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2.再び ラーゼニアへ

 夜空を悠然と翔けながら、操縦席に身を埋めたソカロは静かに呟いた。
「結局、これだけか……」
 眼下にあるのは、緩い編隊を組んで飛翔する獣機の群れだ。数にして、五十にも満たぬ。
 レッド・リアの侵攻速度が極端に遅く、決戦の地への先回りが可能だったとはいえ……それはあくまで獣機を基準にしての話。
 千メートルの巨神を相手に戦う術を持たない歩兵達は、崩壊した王都の処理に回し、戦えるものだけがこうしてレッド・リアに先行する形になっている。
「これでも、良く集まった方では?」
 耳元をふわりと包み込む獣機の声は、穏やかな少女の声だ。
「オルタ様……。そう、ですね」
 確かに、クワトロを倒した一撃を見た上でなお、この人数というのは……良く集まった方かもしれない。
 良く集まった人数で十分に戦えるかは、これから戦ってみなければ分からなかったが。
「ソカロ。お願いがあるのですが……」
「レッド・リア……ウォードのことですか?」
 優しい声が、ふと愁いを帯びる。
「……はい。それと、フィアーノの」
 その名に、ソカロは黒眼鏡の奥の瞳を微妙に泳がせた。
 二人はオルタの傍仕えだった事があるし、ソカロとフィアーノは浅からぬ因縁がある。しかし今は、レッド・リアを受け継ぐ者にして、赤の導き手……オルタ達の敵対者だ。
「戦いたくありませんか」
「……はい。出来れば、イルシャナお姉様とも」
 龍王のまとう超獣甲も、オルタが姉と慕う相手。ソカロも知らない相手ではないから、正直やりにくいのは確かだ。
「茨の道になりますぞ? 宜しいか?」
 だが、ソカロはオルタの剣。
「覚悟の上です」
 主の意志が決まっているのなら、剣たるソカロが迷うことなど何もない。
「ならば、茨は私が払いましょう」
 しかし、ソカロの言葉をオルタは静かに否定した。
「……私も、貴方と共に払います」
 一人きりの操縦席の中。
「御意」
 手のひらに、少女の温もりを感じたのは……気のせいだったのだろうか。


 狭い獣機の操縦席の中。寄せ合うようにして座る男に向けて、メルディアはぽつりと呟いた。
「母様も心配してらしたわ」
「……ああ」
 答える男の声は、短い。
「イーファ様の叔父様も、八方手を尽くして探してくれました」
「……ああ」
 非難の言葉に抗うこともなく。男は了解の意と共に、少女の非難を素直に受け入れる。
「でも、一番頑張って探してたのは、ご主人やけどな」
「ちょ……っ! グレシアは黙ってて!」
「……へえへえ」
 獣機の茶々に、思わず顔をそらすメルディア。
 グレシアの操縦は半ば自動になっているから、前を見ている必要はあまりない。
「見つかるわけ無いわよね。ずーっと、グルヴェアの地下にいたなんて」
 男から淡く朱に染まった表情を気取られないよう、メルディアはそっぽを向いたまま。
「……すまん」
 そんな娘の気持ちを知ってか知らずか。男も、少女に視線を合わせようとはしない。
「すまん、じゃないでしょう? これからどうするつもり?」
「そうだな。無事帰れたら……レヴィーに帰って、母さんの顔が見たいな」
 男はもともと研究者で、戦闘員ではない。
 本来ならば王都に残っていても良かったのだが、古代の遺物に関する知識を買われ、こうして娘の騎体に同乗しているのだ。
「そんなの当たり前でしょ。母様や叔父様には、ちゃんと謝って頂戴」
 視線を逸らしたまま、ふぅとため息をひとつ。
「それに、無事帰れたら……じゃないわよ。無事帰るのよ」
 そうだな。
 男は口の中で呟き、傍らの少女をそっと抱きしめた。
「なら、まずはお前に謝っておくよ」
「な……っ! や、やだ、そんな……っ!」
 抱き留めた腕に頬を染めて。メルディアは力なく拒絶の言葉を放つ。
「心配を掛けて、すまん。メルディア……」
「ぁぅ……」
 しかし、それ以上の言葉も、腕を振り払うこともない。父親の優しい抱擁に身を預け、胸元に小さな頭をことりともたせかける。
 こんなのも悪くないな。
 懐かしい温もりの中、ぼんやりと思った瞬間。
「ご主人ったら照れちゃって。可愛いー」
 混ぜっ返す従者の言葉に、緩みかけていた頬は一瞬で紅潮。
「グ……グレシアっ! ちょっと、見ないでよっ!」
 慌てて父親の腕を振り払い、狭い操縦席を飛び出ようとする。
「ウチの体内でンなことしといて……無茶言わんといて」
「おい、ちょっとメルディア。操縦桿……っ!」
「きゃああっ!」
 制御を失い、ぐらぐらと揺れる獣機の中。少女達の悲鳴が響き渡った。


