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 華が丘山の頂。
 穏やかな風が吹くのは、神の祭られた社。
 辺りにいるのは、数人の少女と一人の少年。そして少女の腕に抱かれた、赤ん坊が一人。くうくうと穏やかな寝息を立てる赤ん坊を除けば、誰もが喜びと寂しさがない交ぜになった……そんな複雑な表情を浮かべている。
「そっか……。瑠璃呉くん達も、時の迷宮であのコ達に会ってたんだ」
 ふもとから階段を経て続く長い長い石畳をぼんやりと眺めながら、細身の少女が呟くのはそんなひと言だった。
「ああ」
 彼の体感した時間にして、ほんの数日前。
 遥かな時の彼方。そこで再会した『あのコ達』をこの時代に導いたのは……他ならぬ陸自身だ。
「大神を連れに来てたってのは、知らなかったけどな……」
 短い付き合いではあったが、少女達の事はよく知っている。その両親を含め、信用に足る人物である事は確かだが……。
「柚ちゃん、会えるの楽しみにしてたんだけどな」
 陸の傍ら。腕の中に赤ん坊を抱き、少女は穏やかに空を見上げる。
「ファファちゃん達、うまくいったのかな……」
 少女……ファファ達は、救いたい誰かのためにこの時代を目指しているのだと言っていた。
 大神柚子を連れて行く事がこの世界に来た目的だったとしたら、その目的を果たした彼女達は、救いたい誰かを救う事も出来たのだろうか。
「大丈夫だよ。きっと、上手くいってるって」
「そう……だよね」
 はるかな青空をゆっくりと旋回するのは、天の気と魔力が応じて生まれた巨大竜。その姿を目にする度に、少女は伴侶の少年と出会った時の事を思い出す。
(ここで陸さんに助けられたのが、私の始まりだったのよね……)
 少年と出会い、愛を交わし、試練を越えて……そこから至る結末は、少女の腕の中にある。
 もちろんそれは終着点ではなく、この先にもずっと続く物語の区切りでしかない。けれど、陸との物語もひとまずはハッピーエンドなのだ。きっとファファ達も、ハッピーエンドを迎えられるはず……だ。
「で、俺達は何をすればいい?」
 陸の言葉に思考を戻せば、彼を驚いた表情で見ているのは、周りで話をしていた少女達。
「何って……?」
「あいつらの来た未来を目指すんだろ。これから」
 大神柚子は十六年の時を隔てた未来にいるのだ。
 永遠の別れというわけではない。そこに至る道を辿ることが出来たなら、道の先には必ず少女との再会が待っているはずだ。
「説明して信じる奴がそういるとも思えないしな……。けど、俺もルリも出来る手伝いはするつもりだぜ」
 十六年後からの旅人の事は知っている。
 大神柚子の事も知っている。
 そもそも彼ら自身が時の彼方で一年の時を過ごしてきたのだ。彼女たちから聞いた物語を疑う理由など、何一つ無い。
 何より、彼らも大神柚子にもう一度会いたかった。
「うん。それじゃあ……」
 陸の言葉に小さく頷いて、少女達は言葉を紡ぎ……。


 ここで一つの物語は結びを迎える。
 瑠璃呉 陸と、ルリ・クレリックの出会いの物語。

 だが、これで彼らの……そして、彼女たちの物語が終わったわけではない。

 始まるのは、新たな物語。
 瑠璃呉 陸と、ルリ・クレリック。そして六人の少女達が、未来を目指す物語。
 その物語が繋がる先で。
 もう一つの結末を迎えるのは、十六年後の同じ場所。

 2008年の末。
 彼女たちの目指した結末の先。
 年の瀬を控えた、華が丘から始まる……。


華が丘冒険活劇
リリック/レリック

エピローグ 再びようこそ、華が丘へ!


1.学校へ行こう!


