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[5/1 AM9:15 帝都外縁南 東条学園中央校舎1F 職員室]
『帝都南部は降水確率35%……。それでは、今日の特集はここ数日帝都近辺で起こって
いる連続猟奇殺人事件についてです。昨日の被害者であるテイホクバイク便の月出……』
 職員室の片隅に置いてあるテレビから流れてくるニュースに合わせて、塩川の声がのん
びりと重なる。
「そっか……。例の証言で遅れたんだっけ。なら、今日の掃除は『第3音楽室』を一日ね、
伊月遙香さん」
『……どうやら動物を利用した……あ、お待ち下さい。警保局より新情報です。一連続事
件の犯人が掴まった模様です。犯人は渡我……』
 やっぱり流れるニュースに重なって聞こえてきたのは、遥香のイヤそーな、嬉しそうな、
そんな微妙な声だった。


[5/1 PM4:05 帝都外縁南 東条学園北校舎3F 第3音楽室]
 広い教室に、静かなバラードが響き渡る。
 『Zion』の『one's wish is granted』。
 それを聴いているのは、たった一人の生徒。
 村雨音印。
 何かを思い出そうとするかのようにそっと瞳を閉じ、旧式の音響から奏で出されるア
コースティックのバラードに身を委ねる。
「良い曲?」
 ふと、声。
「さあ? ボクにはよく分からないな……。貰い物だし」
 誰からの物と訝しがることもなく、穏やかに答える。
「それじゃ、記憶の道標?」
 音印は、瞳を開いた。
「……さあ、どうかな?」
 声の源は、黒板の前。
 いつの間に現れたのか。一人の少女が、そこにいた。
「……君は?」
「いつも」
 短い問いに、短い答え。
「いつも?」
「そう。結城、いつも」
「ふぅん……。で、ボクに何の用だい?」
 そうは聞くものの、少年は言うほどに興味はないのかもしれない。静かに瞳を閉じ、音
印は再び佳境に入り始めたバラードの旋律に身を委ねる。
「別に……」
「そっか」
 最高潮。クライマックスと言えどバラードであるから、普段の『Zion』の大気を叩き
付け、体すら揺さぶる激しい律動は伝わってこない。
 一気に終幕。
 ……かちり……
 小さな音を立て、音楽室の壁際に設えられたCDプレイヤーは自らの果たすべき役割を
終えた。
 そして、静寂。
 沈黙ではない。音は、ある。
 外は雨。
 普段なら聞こえてくるはずの運動部の喧噪も、流石の今日は聞こえてこない。
 穏やかな春雨が大気を揺らす、雨音ともつかぬ微かな空気の振動だけが、少年と少女の
耳を無意味に張りつめる沈黙より護っている。
「そうそう……」
 と、何か思いだしたのか、少女……いつもはそこで言葉を句切った。沈黙を破る気まず
さなどどこにもない、そんな口調で。
「遥香ちゃん、ちょっと用事で遅くなるって伝言」
「うん。ありがとう」
 答える音印も瞳を閉じたまま、たった一言。
「それじゃ」
 音もなく、少女の気配が消える。
 ……かちり……
 僅かな音と共に、壁際の音響からは『Zion』のバラードが再び流れ始めた。


[5/1 PM4:50 帝都外縁南 東条学園北校舎3F 第3音楽室]
「すいません。遅くなっちゃいました……」
 ガラガラと開いた扉の音に、音印は再び瞳を開いた。
「別にいいよ。待つのはあんまし嫌いじゃないから」
 はあはあと息を切らせている遥香に、音印は穏やかに返事を返す。
 音響からは相変わらずの『one's wish is granted』がかけられたままだし、音印の口調
もいつものままだ。どうやら、ずっとその一曲だけを聴いていたらしい。
「……けど、どうしたの、その格好」
 ようやっと少女の方を向いた途端、その台詞。
 この霧雨の中でも走ってきたのか、遥香の制服は湿り気を含んでほの黒く色が変わって
いたのだ。
「Zion、新曲出したんですよぉ。それを取りに行ってたんです。傘はクラスの子から借
りられたんですけど……走ってたらあんまり意味ないですね」
 簡単に拭いただけらしい鞄の中から紙袋を取り出しつつ、僅かな息切れを残して答える
遥香。近所のCDショップの派手とも地味ともつかないロゴが描かれている紙袋は畳んで
鞄にしまい、CDの包装のビニールだけゴミ箱へと捨てた。
 どうせ自分が今から捨てに行かなければならないのだから、ついでに、である。
「へぇ……新曲かぁ。ボク、そういう事に疎いから……」
「今回はアルバムだから、いつものシングルよりも聞き応えありますよ。新曲もいくつか
入ってますし。聴きます?」
「そうだね……」
 音印のその言葉に遥香は手慣れた動作でオーディオからCDを取り出すと、取り出され
たCDよりもふたまわりほど大きな新しいCDを挿入した。
「それじゃ、掛けますね」
 軽いスイッチ音の後に微かに響く、直径12cmの軽快な回転音。
 一拍の間を置き。
 二つの衝撃が、音楽室を襲った。


[5/1 PM4:52 帝都外縁南 東条学園北校舎3F 第3音楽室]
 二つ。
 そう。二つである。
 一つは、音響から放たれた音の奔流。若さ故の激しい鼓動を力任せに叩き付けるかのよ
うな、『Zion』のビート。
 『"A!" Shock-Wave!!』
 それが、その歌の名。『衝撃波』の名を冠した『Zion』の記念すべきデビュー曲だ。
 そして。
 もう、一つ。
「やめろっ!」
 音印。
 音楽室の両壁に設えられたスピーカーが文字通りの『衝撃波』を放った瞬間、鋭い叫び
と共にのんびりと腰を下ろしていた椅子から飛び出したのだ!
 だんっ!
 乱雑に並べられた机と椅子を野獣の如き動きですり抜け、突然の事に全く反応できない
でいる遥香を無視し、伸ばした右腕を勢いのままCDプレイヤーに叩き付ける!
 一瞬だった。
 『Zion』の『衝撃波』はプレイヤーからの指示によってその形を潜め、同時に叩き付
けられたイジェクトスイッチは体内に収められた虹色の円盤を取り出そうと独立した動作
を始める。
 旧式のプレイヤーは最近のトレイ式のものとは異なり、CDを直接プレイヤーに挿入す
るタイプの物だ。未だ回転の残っているCDを急に取り出そうとすれば。
 ……ィィィィン
 短い機械の動作音と。
 銀光。
「あ…………」
 頬をかすめた一条の銀光に、遥香はようやっと我に返った。
「え……? 音印……せん、ぱい?」
 文字通り目の前にいる音印の制服の左肩が、ぱっくりと口を開けているのが見える。
 高速回転するCDがかすれば、その程度の傷などすぐに付く。実際、音印の左肩には一
条の徐々に太さを増しつつある朱線が刻まれているのだから。
「…………?」
 頬を伝う、何かの流れる感触。
 感じてそっと頬に手をやれば、そこにあるのは……僅かな違和感。
 触れた手を見れば、紅い。
 からん…………
 頬から鈍い痛みが伝わって来はじめた遥香の耳に、壁に跳ね返ったアルミの円盤が床に
落ちる音だけが妙にはっきりと聞こえていた。


[5/1 PM4:53 帝都外縁南 東条学園北校舎3F 第3音楽室]
「ボク……は?」
 浅く切られた左肩を押さえたまま、音印はぽつりとそう呟いた。
「? 伊月さんは……?」
 辺りを見回せば、部屋の中には誰もいない。
 ただ、廊下の向こうを誰かが走っていく軽い音だけが、虚ろに響いている。
「彼女なら、出ていったわよ」
 声。
「いつも……さん?」
 音楽準備室から顔を覗かせたいつもは音印には興味ないらしく、足音の響く廊下の方に
耳を澄ませたままだ。
 遠ざかっていく足音はだんだんと小さくなりつつある。
「……追いかけなくて、いいの?」
 攻科の生徒ならともかく、遥香は普通科の生徒だ。音印の脚なら、追いかけようと思え
ば追いかけられる……かもしれない。
「ボクは……」


[5/1 PM4:55 帝都外縁南 東条学園校門並木]
 伊月遥香は降りしきる雨を見つめたまま、足を止めていた。
「う〜ん……」
 目の前は降りしきる雨。一時の激昂に捕らわれて第3音楽室を飛びだしたまでは良かっ
たのだが……
 急に勢いを増した雨に、さすがの遥香の勢いも掻き消されてしまったのだ。
「我ながら、無茶したなぁ」
 今は校舎から校庭に続く道沿いのポプラ並木で雨宿り中。校舎から東条名物の10キロ
トラックに続く道は数100mの距離があるから、戻るまでにもまた濡れなければならな
い。
 既にずぶ濡れなのだから今更……という気がしないでもないのだが、やはりバケツどこ
ろかタライをひっくり返したような豪雨の中を走るのはいい気分ではなかった。
「あーあ。誰か来ないかな……」
 今日は雨だし、クラスの運動部の連中は軒並み帰ってしまっているだろう。傘を借して
くれた友達ももう帰ってしまっただろうし、文化部組が部活を終える5時半にはまだ時間
がある。
 雨の弾幕に阻まれて雲すら見えない空を見上げても……当然の如く雨のやむ気配はない。
今朝の天気予報は確か曇りか晴れだったハズなのに。
 この季節の予報って当たらないなぁ……
 そう呟いた彼女に差し掛けられたのは。
 一本のビニール傘と、
「濡れたら、風邪ひいちゃうよ」
 音印のすまなさそうな笑顔だった。


[5/1 PM4:56 帝都外縁南 東条学園北校舎3F 第3音楽室]
「全く、世話の焼ける……」
 並木の向こうを歩いてくる二人の様子をちらりと見、少女はぽつりと呟く。
 別に二人の色恋沙汰に興味があるわけではない。彼女の興味は……もう少し別の所にあ
る。
「ま、いいけど」
 ほぅ、と小さなため息を吐き、強くなった雨を収めると。
 山の向こうに見える虹を視線の端で一瞥し、静かに教室を後にした。



 こうして一つの事件が終わり、ささやかな物語は一応の終わりと始まりを告げた。
 だが、それはこの物語の始まりの合図。
 この、長いsevenDAYSの……。
第1話 終劇
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