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10.アリス・リデルとハートの女王

 赤い三輪のマシンが停まれば、辺りに響くのは静かな滝の音だけだ。
 装甲を変形させて立ち上がり、ゆっくりと滝の前へと歩いて行く。
「やっぱり……姿は無いな」
 曇り空の下に広がるその光景は、先日の戦いの後に来た時と何ら変わりないものだ。水の流れも、アリスのビークが突き立った跡も、あの時と全く同じ。
 無論、アリスの亡骸も見つからないまま。先日もかなりの川下まで調査したが、何の手応えも得られずにいる。
 今日も近くの魔晶石農場の管理人に話を聞ければとも思ったが、彼女は街に出掛けていて留守だと言われてしまった。恐らくは入れ違いになってしまったのだろう。
「同族殺し……か」
 最後の一撃には、確実な手応えがあった。
 後のアリスの言葉も、半分は嫌がらせだろうが……残りの半分は、死を理解した彼女が最後の残した呪詛の言葉だったはずだ。
 その言葉は、悔しいが彼女の思惑通り、コウの体に呪いとして絡みついたまま。
「あれで……本当に終わりなのか。あたしの復讐は………ッ」
 苛立ちとも悔恨ともつかぬその言葉を聞く者は、誰もいない。 
 ただ静かに森の中を流れていくだけだ。


 そのはるか川下。
「フィーヱ。あったぞ」
 そこに流れ着いていたのは、一体のルードの体である。
「よくもまあ、今まで見つからなかったな」
 頭部は破壊されており、その表情を伺うことは出来なかったが……失われた片腕と、ボロボロの衣装からすれば、彼女が探していたルードに違いないはずだ。
「この辺りの川の流れは少々変わっておってな。水に落とした後、しばらくしてから浮かんでくるのじゃよ」
「なるほどな……。コウがおかしくなるわけか」
 コウが川下を調査していないとは思えなかったが、そんな事情があるなら見つからないのも理解できる。
「まったく。貴重なルードの体を何だと思うておるのじゃ」
 ルードの体は防水加工も施されているが、ここまで破損しては再利用できる部品もごくわずかだろう。不満そうに呟き、ディスは転がったままのルードの体をひっくり返す。
「そういう問題でもないだろ。貴晶石もないな……」
 胸元を確かめれば、そこに収まっていたはずの三つの貴晶石も見当たらない。
 頭部を破壊したのは、コウという可能性もある。だが、仮にアリスを倒したからと言って、コウが貴晶石まで抜くとは考えづらい。偶然に貴晶石化の技を使って彼女の貴晶石を奪ったのなら、今度は頭部まで破壊する理由が思い浮かばなかった。
 いくらアリスに強い怨みを抱いているといっても、そこまで出来る彼女ではないだろう。
「やはり、『ハートの女王』か……?」
 アリスが一度だけ口にした、仲間と目される存在だ。正体は分からないが、コウに倒された後のアリスの体を処分したとすれば、破壊された頭部も、抜き取られた貴晶石も、辻褄は合う。
「であろうな。証拠を隠したかったか、新しい体の目処があったか……」
 恐らくは前者だろう。
 砕かれた頭部には、記憶を留める回路の欠片が残っていた。新しい体に移すだけなら、記憶回路はまるまる引き抜いていくはずだ。
 北の集落のように相応の設備があれば、ルードの記憶を確かめる事はそう難しい作業ではない。それを確実に防ぐためには、記憶回路を物理的に破壊するのが最善の策だと言えた。
「記憶をその場で移した……という可能性は?」
「それも否定は出来ん。本人に直接聞くしかなかろうがな」
 そんな機材が現存していれば、不可能ではないだろう。だがその存在が分からない以上、想像だけで話を進めるには危険過ぎる領域だ。
「持って帰るのかよ」
 背負っていたサブアームでルードの体を抱え上げたディスに、フィーヱは僅かに声を上げる。
「これでも貴重なルードの体じゃ。ちょうど北の集落の工連が来ておるから、預ければ上手く計らってくれるであろ」
 貴重な記憶は失われたにせよ、ルードの体は古代遺産の塊だ。使える部品は使える限り次代に生かすのが、彼女達のやり方なのだった。