 いかに田舎町の華が丘でも……いや、日常の変化に乏しい田舎だからこそ、十二月を目前に控えた時期となれば商店街にはジングルベルが流れ、店の装飾にもクリスマスカラーの割合が増えてくる。
 もちろん、通りの中央に巨大な樅の木を立てたり、派手な電飾をするほどではない。それぞれがモールやリースを軒にぶら下げる程度のささやかなものだが、それでもそれなりの雰囲気は出るものだ。
「おや、親子揃ってお買い物ですか?」
 そんな賑やかに飾られた通りを歩く二人組に掛けられたのは、背後からの声だった。
 一人は華が丘唯一の高校の制服を着た少女。
 もう一人は、スーツ姿のキャリアウーマン風の女性。
 だが、男の声に対する二人組の反応は、どちらも芳しくはないものだ。
「あ、あの……瑠璃呉さん……」
 女子高生の方は若干おどおどとしながら、声を掛けてきた男の名前を困り顔で呼んでみせて……。
「…………」
 女性に至っては、男の姿を確かめるなり露骨に嫌な顔をしてみせる。
「……ンだよ。兎叶はノッてくれるぞ?」
 二人の視線を受けて、陸はつまらなそうにため息を一つ。
 これがはいりなら、「ウチの娘、可愛いでしょー!」とか何とかニコニコしながら少女を抱きしめてみせるのだが……。
「ちょっとパパ! 葵先生も、微妙なお年頃なんだから……」
「リリさんも……」
 明らかにフォローになっていないリリの台詞に、少女はがくりと肩を落とす。
 空気が読めないのは、間違いなく父親の遺伝だ。娘の母親は、もう少し空気が読める女性だったはず。
「けど、今日はリリちゃんとお買い物なんですね。ルリさんは?」
 そんな事を話していると、近くの精肉店から件の女性が姿を見せる。
「もぅ。柚ちゃんは同級生なんだから、ルリでいいよぅ」
 柚子がルリ・クレリックと同級生だったのは、十六年前の事だ。もちろん十六年前の華が丘からやってきた柚子にとっては、ついこの間の出来事ではあるのだが……。
「え、で、でも……」
 目の前の大人のルリからそう言われても、なかなか慣れるものではない。
「でもじゃない!」
 言い淀む柚子を悪戯っぽく睨み付けるのは、十六年前の彼女の仕草そのままだ。その事にわずかに安堵の吐息を漏らし、柚子はぽつりとその名を呼んでみせた。
「じゃあ……ルリちゃん」
 その呼び方に、ルリは厳しい顔を柔らかく崩し。
「よしよし!」
 わしわしと頭を撫でてくるその手を、同級生に対する扱いじゃないよね……とも思うが、流石に口には出せずにいる。
「……けど、今日はずいぶんとご馳走みたいね。クレリックさん」
 陸の提げている買物袋には、明らかに四人家族にしては多めの食材が詰め込まれていた。彼女の家にホームステイしている少年の食欲を考えても明らかに多く、また気合の入った材料が揃っているように見える。
「はい! 今日はセイルくんが帰ってくるから、ごちそうの日なんです!」
「ブランオートくん、どこかに行ってるの?」
 満面の笑みの少女に、葵はわずかに首を傾げてみせる。
 彼女のパートナーが単身で街の外に出掛ける姿が、ちょっと想像できなかったからだ。
「はい。ちょっと、メガ・ラニカまで……」
 そう言って見上げるのは、商店街の向こうにそびえる小山。
 その山にあるのは、華が丘の象徴となる八幡宮と……。


