18.グルヴェア崩壊 塔の街グルヴェア。 戦場を広く見渡す城門塔の下では、泥沼の戦を一気に終焉へと導く会談が行われていた。 「「オルタ様……」」 静かに立った少女の前。同じ動作で膝を折るのは、同じ装いをした同じ顔の女。 下げる剣の位置だけが、対称の位置にある。 「コルベット。苦労を掛けましたね」 「「いえ」」 労いの言葉に振る首の動きも、全くの同一。正面に立つオルタを軸に据え、見事なまでの同調を示す。 「ですが、フェーラジンカとの和解は成りました。これからは、共にグルーヴェの発展に尽力してくれる事を望みますよ」 その少女の後ろで膝を折るのは、二人の男だ。一人は軍服をまとう鹿族の男、もう一人は背に小振りな翼を持つ、獅子族の男。 コルベット達と同じく、オルタを軸に対称の位置にある。 「皆、構いませんね?」 「御意」 オルタの言葉にフェーラジンカは大きく広がる双角を揺らし。 「仰せのままに」 ジークベルトは、軽く頭を下げてみせる。 どちらも、同意の意思表示だ。 「コルベット?」 しかし、続くべき双子貴族の言葉がない。 不審に思ったオルタがもう一度その名を呼んだ時。 「我らを!」 「たばかるでないわ!」 双子貴族の口から、連なる言葉が放たれて。 「「この、木偶人形めがっ!」」 続く言葉は全くの同一。 重なる言葉と共に、抜き打ちの銀光が奔る。 「きゃあっ!」 かすったのは右の一条のみ。オルタには珍しい反応の迅さで、僅かに身を退いたせいだ。 オルタは慌てて斬りつけられた右腕を押さえるが、白い繊手からは赤い血があふれ出してくる。 「「貴さ……ま……? バカな、オルタ・リングは確かに地下に……」」 その予想だにし得ぬ光景に、細剣の斬撃を放った双子自身の動きが止まっていた。 地下にいるはずのオルタがここに居るわけがない。だからこそ、幻を絶つ破術の斬撃を叩き込んだ……はずだったのだが。 「殿下!」 駆け寄る兵士達に心配ないと微笑む少女の姿は、確かにオルタ・リングのもの。 「貴公! 血迷ったか!」 衛士達が呆然としたままのコルベットを取り囲み、抜き放った剣を奪い取る。長杖で押さえ付け、身動きを封じた所で。 「くっ……」 突如巻き起こった力持つ風に、衛士達は吹き飛ばされた。 「「逃がさぬ!」」 双子のコルベットは、共に懐に潜ませた短剣を引き抜いて鋭く跳躍。自ら起こした風に乗り、オルタの守護に回った兵士達を跳び越えて、再び少女に斬撃を叩き込む。 「「消えろ! 偽物がぁぁっ!」」 だが、無論その一撃は届かない。大気裂く雷光が二人を打ち据え、角質の刃が二人の貴族を四つに両断する。とっさの反応だ、ジークもジンカも手加減する暇などない。 胴と脚、腕と腰は二転、三転と大地を転がり、双子の貴族は屍と化して動かなくなる。 「本物の殿下は、やはり地下か……」 傍らのジンカにしか届かぬ声でジークが呟いた、その瞬間。 「聴いたぞ……」 聴くに耐えぬひび割れた声と共に。めき、という肉の膨らむ音が響き、転がった胴が動き出す。 「やはり、そやつは偽物か……」 呪詛の如き昏い声と共に。ごり、という骨の軋む音が鳴り、分かたれた腰が脈動を打つ。 「まさか、コルベットも……!?」 切断面からは既に肉芽が覗き、絶たれた腕や足を再び創り上げるべく膨脹と再生を開始している。鮮血をまとい、目に見える早さで成長を続けるそれは、奇怪を通り越して神秘的でさえあった。 力を失い、ぼんやりと開かれていた口も、今は笑みの形に歪み始めている。 「……再生か。カヤタ!」 その瞬間、辺りに風が吹き抜けた。 抜ける疾風は男の手の中。渦動を描き、砂塵をまとって見えない螺旋を翔け昇る。 塵風。 通り名の由来たるその力を、黒外套の怪青年は縦横に支配する。 「「何……!?」」 嗤う屍体の唇が驚愕の形に歪んだのは、それからすぐの事だった。 