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 目の前に広がるのは、一面の白。
 上方下方前後左右、全てを白に包まれたその世界は、ひとたび方向感覚を失えば二度と元へと戻ること叶わぬ、天然の迷宮である。
 一枚の壁、一本の柱さえ持たぬ彼の地が『迷宮』と呼ばれるのは、それが故。
「あいつら……大丈夫かな」
 その白い世界にゆらりと流れるのは、少年の穏やかな言葉だった。
 身ほどもある大剣を白い地面に突き、視線は白い地平の彼方に置いたまま。口調だけはリラックスした様子だが……不壊の特性を与えられたはずの剣に刻まれた無数の傷と、鋭さを保ったままの瞳の奥の輝きは、少年がくぐり抜けて来た修羅場がどれほどの物であったかを無言のままに語りかけてくれる。
「……大丈夫よ、きっと」
 そんな少年の呟きに応えるのは、傍らに腰を下ろしていた小柄な娘だ。
 彼女が胸元に抱くのは、おくるみに包まれた幼い赤ん坊。まだ自らがどこにいるのかさえも理解してはいないのだろう、小さな彼女の関心事は、目の前にある母親の乳房の事だけだ。
「そっか……。そう、だよな」
 愛娘の食事の様子にちらりと瞳を寄越し、少年は再び白い世界へ視線を戻す。注ぐのは、どこまでも均一に白い世界、そこでわずかに色合いを変えるある一点へと。
 そここそが、この世界の出入り口。
 この迷宮の中に無数に散らばる、定められた時間への出入り口だ。
 彼の記憶が確かならば、そこは彼らがこの迷宮へと追放された時間から、ほんの少しだけ後の世界に繋がっているはずだった。
「ん、大丈夫。行けるよ」
 けふ、という愛娘の小さなげっぷの音を確かめて、傍らの少女はゆっくりとその場を立ち上がる。
「よし。なら……帰るか、今度こそ」


 これが、物語の序章。
 瑠璃呉 陸と、ルリ・クレリックの物語。

 二人の物語は、ここで一旦筆を置くことになる。

 本編の始まりは、時の迷宮のはるか彼方。
 2008年10月18日、夜。
 道標に示された最後の地。
 最後の戦いを控えた、華が丘山から始まる……。


華が丘冒険活劇
リリック/レリック

#9 明日へ


1.おかえりなさい そして、いってらっしゃい


 階段を駆け上がる音に続くのは、小走りの足音と、鍵の掛った扉が開く音。
「おかえり、祐希。遅かったわねー」
「た、ただいま……」
 扉の開く音に返ってくるのは、だらけきった母親の声。それを軽く流しながら、祐希が向かうのは母親のいる居間ではなく、自分の部屋だ。
 手近にあった袋を取り、その中へ放り込んでいくのは、百円均一で買ったソフトビニール製の大型フィギュア。夏休みの天候竜の追跡作戦で、必要に駆られてまとめ買いしておいたものだ。
(このくらいあれば大丈夫か……)
 机の上の時計を確かめて、すぐに戻れば十分に余裕があることを確かめる。
「ごめん、ちょっと出てくる」
「キッスちゃんも帰ってないんだけど、その用事?」
 いつもなら軽く流すはずの居間からの声に、靴を履きかけていた動きをわずかに止めて。
「……う、うん。そんな感じ」
 とっさに返したのはそんな言葉。
 半分は本当で、半分は嘘。
 いや、正確には、口にした言葉には一分の嘘もない。ただ、言っていない内容があるだけだ。
「どこに行くの?」
 そして、普段ならルーズに流してくれるはずの母親は、祐希があえて言葉を濁したところを正確に突いてくる。
「…………えっと、華が丘八幡宮……」
「こんな遅くに? 何しに?」
「そ、それは…………」
 言えないわけではない。
 けれど、それを口にしてしまえば、彼女を心配させてしまう。だからこそ祐希は、帰ってきたときにも彼からただいまの言葉を口にしなかったのだ。
「…………」
 祐希は問いに答えない。
 そして居間からも、それ以上の言葉は飛んでこない。
「……………はぁ、いいわ、もう」
 やがて来たのは、ため息が一つ。
「………………帰ったら、ちゃんと話すから」
 そう。今はそう、言うしかなかった。
 事後報告では間違いなく怒られるだろうが、かといって『これから戦いに行ってくる』などと言えるはずもない。
「……それはいいから、夕飯の準備だけはして行ってよー」
「……そっちなの!?」


続劇

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