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 がたん。ぷしー……

 男が電車から降りると、そこは一面の平野だった。
 ぷしゅ、とドアの閉まる音が背後から短く聞こえ、すぐさま重いモーターの駆動音が数
量の客車の連結された電車を押し出していく。
 がたがたいうレールの段差を踏む不規則な音ががたた、がたたん、と規則的な音に変わ
り、やがてその音も聞こえなくなる。
 男がようやく振り向くと、そこには……何もなかった。
 見慣れた街も、
 駅のホームも、
 いや、電車が通っていたはずのレールすらも。

 その状況を確認して、男はぽつりと呟いた。

「どこだ? ここ」


降りたる者の前奏曲(プレリュード)
 男は再び周囲を見回す。  背の高い男だった。2mを超す身長にしっかり筋肉が付いているから、長身の男という より単純に巨漢と言った方がしっくりくる。それがボディビルなどで付けた無駄な筋肉で ないのは、見回す体の動きに何ら強ばったところがない所から知れた。 「ふむ……」  一面の草原だ。足首にたわない程度の短い草が、見渡す限りの地面を覆っている。褪せ たような黄色をしているのは、多分その草が枯れているからなのだろう。  どうやら季節は秋か、冬か。もしかしたら春にやや足らぬ頃合いなのかもしれないけれ ど。  いずれにせよ、記憶にない場所だ。少なくとも、環状線で降車できる界隈にこんなだ だっ広い草原はない。 「……」  続いて空を仰ぐ。  青い空に白い雲、太陽は中天に一つ。  時刻はどうやら昼頃らしい。  腕時計を見ると、時刻は午後3時を指していた。  確か、男は電車に乗っていたはずだ。院長……従業員が一人しかいない小さな動物病院 のヌシをそう呼ぶのならば、だが……の使いで知り合いの所に行った帰り。いつもの通り 区切りのいいところまで本を読んでいたところで駅に着き、そのまま降車した。  ……はずなのだが。  小さくため息。 「……まあ、いいか」  低い声でぼそり、呟く。  どうせ今日は急ぐ用事もないのだ。それにそこにレールがない以上、次の列車が来ると も思えない。  男は持っていた大きめのバッグをひょいと肩にかつぐと、そのままアテもなく歩き始め た。
 少女は草を刈っていた。  自らの背丈ほどもあるフォークを使い、小さな身体を一杯に伸ばして集めた牧草の山を 持ち上げ、積み上げる。  そんな作業を30分ほども続けただろうか。 (ふぅ……)  フォークを地面に突き立て、軽く一息。  小さい頃からやっている作業であっても、少女はまだ10を目の前にしたばかり。あま り体力のない彼女には大仕事だ。神殿長の老婆から任された仕事とはいえ、自分向きでは ないな……と少しだけ思う。 (今ごろは姉様達、王都か……)  ふと、青い空に想いを馳せた。  半月ほど前に神殿を立った少女の先輩の娘達は、そろそろ評議会のあるポザネオ島に着 いているはずだ。この世に破壊をもたらす『奇声蟲』と戦うべく呼び出された異界の戦士 『機奏英雄』と共に戦う『歌姫』の候補者として。  別に置いて行かれたのを残念とは思わなかった。もちろん少女とて『歌姫候補』の見習 い。機奏英雄に興味がないといえば嘘になる。けれど、まだ『歌姫』としての名前も与え られぬほど幼く、未熟だ。それに進んで戦いを望む性格でもない。  だからこうして、一人で牧草刈りに精を出している。 (そうだ……)  ふと何かに誘われるように、口を開いた。 ──風は吹いて 土は抱いて 水は育てるよ──  草刈りの歌だ。  いつもは仕事に出るみんなで歌う歌を一人で歌うのは少し寂しかったけれど、それでも 黙って仕事をしているよりは元気が出た。  続けて歌いながら、フォークを再び手に取る。フォークも草も重かったけれど、それで も歌うだけで少しは軽くなる気がした。  そうして仕事をこなす事、しばらく。 (……?)  ふと、気配を感じた。  まだ昼にもなったばかりだ。親代わりの神殿長が様子を見に来るのは夕方頃のはずなの に。それとも誰か手伝いにでも来てくれたのだろうか。  ……どさ。 