1.トリスメギストスの焔神 彼らの前に立つのは、白い鎧をまとった龍族の老爺だった。 「龍王さま……」 少女の掛ける言葉に覇気はない。 戸惑いと、驚き。それに少しの悲しさを加え、覇気とは対極にある想いに浮かべて紡ぎ出されるだけ。 「案ずるな、レヴィー・マーキスの娘よ。まだ、貴様らと戦おうとは思わんよ」 対する龍王の言葉に、迷いはない。 皓く輝く鋼の鎧をまとい、悠然と眼前の巨神を見上げるのみ。 「せや。まずはあっちやろ」 龍王の傍らに控える初老の男も、ニヤニヤと嗤いながら顎で巨神を示す。普段はだらしない平服を着流す彼も、今日ばかりは青銀の装甲をまとっていた。 「その言葉、信じて良いんだな? ホシノ」 「今アンタらを滅ぼした所で、ワイらにゃなーんの得もないで。姉ちゃん」 背には、崩れ落ちたグルヴェアの王城。 右手には、地に堕ちた天空の城。 左手にあるのは、この地に残ったわずかな味方……いや、この戦いが終わった後は、滅ぼすべき相手。 龍王本人の手勢は、自身を入れてもたったの二人だ。これ以上、巨神と戦える者を減らす理由はない。 少なくとも、今の所は。 「そうか」 ホシノの言葉に、双剣を提げた少女は一息。 「ベネ、大丈夫なの? ホントに」 「大丈夫だよ、イファ。連中は信じて良い」 無論、今の所はね、と続けることは忘れなかったが。 損得勘定で動く人間の挙動を予測するのは、ある意味容易い。手駒として役に立つ間は、ホシノ達がこちらの背中を狙い打ちすることはないだろう。 その瞬間。 「ベネ! 動き出した!」 心の中に、声が響く。 「……なに!?」 見れば、周囲はレッド・リアの挙動を息を飲んで見守っている。 すり足で向きを変えつつ、両腕をゆっくりと天にかざす。緩慢な動作だが、大きさが常識の比ではない相手。指先に至っては音速を超えているらしく、雲を曳くほどだ。 構えた体はこちらと全くの逆。白い弧を描き、二本の腕は天を指したまま。 「こっちじゃないのか……シグ、どこに撃つつもりか分かるか?」 見る限りは手刀か、大剣を大上段に構えた姿に近い。しかし、倒すべき相手は背中の側。 「何であたしに聞くのよぅ」 手のひらは手刀の構えで、そのまま両側に振り下ろせる位置にある。 「む……っ」 「ラピス! 特例事項第二項発令! レベル3起動!」 「特例事項該当承認。イエス、マスター」 それが何かを悟ったか。漆黒の影と、蒼い獣甲をまとっていた男の二人が、いきなりその場を飛び出した。 背中の放出器を展開し、一気に最大まで加速。 「クワトロさん! クロウザさん!」 誰かがそう叫んだときには、共に豆粒ほどの大きさになっている。 「あの方向……ココと、セルジラか」 「……え?」 龍王の呟きに、誰かが気付いた刹那。 巨神の両腕と天を、閃光の柱が繋ぎ止めた。 その光景に、誰もが理解する。 巨神にとって、グルヴェアからココ……たかだか数百キロの距離など、目と鼻の先にしか過ぎないということを。 「ドゥルシラっ! メルディア!」 「しまった!」 「ダメ、間に合わな……っ!」 慌ててイーファ達が駆け出すが、既に遅い。 状況を察知し、駆けだしたのは、自分を含めてたったの二人。 正直、まあまあだな、と思う。 「クロウザ。あんたは戻ってな」 その一人に声を投げかける。 「……貴公」 黒い翼は、こちらの全力に調子を合わせるように加速していた。まだ、クワトロを比べても十分な余力があるらしい。 「まあ、見てなって」 そう笑えば、黒い翼は言葉なくスピードを落とし、視界の向こうで反転する。 「そうだ。それでいい……」 呟けば、背中が熱い。 過負荷のかかった装甲鈑が溶けかけているのだと、クワトロは理解していた。 しかし、それでもいいと、男は思う。 「ラピス! もっと迅く!」 代わりに、そんな命令を甲冑に向けて叩き込む。 「騎体限界をオーバーしています。これ以上は、マスターの体が持ちません」 「そんなものどうでもいい! リミットを全解除しろ!」 承諾の声と共に、視界がすぅっと暗くなる。圧倒的な加速に、脳を巡るはずの血液が、一気に足元まで押し下げられたのだ。 