 ミーニャは、失敗したな、と思っていた。
 飛べない彼女には、アークウィパスまでの移動手段がない。たまたま意気投合し、話も合ったイーファの獣機に便乗させてもらえることになったのだが……。
「…………」
 イーファは不機嫌そうな表情で、押し黙ったまま。
「…………」
 近距離通信の出来る間合で併翔する白銀の獣機も、通信回線を開いたまま、沈黙を保っている。
(空気が重いよぅ)
 銀の翼を持つギリューの主は、シェティスと言ったか。かつてはイーファの上官だったが、今はホシノのもとに身を寄せているのだという。
(御免なさいね、ミーニャさん)
(あ、ううん。気にしないで、ドゥルシラさん)
 耳元にふわりと響いた小さな声に、やはり小声で答えるミーニャ。
「…………先輩」
 ふと、イーファが口を開いた。
「…………何?」
 回線を開いたままのシェティスも、短く応じる。
 たったそれだけのやり取りで、さして広くない操縦席の温度が、五度は下がった気がした。
「アタシ、自分が間違ってるって、思ってませんから」
「……そう」
 イーファの言葉に、シェティスは小さく呟く。
「でも、先輩が間違ってるとも思ってませんから」
「ありがとう」
 けれど、と前置きし、今度はシェティスが言葉を紡ぐ。
「ドラウン様が望む以上、貴女との戦いは回避できないと思うわ」
 ドラウンが望むのは、果て無き戦いだ。それを邪魔する者を排除するのが、シェティスが自らに課した使命。
 そうすると決めた以上、曲げる気はない。
 例え相手が、かつての部下であったとしても。
「分かってます」
 シェティスの想いを否定する気はイーファにはない。己の想いを曲げる気も、ない。
「アタシの考えを知ってて欲しかっただけですから。それじゃ、失礼します」
「ええ。良い戦いを」
 やりきれない想いと共に、イーファは回線を切った。
「……はい」
 ゆっくりと離れていくシェティスを見つめるイーファに、ミーニャは掛ける言葉を見つけることが出来ない。
(それぞれの正義……か)
 代わりに、その言葉ひとつ、口の中で転がすだけだ。


 少し離れたところを飛翔する重装獣機の中は、別の意味で緊迫状態にあった。
「……ロゥ」
 極北の氷河さえ凍てつく声が、操縦席に響き渡る。
「んー」
 その冷たさの意味が理解できないのか、ロゥは平然と答えるだけだ。
「何、これ」
 ハイリガードの機体内の生命反応は、人間が二つと獣機が一つ分。
 一つはロゥで問題ない。
 残りの一つが問題だった。
「これとか言うなよ。失礼だろ」
「言いたくもなるわよ! 何でその子が、ロゥの膝の上でぐっすり寝てるのよ!」
 ロゥの膝の上では、幼子がくぅくぅと寝息を立てている。獣機の飛行は大半が自動操縦だから、これといって支障はないが……。
「このネコが飛べないって言うんだから、しょうがないだろ」
 獣機が転じた仔猫は、幼子の腕の中。
 グルーヴェの獣機は全て飛行能力を持っているが、スクメギには飛行能力を持たない騎体も数多い。
「それに、コーシェとネコの実力は、お前もよく知ってるだろ?」
 どちらも子供にしか見えないが、コーシェは一流の魔術師だし、ネコもハイリガードと互角に戦うほどの力を持つ。
 かつて、白の箱船との戦いでも重要な役割を果たした、ひとかどの戦士だ。
「そういう問題じゃなくて! なんで膝の上……」
「だって、オマエの中、狭くてキツいし……」
 横に詰めて座るより、軽いコーシェを膝の上に乗せた方が楽だった。小柄な娘だから、さして邪魔にもならない。
「そうじゃなくて! コーシェを乗せるなら、お姉さまやグレシアさんだっているでしょ!」
「イーファはミーニャを連れてるし、メルディアは……親父さんと一緒にさせてやれよ」
 あっさりと返された反論に、短くうなり……。
「そうだ! シグやカヤタさんだっているじゃない」
「ベネもクロウザさんも、子供苦手なんだとよ。イシェファゾやマチタタも乗ってるし」
 人見知りするコーシェも面識のない相手は嫌がったため、ロゥのもとにやって来たのは半ば消去法に近い。
「だからって!」
 大声を上げていると、ロゥの膝の上で娘が小さく身をよじる。
「ふにゃ……どうしたの、お兄ちゃん」
「いや、何でもねえ。大丈夫だから、ゆっくり寝てろ。コーシェ」
「ふみゅぅ……」
 寝ぼけていただけなのか、すぐにロゥに身を寄せ、寝息を立て始めるコーシェ。
 しかし、ハイリガードにとってもうそんな事はどうでも良かった。
「お……お兄ちゃんって何よーーーーーーっ! ロゥ、そんな趣味があったわけ!?」
「俺じゃねえよ。コーシェから、そう呼んで良いかって」
 身寄りのない寂しさは、ロゥも分からないでもない。故に、軽い気持ちで承諾したのだが……。
「あたしでさえ呼んだこと無……ひぁっ!」
 激昂した心のまま、思わずそう言いかけて、慌てて口をつぐむ。
「……なに? 呼びたかったの?」
 だが既に時遅し。
「別にいいぜ。ロゥお兄ちゃん、って呼んでも」
「……ッ!!!!」
 計器の一部が振り切れ、騎体がバランスを一瞬失う。
「うわ、ちょっと待てっ! そんな揺らしたら、コーシェっていうより俺が死ぬっ!」
 ぐるぐると回る視界の中、ハイリガードの叫びが夜空に響き渡った。
「ロゥのばかーーーーーーーーーーーーっ! 死んじゃえーーーーーーっ!」


