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 雨。
 瀟々と、降る。
 十字に刻まれた墓標の上。
 偉大な英霊の銘の彫り込まれた石版の上。
 そして。
 今失われし偉大な御霊を弔うべく集った、慰問客の傘の上へと。
「鋼……。全く、嫌な情報を送ってくれて」
 その中の一人。長い黒髪の女性が、ぽつりと呟く。
 その手に握られるのは、一枚のプリント用紙。一月ほど前、事故で沈んだ護衛艦トロゥ
ブレス号の被災者名簿だ。
 黒髪の女性の隣には、長身の女。
「今年のクリスマスはあの子達と一緒に迎えるって言ってたじゃないか……」
 雨の中。傘も差さずに立つ視線の向こうには、涙をこらえて立つ、子供達の姿だ。
 本当ならこの雨にも負けぬ勢いで涙を流したいだろうに。
 強い、と思う。
 だからこそ、許せなかった。
「天国に行ったら、殴ってやるから。待ってなさいよ……ジム・レイノルド!」
 女性……リリア・ヴォルフィードは苦しげにそう洩らすと、両の拳を固く握り締めた。


 そして、この物語は二月の時を遡って幕を開ける。

火曜日 ―さらば愛しき戦士(ひと)よ―
[3/12 PM6:30 東欧某国砂漠地帯・第23傭兵分隊作戦会議用天幕]  暗幕に閉ざされた天幕の中では、プロジェクターの映し出す作戦画面だけがただ一つの 光源だった。 「今回の作戦対象はこの『東欧新遺伝子工学研究所』だ」  本隊から作戦を指示するためだけにやってきた中年軍人の持つレーザーポインターが、 作戦画面の一点を正確に指し示す。  赤色のレーザー光線が穿つのは、『東欧新遺伝子工学研究所』という名前が付けられて いる無愛想な四角いマスだ。 (いちいち差さなくてもいいじゃない……どうせ、これだけしかないんだから)  四角のまわりは一面の平面……砂漠であるから、いちいちレーザーポインタで指し示さ なくても実際には目標の間違えようもない。 「リリア・ヴォルフィード。何か不満そうだな。質問でも?」 「別に」  リリアと呼ばれた女性はそれだけ答えると、折り畳み式の椅子につまらなそうにもたれ かかった。実戦で鍛えられた筋肉を持つ長身の身体の負荷に耐えかねて椅子がギシギシと 悲鳴を上げるが、特に気にした様子もない。  多分、椅子が壊れたとしても気にする事は無いだろう。大らか……というか、戦慣れし た大雑把さを感じさせる女性だ。 「リリア、大人げないわよ」  その隣に座るのは、黒髪の女性。まわりの傭兵然とした男どもやリリアとは対照的に、 落ち着いた雰囲気を漂わせている。  違うのは雰囲気だけではない。この傭兵団唯一のアジア系……多分、日本人だろう。 「……はいはい」  その日本女性の短い注意もリリアは右から左。どうやら慣れているらしく、投げ出した 足を元に戻す気配もない。まわりの傭兵達も似たようなものだ。 「ラン・ミヤノウチ! 貴様まで作戦会議を邪魔する気かね!?」  だが、ただ一人、作戦説明官だけは二人のやりとりに慣れてはいなかったらしい。リリ アだけではなく、それを注意した日本女性もまとめて叱りとばす。 「……失礼しました」 「……宜しい。では、作戦の詳細を説明する」  丁寧に頭を下げた日本女性……蘭の態度に何とか機嫌を直したらしい説明官は、よう やっと作戦の説明を再会した。 [3/12 PM9:30 東欧某国砂漠地帯・第23傭兵分隊宿営地付近] 「ったく、信じられないね。あれが世界最大の国の使う作戦? 全く、あれじゃ山賊かゲ リラの手口じゃないか」  地平線まで続く砂の平原を眺めながら、リリアは足下の砂を軽く蹴りつけた。  軽くといっても体格の良いリリアの蹴りだ。ぼすっという鈍い音と共に半固体と化した 砂の塊が舞い上がり、散る。 「まあ、だから俺らが使われるんだろうけどな。結局、正規軍は動かないって話だろう?」  そんなリリアの愚痴を聞いてやっているのは、一人の中年男。先程の説明官のような神 経質そうな雰囲気はなく、むしろアメリカ辺りのホームドラマにでも出てきそうなイメー ジの男である。 