「え……?」  鈍い音に振り向くと、なだらかな丘の上、30歩ほど先に何か巨大なものが倒れている ではないか。 「え? え……???」  それが何か分からないまま、少女は慌てて駆け寄っていた。  『それ』は、少女が見たこともない生き物だった。  頭に胴、2本の手足。構成そのものは少女達『ひと』と大差ない。  だが、その形はどうだろう。  背丈は少女の倍ほどもあるし、腕の太さだって少女の太ももほどもある。体つきも服を 着ているだけだというのに、鎧をまとっているかのように分厚く、頑丈そうだ。 「……助かった」  『それ』は、少女によって運ばれた草の山にもたれた姿で、そう答えた。  声も重く、大地の底から響くよう。ハープやトランペットの軽やかな音色ではなく、打 楽器のような低音の声。  それも少女達『ひと』の持ち得ないものだ。  前に隣国のシュピルドーゼから来た戦士達も大きく立派だと思ったが、目の前の『そ れ』は少女の想像を絶する存在だった。 「いえ……そんな」  こんな『ひと』がこの世界に存在するなど、神殿でも教えてもらわなかったというのに。  ただ、穏やかで小さな目からは恐怖を感じなかった。  だから普段は人見知りする少女でも、『それ』を助けることが出来たのだ。 「それじゃ、私……仕事がありますから」 「仕事……?」  周囲の状況を見回して理解したのか、『それ』はゆっくりと立ち上がった。  今までほとんど同じだった視線の高さがぐっと上がり、少女では見上げないと『それ』 の顔が見えないほどになる。  無言のまま太い腕でフォークを掴み、がさがさとまわりの草を集めて一気に持ち上げた。 量は少女の3倍。いや5倍はあるだろうか。  そんな膨大な量を苦もなく持ち上げ、草の山の上にばさりと降ろす。  山の高さが一気に増えた。 「そんな。わたし、やりますから……」 「……助けてもらったのと、昼の礼」  圧倒的な力と共に返ってくるのは、ぽつりと呟いた言葉。 「でも……」 「あの歌のおかげで助かった。もう1日歩いたら、多分保たなかった」  さっき歌っていた草刈りの歌を言っているのだろうか。だったら少し、恥ずかしい気も する。 「保たなかった? 何日歩いてたんですか?」  その中に不穏当な言葉を聞き入れ、ふと言葉を繰り返す少女。 「三日」 「三日も! だったら休んでてください!」  三日歩くこと自体はそう大したことでもないが、食料も水もないとなると話は別だ。こ のあたりは村の周辺以外は見渡す限りの草原だから、森のように狩りや泉に頼るわけにも いかない。  そもそも相手は小さなバッグらしい物以外、食料も狩猟道具も何一つ持っている様子が ないことだし。 「もう大丈夫」  だが、『それ』はそう言っただけで再びその辺の草を集め、先程と同じくらいの山にし て少女の傍らにどさりと山を作る。 「けど、歌ってくれると嬉しい。あと、どこの草を集めたらいいのか教えて欲しい。分か らないから」 「……はい」  低い声は重いが穏やかで、静かに水をたたえる湖を思わせた。  深い湖は反論を聞き入れず、かといって力で圧することもせず。ただただ、少女では抗 えぬ意志を持ってそこにある。  強く。そしてあくまでも穏やかに。 「それと……名前は?」 「え?」 「呼びにくい。俺は一龍。あんたは?」 「あ、えと……スイ、と言います。歌姫の号は、ありません」  『それ』……一龍の問いかけに、少女……スイは小さくそう答えた。  それから、スイは草刈りの歌を口ずさみながら、牧草集めの作業をこなした。スイは 歌っているし一龍もあまり自分から喋る性格ではないから、会話らしい会話はほとんどな い。  時折、あっちの草を集めてください、とか、休憩しましょう、とスイが言い、それに一 龍が短く答えるというだけだ。  やがて、草を扱う音を伴奏にして。スイの綺麗なソプラノに歌詞を覚えたらしい一龍の バスが加わり、重唱となったメロディは広い草原へ穏やかに流れていく。  時間が経つのはそれこそすぐだった。
続劇
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