膨らみかけた肉芽の動きが止まっている。 再生が、働かない。 「悪いが、その再生術には覚えがあってな。封じさせてもらった」 血塗られた肉芽は、今はクロウザの吹き上げた砂塵にさらされ、赤黒い泥状の覆いをまとっていた。 「「がぁァァぁぁっ!」」 続くのは耳を覆う絶叫。 本来、再生とは非常にデリケートな作業だ。人間の小さな傷でさえ、治るまでには丁寧な治療が欠かせない。 そんな精密作業を超高速で行う場所を、異物の塊である塵芥で覆い尽くせばどうなるか。 「く……っ」 周囲に漂い始めた悪臭に、ラピスさえも鼻を覆う。 超速の再生が行われるのと同じ速さで化膿が進んでいるのだ。既に生体を保てる限界を通り越し、壊死が始まっている箇所すらある。 「青……め。貴様らのやる事……ハ……いつも……」 複製体さえ生み出す超再生も、一度つまずけば転がり落ちるのはすぐだ。 「シュライヴ……さ……ま……」 腐り、崩れていく体を骨の強度だけで持ち上げ、双子の異形は主の名を口にする。 「ご苦労様。よくがんばったね」 その声に応えたのは、唐突に現れた少年の姿だった。 それは、一同に驚きを与えるのに十分な名と姿だった。 「シュライヴ!?」 名を知る者は、名前そのものに。 名を知らぬ者は、気配無く現れた姿に。 驚きに、動きを封じられる。 「お初にお目に掛かる。僕はシュライヴ・イグゾドレートゥ。君達の言う『赤の後継者』を導く者だ」 誰が見てもただの子供だ。しかしその表情には、数百年を生きた爬虫類のビーワナでさえ出せぬ、昏い笑みが潜んでいる。 と、異質な笑みを張り付かせた少年が、ふと後ろを向いて微笑んだ。 「この体は幻だ。いつかみたいに口封じをしようとしても、無駄だよ。獣王」 見透かされたように言われ、彼の背後にいた中年男はやれやれと苦笑。愛想笑いに隠されて、獣爪を納めるその手が微かに震えている事に、誰一人として気付かない。 「何の用だ! コルベットを助けに来たのか!」 「彼女は十分な働きを示した。ここで助けるのは、野暮と言うものだろう?」 半ば骨と腐肉の塊と化した物体を見下ろし、シュライヴは静かに呟く。少年の闇を帯びた瞳には、怒りの焔も悲しみの涙も浮かんでいない。 「ただ、君達にいくつか話があってね」 あるのは、名状しがたい笑顔。 「話だと?」 「まず、そこのオルタ・リングが偽物だという事」 言葉と同時、オルタの体がはじけ飛ぶ。 悲鳴と共に散らばるのは、内側から引き裂かれたドレスの白と、仕込まれていた血糊の赤。そして木片の転がる虚ろな音と、陶器の欠片が砕ける軽い音。 シュライヴの視線の端に映るのは、崩れ落ちる少女の姿だ。木偶を操っていた人形遣いにも、いくらかのダメージが伝わったらしい。 「それから、本物のオルタ・リングは僕達の元にあるという事」 悠然と呟く少年の言葉に、辺りにざわめきが走る。しかしそれは予想通りの反応なのだろう。シュライヴは昏い笑顔を崩す事もなく、言葉を続けるのみだ。 「もともと彼女は我々赤の後継者の女王だ。我らが迎えるのは当然だろう?」 だが、この言葉に動揺する一同には、流石に気分を良くしたらしい。今度こそ満足な表情を浮かべ、さらに追い打ちの言葉を叩き付けた。 「そして、君達の祖先が僕達に何をしてきたか、という事さ。聞きたくないかい?」 視線の先には虎族の男の姿がある。 相変わらずだらしない苦笑だが、シュライヴはその瞳に暗い焔が宿るのを見逃さない。 「聞かせて……もらおうか」 押し殺すように呟いたのは、この場の長たるフェーラジンカだった。 地中の市街地を翔け抜けながら、マーキスは静かに呟いた。 「遙かな古代、我々の祖先は星々の彼方からフェアベルケンにやってきた」 既にロゥやイーファ達との合流も果たし、マーキスも獣機化したグレシアの手の中にある。 