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14.伝説、再び

 暴走したレムが飛んでいったのは、華が丘山の南側。
 そして、交戦があったのは社殿の北側にあたる場所だ。
 故にレムの元へと至る最短の地上ルートは、儀式の行われている社殿の真正面を通る事になる。
「これって………」
 石畳の参道の終着点。神と対面し、祈りを捧げる場所に聳え立つのは、光に包まれた巨大な柱だった。
「どしたんだ、子門」
 脇にいるのは彼女たちの直援に回った魔法使い達だろう。その一行の隅で所在なさげに携帯を持っているのは、真紀乃もよく知った顔。
 八朔だ。
「この中に……先生達が?」
 柱自体が強い光を放っており、覗いても内の様子は分からない。儀式は順調に進んでいるのか、それとも異常事態が起きているのか、予測さえも不可能なまま。
「始まってからずっとこんな感じだよ。とりあえず先生に頼まれたから、順調に進んでるってメールしてんだけど……ホントに順調に進んでるのかね」
「信じるしかない……か」
 この場にいる男達は、メガ・ラニカや魔法庁でもそれなりの腕を持った使い手達なのだろう。
 だがそんな男達の力を持ってしても、儀式に関して何をする事も出来ない。出来る事といえば、ただ柱を守り、黒く染まった天候竜達を近寄らせまいとする事だけだ。
(過去にあたし達を送り出した先生達も、こんな気分だったんですかね……)
 そしてそれは、過去への旅を真紀乃達に託したはいり達も、同じだったのだろうと容易に想像が付く。
「そうだ! 大神さん、さっき空をレムレムが飛んでいきませんでした?」
 ならば、ここで真紀乃が腐っていても仕方ない。彼女は、彼女の出来る事……すべきことをするだけだ。
「ああ、何か東の方に飛んでいったけど……それかな?」
「東……。ありがとうございます!」
 八朔にぺこりと頭を下げて、真紀乃も指差された方へと走り出す。


 階段を昇ろうとしてふらつく小さな体を、脇から伸ばされた腕がそっと抱き留める。
「ファファ、大丈夫?」
 小さく軽いファファの体は、今日はいつにも増して軽く思えてしまう。いかに魔力を消費したとしても、体重が変わるような事はないはずなのに……。
「だ……大丈夫だよ。それより、冬奈ちゃんは大丈夫なの?」
 先ほど別れた二匹の猫たちは、まだ華が丘のどこかで戦っているはずだ。
 ひとたび喚び出せばいくらでも強い力を使わせられるほど、世界の法則は甘くない。冬奈が喚び出したのはうちの一匹だけだが、彼女をこの世界に留め置き、強い力を振るわせるたび、術者たる冬奈にも幾許かの魔力の支払いが求められるのだ。
「当たり前でしょ。ファファが頑張ってるのに……こんな、ところで………っ!」
 けれど、冬奈がファファに向けるのはいつもの笑顔だった。震える足を気合で押さえ込み、ファファの体を勢いよく引き上げてみせる。
「もうちょっとで本部だから、二人とも頑張っ……」
 そんな二人に何かあっても支えられるよう殿を歩いていた悟司の言葉も、続いたのは階段を上がりきるまでだった。
「……………こんな所にも竜が」
 階段を上がりきった先。社殿に続く直線の石畳に舞い降りたのは、巨大な黒い竜。
 当然ながら、子供達数人で戦えるような相手ではない。竜に気付かれないよう、こっそりと本部へ向かうのが当然の選択ではあるのだが……。
「マズい! この先には、先生達が……!」
 はいり達の元にも、守備の術者がいるのは知っていた。けれど彼らが戦うほどの間合でブレスを放たれれば……儀式がどうなるかなど、想像するまでもない。
「ブランオートさん! リリさん!」
