サドーブ」
 そのひと言に頷くセイルの姿に、一同に衝撃が走る。
「なあ、ちっこいの……」
「お前、所属部……じゃわかんねえか。他のクラブには、入ってるか?」
 セイルはレイジの言葉にしばらく考えていたが……やがて、ふるふると首を振った。
 横に。


 五人の正部員と、三人の副部員。
「なら、この五人が正部員というわけね」
 その名が確かに記されたリストを見て、葵は満足そうに呟いた。
「五人、確かに。まだ……セーフですよね?」
 良宇の問いに葵が視線を送るのは、席に着いた小柄な姿だ。保健室の主である彼女は、大きめの職員用椅子で足をぶらぶらさせながら、ため息を一つ。
「……ギリギリだけど仕方ないわね。森永くん、これからは練習時間が短くなると思うけど、構わない?」
「はい。色々教えてくれて、ありがとうございました」
 そんな養護教諭の隣に座っていたのは、A組の委員長。
 良宇達がやってきた時には既にローリと何かをしていたようだが……。
「何やってたんだ、祐希」
「ちょっと、治癒魔法をね」
 A組で治癒魔法を使えるのは、今のところ晶とリリの二人だけ。ただ、どちらもB組のファファほど強い力は使えないと聞いていた。
 ならばせめて手数だけでもと、祐希は養護教諭にそれに値する魔法を習いに来ていたのだ。
「けど本当によく頑張ったわね、二人とも。テストも近いし、大変だったでしょうに……」
 だが。
「はぁ。まあ、何とか……」
 葵の言葉に重々しく頷くレイジとは対照的に、良宇は首を傾げるだけ。
「……維志堂君?」
「明日からテスト週間なんだけど……」
 クラブの募集期間が今日で終わるのは、単に明日からテスト週間に入るためだ。
 本来なら特に期間を区切る必要はなかったのだが、テスト週間に入ってからも勉強そっちのけで部員確保に挑む生徒が続出したため、現在はクラブの部員募集にも一定の制限が設けられている。
「…………おぅ?」
 良宇の返事は、芯を欠いた怪しげなもの。
 どうも、質問の趣旨を飲み込めていないらしい。
「テスト勉強はしてる?」
「しとらん」
 ただ、わかりやすい問いに対しては即答だった。
「バカ! そこは嘘でもしてるって言え!」


 良宇とレイジが帰ってきたのは、それから相当な時間が過ぎた後のこと。
「お、二人ともおかえり。どうだった?」
「ああ……何とか、オッケーもらえたぜ」
 レイジの表情には、疲労の色が濃い。パイプ椅子に力なく腰を落とし、ごくごく薄く入れた抹茶を口に運ぶ。
「…………苦え」
 薄いとはいえ抹茶である。あまり喉を潤すには向いた飲み物ではなかった。
「大変だったみたいだな」
 顔をしかめているレイジの様子に、八朔も苦笑。
「それよりニュースだよ、維志堂君。もう一人、正部員が来てくれたんだ」
 刀磨の言葉に首を巡らせば、出発する前にはいなかった少女が一人。
 キースリンではない。休み時間、刀磨を勧誘に行ったときに出会ったその少女は……。
「よろしくお願いいたします」
 刀磨のクラスの、五十公野だった。
 パイプ椅子に腰掛けてはいるが、一礼するその仕草は何かしっかりとした訓練を受けた、堂に入ったもの。
「五十公野散切……?」
 既に入部届も記入済み。その名をざっと目で追って、良宇は首を傾げてみせた。
「どうかなさいました?」
「いや。五十公野散開という奴を、知らないか?」
 そもそも五十公野という姓自体が珍しい。田舎だから遠い血縁の一族が集まっている可能性もあるが、生まれてずっと華が丘で暮らす良宇でも、それほど耳にする名字ではなかった。
「弟ですが……何か?」
「そうか。大神先生の所で、よく見るのでな」
 良宇自身がそう口数の多い方ではないから、あまり話したことはないが……確か、良家の子供だと聞いた覚えがある。
 その姉なら、彼女も何らかの作法を仕込まれているのだろう。先ほどの丁寧な一礼も、納得がいく。
「ああ、大神先生の門下のかたなのですね。でしたら、安心ですわ」
 散切は穏やかにそう笑い。
「ねえ、ビッグランドー先輩。散切さん……」
「うん。錬金術部とは、全然違うねぇ……」
 その一分の隙もない猫かぶりの様子に、ビッグランドーと刀磨は小さく感嘆の声を上げるのだった。


続劇

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