「それくらい知っているわ」 青の箱船は辿り着いた地にフェアベルケンと名付け、永い時を掛けて切り開いたのだという。 そして、開拓の大半が終わった後、青の一族は一つの行動に出る。 「やがて、青は共に星々の海に漕ぎだした仲間を呼び寄せた」 安住の地を探す仲間達に、自らの見つけたフェアベルケンの地を分け与えるために。 その呼び掛けに応じたのが、赤。 「そして戦いが起きたのよね?」 戦を好み、略奪を常とする侵略者。 彼らの暴虐から身を守るため、青も剣を取ったと。そう、歴史の裏の歴史は語る。 だが。 「僕達もそこまで野蛮じゃないよ」 塔の街の前で。 誰かが呟いた言葉を、シュライヴは静かに否定する。 「彼ら赤は、一つの約束と引き替えに、青に多くの技術を分け与えた。フェアベルケンに住まう代価としてね」 赤のもたらした鋼の兵士は、フェアベルケンの開拓を飛躍的に加速させた。 青が創り出した獣化人類。『ビーワナ』の異能をより効果的に引き出す術も、戦いの技に長けた赤の一族が伝えたものだ。 「もちろん、赤の僕達も多くの有益な技術を教わった。仲良くやっていたのさ」 筆頭に上がるのは、生物の構造を操る技。赤のビーワナを造った技術の基礎は、青からもたらされた物だ。 「やがて、多くの技術の交換と十分な開拓が終わった後。赤の箱船はもう一つの使命を果たすため、再び宇宙に旅立つ事を決めたという」 そこが、歴史の分岐点。 マーキスのノートにあった、歴史の真実。 「もう一つの使命?」 クワトロの問いに、シュライヴは静かに答える。 「約束の地……スピラ・カナンを目指すために」 「スピラ・カナン……って、空の上の、アレか?」 だが、話を聞いていた全て者のが思い浮かべた伝説の空中都市は、たった一言であっさりと否定された。 「違う」 「あんな偽物じゃないよ」 偽物。 わずか一言で、断じられる。 「僕達に叡智の証『Gディスク』を授けた存在の住まうという、約束の地。この世界のどこかにいる彼らに再び巡り会うため、僕達六隻の箱船は造られたんだ」 星辰の彼方に住まう彼らに『答え』を示すために。 彼らに与えられたGディスクを持ち、彼らに辿り着ける力を得たのだと、応える為に。 シュライヴ達六隻の箱船は、果て無き宙へと漕ぎだしたのだ。 「その出発を、青は止めたの?」 「止めはしなかった。それが約束だったからね」 問い掛けに、少年は首を横に。 「だが、協力は拒んだ」 箱船は宙で造られ、宙へと漕ぎだした。星の持つ重力の枷を自力で脱するようには、造られていない。 ひとたび地上に降りた箱船が再び宙を翔けるには、今まで以上の力が必要となる。 「赤の箱船が再び宙へ飛び立つためには、Gディスクの力が二枚ぶん必要だった。青の長は、約束だった『青のGディスク』を渡す事を拒んだのだ」 マーキスの表情は、静かなものだ。 「そして、僕達を滅ぼした」 シュライヴの表情にも怒りはない。 「平穏を乱すものとして……ね」 赤の指導者が静かに見下ろすのは、骨と腐肉と化した、自らの下僕の姿。 平穏を乱すものとして滅ぼされた、同胞の骸。 その話を聞く獣王は、沈黙を守ったまま。 「だから僕達は貴様らを許しはしない。偉大なる聖地の名を騙り、天空にのうのうと住まう龍王と、眷属をね!」 その言葉と同時。 「みんな! 逃げてっ!」 地表へと辿り着いたグレシアが天高く翔け昇り、放たれたメルディアの警告がグルヴェア中に木霊する。 「もう遅い!」 追いすがるシュライヴの叫びと共に生まれるのは、大地を赤く灼く焦熱の輝き。 熱された大地が泡立ち、溶けて、あっさりと自壊。数秒と保たず、内圧に負けて炸裂する。 間欠泉の初弾は灼熱の土砂。 悲鳴と絶叫に覆われた世界に打ち込まれる次弾は、超熱量を持つ重粒子の砲撃だ。 分厚い地層を貫き現れた閃光は、射線にあったコルベットの屍を焼き尽くし、極大の光槍となって天と地をまっすぐに繋ぎ止める。 |