「……おやっさんも蘭も、物分かりが良すぎなんだって。軍学出はこれだから」  今は天幕で機械の整備をしている蘭やおやっさんと呼ばれた男・ジムは、叩き上げの傭 兵であるリリアや他の傭兵とは少し出自が違う。  蘭は防衛大学の技術科卒、ジムに至ってはこう見えてももとエリート軍人だ。 「別にそういうのは関係ないと思うがなぁ」  苦笑を浮かべつつそう一人ごち、手にしていたファイルをめくる。新聞でもめくってい そうな男だが、今読んでいるのは新聞ではなく、今回の作戦ファイルだ。ジムは作戦会議 には出席していなかったので、概要だけを示したファイルを読んでいるのである。 「なるほど……。強襲装兵どころか戦車も使わんか。相手が地図に載ってない施設で演習っ て名目まで取ってて……。主戦力がジープってのもなぁ……」  正直、今回の作戦対象である研究所の戦力は全く分かっていない。未知数の目標相手に ジープに搭載できる程度の装備だけでどうにかなるとは、とても思えなかった。 「な? 分かるだろう?」 「まあな」  リリアの言うとおり。出来れば、旧式でも良いから戦車の数台くらいは欲しいのが人情 だ。  尤も、正規軍でもない傭兵部隊がいくらそんな事を言ったところで、叶えられるわけが ないのもまた実状なのだが……。 「やれやれ、最後の大仕事がこんな無理難題とはな……。引き際を間違えたか?」 「? 何か言った?」  ぽつりと呟いたジムの言葉は、リリアには聞き取れなかったらしい。 「いや、別に……」  軽く流すと、ジムは車の整備をしているはずの蘭のもとへ向かうべく、よっこらしょ、 と立ち上がった。
[3/13 AM6:30 東欧某国砂漠地帯・上空] −ババババババババ…………−  耳をつんざく頭上からのローター音に、ジムは顔をしかめた。もう何年も聞いている音 だから慣れてはいるのだが、慣れているからと言って平気になれるわけではない。 「おやっさん! あと10分で作戦目的地だって!」 「おう! って、通信使え、通信!」  真上のヘリとの通信機のジャックに耳を覆うヘッドセットのプラグを突っ込んでいたリ リアが、ジムのヘッドセットをひっぺがして怒鳴り掛けてきた。騒音がひどいので、ちゃ んとヘッドセットをしていないと難聴になってしまうのである。  ヘリコプターから懸架されているジープに乗っているのは、チームの指揮を執るジム、 操縦手の蘭、そして砲手であるリリアの三人。ジム隊の他にも、ジープを懸架した数機の ヘリコプターが編隊を組んで飛んでいる。  つり下げられているジープとヘリコプターに乗っている空挺隊が、第23傭兵分隊の全 兵力だ。この手勢で非武装らしいとはいえ謎の施設を落とそうというのだから、リリアの 酷評もあながち間違ってはいないな……と、ジムは思う。 「蘭、そっちはどうだ?」  ヘリコプター側の空挺兵との会話はリリアに任せておいて、静かに目を閉じている蘭に 声を掛けてみるジム。今度はリリアと違い、ちゃんとヘッドセット間用の通信機を使って いる。 「懸架装置、車両本体にも問題ありません」  返ってきた返事はにべもない。  普段はそう愛想の悪い女性ではないのだが、こと任務に関わると途端にこんな風になっ てしまう。とは言え、冷静さが生存確率に直結するのが戦場でもある。人の足であり命綱 でもあるジープのハンドルを握るのがそんな彼女だというのは、心強い事には間違いない。 「強襲装兵が使えんで、悪いな」 「いえ。『ランスロット』は制圧戦には向いていませんし。正しい判断だと思います」  そう。ジム隊の正式なポジションは『強襲装兵』の実験チームなのだ。蘭がパイロット、 ジムとリリアは指揮車両での支援。  まあ、得体の知れない傭兵部隊に配備されるだけあって、今配備されている『ランスロッ ト』もよく言えば最新鋭、悪く言えば何が起こるか分からないブラックボックス的機体な のだが。 「ただ、研究所が相手というのは……個人的に、何か嫌な予感がするのですが」  いつもならあまり表情を見せない蘭にしては珍しく、あからさまに渋い顔をしてみせる。 『研究所』という対象を相手に、何か嫌な思い出でもあるのだろう。 「……だな」  どうやらジムにも心当たりがあるらしい。  だが、そんな二人の会話もリリアの怒鳴り声に阻まれた。 「蘭! おやっさん! 『上』が降下地点に到達したから、降下を開始するってさ!」  動きを阻害するヘッドセットのジャックを引き抜いて後部座席に置いてあったスナイ パーライフル「PSG−1」に手を伸ばすリリアの言葉に、ジムと蘭も緊張の表情を浮か べるのだった。
