「魚沼成生が契約を破棄するだと?」 台場元応は、人事課からやって来た男の言葉に眉をひそめた。 「は、はい。辞表は正式な手続きに基づいたものですが……いかがいたしましょう? 会長」 全世界規模の組織の頂点に立つ男に見据えられ。禿頭に浮かんだ汗を拭きながら、男。日本支社では頂点の一角に位置する男とて、威厳と威圧を形にしたような老人の前ではいかにも小さく見えた。 「ふむ……。ギガダイバーを使えそうな者は、彼奴の他にいるか?」 「ネイン・ムラサメ以外であれば……確か、シグマ・ウィンチェスターが使えたはずですが」 ただ、ウィンチェスターは欧州の諜報活動に使っておりますが……と男は汗を拭きながら付け加えた。 「今すぐ使える者は?」 「は、はい。まだ研修中ですが一名。研究員の息子で、試しに乗せてみた所適正が高かったようで」 老爺の問いにも男は抜け目がない。問われた人物の調査書をブリーフケースの束から取り出し、老爺にうやうやしく差し出した。 「ならば受領してやるがいい。以降はそ奴を使うとしよう。鍛えれば、それなりに使えるだろうて」 調査書にクリップで留められた写真はまだ若い少年のものだった。ネインよりは年上だろうが……それでも、高校生か中学生にしか見えない。 その名は……。 第05話 『ギガウィルスの恐怖』 「なー」 交差点の真ん中をぼーっと眺めながら、力王は呆然と呟いた。 「ん?」 答えるのはハルだ。こちらもやや気が抜けたように、巨漢の少年に応じる。 「あれ、ホントに敵なんか?」 「親父が駆り出されたからな。間違いないって」 この学園都市は台場の資本が大量に入っている。そのため巨大怪物が出現すれば台場の研究所からも色々な兵器……先日の巨大蠍のように……が駆り出されてくる。ハルの父親は研究所の職員の一人だから、そんな緊急出動があれば駆り出される宿命にあった。 本来なら休みであるはずの今日も、父親はそんな風に出て行ったのだ。 そしてここ。学園都市中心部に突如出現した謎の『コレ』こそが、敵であるはず……だと、思ったのだ、が。 「……来る気配、ないな」 来ない。 普段なら物凄い勢いでやってくる鋼鉄の蠍も、防衛隊の戦車部隊も、偵察ヘリすらやってこない。驚いた事に台場の襟章を付けた警備員すらおらず、野次馬の整理は近くの交番のお巡りさんがやっている。 目の前に、これだけのものがあるというのに。 「でもこれ、ホントに怪物なの?」 誘われて来ていたミナも、怪訝そうに呟く。 「死んでんじゃね? 全然動かないし」 そう。動かないのだ。 高さは5mほどと、今までのどの怪物よりも小さい。短く白い毛に覆われた種のような形をしており、それが交差点のど真ん中に生えているのだ。 夜が明けた時には、既にそこにあった『それ』。植物の芽の如く、誰も出現した瞬間を見た者はなく、気付いたらそこにあった『それ』。まさに植物のように、日が高くなった今もぴくりとすら動かない。 「けど、今までは死んでても回収には来てたよなぁ」 それすらも、来ない。 「もういいじゃん。力王、変身してぱーっとやっちゃえば?」 「んー」 ハルの言葉にも、力王は今一つ歯切れの悪い返事。交差点の本当にど真ん中に立っている為か交通の障害にもなっていないようだし、破壊活動らしき事もしていない。 「何かなぁ、弱い者イジメしてるみたいじゃね?」 正直、そんな無抵抗(に思える)で無害(そうに見える)相手を一方的に殴るというのは気が進まなかった。剣道の大会でここにはいないセイキチも、きっとそう言うだろう。 「まあ……なぁ」 いつになく乗り気でない巨漢に、少年も口を濁すだけだった。 交差点をはるかに見下ろすビルの屋上。 顔を白い仮面で覆った男達が、無言で佇んでいる。 仮面と同じ色のシャツに黒いスラックスをあつらえたその数は、3人。いまだ伸び切らぬ身長と落ち着き切らぬ存在感。成長の過程にあるその雰囲気より、彼らの全てがまだ若い少年と知れる。 そのうちの一人が、無造作に白い仮面を自らはぎ取った。軍事用のウィルス兵器すら防ぎきる防毒防疫性能を持った、その仮面を。 現れたのは察しの通り、青年の域に一歩踏み入れたかどうかの少年だった。 若者の行為に息を飲む2人を尻目に、茶髪の彼はぽつりと一言。 「いやぁ、禍々しいねぇ」 「禍々しい……ですか?」 黒い短髪を流した仮面の真面目な問いかけに、茶髪は自虐気味に嗤った。 「ああ、とても。君にも視えればいいのになぁ」 そう。 視えるのだ。若者には。 学園都市の中枢に鎮座したまま微動だにせず、眠っているようにも死んでいるようにも見える怪物が、一体何をしているのかが。 「周囲に気取られぬまま空間を変質させ、自らの分身をばら捲き続ける。無味無臭、おまけに限りなく無害と来りゃ、その辺の化学兵器なんて目じゃないよ?」 防げるのはこの白き仮面と僅かなワクチン剤、そして『彼ら』の体質のみ。 「確かに」 静かに呟き、それまで喋らなかった少年もマスクを取った。 彼もまた、分身を防げる体質の持ち主であったから。 足元に落ちるからりという軽い音と共に、この世にあり得ぬ程に端正な美貌が露わになる。 「……ああ、君はマスクを取らない方が良い。あちら側の人間だろう? まだ」 「ええ」 未だ仮面を手放さない黒短髪だけが、そう釘を刺されて仮面を取らぬまま。 「さて。我らの創り上げた忌々しきあのギガダイバー。どれだけの成果を見せてくれるか……」 分かるのだ。若者達三人には。 あの怪物の分身が、一体何を成すのかが。 「暫く見守るとしましょうか。繊丸さま?」 死すらも生易しい悪魔の毒が撒き散らされた世界の中で、茶髪の少年は静かに笑う。まるで、全てを滅ぼしてくれと言わんばかりに。 「……ああ、そうだな」 声をかけられた美少年……繊丸も、静かに答えるのみ。 「何を……やっているの?」 掛けられた静かな声に、力王は息を飲んだ。 「……なんだ、脅かすなよ」 気配無く近寄り、小さな、しかし確実に耳に届く声を掛ける少女など力王の知り合いにもそうはいない。 鞠那静。 日曜の今日はさすがにセーラー服ではなく、私服だった。シミ一つない純白のワンピースが、墨で染めたような黒い髪によく似合っている。 「何を、やっているの?」 静かな声で、再び問いかける。いや、静かだがはっきりと問いつめた。 「何って……見物。鞠那も見に来たんじゃねえのか?」 力王の言葉に無言で首を横に。 「視えない、の?」 「いや、あのでかいのは流石に見逃さねえだろ……」 静は再び首を横に。困惑する少年を咎めるような視線でじっと見上げ、そっと手を伸ばす。 「よく、視て」 白く細い指が少年の無骨な頬に触れる。さして力も入れていない様子なのに、力王の首が巨大怪物の出現した交差点へ向けられ……。 はっきりと、視た。 「ど、どうしたんだよ。リキぃ」 猛烈な勢いで背中を押され、ハルは力王に抗議の声を上げた。 「あいつ、ヤベぇ。とにかくお前らは離れてろ!」 一言の文句を聞き入れる様子も無く、ひたすらに力押しに押す。ミナとハルは突き飛ばされそうになって怒鳴り掛けるが、真剣な力王の様子にさすがに口をつぐんだ。 「鞠那。ここ、頼むわ」 2人をまだ安全な路地裏に押し込んでおいて、黒髪の娘が頷くのを確認する間もなく意識を集中。深みに眠る破壊の青を召喚、ダイブの叫びと共に融合。青き戦士へと姿を変える。 「力をよく見て。きっと、出来るから」 「応!」 そして、跳ぶ。 はるかな上空で、リキオウは一人、毒づいていた。 「くそっ。何で気が付かなかったよ……畜生」 ダイブした今なら、空の上からでもはっきりと分かる。あの交差点に立ち籠める怪しげな……いや、禍々しい空気に。 穢し、冒し、侵略するもの。