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ふたごぼし



 朝。
 レースのカーテンの隙間から、明るい日の光が穏やかに射し込んでいる。
 朝。
 じりりりり、とベッドサイドに置かれた目覚ましが金属質の音を叩き出し始める。
 朝。
「もぅ……」
 ベッドの中で丸まっていた何かがもぞもぞと動いて……。
 そこから出てきた細い手が、相変わらずジリジリと鳴っている目覚ましをひょいと取り、
 壁に向かってぶん投げた。
 じりりりり……めきょっ
 さすがに壁に直撃しても鳴り続けられるだけの根性はなかったのか、ファンシーなクマ
のイラストの描かれた目覚ましは鈍い破砕音と共に永遠に沈黙してしまう。文字盤に描か
れている醜く歪んだ異形の生命体がベッドの中の人物に向かって恨めしげな視線を送って
いたりするが……既に穏やかな寝息を立てている相手はそんな事気付くはずもなかった。
 そんな中。
 0.5秒でファンシーから異形に変えられてしまったクマに向けられる視線が一つだけ
あった。
 ベッドの端の方で丸まって眠っていた、一匹の白い犬である。
「……やれやれ」
 犬はそう『ぼやいて』身を起こすと、ベッドの人物の方に向かって歩み寄った。先に
カーテンを軽く引き、枕元に朝の光が当たるようにしておくのを忘れない。
「おーい。すぴか。起きろー」
 カーテンと同じように口で器用にくわえてシーツを引き下ろすと、そこに眠っていたの
は可愛らしい女の子だった。起きるように促しながら、眠っている少女……すぴかと言う
らしい……の顔をぺろぺろとなめ始める犬。
「あぅ……眠いよぉ……お兄ぃ……」
 そう言いながらも少女は起きる気配がない。片腕は顔に当てて朝の光を防ぐ盾とし、も
う片方を起そうとする対象を排除する剣としながらも、少女は寝る気十分だ。
「今年に入ってもう3つも目覚ましぶっ壊しといて何言うか。いい加減、起きろっつー
の」
 ぶんぶんと宙を掻くすぴかの手を平然とかいくぐりながら、『お兄ぃ』と呼ばれた犬は
攻撃方法を切り替えた。
 べしべしべし
 平手打ちである。
「あぅっ、肉球がぁ〜」
「起きろー。今日はルーメスの受験じゃなかったんかー」
 だが。
 そう言った瞬間、肉球の効いた手ですぴかの顔をぐしぐしと押していた犬の前足はすぴ
かの手にがしっと握りしめられていた。
 投げられる!
 ……と犬は即座に身を固くしたが、いつまで経っても自分が時計と同じ運命をたどりそ
うな雰囲気は見られない。
「お兄ぃ……いま、何て?」
 かわりに来たのはすぴかの半ば呆然とした言葉のみ。
「目覚ましぶっ壊して……」
「その後!」
「ルーメスの受験」
「そうそれ!」
 そう言ってがばっとベッドから飛び上がると、すぴかは起きあがった勢いでベッド際の
クローゼットへと飛び付いた。
「おい、すぴか、離せってば!」
 前足を捕まれたままぶら下げられていた抗議に応じ、すぴかは投げ捨てると言ったカン
ジでぱっと手を離して犬を解放。もう犬の事なんか意識のどこにもないってな風に、飛び
付いたクローゼットを勢いよく開く。
 目の前に下げられてあった中学の制服一式をひょいとベッドの上に放り出し、少し大き
めのパジャマをばさばさと脱ぎ始める。
「こら! おま、俺がいるっつのに!」
「は?」
 犬の再びの抗議に下着姿のすぴかは不思議そうな声で返答。
「は、ってお前……」
「お兄ぃってば、母さんのお腹の中にいたときからあたしの裸見てんのに、何を今さら…
…」
「……着替えてくる」
「はーい。お兄ぃも今日が受験なんでしょ? がんばってね〜」