[3/13 AM6:50 東欧新遺伝子工学研究所・2階管制室]  鳴り響く警報の中、白衣の男は手元のコンソールのデータを一瞥するなりため息をつい た。 「そうか。『ゾディアック』はやはり使えんか」  画面に映っているのはいくつかのグラフ。それから、真っ白い部屋の中にいる一頭の獣 の映像だ。この世界に存在するいかなる動物とも違う。強いて言えば熊に似ているが、完 全にそうかと言われれば誰もが違うと答えるだろう。  出来の良いCGかとも思われるが、どうやらリアルタイムの映像らしく、微細な獣毛の 一本一本や獣の肩の動き……呼吸しているのだ……まで緻密に再現されている。 「はい。外の気配を感じ取って起動してはいますが……やはり、戦闘本能覚醒率が3%以 下では……」  話しかけられた研究者の視線の先にあるグラフは穏やかな緑色のラインを描いていた。 本来なら、目に突き刺さる黄色かか猛々しい赤色のラインを描かねばならないはずなのに。 「No4も封印中……。戦力にはならんな……」  白衣の男の肩は落胆に沈んでいた。見るからに科学者然とした男の貧相な体格が、さら に小さく見える。  そんな小さな背中を見かねたのか、研究員の一人が男に小声で声を掛けた。 「所長。あの……地下の『Z』を起動させるというのは……」 「ならん!」  だが、若い研究員がその言葉を言い終わるより速く、男……所長は今までとは全く違う 強い声を張り上げる。 「いや……悪かった。何も、君が悪いわけではないのだが。だが、あれだけは起動させて はならん。既に押さえられる力はないのだからな」 「……中東支部の『ディビリス』と『テスタメント』を失ったのが痛かったですね。計画 通り『ゾディアック』と一緒に剣聖系ガーディアンが届いていれば……あれなんかに頼る 必要はないんですから」  再び勢いを無くしてしまった所長を案じたのか、 手元のキーで手早く画面を切り替え、 研究者は別の映像を表示させた。  一本の剣である。  少し日本史に詳しい者が見れば、日本の古墳などから出土される古式の刀剣と分かった だろう。日本から遠く離れたこの東欧の地で、その刀は腐食防止・復元用の特殊保存液の 中へと厳重に収められていた。 「頼みの綱は『セカンド』だけか……。あいつの様子はどうだ?」  その言葉に、またもや画面を切り替える研究員。  次に映し出されたのは一人の青年だ。ひび割れたカメラから送られる映像の中、通路の 向こうへと無造作に銃を構え、放つ。ハンドガンにしては大きすぎる50口径の銃は反動 もかなりの物だろうに、それを感じさせることすらない。  映像のみを伝えるカメラの向こうでは硝煙の臭いと侵入者達の悲鳴が飛び交っているは ずだ。なのに……青年の口元に浮かぶのは、笑み。 「現在、警備班から独立して研究所内に侵入した敵部隊を迎撃中です。戦闘本能覚醒率9 6%、薬物投与無しでSレベルの戦闘基準をクリアしています。『テスタメント』があれ ば、都牟刈の使用も可能かもしれないというのに……」 「無い物をねだっても仕方あるまい。これ以降、セカンドが撃破された場合は……分かっ ているな?」  所長の重い言葉に、研究員達はさも当然という風に答える。 「ええ。地下のあれを起動させます。いくら『Z』とはいえ、あれなら……。3年前の米 国支部のような失態はしませんよ」  四度変えられた画面に映し出されていたのは。  真紅の桜花に似た紋章……放射性物質を示すラジエイション・マーク……が描かれた、 木製の巨大な箱の姿だった。
続劇
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