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4.交差する世界の物語

 華が丘山の西側には、裏口と呼ばれる封印された門がある。正規に使われる東側の門とは八幡宮を挟んでちょうど反対の位置にあるそれは、つい先日、学生達の手によって偶然発見され、ハルモニア騎士団の手で封印作業が成されたばかり。
 そんな騎士団の詰所に祐希が戻ってきたのは、作戦開始直前の事だった。
「遅かったですね、祐希さん」
 迎えてくれたキースリンにビニール袋から取り出した缶ジュースを渡しつつ、祐希はぎこちない笑みを一つ。
「………夕飯の支度してきましたから」
 ご飯の支度にまず五分。冷蔵庫のあり合わせで適当なおかずをでっち上げるまでにさらに五分。早炊きのご飯が炊きあがったら先に食べておくよう言っておいて、慌てて戻ってきたのだ。
 移動魔法か飛行魔法が使えれば楽だったのだろうが……残念ながら飛行魔法はキースリンに任せきりで、今のところ祐希が使えるようになる予定はない。
「そ、そうですか……。お母様は?」
「何とか聞かれずに済みましたよ。……後で事情を説明する事になりましたけど」
「あはは……。なら、私も一緒に説明しますね」
 開けた缶ジュースを祐希に渡して、キースリンも力なく笑み。祐希の母親が怒った所は見たことがない……拗ねている所はよく見る……が、いずれにしても祐希が猛烈な被害を被るだろう事は想像に難くない。
「おや、森永くんもこちらかい?」
 そんな事を話していると、祐希の元に歩み寄ってくる少年が一人。
「あ、美春先輩。こちらでいいんですか?」
 学級委員の祐希は、生徒会の書記を務める少年とはいくらかの面識がある。もちろん副委員を務めるキースリンとも、知った顔同士だ。
「お婆様の手伝いで、結界の準備があってね。……けど、どうして?」
「いえ、妹さんはいいのかなと……」
 確か百音は後方にある魔法庁の本部に下がると、レイジから聞いていた。そこは魔法庁の使い手に守られており、その戦力は儀式の直援部隊に匹敵するという話だ。
 だが、生徒会でも評判な彼の性質を考えれば……。
「……森永くん。どういう意味かな、それは」
「え、いや、それはなんというか、特に深い意味は……っ!」
 美春紫音は笑顔のまま。
「浅い意味でもいいから、ちょっと詳しく聞かせてもらおうか」
 言わんとしたいことはもちろん紫音も理解しているはずだ。だが自覚があるのと、周囲から指摘されるのは心情的にも別問題であるわけで……。
 穏やかな笑顔を貼り付かせたまま、紫音は慌てる祐希の首根っこを掴んでずるずると引きずっていく。
「祐希さん!」
「キースリンさんっ!」
 慌てて駆け寄ろうとするキースリンに、助けてもらうべきか、それとも巻き込まれないよう止めるべきか、思考を巡らせたのは一瞬だ。
「え、ええっと、わたし、びーえる、というのも平気ですからっ!」
「ちょっとキースリンさんその意味分かってて言ってるんですかっ!?」
 けれどパートナーの斜め上のフォローに、祐希が選べたのはとっさのツッコミのひと言なのであった。