 それから約5分後。
 1階のダイニングには、朝の食卓を囲む家族の姿があった。
「そういやさ、お兄ぃってどこ受けるの?」
 いるのは両親とすぴか。
 そして、すぴかに『お兄ぃ』と呼ばれた長身の少年が一人。四人家族らしいが、先程す
ぴかを起した喋る犬の姿は見あたらない。
「はぁ?」
 だが、短く答えた少年の声は先程の犬と全く同じ声質だった。
 ホワイトファング。
 人化の術を心得た異世界の狼である。魔法や想像上の生物がごく一般的に存在するこの
多魔では、彼等のような異種族と人間の家族ですらそう珍しい光景ではない。
「ルーメス」
「えーっ!?」
 と。ネギの大量に入った納豆ご飯を片手に、すぴかは大声を上げた。
「だって、お兄ぃっててっきりキングか青楓だとばっかり……。何でルーメス学園なの
よぉ!」
「ていうか、ネギ飛ばすなよ。俺と母さんがネギダメって知ってんだろ」
 飛んできたネギの欠片を拭いながら、少年。「ごめーん」とあまり誠意の感じられない
謝り方をしてくるすぴかにやれやれと苦笑する。
 ちなみに少年と母親のご飯は白いまま。すぴかと父親の納豆ご飯(ネギ入り)とは対照
的だ。
「で、何でルーメスなのよ。あたし、お兄ぃなんかとパートナーになりたくないよ」
 お兄ぃお兄ぃと呼んではいるが、少年とすぴかは同い年。さらに誕生日も同じだったり
する。生まれた時間に至っては、ほんの5分しか違わない。
 よって、少年もすぴかも今日が高校受験の当日というワケだ。
「俺だってお前とパートナーなんかになりたくねえよ」
 朝から肉の味噌漬という渋いメニューで白ご飯をかき込みながら、少年も少女と同じよ
うにぼやいた。
「アーク、すぴか。2人とも、時間はいいのか?」
 のんびりとみそ汁をすすっている父親の言葉に、少女はまたもや大声。
「っと! あたし、もう行かなきゃ! お兄ぃはどうすんの?」
「俺、走っていくからまだ余裕」
 狼の姿に戻れば少年……アークのトップスピードは人間のそれをはるかに凌ぐ。もちろ
ん、すぴかでは走らないと間に合わないような時間でも、まだ相当に余裕があるわけで。
「いいなぁ。あたしも乗せてってよ!」
「バーカ。お前なんか乗せたら重くて間に合わないっつの」
「もう。お兄ぃのバカ!」
 カバンを出したり上着を羽織ったりとバタバタしているすぴか相手に余裕ぶちかましつ
つ答えるアークだったが、ひょいと伸ばされたすぴかの手にはさすがに声を失った。
「お前、俺のお茶まで飲むなよー」
 ちったぁ間接キスとか考えろこのバカとか思うアークの考えでも読んだのか、すぴかは
ニコリと笑顔。
「家族なんてノーカウントよ。お兄ぃ」
 そう言い残して玄関へと駆け出すのだった。



「アークトゥルス・ニボシ君、だね」
「はい」
「国籍はティンティン、種族は……ホワイトファング?」
 中学から提出された履歴書に書かれた種族名に、老年の面接官は眉をひそめた。
 ルーメス学園の母体となるルーメス王国との関係など高度な政治的問題その他の理由に
より、うち3つの異世界にはルーメス学園の受験資格が与えられていない。
 そして、ホワイトファング族が主に住まうのは受験資格の与えられていない異世界、ウ
ンブラス・キングダム。
「現住かね? それとも……」
「母親の亡命です。まあ、その時は僕も生まれていたから、出生国はウンブラスですが」
「そうかね」
 ちなみにティンティンは6つの異世界の中でも特殊な位置にあり、地球を含めた7つの
世界全ての魔法生物が住む世界として知られている。ルーメス王国との仲も良く、ルーメ
ス学園への受験資格が与えられていた。
「君の成績と生活態度なら我が校の生徒として全く問題ないが……辛いかもしれないよ? 
ルーメスの私が言うのも何だが、君の場合はキング高にでも通った方がいいかもしれな
い」
 ルーメス学園のライバルとして知られるキング高校。そこはルーメス王国を除く5つの
異世界に受験資格が与えられている。もちろん、ホワイトファングがウンブラスであろう
とティンティンであろうと問題はない。
 少なくとも、微妙な立場になるルーメス学園よりはのびのびした生活が送れるはずだ。
「護りたいヤツが、いますから」
 だが、アークは短い言葉を返すのみ。
「……そうかね?」
「はい」
 重ねる、揺るぎなき意志のことば。
「なら我が校は君を歓迎しよう。午後のパートナー決定に出席したまえ」
「ありがとうございます」


 昼。
「あー。お兄ぃ」
「よぅ。ちゃんと生き残ったみたいだな」
 弁当を食べているアークの隣にちょこんと腰を下ろし、すぴかも弁当を広げる。アーク
の方がやや大きい程度で、内容そのものは2人とも変わりない。
「ギリギリだったけどねー。お兄ぃは? って、聞くまでもないか」
 地を這うすぴかの成績とは対照的に、アークの成績はよい。それどころか、運動神経も
音楽センスもすぴかよりハイスペックだ。多分……いや、確実に母親のお腹の中で自分に
も分け与えられるはずの取り分をアークが横取りしたに違いない、とすぴかは常々本気で
思っていた。
「お前と違うからな」
「何それ、ひっどー」
 まあ、いつもの事だし事実だし、何より午前のテストは何とかなったっぽいので今日は
許してやることにする。寛大だねあたし、と自分で誉めてみて。
「けど、昼からはパートナー選びだね」
 ついでに話題も転換。
「だな」
 昼からは3年間を共にするパートナーの決定だ。場合によっては3年よりも長くなる事
もあるようだが、少なくとも高校生活の間はずっと相棒になる相手。すぴか達生徒側に
とっては、試験よりも重要なイベントといえるだろう。
「そういえばお兄ぃ、パートナーってどんな人がいい?」
「お前」
「え……?」
 兄の口からさらりと出てきた言葉にどきりとし、一瞬返す言葉を失う。
「だ、だって、あたしとお兄ぃじゃ……」
 魔法種族のハーフとはいえ地球人同士だし、パートナー契約はこっちと異世界の組み合
わせでないと……。
 でも、お兄ぃとなら……。
「とは正反対のヤツ」
「……」
 言いかけ、続く言葉にやっぱり返す言葉を失って。
「おーい。どした? すぴか」
「お兄ぃのバカっ! お兄ぃなんかエテモンキーと契約しちゃえっ!」
 一気に自分の弁当をかき込んで、ついでにアークの弁当もひったくってかき込んで。
「誰だよ……エテモンキーって……」
 ダッシュで走り去ったすぴかに、アークはただ呆然と呟くだけだった。
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