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5.語られぬ神話

 テーブルの上にあるのは、埃除けの新聞が掛けられた料理達。
 つけっぱなしのテレビの音の合間に聞こえてくるのは、携帯片手の女性の声だ。
「そうなのよー。やっとウチの子も、親に隠し事するようになってねー。……違うわよ、別に寂しくなんかないってば」
 雲のかかった夜空を見上げつつ、テレビのリモコンを取ってチャンネルを次々と変えていく。四つめで表示された天気予報によれば、今夜から明日に掛けての華が丘の天気は、曇り。
 せめて息子達が出掛けている間はこれ以上天気が崩れなければいいなと思いつつ、テレビを元のチャンネルへと戻す。
「何? オランも忙しいの? さっき電話したら菫も一江さんも忙しいみたいだったし……。い、いいわよ別に。そんな、相手してくれないからって寂しくなんかないんだからねっ!」
 その言葉に、電話の向こうからの反応はない。
 そして、森永ひかりもまた、無言。
 やがて……。
「………冗談よ。それより、ウチの子達のこと……お願いね?」
 ぽつりと呟いた穏やかなひと言は、紛う事なき母親のそれだった。


 ハルモニア騎士団の宿営地にやってきた良宇が初めに見たのは、騎士団の団長と……そこにけっしているはずのない人物だった。
 すっと伸びた背に、いつもの静かな和装。メガ・ラニカ様式の甲冑をまとう男の傍らに立つその老女は……。
「……大神先生!?」
 大神流師範。
 彼の茶道の師匠である。
「良宇さんもこちらでしたか」
 だが、ここはもうすぐ戦場になる場所だ。けっして大神の屋敷でも、他所の流派の茶道教室でもない。
「どういう事じゃ……? なんで先生がこんな所に……」
「柚子さんが帰ってきたのでしょう?」
「……………おお」
 言われ、ようやく理解する。
 良宇達が過去から連れてきた大神柚子は、彼女の娘だということに。そして大神老も、柚子がこの時代にやってくることを知っているということに。
「おおじゃねーっ!」
 そんな悟りを打ち砕く勢いで飛んできたのは、斜め上からの跳び蹴りだ。不意打ちではあったが、とっさに構えた両腕で受け止めてみせる。
「てめぇ、遠野の所に行けって言ったろうが!」
「遠野は後方に下がると言うとったからな。それよりレイジ、お前も美春の所に行くとか言うとらんかったか?」
 そういう打ち合わせで、円陣から後は別行動をしていたはずなのに……戦いの直前になってみれば、このオチだ。
「も、百音には………ちゃんと下がれって言った……」
「…………」
 藪をつつかれてカウンターで蛇を出してきた良宇は、その言い訳に答えを寄越さない。
「…………」
 そして言ったきりのレイジも、沈黙を保ったまま。
 だが、どちらもこの手の持久戦は嫌いなタイプだ。不愉快な均衡の崩壊はあっさりと訪れる。
「……それに、玖頼先輩達は何か策があるようじゃった。多分それは、オレがいない方が上手く行くはずじゃ」
 無論、良宇の勘だ。空気を読むといった器用なものではなく、野性のそれに限りなく近い物だったが……だからこそ、良宇はそれを信じるに足るものだと思っている。
「……それでいいのか?」
「遠野が言いたくない事まで、聞こうとは思わん」
 良宇の言葉に迷いはない。それを何か眩しいものでも見るような目つきで受け、レイジは小さくため息を一つ。
(言いたくない事まで、聞く事はない……か)
 レイジの脳裏に浮かぶのは、遠野撫子ではなく、別の少女の柔らかな笑顔。
 果たして自分は良宇と同じ事が出来るのか……と一瞬自問自答して、慌ててその考えを振り払う。今は、そんな余計な事を考えていい場面ではないのだ。
「あ、ホリンくん、維志堂くん」
 そんな言い合いをしていると、やってきたのはA組の委員長と副委員長だった。
「委員長達もこっちか……。大丈夫か?」
「はい。何とか」
 手にはなぜか大型フィギュアの入ったビニール袋を提げているが、祐希のそれに関してはレイジも良宇も違和感を抱かない。レイジが片手に携帯を提げ、良宇が両手の拳を握っているように、そのフィギュア達も祐希の武器の一つだと知っているからだ。
「さて、本陣から連絡があった。我々は行動を開始するが……君たちも準備は終わっているかね?」
 連絡役らしい騎士との話を終えたハルモニア騎士団長の言葉に、一同は静かに頷いてみせる。
「お父様、祐希さんは……」
「うむ。祐希くんは私と本部の指揮所に入ってもらいたい。キースリンとは離れてしまうが、良いかね?」
 ギースの言葉に、祐希は小さく首を縦に。
 祐希もいくつか魔法は使えるが、戦闘や支援に向いたものは少ない。最前線に立つよりも後方にいる方が、活躍の場は広がるはずだ。
「維志堂さん、ホリンさん。キースリンさんのこと……よろしくお願いします」
「おう」
「お前も頑張れよ」
 パートナー達に見送られて後方に下がる祐希と入れ替わりにやって来たのは、準備を終えた青年騎士だった。この隊はギースではなく、彼が指揮を執る事になる。
「良宇。今日はよろしく頼む」
「こちらこそお願いします。マーヴァさん」
 見上げれば、ゆっくりと空は晴れつつある。
 これだけの月明かりがあれば、魔法の明かりや機械の照明がなくても戦うことが出来るはずだ。