 まずは黒竜の気をこちらに逸らす事。それから、飛行魔法なり悟司の弾丸なりで時間を稼いでいる間に、応援を呼んでくる事。
 少年達の力だけで竜を倒す事が出来ない以上、それが最良の手のはずだ。
「…………ダメ」
 だが、呼びかけたセイルの返答は……否。
「あの黒い犬が……っ!」
 いつの間にか背後の森から少年達を包囲しているのは、蚩尤の魔力の残滓が産んだ黒い魔犬達。
 セイルはそいつらの牽制に既にハンマーを取り出しているが……そんな状態で黒竜の相手など出来るはずもない。
「竜が………!」
 そして竜がゆっくりと頭を巡らせるのは、儀式が行われている社殿に向けて。
 いや。大きく翼を拡げ、尾を伸ばし、背中の鰭とも棘ともつかぬパーツを鋭く立てたその状態は………。
「まさか、ここからブレス………!?」
 かつてメガ・ラニカに現われた黒竜は、その圧倒的な力で聖地アヴァロンを滅ぼしたと伝えられている。
 今現われている黒竜がそれに匹敵するほどの力を持っているとは思えなかったが……例えその何十分の一かの力でも、ここから社殿までをブレスで灼き尽くす事は不可能ではないはずだ。
 ならば、すべきことは一つ。
 悟司がケースから取り出したのは、自身で操れる最大数の弾丸……十発の弾丸だ。
「……ええいっ!」
 込める意思はとにかく直線。
 とにかく竜に当たれとばかりに、その意思を全力で叩き付ける。
 気持ちで撃つ。
 師たる青年の言葉が正しいのなら、今の想いに銀の弾丸は必ず応えてくれるはず。
「みんな! 何とか逃げて下さいねっ!」
 解き放たれた十発の弾丸はひたすら直線に突き進み、その全てが一分の狂いもなく竜の後頭部に叩き付けられる。
「当たっ…………た……?」
 竜の反応はない。
 だが、やがてそいつは、射撃体勢らしき姿勢を解き……。
 ゆっくりと巡らせる頭は、こちらに向けて。
「え、ちょ、こっち見てるよ……!?」
「見せてますから!」
 ファファの叫びに、悟司はこれ見よがしに大きく手を振ってみせる。
「っていうか来たし!」
「作戦成功じゃないですか!」
 冬奈の声に堂々と返し、悟司の額にたらりと流れるのは冷たい汗だ。
 とにかく、竜の気を社殿から逸らすことは出来た。その後にどうやって逃げるかは……何一つ、考えていなかったけれど。
「ブランオートさん!」
 悟司が声を掛けたのは、黒い犬と戦っている白い狼だ。所々に赤い斑紋の浮かぶその姿に、弾丸を放つ隙を作ってくれたことを感謝する。
「四月朔日さん達は、何とか飛んで逃げてください!」
 このあとどうするか、悟司は考えていない。
 ただ、冬奈とファファ、そしてリリは飛行魔法の使い手だ。特にリリはホウキを使って飛べるから、人の姿に戻ったセイルなら一緒に逃げることが出来るだろう。
 この状況でも、そのくらいは考えが回る。
 正確に言えば、考えていないのは悟司自身の逃亡手段だけなのだ。
「そうも言ってられないでしょ」
 そんな悟司の提案を、冬奈は速攻で否定する。震える膝を力一杯叩いて見せて、起動させるのは奇妙な抑揚の着スペル。
 彼女の周囲を青白い輝きが包み込み、長い黒髪も輝きと同じ色へと染まっていく。ひときわ強く収束した魔力が、角の形となって少女の額に結晶し………………。
 砕け散るのは、一瞬のこと。
「冬奈ちゃん!」
 きらきらと輝く魔力の残滓をまとって崩れ落ちるのは、冬奈の膝。
 本来なら、召喚魔法の維持だけでも膨大な魔力を消費しているのだ。そこに強化魔法まで重ねれば、限界などあっという間に来てしまう。
 だが、それでも冬奈は最前線に立つ。
 同じ前衛のセイルは背後のガルムと戦っている。
 悟司の力は、中距離でこそ威力を発揮するもの。
