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イマドキのリストラ事情



その5 イマドキの自主退社

 「あれ……」
 ミユキは窓から差し込んでくる光に、ようやく瞳を開いた。
 「目覚まし……鳴らなかったのかな?」
 普段は目覚ましが鳴ればすぐに目が覚めるはずなのに。そんな事を思いながら、ベッ
ドサイドにある目覚まし時計を手に取る。だが、そこにあったのはいつもの目覚まし時
計ではなく、一枚の紙切れ。
 「カズマ……くん?」
 手帳の一頁を切り取ったのだろう。意外にも丁寧な字で書き込まれたカズマの置き手
紙を、ミユキはベッドに寝転んだまま目を通していく。
 「『今日は会社の方には休暇届けを出しておきます。ゆっくり静養してください。お
粥と薬の用意を勝手にさせてもらったんで、体調がまだ悪いようなら飲むように。それ
から、部屋のロックはちゃんと掛けて、鍵は新聞受けに放りこんでおきました。あなた
の忠実なる部下、武井カズマより』……ったく、カズマくんったら」
 そこに至って、ミユキはようやく昨夜の事を思い出した。確か、雨に濡れて熱を出
し、そのまま倒れてしまった……ように思う。今は気分もそれほど悪くないし、額に手
を当てると既に熱も引いているようだが。
 ベッドから起き上がると、傍らのテーブルの上に、お粥の入っている行平鍋とわざわ
ざ買ってきたらしい風邪薬が置いてあるのが見えた。よく考えると、昨日はお昼以降何
も食べていない。
 「へぇ……。美味しい……」
 カズマお手製のお粥を一口口にするなり、ミユキは思わず呟いていた。そういえば、
こんな美味しい手料理を口にすることなど、両親が死んでから初めてではないだろう
か。
 さりげない優しさに、思わず涙腺が熱くなる。
 「ったく、カズマくんったら……」
 ミユキが『自分がパジャマに着替えている』事に気付いて顔を赤く染めるのは、もう
少し後の事であった。


 「武井くん。六課の調子はどうかね?」
 二人しかいない会議室で、中年太りの営業部長はもう一人のカズマに向け、声を放っ
た。
 「ええ。稼働準備は全て整いましたから、いつでも運用は可能なんですが……」
 運用は可能だが、正直な所何をすれば良いのかが分からない。六課の仕事の内容を、
ミユキもカズマは知らないのだ。
 「そうか……。そういえば、武井くんは麻生くんの事をどう思う?」
 と、突然にそんな話題を振られ、カズマは怪訝そうに返事を返す。こういう突然に話
題を振る所は、この上司の悪い癖だ。しかも、やたらと遠回しに。
 「どう思うって……いい上司だと思いますよ。部下に親身になってくれるし、元気だ
し」
 「うむ。彼女は我が社の将来を背負って立つ貴重な人材だと、私も常々思っている」
 この男が何を言いたいのかは、いくらカズマといえども分かっている。こういう面倒
な化かし合いが嫌いなカズマは、一気に勝負に出る事にした。
 「要するに、部長は俺にこう言いたいわけでしょ。『彼女の出世コースに俺は邪魔だ
から、さっさと退職届けでも出したらどうだ……』ってね」
 一瞬の沈黙。
 だが、その沈黙を部長はあっさりと破った。
 「ああ。その通りだ。まあ、実際には彼女に世間の厳しさを教えるための布石の一つ
だったわけだが……。どちらにせよ、君が彼女の将来を心配するのなら……」
 ばん。
 部長の言葉が終わる前に、彼の目の前へ一通の封筒が叩きつけられる。
 「あくまでも自主退社ですから。その分の退職金の割り増し、お願いしますよ」
 「ああ。そうしておこう……」
 静かな怒りを込めたカズマの言葉を長年の経験でさらりと受け流し、部長は短くそう
答えた。


 そして、青年……武井カズマは会社を辞めた。
続劇
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