 仮宮とは、王族が仮に住まう宮殿や城砦を差す言葉だ。
 それを名乗るにしては随分と質素な廊下を歩きながら、仮宮の主は小声で呟いた。
「こんな所に抜け道が?」
 まとうのは、草原の国の騎馬服にアルジェントのローブ。豪奢な刺繍や加工も施されていないその格好を前に、彼女を王族と見抜ける者はなかなかいないだろう。
「最初に会った時に忍び込んだ道がね。……内緒よ?」
「ないしょ! あ、しーっだった!」
 アルジェントの呟きに、ナナトは答えるようにそう口にして……隠密行である事を思い出し、慌てて口に手を当ててみせる。
「ワシには教えて良いのか?」
 そして、殿を勤めるのは桃色の髪の小柄な娘だ。この中では唯一の部外者である。
「本当は良くないけど……まあ、モモなら悪い事には使わないでしょ」
 廊下を曲がり、食料庫に通じる地下への階段を下っていく。
「これは悪い事とは言わんのかの?」
「……自分で誘ったくせに、よく言うわ」
 そう。
 ノアの外出は、公式なものではない。
「シャーロットも自室に籠もったまま出て来んし、今のうちに少しだけの。祭の準備を見せるくらい、良かろうて」
 その悪い誘いにノアは応じ、頼まれたアルジェントは渋々といった様相で協力を申し出る事になったのだ。
(まあ……モモとナナトがいれば平気か)
 常人の刺客であれば、二人がいれば脅威にはならない。
 そして規格外の相手であるマッドハッターは、いまだ月の大樹で昏睡状態のままだ。王都の祭礼からすれば比べるのもおこがましいが、祭の準備というのも見ていて損になるものではないだろう。
 何より、塩田の勉強で仮宮に籠もりがちのノアにとっては、良い気分転換になるに違いない。
「こっちよ」
 食料庫の扉を開け、隠し扉の仕込まれた石壁へと歩み寄ろうとして。
「……?」
「どうかしました?」
 ノアの言葉に小さく首を振り、かつて侵入する時に使った石壁をゆっくりと開いていく。
 ここまで来れば、後は誰にも見つかる事は無いはずだ。
「……何でもないわ。こっちよ」
 かつて仮宮に侵入した時。
 協力者から、食料庫で見かけたと教えられていた、二つの鋼の棺。
 巨大なそれが二つとも姿を消している事に、アルジェントは整った眉をひそめてみせるのだった。