 華が丘山の中腹にあるゲートを抜けて、時と空間を越えた彼方。この世界とは事象の法則を異にするどこかに、魔法の世界は存在する。
「ここから先には……行かせない」
 魔法の性質を帯びた木々の生い茂る森の中。
 鋭く響き渡るのは、黒曜の弾丸の射撃音と、まだ若い少年の良く通る声だった。少年は弾丸と同じ黒色のマントと仮面を身に付け、銃口を森の奥へと構えたまま。
 その銃口は、森を震わせる咆哮が轟き渡ろうとも、一分としてぶれる事はない。静かに眼前の巨獣に照準を合わせ、次の動きを封じるべく構えられているだけだ。
「……セイル君」
 威嚇の声を上げるそいつの全長は十メートルほど。鋭い角と牙の並ぶ頭部、銀色の鱗と翼膜で構成された巨大な翼を持ち、長くうねる太い尻尾を備えたそいつは……華が丘の空を舞う『竜』と呼ばれる存在によく似たものだ。
 無論、仮面の少年が放った言葉は、竜に似たそいつに向けて投げかけられたものではない。
 答えの代わりに来たのは、大地を噛んで加速する車輪の駆動音。少年の言葉に応えるように、それはひときわ回転音を引き上げて。
「…………うん!」
 竜に似た巨獣が振り向いた時、既にその姿は背後にはない。
 頭上。
 おぉん、という残響音をまとい、竜の倒した倒木を踏み台に宙へと翔けたその身は陽光を背負う。駆動輪の中央から突き出たハンドルを掴む小柄な影は、握るその手を基点にして一瞬でそのシルエットを変化させた。
 即ち、駆動輪を駆る少年から、巨大な戦鎚を構えた戦士へと。
「………!」
 叩き付けられるのは、『あ』とも『お』ともつかぬセイルの叫び。鍛え上げられた鋼同士が正面から激突し合う、鈍く硬質な音が魔法の森に響き渡り……。
「……………っ!」
 弾かれたのは、小柄な体。
 強力な魔力耐性を持つ鱗さえ力任せに砕くはずの一撃は、いまだその域には至ることなく。
 背後へ飛ぶ小さな体と入れ替わりに竜に降り注いだのは、翡翠色の輝きをを帯びた閃光の雨と、力任せに銀鱗を砕く強く重い戦鎚の一撃だ。
「まだまだだな」
 何とか大地に降り立ったセイルに声を掛けたのは、セイルとさして変わらない背丈の少女だった。その背後では、頭蓋を砕かれた巨大な竜の体がゆっくりと傾ぎ、支える力を失って倒れ込んでいく。
「魔術師の称号を貰ったからって、気ィ抜いてんじゃねえぞ。セイル!」
 少女の怒声は、大地を揺らす竜の最期の轟きにも負ける事はない。
「…………まだ、貰っただけだから」
 魔術師の称号は、一人前の魔法使いの証。
 しかもメガ・ラニカを支える大魔女の属する流派のものとなれば、メガ・ラニカと地上の行き来や身分証など、相応の便宜が図られる特別なものだ。
 けれどセイルのそれは、修行のため、メガ・ラニカと地上の行き来が必要だったから与えられた仮初めの物でしかない。
 その事は、祖母から称号を与えられた彼自身が一番良く分かっていた。
 故に、強くなりたいと願う。
 いや、ならなければならないのだ。
「これ……古龍?」
「ヴィーヴルは竜ではありますが……古龍ではありませんね」
 セイルの問いに答えてくれたのは、少年達よりやや後方に控えていたローブ姿の少年だった。彼のまとう衣装もまた、セイルや仮面の少年とは異なる意匠を持つものだ。
「古龍が出るのはもっと奥だな。こんな入口には出ねえよ」
 背後に置かれた小さな祠を一瞥し、戦鎚の少女は小さく呟く。
 神なきメガ・ラニカにただ一柱奉られる守り神の祠は、魔法世界の各地でごく普通に見られるものだ。その役割は場所に応じて、森と里の境界線だったり、街道の守り神だったりと様々だが……いずれにしてもメガ・ラニカの民を見守る存在である事は違いない。
 もっともその神の正体が世界を滅ぼす力を持った災神であり、ゲートを隔てた異世界でいまだ封印されている事を知る者は、ほとんどいないのだが。
「そうだな。良い機会だし、見に行ってみるか……古龍」
 それはメガ・ラニカで最強を誇る魔法生物群に与えられる称号だ。
 幸か不幸か、このメガ・ラニカ南部で古龍の目撃例は数多い。討伐は出来なくとも、その姿をひと目目にするくらいなら出来るかもしれなかった。
「………帰る」
 だが、少女の提案を遮ったのは、白衣をまとった長身の男だ。
「もう帰るのかよ! 新人研修にしても早すぎだろ」
「………任務は、果たした」
 今回の仕事は、里の近くに現われた竜の退治である。
 目撃情報からすれば現われた銀色の竜はこのヴィーヴルの事だろうし、滞在している三日の間の調査でも、この竜以外の魔法生物の痕跡は見当たらなかった。
「お前らも大丈夫だよな? ええっと……大ローゼリオンの孫と、大クレリックの孫……………」
「ハロルドです」
「……海です」
 言外に『名前何だっけ?』と問われた仮面の少年とローブの少年は、ぽつりと自身の名を名乗ってみせる。
 ちなみに少女とのこのやり取りは、この三日間で七回目であった。
「そうそう。ハロルドと海!」
 ハロルドと海は、知り合いの魔術師から預けられた若き術者達だ。兄姉達がこの一年で何度も実戦を潜り抜けているという事で、何か思うところがあったのだろう。戦闘に臨む態度も、実力も、期待以上のものだった。
「こいつらなら、古龍を見に行くくらい………戦うとは言わないからさ」
「………学校」
 けれど、長身の男は少女の言葉をたった一言で遮ってみせる。
「ですね。僕らも学校が……」
 ハロルドも海も、学校の休暇を利用して実戦の場に出てきている休日冒険者の身だ。本文が学生である以上、休みが明ければ学校に戻るしかない。
「大ローゼリオンも大クレリックも許してくれるだろ。そんなの、少しくらい……」
「………ルーナも、学校」
 三度ぴしゃりと突き付けられた言葉に、ルーナは今度こそ黙ってしまう。
 彼女とセイルに与えられた休日は、月末の連休となった三日だけ。それを利用してメガ・ラニカにやってきたのだから、ハロルド達と同じく休みが明けるなら大人しくそちらに戻るしかない。
「………ああもう、分かった。分かったよ、月瀬。帰ればいいんだろ、帰れば!」
 黙ったまま頷く月瀬にルーナは渋々といった様子でそう叩き付け、がっくりと肩を落とすのだった。


続劇

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