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9.越えるべき壁、挑むべき壁

 振り下ろされた爪を受け止めるのは、大きな盾。
「ナイスです! ルービィさん!」
 その背後から叩き込まれるのは、拳。
 砲撃の如き重く響く音に重なるのは、森から飛び立つ鳥たちの羽音だ。
「ロックベアまで降りてきてるんですか……」
 崩れ落ちた巨大な変異熊の姿に、ジョージは小さくそう呟くだけ。
 ロックベアは、もともと山岳の国との国境辺りの山奥に住む獣だ。この辺りの山に姿を見せるだけでも珍しいのに、人里まで降りてくるとは……。
「森って、そんなに食べるものとかなくなってるのだ?」
 もうすぐ冬が来る。
 冬眠の準備を始めるため、ロックベアが普段以上の食餌を必要としているのは理解できるが……秋の森なら、ロックベアの豊富な食欲を満足させる程度の食料はいくらでも手に入るはずだ。
「昨日、この辺りの森の中を歩いてた時は、木の実とかたくさん生ってたよ?」
 辺りを見回せば、金色に輝く麦畑が広がっている。今年は特に不作だとも聞いていないし、森の実りも同じ程度には期待できるはずだった。
「じゃあ、わざわざこんな所まで降りてくる原因が他に……?」
 ロックベアは、生態系の中でもかなり上位に位置する存在だ。
 以前、ガディアの近くの森にロックベアが現われた時は、近くに暗殺竜が来ていた所為だと思っていたのだが、既に暗殺竜は倒されている。彼等を脅かすような強力な存在がそうさいさい現われるとも思えないのだが。
「コウはどう思う?」
 ルービィの声にも、傍らでロックベアの注意を引き付けていたコウは言葉を返さない。
 ただ、山の向こうをぼんやりと眺めているだけだ。
「コウ!」
「ん? あ、ああ……」
「森で何か異変が起きてるかどうか、分かる?」
 このメンバーの中では旅の経験も長いコウだ。ルービィ達が考えるよりも、もっと別の答えを見つけ出せるかもしれない。
 けれど、赤いルードも静かに首を振るだけだった。
「……分からない。けど、ちょっと出掛けてくる!」
「あ、ちょっと!」
「晩までには戻る!」
 他のメンバーの答えを聞くより早く、コウは自身の武装を変形させて全速力で走り出す。
 向かう先は……森の中だ。
「どこに行ったのだ?」
「たぶん、魔晶石農場のあたりだと思う」
 ガディアの北部にあたるこの辺りから、コウの移動速度を考えれば、目的地までは大した時間は掛からないだろう。確かに彼女の基準なら『ちょっと』である。
「心当たりが?」
「……わかんないけど、ね」
 適当にぼやけさせて、ルービィは森の奥を眺めるだけだ。
「ボク達はどうするのだ? 調査を続けるのか?」
 三人でも調査は続けられるだろう。リントの支援もあるし、狼の群れやロックベアくらいの相手までなら、何とか対処出来るはずだ。
「よく分かりませんが、異変が起きている事は間違いないと思います。出来れば、ヒューゴさんかマハエさんか、詳しい人の意見が聞きたいですね」
 だが、ガディアでの秋を初めて迎える彼等三人では、経験不足は否めない。ロックベアが降りてくるのは異変なのか、誤差の範囲内なのか……それすらも、実のところ判断出来てはいないのだ。
 異変の可能性があるなら、早い内の対処も必要になってくる。
「じゃあ、戻る?」
 空を見上げれば、先程まで晴れていた空には雲が増えていた。もう少しすれば、雨が降り出すかもしれない。
「難しい所ですね。もう少し様子を見て回って、他に何か異変があれば戻ることにしましょうか」
 マハエの言葉ではないが、この手の予感はえてして当たってしまうことが多い。
 外れれば良いのだが……そう思いながら、ジョージ達は北に向かう街道をさらに歩き出すのだった。


「これで、おしまい……」
 店頭に掛けられた看板は、『準備中』を示すもの。
 これから夕方まで、『夢見る明日』は休憩時間である。
 ……本来の業務内容だけであれば。
「大変ですね。店をしながら、並行して屋台の準備というのも」
 準備中という事で店を出されたヒューゴの言葉に、律が浮かべるのは苦笑いだ。
「まあ、オーナーがやる気十分だからなぁ……」
 既に彼女は、ミスティと共に屋台の準備に向かっている。その合間には、先日のお菓子コンテストでの優勝者の義務として、秋祭りで配布するお菓子の指導にも顔を出しているはずだった。
「どこにあれだけの元気があるんだか。おっちゃん、ちょっと羨ましくならぁな」
 軽く肩を叩いてみせる律に遠慮がちに掛けられた声は、背後からだ。
「りっつぁん、マハエさん。今日はホントにお手伝いしなくていいんですか?」
 アギである。
 今日の彼のシフトは昼までで、午後からは休みになっていた。とはいえ、こなすべき仕事は祭の日までにいくらでもあるわけで……。
「非番の日はちゃんと休んでなって。まだこないだのアレで、本調子じゃないんだろ?」
 マハエの聞いた話では、先日の山岳遺跡の戦いで、アギは相当な消耗をしたらしい。日常生活や『夢見る明日』の手伝い程度なら問題ないが、しばらくは戦闘のような激しい動きや強力な術の使用は出来ないのだという。
「休むのも……仕事」
 そう言うセリカも午後からは非番である。もちろん彼女なりに、自らの役割を果たすつもりだった。
「そういうこと。そのぶん、バイト代はおっちゃんが貰っとくから」
「……ありがとうございます」
「なら行こうぜ、アギ!」
 小さく頭を下げて歩き出すのは、ヒューゴの隣にいたダイチの元だ。
 やはり昼食を食べに来て、準備中までずっと店に残っていたのだ。どうやらダイチの目的は、ご飯だけでなくアギにもあったらしい。
「……何かあるのか? あの二人」
 二人が走り去ったのは、『月の大樹』の方角だった。いつもと何となく違う、どこかよそよそしい雰囲気を漂わせていたのは……マハエの気のせいだろうか。
「まあ、自分達で何とか出来ることなんだろ。失敗も勉強だって」
「そりゃそうか」
 どちらも既に一端の冒険者だ。
 自分に出来る事、出来ない事は分かっているだろうし……例えその見極めに失敗したとしても、それはそれで貴重な経験となる。
「そうだ。ヒューゴも手伝うか?」
「いえ。僕はちょっと、予定がありまして」
 そう言い残し、ヒューゴも森の方へと消えていった。
 その背中を見送りつつ……律がポンと叩くのは、傍らの男の肩だ。
「残念。ならマハエ、頼むぜ」
「やれやれ。みんな、こき使うのだけは上手いんだよな……」


続劇

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