 十五センチの小さな娘から伝えられた言葉に、仮宮の管理者は思わず声を上げていた。
「……三人目を回収した? そんな指示、受けていませんよ」
「だから、今報告してるじゃないですか。今は隣の何とかって街に置いてますよ」
 長い金髪のカツラを手元で弄びながら、栗色の髪のルードは悪びれる様子もなくそう答えてみせる。
「それにしても、どうして今頃になって三人目を……?」
 もうすぐノアはこの街での研修を終え、本国に戻る事になっていた。マッドハッターが冒険者によって撃退され、その脅威も事実上なくなった今、確かに三人目を先に本国に引き揚げるのも判断の一つだとは思うが……。
 来た時と同様に、ノアの帰還と同時に行っても構わないはずだ。
「泰山竜ってご存じです?」
「記録で一度だけ見た事がありますが……それが何か?」
 唐突に女王の口から出てきた単語に、シャーロットは首を傾げるしかない。
「もしもの時のために用意してたんですが、もしもの時がなかったので持て余しちゃいまして。それがぼちぼち…………」
 言いかけた言葉を止め、傍らに突き立ててあった槍状のビークを引き抜いた。
 振りかぶると同時、その先端には赤く輝く魔石が生まれ。振り抜かれた槍から窓の外へと放たれるのは、力の塊の一撃だ。
「ちょっと! 何をやっているの!?」
 響き渡る爆発音に、シャーロットの声が重なり合う。
「いえ。何だか外にネズミがいたみたいだったので」
「……加減を考えなさい!」
 目の前のルードは、悪い事をしたという自覚など全くない様子でそう呟くだけだ。カップが空だったからお茶を足しました、程度のごくごく軽い調子である。
 だが突如起こった爆発に、窓の外には警備の兵達が集まってくる。
「シャーロット様! ご無事ですか!」
 部屋の外からもノックの乱打と共に、兵士の声が飛び込んできた。
「こちらは大丈夫です。何かの陽動かもしれません、周囲の警戒を!」
「はっ!」
 バタバタと去って行く兵士の足音を聞きながら、振り返ってみれば……。
「ハートの女王…………」
 既に、栗色の髪のルードはその場から姿を消していた。
 苛立ち紛れの舌打ちを一つすれば、それに応じるように乱打されるのは、またもや部屋の扉である。
「シャーロット様! 姫様がいらっしゃいません!」
 仮にハートの女王が一撃当てた相手がノアを狙っていたとするなら、早すぎる。陽動だとすればこちら側はもっと派手に動くだろうし、別働隊が場所を分からずに動いているようなら計画の段階で見直すべきだろう。
 ならばノア不在の真相とその犯人は、自ずと限られてくる。
「部屋の様子はどうでしたか。それと、アルジェント殿とナナトは!」
「そのお二人はまだ確認しておりませんが……部屋には争った形跡などは、ありませんでした!」
 別働隊の仕業ではない。
 そこまで見事に仕事をこなせる相手なら、ハートの女王に気付かれた陽動や別働隊はそもそも必要ないはずだ。偶然、二つの組織がノアを狙った可能性もないわけではないが……あのノアが、抵抗一つせずに攫われたというのは考えづらい。
「……その二人もいないなら、恐らくお忍びで屋敷の外に出ていらっしゃるのでしょう。兵を出して、殿下をお探しするように」
 お忍びで出掛ける事をそこまで咎める気はないが、事態が事態である。ノアには悪いが、間が悪かったと思って諦めてもらうしかない。
 面倒事をどう収めようかと部屋を出ようとしたその時だ。
「シャーロット様」
「まだ何か!」
 扉の外から三度掛けられた声に、流石に強い口調で言い返す。
「いえ、お客様がいらしていまして……セリカと名乗れば分かると」
「……玄関から?」
「…………はあ」
 言われた事の意味が分からなかったのだろう。兵士はシャーロットの問いに僅かに沈黙した後、やがて間の抜けたような答えを返してくる。
「細身のエルフの女性なら、お通しして。私の友人です」


 しばらくしてシャーロットの部屋に通されたのは、やはり彼女の知るエルフの娘だった。
「今日はどうしたの。いつもならそこから入って…………」
 言いかけ、そこで言葉を止める。
 まさか。
「……あれが言っていたネズミっていうのは、貴女だったのね」
 ぱっと見では気付かないだろうが、服の端々には煤を払ったらしき痕がある。恐らくは爆発に巻き込まれた時に付いたのだろう。
 丁寧に拭ってあるから普通は気付かないだろうし、彼女を通した兵士を責める気にはならない。そもそも忍び込もうとして追い払われた者が、真正面から堂々と入り直しに来る事など……普通はありえない話である。
「……さっきの話、本当?」
 端的なセリカの問いは、恐らくハートの女王が最後に語ろうとした物のこと。
「私も最後までは聞いてないから、どうするのかは分からないけどね。……ただ、彼女はアリス以上に加減を知らないようだから……」
 かつてのアリスなら、同じ技を放つにしても、もっと隠密性の高い技を選んだことだろう。
 それが、あれである。
 そんな加減も常識も効かない彼女がすると言ったら、本当に何かをするのだろう。
「セリカ。もう一度お願いしたいの。……力を、貸してくれない?」
 今のノアの周りには、味方になってくれる冒険者がいくらかいる。
 故に、勉強という名目で滞在期間を延ばしていたのだが……それももはや限界だろう。
 本国に戻れば、彼女を護れるのは自分やウィズワールの天候魔術師を含めたごく限られた側近だになってしまう。
「…………」
 けれど、セリカは静かに首を横に振るだけ。
「そう……」
「けど……」
 うなだれるシャーロットに掛けられたのは、親友であるエルフの短い言葉。
「冒険者には、依頼」
 その言葉に、侍従長は静かに顔を上げる。


続劇

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