「装着者の危険値上昇。耐圧調整薬、投与します」 ラピスの言葉が理解できぬ内に、徐々にだが暗転しかけた視界が戻ってくる。 ぼうっとした意識で風防の端を見れば、巨神の両腕に無限の長さを持つ閃光の刃が解き放たれたのが見えた。 鋼の関節が軋みを上げ、振り下ろすための反動を溜めているのだ。 それが、振り下ろされた。 「ラピス!」 二本同時に止める気はない。 狙うは、一本。 「了解」 背中が燃え上がるのが分かる。 意識があっさりと飛び、内に秘めた想いだけが、体を制御する。 高速の世界、視界の色など既に無い。 敵の正面に躍り出たところで、急停止を叩き込みつつ半回転。 「……護るくらいは、させてくれよ……?」 灰に染まった世界の唯一の光。真正面から下される刃を敵と認識し、双手の銃口を構えた。 既に銃は変形を終え、内部機関を完全に展開済みだ。 「消滅ろっ!」 引き金を引き絞る。 「街消しッ!」 絶叫と共に爆裂する世界の中。 砕け散る双銃と。 放たれた二つの光球が。 クワトロの見た、最後の光景だった。 二つの光球が、ココに向けて振り下ろされた光刃を直撃する。 爆発と共に放たれた光球は、光の刃をしっかりと受け止め、押し返そうと輝きを解き放つ。 二つの力の拮抗は。 「な……っ!」 光球が断ち切られることで、あっさりと終焉。 「押しきられた……だと?」 下された光の太刀はクワトロの爆煙までも両断し、何事もなかったかのように大地に破壊の二文字を刻み込んでいく。 「クワトロさんっ!」 やがて衝撃波が世界を包み…………後に残るのは、深く刻まれた二条の傷跡のみ。 「バカな……レベル3だぞ……?」 クワトロの最期の一撃は、恐らくフェーラジンカの『葬角』と同じレベル3。一点集中で放つ技なら、範囲攻撃の葬角をはるかに凌ぐ威力を持つはずだ。 その直撃を受けてなお、ひるむどころかやすやすと押しきるのが……。 「レッド・リアの力……」 大きさだけではない。 力の桁が違う。 「龍王さま。グリムゲルデとの通信、途絶えましたで。ココとビッグブリッジの損害、不明ですわ」 「ジャミングか……抜け目ないの」 龍王のまとう獣甲の通信機能も、先程からノイズばかりが乗っている。はるか天空から戦況を見守るグリムゲルデがどうなったかは分からないが、強力な通信妨害が掛けられているのは間違いない。 やがて戻ってきたのは、黒い翼の獣機使い一人だけだった。 「クロウザ! クワトロさんは?」 慌てて駆け寄る一同の問いにも、無言で首を振るだけだ。 「……そんな」 「それで、止められなかったなんて……」 「終の型でさえ止められぬとはな。少々、相手を侮っていたかもしれん」 クワトロは、どこかでそれを理解していたのだろう。だからこそ、余力を残すクロウザを戻し、自分一人の砲撃で止めようとした。 「ですが、これはある意味チャンスでしょう」 ふと、一同の奥にいた長身の男が口を開く。 「ソカロ? 一体何を……」 「あれだけの大技を撃った後です。今なら、多少なりとも隙があるのでは?」 「なるほど……」 相変わらず、レッド・リアの動きは緩慢なままだ。大量のエネルギーを消費し、素早い動きが出来なくなっているのだろうか。 「今突入すれば、血路を開けるかも……か」 クワトロの犠牲を無駄にはしたくない。 「……大技?」 が。 「あ奴にとってあの程度、技の内に入らぬぞ?」 「……何ですって」 龍王の言葉に、一同は言葉を失う。 「素振りほど気軽なわけではないが……肩慣らし、といったところか」 「バカな……」 ほんの肩慣らしで、クワトロが破れ、ココとセルジーラは一撃を食らったというのか。 それこそ、こちらの常識を越えている。 「だから言ったであろ? 貴様らを今倒したところで、我らに利はないと」 やがて十分な力を取り戻したのか、レッド・リアはゆっくりと浮かび上がり、ゆるゆると移動を開始する。 「レッド・リア……移動を開始します」 装甲の表面に時折紫電が走って見えるのは、防御の結界を張っているからだろうか。 「目的地は、この方向からしてラーゼニア……アークウィパスと思われます」 |