 リリとファファは幾つかの魔法も使えるが、それは決して前線で戦うための力ではない。
 全員で逃げられるなら、それでいい。
 けれど、全員で逃げられない以上……誰かを置いて逃げるという判断は、彼女の中にはありえなかった。
 ならば、選択はただ一つ。
「………………いいわよ、来なさい!」
 ここで彼女が戦うしかないのだ。


「キースリンさん、皆さん! 大丈夫…………ですか?」
 パートナー達の様子を見に来た祐希が目にしたのは、戦場にもかかわらず言い合いをしている少年達の姿だった。
「祐希!? おめぇ、なんでこんなとこに? 本部はどした」
「ギースさん達は本部を破棄して、副長さんの応援に行きました。本部の軍師の方達は、魔法庁の指揮所に合流すると」
「戦況はそこまで厳しいのですか……」
 ハルモニア家の騎士団は、いずれも多くの古龍や魔法生物を討伐し、退けた実績を持つ。ギースの団も分家とはいえ、一流の名を冠すに相応しい力と経験はあるはずだった。
 彼らが弱いわけでは、けっしてない。
 現われた黒竜の数が多すぎるのだ。
 メガ・ラニカに現われる古龍は、ほとんどが単体……ごく希に、つがいや数匹の群れで現われる程度。ここまで桁外れの大発生は、史上例がないと言っても良い。
 むしろ、ここまでの大発生に抗いきれている事こそ、彼らが一流の証であった。
「僕は連絡役で他の隊のかたとこちらの支援に来たんですが……何してるんです?」
 良宇が振りかざそうとしているのは、あまりにも巨大な板状の物体だ。
 わずかに湾曲したそれは、静かに月光を弾き……その冷たく妖しげな輝きで、ようやくそれが日本刀なのだと理解する。
「見ての通りだよ。おめぇ、そりゃいくら何でも無理だって」
 恐らく良宇は、それを武器として用いる気なのだろう。
 強化魔法の力を通せば、強度的な問題は何とかなるはずだ。しかし、全長五メートル近いその武器は、あまりにもバランスが悪すぎた。
 持ち運ぶだけなら、いくつもの強化魔法を重ね張りした良宇の力なら可能だろう。だが、槍のように武器の中央で構えるならまだしも、普通の刀と同じように構えれば、穂先をわずかに動かすだけでもバランスが崩れ、体が大きく泳いでしまうのだ。
「無理じゃない! 無理って言うたら、そこで終わりじゃろうが!」
 しかし、叫ぶ良宇に二人は言葉を失った。
「無理って言ったら、そこで終わり……か」
 レイジの携帯から流れ出すのは、この戦いで良宇も幾度も耳にしたメロディ。魔法の完成と同時に、ぐらりと傾いていた長大な刃の動きが、波が引いたように落ち着いていく。
「…………む?」
「いいぜ。なら……その剣のバランスは俺が制御してやらぁ」
 無理と言ったらそこで終わり。
 その言葉に浮かぶのは、後方で戦いの終わりを待っているはずの少女の姿。
「維志堂君」
 そして、祐希の手が良宇の腕に触れると同時、体の芯に凝り固まっていた重い何かが嘘のように引いていく。
「これで、もう少し戦えそうですか?」
 無理と言ったらそこで終わり。
 良宇の言葉に浮かぶのは、傍らで周囲の様子を伺っている少女の姿……をした、少年のこと。
「…………おう。で、レイジ」
「ンだよ」
 長大な刃に施したのは、力の向きと方向を操る結界だ。崩れる方向と逆向きの力を与えることで、魔法的なバランサーとして機能させているのだ。
 即興で思いついた使い方だが、良宇の様子を見る限り大丈夫……。
「…………俺は、どうすればいいんじゃ?」
 ……なはずだったが、魔法の効果そのものをパートナーは理解していないようだった。
「………おめぇはンなことゴチャゴチャ気にしねえで、思いっきりそいつで黒竜をぶった切りゃいいんだよ。それなら振り回せんだろ」