 きりもみしながら落ちていく二騎の獣機を眺めながら、ベネはやれやれとため息をついた。
「……何やってんだい、あの莫迦どもは」
 どちらも半分程まで高度を下げたところでようやく体勢を立て直し、ふらふらと戦列に復帰する。
「シグもカヤタも大丈夫かい?」
 皆、グルヴェアの防衛戦から戦いっぱなしだ。ベネ達は移動中はこうして座っているだけだが、移動手段も兼ねた獣機達は朝から全く休んでいないことになる。
「はい。こうして翔んでいる分には、大きな消耗はありませんから」
 決戦の前に少しでも休ませられれば良いが……と、カヤタの言葉を聞きながら思う。
「それより、ベネ達は寝なくて良いの? もう夜だし、アークウィパスまでまだ結構かかるよ」
 既にレッド・リアは追い抜いた。監視部隊の報告では、周囲にこれといった被害を及ぼすこともなく、ゆっくりと進撃しているのだという。
「向こうに着いたら、朝まで少し寝かせてもらうよ。このペースなら、ヤツが着くのは夜が明けてからになるだろ」
 転移魔法を使うなどという反則技をしてこない限り、数時間のアドバンテージを得られるはずだ。
 そこが、皆の最後の休息になる。
「そうだな……」
「アンタは先に寝ときな、イシェファゾ。向こうに着いたら、私達が寝てる間に雅華達としっかり働いてもらうんだから」
 シグの同乗者であるマチタタは、ベネの隣で既に丸くなって眠っていた。自分に出来ることとすべきことを把握している良い例だと、少しだけ感心する。
 ちなみに雅華は部下のギリューに同乗しているらしく、ここにはいない。
「けど、カヤタの中は大丈夫なのかい? シグの中、マチタタと二人でも結構狭いんだけど……」
 獣機は基本的に一人乗りだ。こういった状況は特に想定されていないらしく、操縦席に二人入ると居心地悪いことこの上ない。
 そこに、二メートル近い男二人が詰め込まれているなど……あまり、想像したい風景ではなかった。
「ああ。ここ、俺一人だから」
 だが、通信機の向こうから届いた言葉は、ベネの予想を裏切るものだった。
「はぁ? クロウザは?」
「外……」
 水晶盤に映し出される外の光景を調整すれば、カヤタの肩部装甲に小さな影が見える。
「おい、クロウザ。操縦は……」
 外部音声でそう声をかけようとして、外部への出力がカットされていることに気付く。
「シグ、何で切ったんだい?」
 ベネは触っていないから、犯人は獣機本人だ。
「だってあの人、寝てるみたいだったから……」
 そう呟き、映る光景を望遠に調整。
「……おいおい」
 確かにシグの言うとおり。
 風吹きすさぶ獣機の上で、あろうことか男は静かに眠っていたのであった。



続劇
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