-Back-

読者参加型プライベート・リアクション
ユノス=クラウディア
第4話 越えるもの・残るもの(その4)



Act3:越えるものたち

「あの…クローネさん。ちょっと、お話があるんですが…」
 ベルディスの娘は、カウンターの隣で夜の仕込みをしている女性に小さく声を掛け
た。
「ん、何かしら? ラミュエルさん」
 アズマの買ってきた魚に下拵えをしながら、クローネはラミュエルの言葉に応じる。
山の中にあるユノス=クラウディアではあまり大量の海産物は手に入らないのだが、
たまたまアズマが行商人から買ってきていたのだ。魚自体が珍しい事もあり、値札に
『時価』などと付けてもすぐに売り切れてしまうだろう。
「えっと、例の事件の事なんですけど……」
 例の事件。
 すなわち、『氷の大地亭の酒場に客が大量に押し掛ける異変』の事である。店の許
容量以上に客が押し掛けてしまうこの異変は、数日経った今でも解決する気配すら見
せていない。
「そうよねぇ。お客さんが入るのはいい事なんだけど、ちょっとね……。仕込みがね
ぇ……。あ、お酒も買って来とかなきゃ……」
 ふぅ……とため息をつき、クローネは小さくぼやく。
 儲かるのは良いのだ。しかし、仕入れの問題がある。今までは一日に三樽あれば良
かった酒類も、一日に十樽は必要になっていた。いくらユノス=クラウディアが大き
な街道沿いにあるとは言え、一軒の酒場がそれだけの量の酒を手に入れるのはそうそ
う容易いことではない。
「あれって……」
 と、ラミュエルがそこまで言った時、大地亭の入り口から誰かが入ってきた。
「今戻った」
 抱えた大量の果物と野菜をどんとカウンターに置き、少し遅れた挨拶をしてくるナ
イラ。
 そして、その後ろから入って来る、一人の美しい女性。
「ご機嫌よう、諸姉ら」
 丁寧ではあるが、それをはるかに凌ぐ尊大さを秘めた挨拶だ。しかし、クローネと
ラミュエルは職業柄そういう相手には慣れていたし、ナイラに至っては相手の態度を
気にしているのかどうかすら疑問だった。
「ナイラさん。こちらの方は? お客様?」
「さあ? 私はここに案内しろと言われたから、案内しただけなのだが……」
 そう言って、小さく首を傾げるナイラ。
「妾は客ではないぞ。ここに、シークという男が世話になっておるであろ? そやつ
に会いに来たのじゃ。案内せい」
「シークさん……ですか?」
 その名を聞いて、思わず一歩引いてしまう一同。彼の寝起きの悪さはこの大地亭の
誰もが知っている事だった。この女性は、そのシークに会いに行こうというのか。し
かも、彼が安眠中のこの真っ昼間に。
「何も、お主らに迷惑を掛けようと言うわけでは無かろう」
 女性はそうは言うものの、死人など出ては大地亭の信用問題に関わる。ラミュエル
は困った顔でクローネを見遣り、ナイラは辺りの雰囲気を察してか早々に知らんぷり
を決め込んでいた。
「早うあやつの部屋を教えるがよい。妾が直々に出向く故にな」


「これを……ボクに?」
 銀髪の女性から小さな包みを受け取り、ラーミィ・フェルドナンドは小さく首を傾
げた。
「そ。手紙も預かってるわよ」
 目の前の女性には何の面識もないが、手紙や包みに書いてある丁寧な文字は間違い
なく従姉の女性のものだ。ラーミィは綺麗に折り畳まれた羊皮紙を広げると、その手
紙を読み始める。
「『前略。ラーミィが困っているようなので、これを送ります。少しくらいなら常用
性はありませんので、気にせずに使って下さい。では、旅の無事を祈っています。リ
アより』……リアお姉ちゃん」
 何やら感激した面もちで手紙を仕舞うラーミィ。女性の方は手紙の中にあった『常
用性』という言葉にそこはかとない引っかかりを感じないでもなかったが、深く考え
ると恐いので考えない事にした。
 それが、平和に生きる上での知恵というものだ。
「で、これが……」
 ラーミィが訝る様子もなく包みを開くと、そこには小さな硝子瓶が収められていた。
真っ白いラベルの中央に小さな字でぽつんと書かれた『すぺしゃる』という文字が妙
な不安感を抱かせるその硝子瓶の中には、黄緑色の粉末の入った小さな紙包みが三つ。
これが、リアの手紙に書かれていた『少しくらいなら常用性の無いもの』なのだろう。
「何が起こるんだろ……」
 廊下の窓から差し込む光にきらきらとアヤしく反射する粉薬を一包み手に取り、ラ
ーミィは小さく呟く。ラベルには『すぺしゃる』という五つの文字以外書かれていな
いし、手紙や小包にもそれらしい説明は無かった。
「試して……みようかな?」
 実際の効果が分からないと、肝心な時に使いようがない。どちらにせよ、三包ある
のだ。一つくらい実験に使っても支障はないだろう。
「うん。試してみようっと」
 そして、ラーミィは粉薬を……口に含んだ。


