-Back-

[4/28 AM8:00 帝都外縁北 某住宅地]
 朝。
『まず、ここ数日帝都近辺で起こっている連続猟奇殺人事件のニュースです。現時点の調
査では、大型獣を使った仕業という可能性も……』
 清々しい、朝。
『続きましては、先週、伊豆半島沖で沈没したトロゥブレス号ですが、乗組員の生存は絶
望的と見られ……』
 清々しい…………
 だというのに、TVから流れてくるニュースからはあまり清々しい雰囲気が感じられな
い。
 空を見上げれば雲一つない青空が広がり、風に頬を寄せれば寒い冬の鋭利な北風ではな
い、穏やかな春風が感じられる季節だというのに。
『それでは、新年度だというのに重苦しい話題の続く今朝ですが、ちょっと明るいニュー
スを……』
 たまにそれ以外の物があるかと思えば……
『いよいよ来月1日に迫った『Zion』のファーストアルバム『Zeek』ですが、今日時点
の予約状況は業界でも前代未聞の……』
 この程度、である。
 無論、少女にとってはどのニュースも関心をもたらすものではなかった。強いて言えば
贔屓のロックバンド『Zion』の話題には多少興味がないでもなかったが、もう知ってる
情報ばかりだし、今更彼らのライブビデオの1シーンが出たところで別にありがたみはな
い。
 それに、今の彼女にとっての最大の関心事は……
「……と、そんな事言ってる場合じゃないわ」
 朝食代わりのパック入りゼリー飲料をくわえたまま、玄関に置いてあった鞄をひっつか
む。一昔前なら焼きたての食パンでもくわえながら鞄を掴む光景なのだろうが、アニメじゃ
あるまいし本当にそんなコトするヤツはいない。
 『15秒チャージ』のキャッチフレーズ通りにきっかり15秒でゼリー飲料のアルミ
パックを空にすると、少女は履いた靴の調子を整えながらそのパックを玄関脇のゴミ箱に
ひょいと放り込んだ。こういう時を見越してあらかじめ準備して置いたゴミ箱である。中
には既に幾つかのアルミパックが見えるあたり、少女の『こういう関心事』というのは意
外と頻繁にあるのだろう。
 腕時計に目を遣れば、8時2分。
 8時10分発の帝都縦貫鉄道に乗るためには、ギリギリのタイムだ。敷設企業の社長が
起こした殺人事件のトリックに使われたりと色々後ろ暗いイメージのある縦貫鉄道だが、
便利さには替えられない。
「それじゃ、いってきまーす!」
 玄関先に置いてある自転車を一挙動で道路に引き出すと、少女はそれに乗って一気に団
地の坂を下っていき……。

 がしゃぁんっっっ!

 団地の坂の向こうから、物凄い転倒音が響き渡っていた。

日曜日 ―アナタノスキナウタ―
[4/28 AM8:03 帝都外縁北 某住宅地] 「……大丈夫か?」  ふと掛けられた声に、少女は痛ぅ……と唸りながらもゆっくりと顔を上げた。 「大丈夫かって、聞いてんだろ?」  再び、声。乱暴な、それでいて優しさ………… 「もしもーし。きこえますかー」  げしげし。  蹴り。  ……優しさのカケラもない、そんな声(そしてツッコミ)だ。 「聞こえてるわよ…………」  すっ転んだお陰でまだガンガンする頭を押さえ、少女は小さな声で返答を返す。あまり 大きな声は頭に響くから、あまり出したくない。 「大丈夫か?」  声の源は……うしろ。  そちらへゆっくりと頭を巡らせると、一人の少年がいた。少女よりも僅かに年上だろう か。少女の顔を何ともめんどくさそうに覗き込んでいる。何というか、「めんどいのに顔 突っ込んじまったかなぁ……」てなカンジの表情だ。お世辞にも『心配そう』とかいう表 情はカケラも見えない。  が、そんな事よりも何よりも、痛さで涙ににじんだ瞳に映ってきたのは……少年の僅か に奇妙な出で立ち。彼女を転倒させた、最大の要因。 「あんま、大丈夫じゃないけど……。あなた、なんでそんな格好を……」  少年の格好は分厚い真冬用のコートに長いマフラー。この春の装いどころか、豪雪吹き すさぶ真冬の格好だ。  さわやかな春にそぐわない事この上ない。 「なんだ。無事じゃねえか。返事ぐらい、しろ」  げしげしげし。  再び、蹴り。  相当短気らしい。 「当たり前じゃな…………! ……痛ぅ」  咄嗟の激昂からきた衝撃に顔をしかめつつ、額を押さえる少女。 