 華が丘山の南側は、街から通じる華が丘八幡宮の玄関部だ。
 社殿に至る石畳の参道も、長い石段も、整えられた大鳥居も、全てこの南側にある。
 そんな石段の中腹に漂うのは、沈黙の二文字。
 ただその沈黙は、戦闘前の緊張から来ているわけではない。
 必要がないから声がない。ただそれだけだ。
 ただそれだけ……なのだが……。
「けど……まさか月瀬さん達と一緒に戦うことになるなんて思いませんでした」
 ぽつりと呟く悟司に、月瀬と呼ばれた白衣の男は小さく頷いてみせる。
 返ってくる言葉はなく、繋がる会話ももちろん無い。
「………ええと、月瀬さんは天候竜と戦ったこと、あるんですか?」
 その問いにも、返ってくるのは縦に振られる首の動きだけ。
 悟司はどうしようかと傍らの百音を見るが、振られた百音も困ったような表情を浮かべるしかない。何せ、悟司以上に彼と共通する話題が思いつかないのだ。
「あ、そうですよね。前に天候竜の額に弾丸を撃ち込んだときに戦ってるはずだから………」
 縦に振られる首の動きに、悟司は傍らの小柄な少年を見るが……。少年も悟司の視線の意味が分からないのか、小さく首を傾げてみせるだけ。
「ええっと、いま月瀬さんが使ってるのって……ミスリルの弾丸ですよね? やっぱり、十発全部使えるんですか?」
 月瀬の首の動きは縦。少なくとも悟司の話はちゃんと聞いてくれているようだが、そこから会話に発展しない。
「俺、まだ十発全部、制御しきれないんです。百音のサポートがあれば何とかなるんですけど……。何かコツってあるんですか?」
 今度の問いには、首の動きが返ってこなかった。
 考えているのか、それとも聞いていなかったのか。もう一度言い直した方が良いのかどうか、悟司と百音が顔を見合わせたその時だ。
「……………気持ち」
 ようやく、月瀬の唇が動く。
「……気持ち?」
「………気持ちで、撃つ」
 集中が大切という事だろうか。それとも、もっと想いを込めて撃てという事だろうか。
「はぁ………。分かる? ブランオートさん」
 傍らのセイルは悟司の問いに、こくりと首を縦に振る。親子だから通じる物があるのか、それともメガ・ラニカ育ちの彼だから理解できる所なのか。
 百音が理解したと言っていいのか微妙な表情を浮かべている辺り、どうやら前者のようではあるが……。
「おーい。お前ら、ちゃんと準備出来てんのか? 儀式が始まるまでもうあんま時間ないんだぞ」
 そんな奇妙な沈黙を破ったのは、石段の麓からやってきた女性の声。
 一人は大きなハンマーを肩に担いだ小柄な女性。
 そしてもう一人は……。
「え? ママ!?」
 素っ頓狂な百音の声に、女性は穏やかに微笑んでみせる。
「母さんから連絡があってね。手伝いに来たの」
 そんな彼女の言外の言葉を悟ったのだろう。百音がその手に渡したのは、ポケットから取り出した小さなペンダント。
 銀色に輝くペンダントトップは、細かな細工で分かりにくいが、泡立て器を模したようにも見える。
「役に立った?」
「うん。ありがと!」
 貸してもらったそれは、十分以上に役立っていた。その使い方は、死んでも口には出来なかったけれど。
「それじゃ、百音も下がってて」
 悟司の言葉に、百音は小さく首を傾げる。
「え? わたしも戦える……」
 彼はこの場にいる他のメンバーと違い、彼女の力を知っているはずなのに……。
「そのままじゃ戦えないだろ?」
「あ、そうか………」
 小声で言われた意味をようやく解し、百音は一歩母親達の側へ踏み出してみせる。
「すみませんが、百音をお願いします」
 悟司はこのまま、セイルや月瀬達と共にこの隊の中衛を引き受けることになっていた。月瀬もそうだが、彼の銀の弾丸も貴重な中距離火力の一つなのだ。
「百音。さっき電話したら、菫が連絡役をして欲しいから、社殿の前に来てくれって言ってたわよ」
「あ、うん。それじゃ悟司くん、また後でね!」
「ああ。百音も気を付けてね」
 パートナーにそう言って、他の面子にもぺこりと頭を一つ下げると、百音はぱたぱたと階段を駆け上がっていく。
「悟司もこんな無愛想なの相手にしなくていーぞ。何も言わないから、喋っても面白くないだろ」
「い、いえ、そんな事は……!」


 奇妙な沈黙が続いているのは、もともと無言な月瀬達の隊だけではなかった。
「ええっと………遠野………」
 西側の斜面、裏参道から少し離れた辺り。
「…………はい」
 巨漢の言葉に、傍らにいた少女もぽつりと言葉を返すだけ。
 続く言葉は、残念ながらない。
 もちろん、嫌な沈黙ではない。少々居心地が悪くはあるが、けっしてそれが不快なわけでもない。
 単にどちらも何を話して良いのか分からないだけだ。
「………気を付けろよ?」
 ようやく口に出来たのは、そんなひと言。
 華が丘高校の有志として来た彼女達が担当するのは、華が丘山の裏参道辺りの一部だ。もっとも西側を守る主力部隊はメガ・ラニカの騎士団の精鋭達だから、彼女たちはそのフォローを行う遊撃部隊とでも言うべき立場なのだが。
「維志堂さんも……気を付けてくださいね」
「………おう」
 良宇の使える魔法は、格闘系の補助魔法。彼の特性を考えれば、立ち位置は自ずと決まってくる。
 だが、お互いその先を言いあぐねているのか、それ以上の会話が続く様子はない。
「むぐむぐ……維志堂くんもボク達と一緒に戦ってくれるの?」
 そんな止まり掛けた会話を再び回したのは、やや離れたところでパンを食べていた少年だった。
「………いや。師匠の所に行こうかと」
「師匠? ……お茶の?」
 愛用の槍の調子を確かめていた手を止め、少年は首を傾げてみせる。
 そんなはずがないのは分かっているが、良宇が師匠と呼ぶ人物など彼が知る限り一人しかいない。
「この間、戦い方を見てもらった人が、騎士団におるんで……」
 騎士団の本部はこの先、西側のゲート裏口付近にある。恐らくそこへ向かう途中に、撫子の様子を見に来た……といった所なのだろう。
「安心して。遠野さんは、戦いが始まったら安全な所に下がってもらうから」
 少年の言葉に良宇はぺこりと頭を下げて、静かにその場を後にする。
「…………先輩」
「さすがに、錬金術部の事は言えないしねぇ……むぐむぐ」
 撫子が良宇との関係を願い、また錬金術部の活動を続けていくなら、そのうち誤魔化しきれなくなるのだろうが……。かといって錬金術を説明していないこの状況で、魔法が使えない撫子を戦力としてカウントしてなどと言えるはずがない。
「まあ、地上には嘘も方言なんてコトワザもあるくらいだし」
 まずは現状のままで、互いが全力を出せる環境を作ること。
「でも、ホウゲンって何だろう?」
「………方便だよ、玖頼」
「ホウベンって?」
「……………」
 ツッコミに入ったつもりが手痛いカウンターを食らってしまった少年を放っておいて。
「まあ、その辺フォローするのは先輩の役目だからさ。遠野さんは出来ることを頑張ってよ」
 玖頼は、ふくよかな顔をへらりとほころばせるのだった。