 どんどんどん
 突然の迷惑な闖入者。容赦なく叩かれるドアの音で、青年は目を覚ました。
「…………」
 どんどんどんどんどん
 青年の寝起きは悪い。夜を生活の時間とする彼にとっては昼間こそが休息の時間な
のだ。そんな時間に文字通り叩き起こされた彼の機嫌が良いはずがあろうか。
 答えは、否だ。
 どんどんどんどんどんどんどんどん
 ドアの音には一片の容赦のカケラもない。というか、あまりの容赦のない打撃に、
扉の方がギシギシと悲鳴を上げているではないか。
「……いい加減にしないと、怒りますよ」
 不機嫌極まりない口調で、青年は右手を天に掲げた。
 どんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどん
 青年の掌に漆黒のヴァートが集い、小さな球体を造り上げていく。彼は安眠妨害の
源を、その実力で排除しようとしているのだ。
 ばがぁんっ!
 打ち破られた扉の向こうに向け、青年は漆黒の球体をひょいと放った。無造作に放
たれたその様子には、遠慮とか手加減とか容赦といった雰囲気は微塵もない。安眠妨
害された青年は、それほどまでに不機嫌だったのだ。
 だが。
 その漆黒の玉は、あまりにもあっさりと打ち破られた。
 それこそ、季節外れにフラフラと飛ぶ死に損ないの蚊をその手ではたき落とすよう
に。
「ほほぅ……」
 はたいた手に付いたホコリをふっ……と鋭い息で払い、扉の向こうの女性は青年を
遙かに凌ぐ不機嫌さを秘めた声で静かに呟いていた。
「シーク、おまえは母親たるこの妾に牙を剥こうというのじゃな?」


「げ……」
 男の子の第一声は、そんな声だった。
 普段の彼なら、こんなみっともない声は出さないだろう。慌てた態度は余裕の無さ
を見透かされるようで嫌だったし、第一、みっともない行動など美しくないではない
か。
 だが、今の彼に平静さを要求するのは、多少酷だったかもしれない。
 曲がったばかりの廊下の奥の突き当たりで話をしている、二人の女性の前では。
 一人はこの大地亭の客、ラーミィ・フェルドナンド。そして、もう一人の銀髪の女
性は……
(何で……何であの人がここに……)
 自らのイヤな予感が当たっていた事に内心焦りを感じつつ、相手の様子をじっと伺
う。無論、その辺をふらふらと飛んでいる相棒はとっくに捕まえて大人しくさせてい
る。
(どうする……。どうする、ユウマ・シドウ……)
(ぶぎぃぃぃ〜)
 幸いにも、相手が自分に気付いた様子はない。今のうちにこちらが退けば、彼女達
に遭遇する事なくごくごく平和的に問題を解決することが出来るだろう。
 方針が決まりさえすれば、行動は早い。
 ユウマはくるりと方向転換し、進めようとした足を……ぴたりと止めた。
 背後から吹き付けてくる、凄まじいヴァートの奔流を感じたが故に。


「何やら上の方が騒がしいが……まあ良いわ」
 激しい物音が響いてくる階上をちらりと見遣ると、美しき闇の貴族……ローザは自
らの息子に鋭い視線を戻した。
「それにしても……あれが見つかった報告かと思いきや、そんなつまらぬ理由とはな
……。おまえの『刻』を進めろじゃと? それも、一人の女の為に。くだらぬのう…
…」
 幾百もの魔を統べるに相応しい鋭き眼光がシークを容赦なく捉えるが、シークの方
はそれを気にした様子もない。
「で、可能なのですか? 母上。私の力を引き出す事は…」
 それどころか、自らの質問を容赦なく浴びせかける。
 そうなのだ。ダンピールとして年若い彼は、体の内に眠る力ぼ全てを引き出す事は
出来ないのだ。だから、母親には何でもない陽の光ですら……彼にとっては激しい苦
痛となってしまう。
 だが、霧の大地に乗り込むためには、陽の光の下では力の幾ばくも発揮できない今
の状態は致命的な欠点であった。
 だから、シークはさらなる力を求めたのだ。
 護るべき者を、常に護れるように。
「……じゃが、辛いぞ?」
 数刻の沈黙の後に母親が放ったのは、その行為を否定する言葉。それは同時に、
『刻』を進める事が可能だという事を示していた。
「心得ています」
 短く返事を返す、シーク。
「流れた水は元には戻らぬ。同様に、過ぎた刻を取り返す事も決して出来ぬ。お主は、
それでも良いというのか?」
 試すような女性の言葉に、シークはさらに答える。
「私は自らの力を、『今』求めているのです。その為なら、僅かな寿命など……」
 そう。『刻』を進める代償は、進められただけの時間。すなわち、彼自身の寿命だ。
 刻を進めるとは、まさに文字通りの意味なのである。
「………………」
 また数刻の、沈黙。
「分かった。おまえがそこまで言うのなら……な」
 ローザは根負けしたように、小さく呟く。
 その瞳は幾百の魔を統べる貴族の瞳ではなく……一人の母親の色を湛えていた。
続劇
< Before Story / Next Story >



-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai