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25.暴かれた世界

 唐突に呼ばれたその名に、ルーナは思わず眉をひそめてみせる。
「あたしはあんたの親じゃないよ。……つか独身女捕まえて母さん呼ばわりはひどくないか?」
 隣の夫婦のような例外を除いて、せいるほどの年の子を持つにはルーナは少々若い。だが混ぜっ返すその言葉に、せいるが表情を変えることはなかった。
「でも…………僕の、名前は………」
「月瀬せいるだろ?」
「違う…………」
 違和感の正体。そして、思い出すのはパートナーの名。
 幼なじみではない。傍らにいる少女でもない。
 華が丘に来て初めて出会った彼女の名は。
 そして……。
「僕の名前は……」
 確かめるように口に紡ぐその名は、月瀬せいるではない。
「セイル=月瀬=ブランオート………」
 銀の髪の間からひょこりと姿を覗かせるのは、ただのメガ・ラニカ人と地上人のハーフにはあるはずのない、狼の耳。
 手の中の短剣のレリックは、この世界の彼が持つはずのない、身ほどもあるハンマーへと姿を変える。
 握り込んだそれに、先ほどの短剣のような違和感はない。自身の体の一部のように、しっくりと来るものだ。
「……………思い出したか、せいる……いや、セイル」


 片翼の再生を終えた雷鳥に降り注ぐのは、続けざまの氷柱の槍撃だ。
「これで、評価一つ……ね」
 再生を続けるなら、その再生が追いつかないほどのダメージを与え続ければいい。再生能力を持つ相手と戦う時の、基本中の基本である。
「ドミナンス! 何てことを……」
 振りそそぐ氷柱に辺りのアスファルトは貫かれ、屋根は穿たれ、その惨状は酷いものだ。唯一の救いは怪我人が出ていないことだろうが……。
「今ここで大事なのは、あいつを倒してフラン様から評価してもらうことでしょ。それが分からない? ハルモニィ」
 長銃と化した得物をくるりともとの長杖に戻し、ドミナンスは静かに呟いてみせる。
「違う……っ! 魔女っ子は、そんな事の為に力を使うんじゃないよ!」
「なら、何のために」
「みんなが幸せになるために……」
 そう。
 魔女っ子の真の目的は、そこにある。
「今の魔物を倒したことで、みんなは幸せにならない?」
「なるだろうけど……もっといいやり方があったはずだよ!」
 ドミナンスのしたことは間違ってはいない。けれど、この惨状を目にすれば……手放しで正しい事をしたと、ハルモニィは言い切れずにいる。
「そうね」
 白い魔女っ子のそんな言葉を、黒い魔女っ子はあっさりと肯定した。
 それに続くのは、でも、という接続詞だ。
「放っておけば、あいつはもっと暴れて、被害も広がってたはずよ。その良い方法を考えるために、暴れている怪物は放っておいても良かったというの?」
 雷を放ち、衝撃波に近い叫びと疾風を巻き起こす。侵攻経路を見ただけでも、砕かれた屋根や壁は数えきれるものではない。
 だが目の前で起こった破壊は……雷鳥のそれをはるかに凌ぐもの。
「違う……違うけど………!」
 突如現われた怪物を倒した事を、責められるはずがない。答えの出ない堂々巡りの思考に、頭を抱えてしまいたくなる。
「何かを守るためには、何かを犠牲にしなきゃいけないこともある。それが出来ない貴女には……」
 呟いたのは、ドミナンスではない。
 戦いを見守っていたレイジでも、追いついてきた悟司でもない。
「その選択をしなかった世界が……」
 そこに立つのは、長い黒髪の、知的そうな女性。アスファルトに磔にされた雷の鳥を静かに見遣り、ため息を一つ。
「…………今の、世界……?」
「そういうこと」
 化粧品店の出入口からゆっくりと歩いてくる女性の背後に、ハルモニィが見た物は……。
 華が丘で一件の、オープンテラスの喫茶店。
 そしてそこでエプロンを掛けて微笑む、目の前の女性の姿。
「菫………さん………?」


 靴を鳴らして着地したのは、階段を昇った先にある石畳。慣性を殺しきれずに二、三歩踏んで、ようやく体勢を整える。
「はぁ、はぁ、はぁ………」
 はるか眼下に見えるのは、石段から続く参道と、その先にある華が丘の街並みだ。その交差点あたりで暴れている異形が、先ほど上空から落ちてきた『何か』なのだろう。
「ったく。何なのよ、あれ……」
 ひと息つこうと視線を巡らせば、その先にあるのは手水舎だ。もともと参拝の前に身を清める代わりに手を洗い、口をすすぐための設備なのだが……メガ・ラニカ育ちのアキラに、そんな日本の常識は通用しない。
 柄杓の水を手に取り、口に運べば、冷たい水が火照った身体に染み渡っていく。
「……他のみんなは大丈夫でしょうね」
 交差点だったし、みんなある程度あの雷鳥からは離れたところにいた。とりあえずメールでも送ってみようかと携帯を開いたところで……。
「え………?」
 視界の隅に留まったそれに、アキラは気が付いてしまう。
 参道に並ぶ木の一つ。
 その陰に感じた、微妙な既視感。
「何、これ………」
 普段なら……いや、参拝客の千人のうち千人が、気付くことはないだろう。神仏を拝む習慣のほとんど無いメガ・ラニカ育ちのアキラが気付いたのは、まさに奇跡とも言える確率だった。
 参道の陰にひっそりと伸びた木の肌。乱雑な筆跡で刻み込まれているのは、短い言葉。
 それを間違えるはずもない。何せ、アキラ自身の筆跡なのだ。
「でもこれ、確かにあたしの字……何で……?」
 無論、アキラがこの場所に来たのは初めてだ。ここに逃げてきたのは単に逃げやすかったからと、状況が見渡せるからという二つの意味でしかない。
 だが、そこの感じた既視感は……確かに……。
「そうだ……」
 フラッシュバックするのは、あるはずのない記憶。
「確かあたし………これを………」
 メガ・ラニカで育ち、この世界に渡ってパートナーと出会い。今こうしてここに至るまでに、この木の幹にこの文言を記せる隙はないはずなのに。
 確かにそれを、アキラは書いた。
「あたしと冬奈がパートナー……? ってか、あたしがメガ・ラニカ育ちって、どういう事……?」
 頭の中をぐるぐると駆けめぐるのは、身に覚えのない記憶たち。けれどそのどれもを、彼女は確かに知っていて、その身で体験してもいた。
「アキラちゃん! 大丈夫?」
 そんなアキラの背後から掛けられたのは、文字を刻んだその時と同じ声。
「ハークくん……!? ……来ないで!」
 その時の光景を思い出し、かっと頬が熱くなる。
 小さな自分自身を見られ、余りの恥ずかしさに夢中でここまで逃げてきて……同じように手水舎の水で頭を冷やし。
 そこに迎えに来てくれた、パートナーは……。
(っていうか、なんで赤ちゃんのあたしを……!?)
 記憶は混乱しながらも、それを呼び水にさらに奥の記憶を掘り起こしていく。
「……アキラちゃん?」
 その言葉にハークが足を止めたのは、拒絶の言葉を放たれたからではない。今まで「マクケロッグくん」としか呼ばなかった彼女が、あまりにも自然にそう呼んだことに驚いたからだ。
「………どうなってるの……この世界………」
 不思議そうな顔のハークは、晶の問いには答えられない。
 代わりに答えたのは……。
「どういう事も何も、こういう事よ」
 手水舎の傍らに立つ、魔法庁の制服姿。
「…………はいり先生!」


 交差点から離れて線路沿いに少し走れば、やがて駅へとたどり着く。
 その行程の中程辺りで、良宇はその足を止めた。
 もちろん良宇の体力ならば、線路の終点、遠久山まで走ることも出来ただろう。だが今日の彼は一人ではない。
「大丈夫かの、遠野」
「あ………は、はい………」
 小さく乱れた息の合間に返ってくるのは、撫子の切れ切れな言葉。片手を胸の辺りに当てて、残るもう一本の手は……。
「う、うおおおっ!?」
 今までずっと繋いでいた事にようやく気付き、良宇は慌てて手を離す。
「あの……ありがとう、ございました……」
 幸か不幸か、撫子はその事に気付いていない。本当に気付いていないのか、気付かないフリをしているのかは分からなかったが……あえて墓穴を掘ることもない。
「お、おう……」
 良宇も素知らぬフリで、相槌を打ってみせるだけだ。
「けど、ファファちゃんは大丈夫なんですか?」
 だが、問われたその言葉は、良宇が一瞬抱いていた不可思議な想いをあっさりと跳び越え、少年の心にずしりと重い何かを叩き付けてくる。
「…………よう分からん」
 それが、正直な感想だった。
「何でオレは、ハニエじゃなくて遠野を庇って、逃げたんじゃ……?」
 本来であれば、撫子はパートナーであるハークに任せ、良宇は自身のパートナーであるファファを連れて逃げるのが筋だったはずだ。
 ファファと撫子の距離はそう離れているわけでもなかったし、単に近くにいた者を庇った……というのも考えにくい。
 ならば良宇のどこかに、ファファではなく、撫子を選んだ何かがあるはずだ。
「遠野………」
 胸の中に渦巻く想いに、良宇の口を突いて出たのはその名前。
「あら、どうかしたの? 維志堂くん」
 そんな二人に掛けられたのは、穏やかな言葉。
「大神先生…………」
 茶道部と園芸部の顧問にして、良宇が通う茶道流派の姉弟子にあたる女性だ。
 そして彼女が連れているのは……銀の髪の、小柄な女性。
「貴女は…………」
 その名を、良宇は知っていた。友人の家に遊びに行ったとき、何度か会ったことがあるからだ。
 だが、彼が今まで知っていたその彼女と、今の良宇の記憶から浮かび上がってくる彼女の情報が……どうしても、結びつかずにいる。
「何じゃ……これは………」
「維志堂さん……?」
 全身を襲う説明できない違和感を、掛けられた少女の言葉がさらに加速させていく。
 遠野撫子は、ただの友人のパートナーではない。
 茶道部の顧問は、大神柚子ではない。
「そうじゃ……。オレは…………帰るって言うたんじゃ」
 夕暮れの中。見上げる彼女の言葉に応え。
 顔を上げれば、そこには銀髪の女性が静かに立っている。
 そいつの名は……。
「近原………先生………!」


 商店街から一直線に北へ向かえば、華が丘山にたどり着く。
「ファファ。怪我はない?」
 その山肌の森の中程で、飛行魔法でその場を離れた二人の少女はようやくその高度を下げようとしていた。
 慌てて逃げたせいでキースリンとははぐれてしまったが、落ち着いている彼女のことだ。大烏を召喚して飛んでいたし、無事に逃げ切れていることだろう。
「うん……」
 柔らかな草の生えている辺りに着地し、二人はそのまま腰を下ろす。
 森を抜ける風は、まだ残暑の残る季節とはいえ心地よいものだ。ファファはその風に、何となくだがかつて過ごした故郷の森を思い出してしまう。
「けど、良宇はどういうつもり……?」
 少女の声と故郷の森が重なることに、不思議と違和感はない。夏休みのメガ・ラニカ帰郷の時は、良宇しか連れて行ってはいないはずなのに……。
「聞いてる? ファファ」
 改めてそう言われ、ファファは違和感を確かめることを一時中断。
「……ううん。撫子ちゃんはあんまり強い魔法を使えないし」
 ハークがアキラを助けた事も意外だったが、良宇があの一瞬でそこまで判断して……判断というよりは、反射的にだったのかもしれなかったが……そこまで行動したのなら、結果的に誰も傷付かなかったのだし、何の問題もないはずだ。
「……あれで良かったんだよ、きっと」
 口の中で転がすのは、そんな言葉。
 けれど心の中にあるのは、先ほどの自分自身のこと。
 良宇の事より、冬奈の腕に抱きしめられていた事の方が……。
(なんでそんな事思うの……? 冬奈ちゃんは、アキラちゃんのパートナーなのに……)
 意識すれば、わずかに頬が火照るのが分かる。
「そ、そう……? ファファがいいなら、いいけど……」
 そんなファファに、冬奈もそれ以上の言葉を紡げない。
 彼女の良宇に対する苛立ちは、良宇がファファを護らなかったという一点に端を発するが……その怒りは巡り巡って、腕の中にあったファファの温もりを誤魔化す手段へと繋がっていたのだから。
(これが……陰の言ってた、道を踏み外したって事……?)
 違う。明らかに違う。
 陰はそんな事を……言うような奴だが、それを警告としたりする奴ではない。百合騒ぎやただの三角関係なら、むしろ面白がって焚きつけるタイプだ。
 なら、それは……。
「ファファの、ことが………」
 吹き抜ける風は、懐かしい風。
 幼い頃。
 そして、夏休みのメガ・ラニカ行で散々感じた、森の風。
「冬奈……ちゃん……?」
 傍らにあるのは、変わらぬ声だ。
「…………そうだ。なんで、忘れてたんだろ……」
 呟く言葉に、ファファもわずかに表情を変える。
「……冬奈ちゃん。わたし……」
「やっと気付いた?」
 そんな二人に掛けられたのは、木の上からの眠たげな言葉。
「陰! それに………」
 そして木々の合間から姿を見せた……彼女たちの、担任の姿。
「葵先生……!」


続劇

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