 若き錬金術師達の会話を、少し離れたところから眺めながら。
「………はぁ」
 少女が吐くのは、小さなため息。
 少年達の様子を眺める瞳にいつものような快活さはなく。夜空にかかる雲の如き、昏い翳りを感じさせるもの。
「どした、子門」
「いえ………別に」
 背後から掛けられたのは、真紀乃よりも幼い少女の声。
 おそらくこの華が丘山に集った一同の中で、最も年若いのが彼女だろう。
「やる気が出ないか?」
 小さな髪留めで結い上げられた長い金髪を揺らしつつ、少女は真紀乃の傍らへ。
「ルーニ先生。あたし達って、居なくても良かったんじゃないですか?」
 ルーニの事を拒むでもなく、真紀乃がぽつりと呟いたのはそんなひと言だ。
「はいり先生達が決めたシナリオに乗って……ここでも天候竜相手の時間稼ぎって……」
「……不満か?」
 その問いに答えはない。ただ、わずかな間を置いて……。
「…………それに、戦力も十分に整ってますし」
 メガ・ラニカの騎士団に、魔法庁の現役職員達。どちらも魔法事件の最前線で活躍している猛者達だ。実力からして、まだ高校生の真紀乃達とは大きな隔たりがあるはずだった。
「十分なもんか。黒竜の群れなんか、メガ・ラニカでも出てきた記録のない相手だぞ。騎士団だってどこまで保つか」
「なら、なおのことじゃないですか。あたし達なんか役に立つんですか」
「そりゃ、やってみないと分からんだろうけど……。納得がいかないなら、戦わないって選択肢もあったろ」
 ルーニもはいり達も、事前の説明をしただけだ。危険な事は分かり切っていたし、強制をしたわけでは決してない。
「戦いたくないなんて言ってません! けど……」
 呟き、真紀乃の声のトーンが落ちる。
「こんなの………あたしが見たかった未来じゃ……」
「この世の中が、そうそう思い通りになるわけないだろ」
 たった一人が物語の主人公なら、その者の物語だけが語られることだろう。
 けれどこの世界には、多くの人がいて、それぞれの紡ぐ物語が複雑に絡み合い、新たな物語を紡いでいく。それらの中には、語られる物語も、語られぬ物語もあるはずだ。
「ソーアだって大魔女の婆さん達だって、はいり達でさえ、自分で選べた事なんかほんのわずかだ。……けど、そのほんのわずかに選んだ事を押し通すために、みんな必死にやってるんだよ」
 双の刃を棄てぬこと。
 生まれ育った世界を守ること。
 そして、別れた友と再び出会うこと。
「あいつらの力があれば、自力で未来を変えることなんか簡単に出来たはずなのにな」
 残された力で歴史を書き換えることも、時の迷宮を踏破することも、彼女たちが望めばけして不可能ではなかったはずだ。
「なんで………しなかったんですか?」
 けれど彼女たちは、最も遠く、最も険しく、最も不確かな道を選んだ。
「お前らを信用してたんじゃないの?」
「……たった三日、一緒にいただけですよ!?」
 それも、いきなり現われて親友を連れ去り、さらに十六年にも及ぶ面倒事を押しつけた相手なのだ。
「そういう奴らなんだよ。その三日間と大神柚子との約束を果たすために、今までの人生の半分を賭けてな」
「そんなの……向こうの勝手じゃ………」
 十六年といえば、少女が生まれてから今までの日数よりも多いのだ。そんな重みをいきなり押しつけられても、少女としてはたまったものではない。
「勝手だよ。だからお前はそんな事は気にせずに、自分の思いを貫けば良かったんだ」
 押しつけられたからでも、期待されたからでもなく。
 ただ、己のしたい事を成せばいい。
「……で、お前はどうする?」
「…………言いましたよね。最後まで付き合いますよ、ちゃんと」
「ならそれがお前の選択って事だろ。……あ、貫くのはいいけど、怪我すんなよ」
 話し終えた少女は小さく伸びをして、ゆっくりとその場から歩き出す。
「ルーニ先生も……何か、選んだんですか?」
「……ほんのちょっとだけどな。だから今、あたしはこうしてここにいる」
 それが正しかったかなど分からないし、興味もない。ただ彼女の胸の内に、選んだことに対する後悔などありはしない。
「けど、この歴史を作った奴がいたとしたら……」
 そんなルーニの小さな背中に掛けられたのは、真紀乃の声。
「そいつ、人として最低ですね」
「ああ。あたしもそう思うよ」
 年相応の笑顔でそう返し、ルーニは今度こそ撫子たちのもとへと駆け出していく。
 その背中を追って、真紀乃もゆっくりと歩き出すのだった。


続劇

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