 華が丘八幡宮の山頂にあるのは、この規模の神社にしてはやや小さめの社殿である。もちろん小さいとは言え、必要な施設は全て揃った正式なものだ。
 そこから少し離れた魔法庁の本部から走ってきたのは、百音と八朔だった。
「えっと、全員、所定の配置に着き終わったそうです! 結界の準備も完了!」
 声を掛けたのは拝殿の前に集った五人の女性へと。
「なら……始めましょうか」
 中央に立つはいりの言葉に頷いた周囲の四人は、揃いの腕環が填められた右手をゆっくりと突き出して。
 凜と響き渡るのは、世界を揺らす鈴の音だ。
 質量さえ持つかのような、強く優しい透き通った音に、思わず閉じた瞳を開けば……腕環の主達がまとうのは、それぞれの色に彩られた戦闘衣。
「この歳でコレは……流石に恥ずかしいわね」
 サイズはもちろん成長した体格に沿ったものだが、デザインは十六年前のそれと変わりない。短めのスカートにあからさまに眉をしかめながら、葵は小さくため息を吐く。
「そう? なんか同窓会みたいで楽しいけど」
 いまだ中央のはいりは私服のままだが、彼女もすぐにあの白い戦衣をまとうのだろう。だがその表情は、諦めではなく喜びに近いそれに彩られている。
「に、似合ってますよ、葵先生……」
「美春さん……。それ、フォローになってないから……」
 普段の葵なら、百音の言葉に宿る複雑極まりない心境に気付けたのだろうが……今の彼女に他人の気持ちを測る余裕などあるはずもない。
「葵、デザインくらい調整しておけば良かったのに」
 そんな葵よりさらに年上の菫がまとうのは、かつての紫の戦衣ではなかった。メガ・ラニカで魔法使い達が好んで着るような、落ち着いたデザインの長衣に変わっている。
「って菫さん、なんでそれ教えてくれなかったんですか!」
「葵。あなた、家電の取説とか読まないでしょ」
 呟くローリの外見は十六年前と変わらず、うなだれる葵を心配そうに見ている柚子の実際年齢は当然ながら十五歳。
 もちろんどちらの戦衣のデザインも、当時のそれと変わらないままだ。
「……………ローリは良いわよね。格好変わってないし。……あ、まさかアンタ、これを見越して……!」
 あの時は、十六年の時を超えた柚子がすぐ彼女たちだと分かるようにと言っていたはずなのに……!
「葵ちゃん、始めるよ!」
「ううぅ……後で覚えてなさいよ!」
 はいりの言葉に渋々定位置へと戻り、葵は右腕に下がる腕環を構えてみせる。
「ええっと…………八朔君、よろしくお願いね?」
「………はぁ。頑張ります。柚子………おば……」
「……柚子でいいから」
 戸籍上の大神柚子はそれなりの年齢でも、今この場にいる柚子は八朔と同じ高校生なのだ。小さな子供ならともかく、同い年の少年にそんな呼び方をされるのは、抵抗があるどころの騒ぎではない。
「……了解です、柚子さん」
 八朔の仕事は、この場で彼女たちの護衛をする事……ではなく、彼女たちの状況を、参戦しているクラスメイト達にメールで報告する役だった。
 基礎魔法ばかりで戦闘系の魔法を何一つ使えない彼だが、それでも果たせる役目はいくらでもある。
「美春さんは本部に戻っててくれるかな? こっちは大神くんがいれば大丈夫だから」
「はい、分かりましたっ!」
 その言葉と鳴り響く鈴の音を背中に受け、百音は本部のほうへと走り出す。
 無論、走り去る先は魔法庁の本部ではない。
 真っ直ぐ走るべき所を左に折れて、進路はやや北へ。
 彼女も若いとは言え魔女の端くれ。戦う準備は、始まる前に終わらせておく必要がある。


続劇

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