動かずとも世界を滅ぼす事が出来る、禍々しい何か。 毒ではない。呪いでもない。もっともっと性質の悪い、忌まわしき何か。 動く動かないなど問題ではない。『あいつ』は……あの動かぬ者は、間違いなく敵だったのだ。 リキオウが自然と発していた気に圧されたか、単に力不足なだけか。幸いにも、まだ奴の真価は発揮されていない。倒すなら、今を除いて他にない。 「正面からは砕けねえか……」 相手は爆弾。いや、それよりももっとタチの悪い相手だ。そんな相手を正面から殴っていいとはさすがのリキオウも思わない。 落下中に思考。落下位置がずれる事に気付き、強い意志で大気を歪め、無意識のうちに方向を修正。 「……」 これだ。 「……出来るか?」 ふと、静の言葉を思い出す。 「力をよく見て。きっと、出来るから」 そうだ。やるしかない。 蒼きテラダイバーは意識を集中し……。 渦巻くイメージを蒼穹に解き放った。 「ほぅ」 渦を巻く空に、繊丸は思わず声を上げた。 青い流星の回りの大気が、轟ッと渦を巻いたのだ。渦を成した大気はそのまま範囲を広げ、旋風となって呪われた輝きを巻き込んでいく。 「力技で来たか……なるほど」 疾風は少年達の立つビルの上まで到来。破壊をもたらすほどの威力はないが、強い風にシャツの襟がはためく。嬲られる。 やがて、一瞬の静寂。 そして、風が逆を巻いた。一杯まで広がった渦動はそれに倍する勢いで収束。黒い気を包み込んだ風が収束する一点は……。 「む。ヤマイが!」 そう。茶髪の青年が叫ぶとおり。 動かぬ怪物を包むように暴風が吹き荒れ、それでいて風は外には吹き出さない。外の風を集め、内に高密度のエネルギーを溜め込み続ける。闇を溜め込み続ける。 成程あそこに着弾すれば、一撃のもとに敵本体とその分身を滅ぼす事が出来るだろう。 「風成。ギガウィルス、回収出来るか?」 「ちっ……やるしかなかろう!」 繊丸の言葉を受けて舌打ち一発、茶髪の青年が宙を駆けた。高層ビルの頂上という事を意に介する気配もなく、屋上の外の空間へと身を躍らせる。 万有引力の法則に逆らう事もなく姿を消した茶髪のはずなのに、残られた仮面の少年も、繊丸にも、悲鳴も驚きもない。 そして、また暴風が吹いた。 「……む」 先程の風よりもはるかに攻撃的なそれが3人目の仮面を打ち、少年の顔から白い防疫マスクを奪い去る。既に大気中には一切の毒もない為、特に害はなかったが。 そこに現れた、顔は……。 「……ふぅ」 横転した自動車が散乱する交差点の真ん中で、蒼きテラダイバーは短く息をついていた。 風を操ってあの禍々しい気を集め、敵と共に加速を込めた拳の一撃で一気滅砕する。敵本体に戦闘能力は無かったらしく、あの黒い気もろとも一撃で打ち砕く事が出来た。 否。 「そこだっ!」 僅かに残された黒い気を感じ取り、そちらに踏み込む。強烈な踏み込みにアスファルトがめり込み、跳躍の勢いを受けて砕け散り……。 轟ッ! 「なっ!」 突風に吹き飛ばされた。 リキオウともあろう存在が突風如きに吹き飛ばされるはずがない。無敵のテラダイバーに圧倒の衝撃を与え、あまつさえ吹き飛ばすような風など……。 空中で体勢を立て直して着地し、衝撃に散るアスファルトの飛沫の中に膝を突く。 「……」 既に黒い気の残滓はない。謎の風の気配もない。 ただ、遅まきながらようやく防衛隊のキャタピラ音が聞こえてきた。 「……まあ、いいか」 正体の分からない相手まで気にしても仕方がない。そう呟き、蒼いテラダイバーは再び跳躍。きな臭くなり始めたその場所を後にするのだった。 鞠那静。力王達のクラスメイトだ。 だが、彼女の私生活は誰も知らない。 その禁断の領域に、今勇者達が足を踏み入れる。 彼らは、果たして昇る朝日を再び目にする事が出来るのか? 次回 テラダイバーリキオウ 第06話『鞠那静の極めて平穏な一日』 |