「あーあー、痛いのに無理しちゃってさ」 「……あんたらみたいのに付き合っちゃいられないわ。学校、行かなきゃ」  今年の4月に入学してから少女の遅刻回数は既に4回を数えている。他の生活態度が真 面目だからまだいいようなものの、それでも悪印象には違いない。  ガチャガチャと転んだままの自転車を立て直し、転倒の衝撃で何やらあさっての方向に 向いているハンドルと前輪の角度をえいやっと直角に戻す。手慣れているらしく、早い。  んで、腕時計を一瞥。 「あああっ! もう8時5分っ!」 「……頭が痛いのは? 病院行った方がいいぞ〜」  少年のツッコミもどこへやら。少女はそのまんま自転車に飛び乗ると、急な坂道を一気 に駆け下りていった。 [4/28 AM9:15 帝都外縁南 東条学園中央校舎1F 職員室] 「何ですか? ……名簿? 被災者名簿ですか? ええ。新聞を見れば……。それをそち らにFAX? メールの方がいい? 画像の添付ファイルでいいんですね? 形式は…… ええはい。ええ、すみません。回線の状態が悪くてよく聞こえないもので……」  と、女性はこちらに来る気配に気付き、そちらの方へにこりと笑いかけた。 「すみません。ちょっと、用事が出来てしまいまして……。ええ、はい。今度はこちらか ら……あ、はい。分かりました。それでは、失礼します……」  持っていなかった方の手も添えて受話器を置くと、改めて気配の方を向き直る。 「ごめんなさいね。高校時代の先輩で、色々とお世話になっている方だから……」  そこに立っていたのは、一人の少女。朝のホームルームが終わったこの時間に職員室に いる事に居心地が悪いのか、何ともばつの悪そうな微苦笑を浮かべている。 「いえ、それはいいんですけど……。その……ですね、塩川先生」  塩川と呼ばれた女性はまだ随分と若い。多分、今年大学を卒業したばかりか、ようやく 2年目といった所だろう。年の割に小柄であったので、少し贔屓目に見れば目の前の少女 の先輩……要するに、女子高生……と見られる事だってあるかも知れない。 「ええっと……」  「?」と言った調子で少女の様子を眺めていた塩川だったが……。 「……♪」  額の絆創膏と名札に描かれたその名にようやく思い当たるフシがあったのか、ぽん、と 手を叩いて少女の方に微笑みかけた。 「遅刻5回目は『空中回廊』の掃除を三日間お願いしますね。伊月遙香さん」 [4/28 PM4:30 帝都外縁南 東条学園北校舎庭園 空中回廊] 「で、放課後なんかに真面目に掃除してんのかぁ。伊月遥香……さん? は……」  少年は少女の名札を見ながら、そんな声を掛けた。漢字の読み方に自信がないのか、「さ ん」の語尾が少しだけ高めの疑問系っぽくなる。 「あ、はい……」  無駄に馬鹿でっかい学校の校舎と校舎を繋ぐ、学校の庭に渡された廊下。その廊下、通 称『空中回廊』を箒で掃除する遥香は、廊下の手摺りに腰を下ろしてCDを聞いている少 年に小さな声で返事を返した。 「なんか、変なヒトに会っちゃって……遅れちゃったんですよ」  少女は、ほぅ……とため息。擦りむいた額に貼ってある絆創膏、僅かにしわが寄る。  遅刻しそうで家を出て、自転車に飛び乗って坂を下り始めた遥香に目に入ったモノは… …一人のコートを着た人の姿。いや、それだけなら、別に驚くような事でも何でもない。 4月も末とはいえ、時々は寒い日もあるのだ。寒がりなのか変わり者なのかは分からない が、コートを着たヤツくらいいるだろう。  例え辺りに惜しげもなく違和感を醸し出す存在であったとしても。  ただ、電柱のてっぺんに不動の姿勢で立っているヤツというのは……そういない。思わ ず呆気に取られていた所でお約束と言うべきか、遥香は坂の麓の曲がり角にぶつかってし まったのである。  そこがゴミ捨て場でなかった事だけが、せめてもの救いだった。 「そうなんだ。世の中、変な人が多いからねぇ」  手摺りに座る少年の脳裏のその構図が浮かんでいるのかいないのか。少年はにこにこと のんきそうに笑っているのみ。時折風に揺れるイヤホンケーブルの絡まりをほどく以外に、 目立ったアクションをする様子もない。 「けど、元気がないのって……それだけじゃないでしょ。