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19.レッド・リア浮上

 グルヴェアより遠く離れた地、ココ。
 王城の奥。穏やかな陽光が差し込む庭園に金属の硬質な音が響き渡ったのは、その時だった。
「!」
 テラスの床に落ちた、小さなフォーク。
 フォークを床に落とすなど、誰にでもある事だ。普段なら気に留める事もない。落ちたフォークを取り替えてもらい、それで終わりなはず。
「どうしたの、トーカ」
 だが、同席していたシーラは、思わずそう問うていた。フォークを落とした本人の表情が、実の姉であるシーラ達でさえ見た事もないほどに青ざめていたからだ。
「空が……落ちるって」
 震える体を自ら抱きしめ。ココ王国の末姫は、血の気のない唇で小さく呟く。
「何ですって?」
 アリスがトーカの小さな体を優しく抱いてやれば、彼女も姉の胸元にきゅ、としがみついてきた。眠気さえ誘う柔らかな陽差しの中、少女の体だけが、底冷えのする冷たさを帯びている。
「アシュレイが言ってる。ここが、歴史の分岐点になるって」
 妹の託宣に、二人の姉姫は揃って息を飲んだ。まだ若いとはいえ、二人も古代より歴史を紡ぐ七王家の一族。その言葉の意味は、痛いほどに良く分かっている。
「陛下!」
 そんな、にわかに緊張をはらんだ茶席に現れたのは、蛇族の老爺だった。
「どうしたの、リヴェーダ」
 アリスの庭園、しかも姉妹揃っての茶会に闖入する無礼者など、ココ王城には存在しない。王家三代に渡って仕える老爺が、その不文律をあえて破るという事は……。
「スクメギのメティシスから言霊にございます。スピラ・カナンとの交信が断絶、封印の効力が急速に低下中だと」
 未来視は、わずか数分で具現化した。
「トーカの言葉通りね」
「では……レッド・リアは」
 トーカの予知が正しいなら、その先は言うまでもない。
「姉さま」
 弱々しく姉を見上げる末姫の頬を、アリスは優しく撫でてやる。
「大丈夫よ、トーカ」
 そんな二人をそっと抱き、ココ王家の若き女王も静かに呟くのだった。
「信じましょう……皆を」
 言いながら、無力な王だと、シーラも自らを悔やむ。
 彼女達が出来るのは、自らの見いだした希望を信じる事。ただ、それだけなのだから。


 それは、空に浮かぶ島だった。
 全長一キロ、高さは二百メートルほどか。セルジラ内海に浮かぶ小島を岩盤ごと削り取って浮かべれば、ちょうどこんな感じになるだろう。
 空中都市スピラ・カナン。
 神話の中や、英雄譚の中にだけ語られる、伝説の地。選ばれた英雄だけが目に出来たはずの、大いなる地。
「な……」
 それが今、グルヴェアの兵士達全ての目の前に広がっていた。
 王都地下より吹き上がった灼熱の閃光に貫かれ、絶え間なく黒煙を吹き上げる、痛々しい姿で。
「これ……が」
 空が、落ちてくる。
 常人の理解の範疇を越えており、現実感など欠片もない。ここまで絶対的な破壊力を前にしては、逃げる気すら起きなかった。
「バカ! 何をしてる、逃げろ!」
 悲痛なその叫びさえ、彼らに常軌を取り戻させるにはほど遠い。
「ちぃッ!」
 舌打ちと共に大気を揺らしたのは、乱打される銃声だった。
「逃げろ! 死にたいのか!」
 銃口から立ち上る硝煙を振り払い、クワトロは周囲の兵達にその言葉を叩き込んだ。
 ぼんやりとしていた兵士達も、耳を打つ銃声と怒声の打撃にようやく我を取り戻す。遅まきながら自分の状況とこれからの未来予想図を描き出し、その対処法を選択する。
「退避! 退避ィッ!」 
「獣機隊は可能な限り兵士を回収!」
「魔術師は結界を張れ! 少しでも衝撃を抑えろ!」
 極限の混乱に包まれたグルヴェア。鶴の一声を放つ指導者は、まだ現れない。


 怒号と悲鳴飛び交う王都に、少年の影は高らかな勝利の笑い声を上げた。
「これだ、これが見たかったんだよ、僕は!」
 目の前にある滅びを知り、逃げまどう兵士達。
 それは、十万年前のレッド・リアと同じ光景だ。違うのは、昔は赤の民が逃げ惑い、今は青の民が滅びを前に震えている、ただその一点のみ。
「いいのか? シュライヴとやら」
 そんな中にも、滅びを前に震えぬ者がいる。
 立ち向かおうとする者がいる。
「スピラ・カナンが落ちては、頼みのGディスクとやらも壊れてしまうんじゃないのか?」
 双銃を提げた青年は、この危機にあっても表情一つ変えず、静かにそう問い掛けた。
 しかし、返ってくるのは少年の嘲笑にも似た愉悦の言葉。
「君らの常識で判断してもらっては困るな。あれしきの衝撃で、Gディスクに傷一つ付くものか」
「何だと……」
 一キロもの岩塊が高空から落ちてくるのだ。フェアベルケンでも屈指の大破壊となるだろうそれさえ、少年の基準では『あれしき』と呼ぶ程度の事らしい。
「まあいい。気分が良いから、ひとつ、君達を助けてやるとしようか」
 迷惑な龍王からね。
 そう呟き、シュライヴは高らかに声を上げる。
「フィアーノ、封印の出力は?」
 地上にフィアーノの姿は無い。
「三割まで低下。浮上可能ですわ」
 どこからともなく響く女の声は、混乱する一同にさらなる恐慌を叩き込む。
「よし」
 堕ちる空中都市に、彼らを縛る力はもう無い。
 今こそ、復活の時だ。
「レッド・リア、浮上」
 その言葉と共に。
 世界の全ては垂直に叩き付けられ、続けて直上に突き上げられる。二動作の打撃は留まる事無く、乱打に次ぐ乱打。
「な……」
 誰一人として動けぬ世界で、全ての者はそれを見た。
 一際大きな震撃と共に。
 グルヴェアの大地を粉砕し、シュライヴの背後に伸びていく、三つの巨大な塔の姿を。


 揺れ、崩れる世界の中。
「シュライヴ! 貴様ぁ!」
 グルヴェア中央にそびえる王城塔が根本から砕け陥ちていくのを見、ソカロは思わず声を上げていた。
 市街の尖塔群など既に影も形もない。超獣甲まとうフォルミカの衝撃波に耐えきった城壁さえ、人知を越えた破壊の前には驚くほどに無力だった。
「ああ、気分が良くて忘れていたよ」
 激昂する青年の存在など初めからなかったかのように、玉座に腰を下ろした少年は、ぽつりと呟く。
「君はオルタ・リングを探しているんだったね」
 歪んだ笑みで指差すのは、ソカロが入ってきた壁面だった。
「あれが、彼女だ。持っていけるなら、どうぞお好きに」
「何……?」
 あるのは壁だけだ。壁面全体を管のようなレリーフがびっしりと覆っているのが異様だったが、フェアベルケンの人知を越えた箱船の中、特に驚くほどの物ではない。
「僕達に必要なのは、母胎となる彼女の体だけだったからね。ああして、女王として組み込ませてもらったんだ」
 そこで、ソカロは気が付いた。
 管のレリーフに、一定の法則性があることを。
 壁を埋め尽くす巨大な管は、絡み合い、のたうちながらも、放射状の構成を持っている。その真央、放射の中心にあるのは、人の上半身を模した胸像だ。
 巨大な管群はフィギュアの周辺で無数の細管に分かたれ、胸像の全身を貫き、入り込んでいる。胸像の胸元は浅く動いており、その機能が動作している事を示していた。
「オルタ……様?」
 薄暗い部屋の中。黒眼鏡を外してよく見れば、その胸像は、ある人物に酷似していた。
 だが、優しかった表情は既に亡い。穏やかだった瞳は焦点を失い、柔らかだった唇からは力なく唾液がこぼれ落ちている。モデルを模して造られた像ならば、そんな屍じみた作りにする意味はない。
 これでは。
「まさ……か」
 その最悪の想像に至った時、ソカロの思考は一瞬停止した。
 あれは、誰かを模して造られたのではない。
 モデルそのものを、材料として……。
「レヴィー・マーキスが彼女を説得してくれたおかげで、助かったよ」
 喜色さえ含んだその言葉に、男の全身がはじけ飛んだ。
「貴様……貴様ァァァッ!!」
 嵐をまとい、渦巻く風を蹴りつけて、空中を直線に跳躍する。背中押す暴風にさらに加速を得、狂風を刃にして斬撃を叩き込む。
 旋風の如く短く、烈風の如く鋭く。
 風の動きに近接を知覚した時はもう遅い。魔石の光放つ刃は、既にシュライヴの眼前にある。
「で?」
 だが。
 風に踏み込み、空中で放たれ、シュライヴを両断するはずの大気の刃は、空しく宙を斬ったのみ。
「な……」
 ソカロのまとう輝きの残滓は、既にあふれ出る魔力の具現ではない。砕け散るティア・ハートの、最後の煌めきだ。
 砕かれたのである。
 ソカロの怒りに応じ、無限の力を与えていた、風のティア・ハートが。
「ハートブレイカー……か……っ」
 ソカロの迅さにただ一人追従した、蝶の道化の手によって。
 ハートブレイカー。
 放たれたのは、いまだ目覚めぬティア・ハートの天敵となる、砕きの一撃だ。
「さようなら。ソカロ・バルバレスコ」
 その声と同時。シュライヴの眼前、ソカロが踏み込んだ位置に、大きな穴が口を開けた。
 風の守護を失った男の姿は、奈落の底へと転がり落ちていく。


 震撃は、既に治まっていた。ときおり崩れかけた建物が最後の崩壊を起こす程度で、地面そのものが揺れる事はもう無くなっている。
「あれが……」
 落ちてくる空よりも近くにある、巨大。
 誰かが、そう呟く。
「あれが……」
 全てが崩壊したグルヴェアの中央。
「あれが、レッド・リア」
 宙に浮かぶ、三条の巨大塔。
 雲を衝く三つの塔は等しい間隔と角度をもってわずかに傾いでおり、下端にある四角錐型の接続部で一つに束ねられている。天地逆にした三脚か、あるいは巨大過ぎる花束といった様相だ。
「でかいね……。姉さん」
 尖塔の直下。見上げるベネは、それだけの感想しか抱けない。
 スクメギに突き立つ白の箱船も相当なものだったが、赤の箱船はそのさらに三倍はある。雲を衝くという表現は比喩でも何でもなく、実際に流れる雲を貫き、そびえ立っているのだ。
 こんな巨大な構造物が空を飛び、果ては星の世界を往くという。フェアベルケンに最初に降り立った『大いなる一人』達は、一体どれほどの技術を持っていたというのか。
「姉さんはやめろ、ベネ」
 傍らで同じく三条の巨塔を見上げながら、雅華は苦笑する。
「お前の姉はもう死んだ。いるのは、黒い翼の雅華だけさ」
 眼帯は戻され、いつもの隻眼の雅華だ。彼女の力は祖霊使いとしては並外れて強力な代わり、連続での使用が出来ないのだという。
「……そっか」
 だが、生きていただけでも嬉しい、と思う。
「にしても、でかいねぇ」
 赤の箱船は宙に浮かび、沈黙を保ったまま。
 桁外れの大きさのせいで、スケールが全く掴めない。千メートルは超えているだろうが……。
「あれでも、箱船の中じゃ小さい方だよ」
 ふと、少女の声がした。
「青の箱船でも全長三千メートル。藍の箱船『極大穿神』に至っては、十キロを超えてるはずだもの」
 超獣甲を解除したシーグルーネだ。こちらもベネに甘えるよう、寄り添っている。
「……何でそんな事知ってるんだ? シグ」
 ベネとしては素朴な疑問のつもりだったが、問われたシグはあからさまに不審な顔をした。
「……あたしも古代人の一人だよ。ベネ、忘れてるでしょ」
「あんたね、そこまで忘れちゃいないよ」
 不機嫌そうに呟く娘に、主の少女は苦笑する。
 獣機とは、特殊なティア・ハートに古代人の魂を封じ込めた存在だ。いかに超獣甲で記憶を削られようと、そこまで基本的な事を忘れたりはしない。
「ただ、お前がまともに知ってるとは思わなかったもんで」
「ひど! あたしってそこまでバカに見える!?」
 二人の豹族は、獣機の娘に即答した。
 当然だ、と。



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