「分かった!」
「来ます! 大きいのが一匹!」
 力一杯の返答と同時、キースリンの鋭い声が響く。
 見れば、騎士団に追い払われたらしい竜が一匹、こちらに向かってきているではないか。
「……祐希さん」
「キースリンさんなら、僕を守ってくれるのでしょう?」
 キースリンの声に軽く首を振り、祐希はその場を下がらない。
 無論、彼女を信じてもいる。それに、もし竜のターゲットが前線の三人ではなく、祐希に定められれば……カウンター狙いのこちらの意図が大幅に外れてしまうだろう。それを避けるには、標的の四人は一点に固まっている必要があるのだ。
 感情と理性。震える足に二つの思いを貫き通し、祐希はキースリンの後ろを離れない。
「………はい」
 そしてその想いは、パートナーの少女にも退かぬ勇気を与えてくれる。
「天照!」
 祐希の言葉に小さく頷いたキースリンの刃に宿るのは、光の刃よりなお強い、陽光の輝き。太陽の神の名を奉じた刃は、より優美に、より勇ましく、その姿を整えてみせる。
 そして。
「おや、おもしろそうな事をしているね。私も混ぜてくれないかな?」
 良宇の傍らに舞い降りたのは、白いマントの仮面の剣士。
「ウィル!?」
 振り抜かれた細身の刃から薔薇の嵐が巻き起こり、ブレスを放とうとしていた竜の視界を塞いでみせる。
 巨大な竜の放つブレスは少年達のいる位置を大きく外れ、はるか彼方に叩き付けられるだけだ。
「良宇!」
 爆音を背中に背負っても、良宇の刃が揺らぐことはない。
「分かっとる!」
 カウンターのタイミングは、先刻までの戦いでしっかりと覚えていた。それが自身の魂の半身……パートナーの放った技なら、なおのことだ。
「でええええええええええええええええええいっ!」
 すれ違いざまに叩き付けられた刃は、竜の体に音もなく吸い込まれて……。


 迫り来るのは、巨大な躯。
 聞こえるのは自身の呼吸の音だけだ。既に体力も限界に来ているのだろう。迫る足音は耳に届くことなく、全身を振るわせる振動として意識に届く。
 暗転しかける視界を強引にこじ開けても、迫るそれは朧にしか見えず。
(こっちの方が良い……怖くないしね)
 十メートルを超える巨竜が、自身を殺そうと迫りつつあるのだ。
 いかに鍛練を積んだ冬奈とはいえ、平和な日本の住人だ。本物の死合いの経験があるはずもない。故に、もし本調子で今の状況に臨んでいたなら……その殺気だけで中てられていたかもしれなかった。
 そんな中。
「冬奈! 構え!」
「!」
 意識の奥のさらに奥。
 本能のレベルにまで刻み込まれた強い声に、冬奈の体は自然に動く。
 黒く巨大な影が迫り。
「………………………今だ!」
 思考の予期したタイミングよりも半瞬早く。
 全身を巡り、駆動させる力は、普段の力の半分もない。
 けれど彼女の腕の導きは、一切の魔法も余力を使うこともなく、十メートル強の巨大突進体の進行方向を直進から斜め上へと音もなく書き換えていく。
「え…………っ?」
 ようやく戻ってきた本来の感覚に叩き付けられるのは、巨竜が地面に投げ伏せられる轟音だ。
「冬奈ちゃんっ! 無茶しないでよぅ!」
 駆け寄ってきたファファを抱き留めきれず、その場に尻餅をつきながら……。冬奈が見上げるのは、良く見知った女性の姿。
「…………やれば出来るじゃないか、フユナ」
「母さん………」
 呼ばれた名前……この時代では名乗っていないはずの名前に苦笑しつつ、冬奈は伸ばされた母親の手をしっかりと握り返すのだった。


続劇

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