何だったら、ボクが相談に乗っ てあげてもいいけど……」  相変わらずのにこにこ顔で、少年は言葉を続けた。どうやら内心を見抜かれたらしく驚 いている遥香の態度に、そのにこにこはさらに強くなる。 「はぁ、ありがとうございます。けど、村雨先輩……」 「友達は音印で呼ぶけど?」 「あ、えっと、それじゃ、音印先輩……」  相変わらず先輩は付けたまま……流石に新入生の遥香に3年の音印を呼び捨てで呼ぶ度 胸はない……、遥香はうつむき加減で言葉を紡いだ。 「なに?」  あまり先輩後輩を気にしないタイプなのだろう。音印は長年の友達を見遣るような調子 で遥香の言葉を待つ。 「えっと、私……前から先輩に言いたかった事が……」 「?」  遥香の頬は、微かに上気している。恥ずかしいのか緊張しているのか、箒を強く握りし めたその手は、既に白い。 「あの……その……」  対する音印は黙ったまま。  静かに。そしてその笑みを絶やさぬまま、遥香の言葉を待つ。 「えっ……と、そのCDって何の曲ですか?」  少年のイヤホンから僅かに漏れだしていた音が、止まった。  人気のない放課後の校舎を、妙に間の悪い静寂が包む。 「『Zion』の『one's wish is granted』だけど……?」  優しくそう答えた少年に、少女は慌てて訂正を返す。 「いや、そうじゃなくって……」 「ああ、そうなの?」  一人で慌てる少女を穏やかに見つめ、少年は待った。しかし、少女の言葉を待つ少年は 止まってしまったCDを再び動かそうとはしない。  ただただ、少女からの言葉を、待つ。  再びの、沈黙。 「……」  そして。  何かの意を決したのか。  うつむいていた顔を上げ、持っていたままの箒を少年の前にずいと差し出す少女。 「先輩……私……」 「箒? ああ、そうか、ボクも掃除しなくっちゃね。遅刻しちゃったんだから……」  少女の手から箒をすぃ、と取り、少年は苦笑を浮かべる。 「違います! そうじゃなくって! そうじゃ……なくって……」  音印のナチュラルなボケに決意をくじかれたのか、少女の声はだんだんと小声になり… …。  また、沈黙。  三度目の静寂だ。 「…………考えが、まとまらない?」  頬を僅かに赤く染め、小さくこっくりと頷く、遥香。 「それじゃ、よく考えをまとめて、また今度聞く事にするよ。今日はとりあえずここの掃 除をやっちゃわないとね。……それでいい?」  にっこりと笑った音印に、遥香はまた頬を染めて小さく頷いた。 [4/28 PM4:40 帝都外縁南 東条学園北校舎庭園 空中回廊近辺]  どうやら話は終わったらしい。空中回廊で話をしていた少年と少女は置いてあった箒を 取り、掃除を始めてしまった。無言ではなく時折何事か会話をしているようだが、当たり 障りのない内容の会話で、『彼女』の興味を引くようなものではない。 「…………残念」  少女は短くそう呟くと、そのままどこかへ姿を消した。 [4/30 PM5:05 帝都外縁北 古書店『霙堂』]  そこに漂うのは、古い紙の匂い。  時と歴史を刻む大地と同じ黄土の色を蓄えた、そんな紙の匂い。 「それで、三日間掃除を一緒にして聞けたのは、聴いているCDのタイトルだけ……です か」  だが、その古書店の中を静かに通り過ぎたのは、古本とは対極に位置するデジタルメディ アの名前であった。 「ええ。けど、明日お話しして貰う約束もしましたし……その時には……絶対」  三日間の掃除で、という所はさりげなくほかして置いて、遥香は嬉しそうに言葉を続け る。普通なら、普通科一年の遥香と攻科三年の音印では接点などないと言っていい。今ま で一方通行のあこがれだったのがある程度の顔見知りになれたのだ。遥香個人の評価とし ては、十分に及第点といっていい。 「でも、『one's wish is granted』かぁ……。先輩、よっぽど好きなんでしょうね…… 『Zion』」  音印が聞いていたのは、三日の間ずっと同じ曲だった。掃除の間も別のCDなど持って きている様子がなかったから、本当に三日間同じ曲を聴きっぱなしなのかもしれない。  『one's wish is granted』。  『望みがかなう』の名を冠された、『Zion』初のバラード。激しいロックを基調とする 『Zion』には異色ともいえるその曲であるが、それでも『Zion』の作品である。曲の内 容もさることながら、そのブランド名を合わせて三ヶ月近くもヒットチャートのベスト1 0にランクインしていた。  当然、その事を目の前の女性に嬉しそうに話している少女……遥香も一枚持っている。 内心では、「Zionの曲調にちょっと合ってないな……」などと思わないでもなかったが。 「『Zion』、ねぇ……」  ぱらり……と紐解いていた和綴じの本の頁をめくると、女性は短く相づちを打った。薄 いパラフィン紙で丁寧に覆われた古書の状態は悪くない。妙な湿り気はおろか、日焼けや 紙魚の一つも浮いている気配が見えなかった。 「私は、ああいう早い曲はあまり得意ではありませんが……」  いい雰囲気に草臥れた古書店に流れているのは静かなピアノ曲だ。そこらのスーパーに 流れているような趣味の悪いテープ曲や、コンビニに響くヒットチャートの曲ではない。  居心地の悪い沈黙をかき消せる程度に強く、そして本を読む邪魔にならない程度に弱い、 そんな穏やかな旋律。  最近は有線放送にもこういうチャンネルが出来ているのだ。便利な世の中になったと、 女性は思う。 「ふぅん……。けど、霙さんももうちょっと……ねぇ」  女性……霙の外見は悪くはない。遥香達同性から見ても、『この店の客は彼女目当ての 客が大半……』という噂が誇張ではない事に無意識に納得してしまえる程度に。  少し化粧でもして街を歩けば、大抵の男どもは放っておかないだろう。  当の遥香だって、本を買いに来るというよりも、この物静かな和服美人との会話を楽し みに来ているクチなのだから。 「……私の事よりも、その『彼』というのは?」  と、脱線し掛けた話をさらりと元に戻し、霙は机の隅に積まれていた次の本を手に取っ た。買い取ったばかりの本らしく、まだパラフィン紙の装丁もされていない本だ。  少しばかり痛みの激しいその本の様子に、女性は小さく整った眉を顰める。 「あ、そうそう。それでね……音印先輩……」 [4/30 PM6:50 帝都外縁北 古書店『霙堂』] 「さて、と……そろそろ看板ですわね」  机に置かれた古めかしい黒電話の受話器を静かに本体の上に置くと、霙はそう呟いた。  結局、遥香が家に帰ったのはつい先程である。話していても普通の仕事は出来るし、霙 自身も人と話すのは嫌いではないから……無論、彼女目当ての下心丸出しの男との会話は 別だ……、ひやかしの遥香を別段邪魔だてするつもりはないのだが。  電話が掛けられないのだけが困り物。  お陰で、注文を受けていた本の入荷を知らせ、配達するための手配の電話をするのが閉 店間際のこんな時間になってしまったのだ。 「バイク便の手配も終わったから……。後は戸締まりをするだけ、かしら」  戸締まりとは言え、別段特別な事をするわけではない。直射日光を避ける為にブライン ドやカーテン類は常に閉じられたままになっているし、シャッターなどがあるわけでもな い。単に窓の戸締まりの確認をして、滅多に顔を見せない店主から預かった鍵で入り口の 鍵を閉めるだけだ。  戸締まりが終わる頃にはバイク便の配達者もやってくるはず。丁度いい時間配分と言え るだろう。 「けれど、好きな人……か」  薄い肩掛けを羽織り、霙は外へと出た。冬の夜のように凛とした鋭い冷たさはもう感じ られないが、春の夜というものは思うよりは寒い。  まだ、吐く息も僅かに白い。 「まさか、凍らせて山に連れて帰るわけにもいかないしね……」  誰とも無しにそんな事を呟くと、和服の美人はかちゃり……と扉の鍵を閉めた。 [4/30 PM6:51 帝都外縁北 古書店『霙堂』近辺の路地裏] 「あ……」  少女はその場で動きを止めたまま、一歩も動けなかった。  目の前にいるのは、巨大な影。 「ぐるぅぅ……」  響いてくるのは、低い、唸り声。  獣の、声だ。 「あ……。あ……」  ずっと都会暮らしをしていた少女に大型獣を目の前にしたときの対処法など浮かんでこ ようはずもない。せいぜい、「何でこんな所に熊が!?」とか、「死んだフリするのは良さそ うに見えて実はまずい……」などという妙に冷静な感想が浮かんでくるだけだ。 (め……目を合わせなきゃ!)  本で読んだ知識では、熊などの野生の獣は目を合わせれば襲ってこないという。どこま でが本当かは分からないが、有効策が思い浮かばない以上、それにすがるしかない。  ようやくそんな事を思い出した、その時。  ばさり。 「逃げやがれ!」  少女と影の間に飛び込んできた、新たな声が叫ぶ。年の頃は少女と同じくらいか、少し 上くらい。 「あ! あんた!」  思わぬ助けに呪縛の切れた少女の声をはらみ、影のまとっているボロボロの外套が大き く翻る。  先日一度だけ見たあの怪しげな少年の、外套が。 「ンな事なんざどーでもいいんだよ! テメ、早く逃げろっつってんだろが! 早く!」  先程までの凍り付いた空間は既にない。あるのは、少年の怒号と、獣の唸り声と……  どこからともなく聞こえる、カーステレオの音のみ。 「う……うん!」  少年の声に弾かれたように、少女は路地の向こうへと掛け始めた。目指すはカーステレ オ……誰かは分からないが、その曲を聴いている人間の方。  突然非日常の中へと放り込まれた少女には、少年を心配する心の余裕などありはしない。  少女がその事に気付いたのは、カーステレオを聴いていた若い女性の車で近くの交番に たどり着いた時だった。 [4/30 PM7:05 帝都外縁北 古書店『霙堂』] 「ええ。これと、この本をお願いします」  簡素だが丁寧に包装された本と宛先の描かれた紙を男に渡すと、霙はぺこりと頭を下げ た。 「ミカド・マサト……サマ。これでよろしいんですネ?」  宛先の伝票を確認しつつそう答えるのは、長身の人物。声の様子から男だろうとは分か るが、原色の派手なバイクスーツのラインは男にしては細く、女性にしてはやや起伏が少 なかった。フルフェイスのヘルメットをかぶった顔の奥も、霙からは伺うことが出来ない。 「場所は箱…ネ。ハコネ……フムフム。ハコネなら長距離料金になりますガ、宜しいです ネ?」  イントネーションが日本人とは異なっているのは、外国から働きに来ている人だからだ ろう。現代の帝都では、外国人労働者など別に珍しくも何ともない。  無論、どこからが違法でどこまでが合法な滞在なのかは霙の関与する所ではないのだが。 「ええ。先方の了解を取っていますから……。宜しいですか?」  控えめな霙の問いに、フルフェイスはおかしそうに肩をすくめて見せた。どうやら笑っ ているらしい。 「長距離だと、ワタシ達の手取りもいいんでス。お気ニなさらずに」 「では、お願いします」  そしてバイク便の男はアクセルを軽く蒸かすと、霙堂の細い路地を勢い良く走り去って いった。 [4/30 PM7:30 帝都外縁北 古書店『霙堂』近辺の路地裏]  光も差さぬ、路地裏。  夏ならばまだ夕日の残光も差し込む時間帯であろうが、4月のこの時期のこの時間には とうに日も沈み、町中は夜の支配下にある。  高い板塀に囲まれ、街灯の光もない。  闇。  夜のない人の街にささやかに生まれる、黒の領域。  その闇の中、小さな緑色の輝きが宿った。  続き、短い電子音が3音。僅かの間を置き、それに続く長い電子音がきっかり3音。  ほんの3コールで、相手は携帯の呼びかけに答えた。 「はい、警察ですが?」 「例の連続猟奇事件。また、起きたよ」  少女の声で紡がれた言葉は、短い。  だが、重い。 「もしもし? もしもし!? 外縁北第6交番の近くですか!?」 「そう。場所は帝都外縁北……」  短い住所の羅列の後に聞こえたのは、先ほどよりも短く高い、電子音。  通話終了。  携帯と通話口を覆っていたハンカチをポケットに仕舞うと、少女は何事もないように歩 き始めた。  少女の声は電話口を覆ったハンカチでかき消され、誰の物とも知れぬ声として相手方に 届くはず。いくら第一発見者とはいえ、事情聴取に巻き込まれるのはごめんだ。 「……めんどくさい」  ぽつりとその言葉だけが残り、少女の気配は何処かへふいと掻き消えた。
続劇
< First Story / Next Story >



-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai