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19.あのバカをさがせ!

「女子一年百メートルの出走オッズはこれだよ! 掛け金は購買のパン一つから!」
 紙袋を被った生徒が配っているのは、わら半紙に印刷されたプリントだ。そこにあるのは宣言の通り、有力選手の五十メートルのタイムの一覧と、出走順。
 もちろん女子百メートルは数名ずつ走るごく普通の徒競走だから、誰が一位になるかといった形式のレースは成り立たない。
 そのため、それぞれのレースでの一位二位ではなく、各レースでどの選手が一位になるかをまとめて賭ける、独特の方式が使われていた。
「えぇぇ、浅倉と天上って同じ組かよ……。俺、二人の二点買いでガチだと思ってたのに……」
「とりあえず美春は陸上部だから固いだろ。後は……ハニエが対抗? あいつ運動部じゃないだろ」
「ばっか。タイム見てみろって」
「へぇ……意外」
「こら、そこーっ!」
 裏庭の隅でたむろっていた生徒達だが、武道場の辺りから飛んできた声に、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
「やべ、雀センだ! 逃げろっ!」
 故に、叫んだときにはもう遅い。声を出した生徒の周囲を銀色の結界が覆い、全方位の退路を遮断する。
「………ったく。賭け事は禁止と言ったでしょう」
 閉じこめた生徒からオッズ表を取り上げて、しばし注意してから解放してやる。
 相変わらず胴元は不明なままだ。ここでオッズを配っていた売人も、紙袋を被っていて顔までは分からなかったのだという。
「今年はどこがやっているのかしらね……」
 可能性の高い部のいくつかは、見当が付く。ただしその先の絞り込みについては、大会期間中に特定できれば御の字だと言えるだろう。
 候補の数はそう多くないが、いかんせん尻尾を掴ませないのが面倒くさい。
 そんな事を考えながら歩いていると、校舎の隅で生徒達の声が聞こえてきた。
「えぇー。女子水泳部も、結構やるんだってば。もうちょっとオッズ上げるように言ってよ」
「なら、出すもん出してもらいましょうか」
「焼きそばパン一個でいい……?」
 聞こえた声に、ため息を一つ。
「そこ! 教師がオッズ操作しようとしない!」
 どこからともなく焼きそばパンを取り出している同僚に、葵はその怒りを思う存分炸裂させるのだった。


 会場の裏でそんな黒い金の動きが起こっているなどつゆ知らず。歓声に包まれたグラウンドに響き渡るのは、スターターピストルの弾ける爽やかな音。
「あれ? ファファちゃん、髪型変えたんだ?」
 いつもは頭の両脇で結んでいるファファの髪が、今日は後ろで結ばれている。
「うん。こっちの方が動きやすいから、冬奈ちゃんとお揃いにしてみたの」
 動きやすいのが重要なのか、それとも冬奈と同じというのが重要なのか。ファファはニコニコしながら百音の問いに答えている。
「そっか。女子がパートナーだと、そういうのが出来るんだね」
 ファファと冬奈の場合は身長差が大きすぎるから難しいが、それも近ければ服の着回しだって出来るだろう。
 そんな事を呟いて。
 百音は、唐突に吹いた。
「ど、どうしたの、百音ちゃん!?」
「な、なんでもない……」
 時折けほけほと咳き込みながら、百音の笑いは止まる気配がない。
「大丈夫? 走れる?」
「だ、大丈夫だよ……」
 脳裏を唐突によぎったのは、パートナーがハルモニィの格好を着回している姿。もちろん、性別が入れ替わった時のそれではない。いつもの男の格好で、だ。
(ごめんね、悟司くん……)
 心の中で手を合わせながら、巡ってきた順番を前に百音はスタートラインへと着くのだった。


 男子全員参加の綱引きの後は、借り物競走だ。
「ったく……。やっぱり、綱引きなんか参加するもんじゃないよな……」
 借り物競走の集合列に向かいながら、ハークは機嫌の悪さを隠せずにいる。
 さらに言えば、綱引きと借り物競走の間にあるのは普通科女子の四百メートルリレーなのだ。料理部の女子も何人か参加すると聞いていたし、出来れば女の子達を応援していたかったのだが……。
「あ、ハークくん! 次の借り物競走、頑張ろうね!」
「うん! 桜子ちゃん!」
 元気よく掛けられた女子の声に、元気よく反応。
 思考を間に挟んだ速度ではない。もはや条件反射に等しいレベルであった。
 だが……。
「…………あれ? 桜子ちゃんって、同じチームだっけ?」
 借り物競走は、そのレースの特異性もあって練習をしたのは入場の出入りだけだ。そこでハークのいる紅組に、彼女の姿を見た覚えは無かった気がするのだが……。
「………まあいいか」
 借り物競走はお祭り的な側面が強く、各組に入る得点もそれほど高くない。何か裏工作をしたところでたかが知れているし、そもそもハークとしても可愛い女の子に声を掛けられたのだから、それだけで十分美味しい話なのであった。


 借り物競走は、グループごとの出走である。
 参加者は中央の台にランダムに並べられた板を一枚取り、そこに書かれているモノを探してくる事になる。何の変哲もない、ごくごく定番のルールである。
 華が丘高校の運動会でも、少ないながらもまともな競技はあるのだ。
「リリ! 一緒に来てくれない?」
 そんな第一グループの冬奈が板を取るなりまっすぐやってきたのは、B組の待機場所である白組テント。
「どしたの? 美少女とか、ボクっ子とか書いてあったの?」
 首を傾げるリリに、冬奈はその場に佇んだまま、言葉を返さない。
「…………」
「…………」
 二人の間に微妙な長さの沈黙が続き。
「…………いや」
 ぽそりと呟き、微妙な否定。
「っていうかなんでそこで視線そらすの!? 気になるじゃない!」
 問い詰めるリリの言い分は当たり前だ。意外な剣幕に冬奈は小さくため息を吐き、拾った板を渡してみせる。
「…………」
 それを目にして、リリは言葉を返せずにいる。
「……いや、なんか言いなさいよ」
「……ごめん。あんまり、否定できない」
 諦めたように冬奈へ板を返し、リリはテントとグラウンドを仕切りるロープをまたぎ越え、会場の中へ。
「自覚……あるのね」
 『バカ』と書かれた板を持ったまま、冬奈とリリはゴールへ向かって走り出した。


 第二組、三組と進み、ハーク達の番は四組目だ。
「で、何でボクの時だけ女の子が狙えないような札が出てくるんだよ……」
 ハークの拾った板に書かれた文字は『巨漢』。
 漢、である。
 持ち合わせたとんちをどれだけ総動員しようとも、女の子を誘えば暴投どころかデッドボール間違いなしの一枚であった。
「………オレに言われてものぅ」
 故に、女の子を誘えないハークとしては、読んだままの巨漢に声を掛けるしかなかったのだ。
「ちょっと! 真紀乃さん、離して、離してってば!」
 そんな微妙な空気のハークと良宇の向こうを、何やら情けない声が全速力で駆け抜けていく。
「だって、眼鏡っ子を連れてこいって書いてあったんですよ!」
 ハークと同じ、四組目走者のの真紀乃だ。
 彼女はともかくとして、背中におぶわれているのはなぜかレムだった。しかも、見たこともないメガネ姿である。
「っていうかオレ眼鏡っ子じゃねー!」
 片足がギプスで固められているうえ、おんぶまでされているのだから、脱出は限りなく不可能であった。
「だからホリンさんにメガネ借りてきたんじゃないですかー!」
「それって眼鏡っ子どころかニセ眼鏡っ子じゃないのぺぐっ!」
「いいから黙っといてください! 舌噛みますよ!」
 沈黙したレムを背負ったまま、真紀乃はさらにスピードを上げる。恐らく、第四グループのトップを飾るだろう。
「………ありゃ、噛んだな」
「噛んだね」
 レムの偽造眼鏡っ子を眼鏡っ子として認めるか否かで係員と言い合いを始めた真紀乃を見遣り、男二人は『メガネを掛けていなくて良かった』と本気で思うのだった。


「あ、あの……」
 さてぼちぼち移動しようかと考えていた男二人に掛けられたのは、消え入りそうな小さな声。
「どうしたの? 撫子ちゃん」
 借り物競走は組対抗で、普通科と魔法科の境はない。だが、撫子はハークの記憶が確かなら、第三グループに属していたはずだ。
「いえ、維志堂さんにご用が……」
「むぅ………どうしたんじゃ?」
 この状況での誘いとなれば、理由は一つしかない。
「一緒に……来て、もらえませんか?」
 いつもの撫子なら、もっと堂々と誘いに来るはずだ。それを、次のグループが出発するまで迷っていたということは……。
「そりゃ構わんが……ええかの、ハーク」
「撫子ちゃんのためならいいけど……ねえ、撫子ちゃん。良かったらカード交換しない?」
「え?」
 突然の申し出に、撫子は思わずそんな言葉を返してしまう。
 カードの交換は禁止されているわけではない。もっともルールで明示されていないだけで、おおっぴらに出来ることでもないのだが。
「ボクのカード、巨漢なんだ。だから、ボクのカードでも良宇を連れて行くことになるんだけど……」
 彼女のカードに何と書いてあるのかは分からないが、少なくとも巨漢ではないだろう。いずれにしても、目標が変わればハークにも女の子を誘える可能性が出てくるのだ。
 撫子を困らせる気はないが、そのくらいの役得はあってもいいはずだ。
「それは……構いませんけど」
 ハークの差し出したカードを取り替えると、撫子は良宇と一緒にぱたぱたとゴールへ向かって走り出す。
「よし、ありがとっ!」
 その幸せそうな様子を見届けて、ハークは新たな目標を見つけようと、カードをくるりと裏返し……。


「………うーん」
「どうしたんですか、桜子ちゃん」
 レムが正真正銘の眼鏡っ子であることを力説し終わった真紀乃が声を掛けたのは、珍妙な唸り声を上げている桜子だった。
「いやね。実行委員の友達に細工してもらって、ファファに『好きな人』のカードが回るようにしてもらったはずなんだけど………」
 魔法で直接人の心を変えることは出来ない。
 けれど、心を操る学問にある程度通じていれば、微妙に配置を調整することで望んだカードを『取りたくなる』ようにする事は出来る。
 単にカードの配置を調整するだけなら、念動なり風なり、魔法の独壇場だ。
「何か、別の子に回ってるみたいなのよねー。困っちゃってさ」
 どこに置いていたのだろうか。体操服のままスケッチブックをひらひらとやりつつ、桜子は困ったようにため息を吐いてみせる。
「いや、そんな不正を堂々と言われても……」
 無論、真紀乃もその様子に、どうリアクションを取って良いものかわからないままだ。


 第四グループのハークが持っているのは、撫子とこっそり交換した、新たなカード。
「…………………」
 記された文字は、確かに巨漢ではなかった。
 『好きな人』
 撫子が悩むのも無理はない。
 ハークも、無理に交換せずに八朔あたりを引きずっていった方がまだマシだった。
「うぅ……困ったなぁ」
 どうしようか頭を抱えていると、傍らを通りがかったのは知った顔。
「どうしたの、ファファちゃん」
「あのね、ちょっと難しいカードで……」
 その言葉を聞いた瞬間、ファファの顔が天使に見えた。
 千載一遇の好機とは、まさにこの事だ。
「じゃあ、ボクのと交換してよ! ボクのカードは『好きな人』だから、ファファちゃんなら冬奈ちゃんでいいでしょ?」
「………いいの? ハークくんも、晶ちゃんでいいんじゃないの?」
 首を傾げるファファに、ハークは微妙に渋い顔。
「…………いや、ええっと……そこは色々とね……。で、どうかな?」
 幸いなことにファファは晶や冬奈達のように延々追求するタイプではなかった。ハークの差し出したカードをすっと取り、代わりに自分のカードを渡してにっこりと微笑んでみせる。
「ありがとう、ハークくん! 助かったよ!」
 満面の笑みを残してテントへ走っていくファファの背中を、満足そうに見送って。
「で、ファファちゃんのって何て書いてあったんだろ?」
 難しいと言っていたが、まさか校内で調達できないようなモノでもあるまい。それなら、『好きな人』より難しい内容などあるはずが……。
 カードに記されていたのは『バンブルビー先生』という固有名詞。
「すいませーん。リタイアって、ありですか?」
 はいりや葵でさえ頭が上がらないという魔法科最恐の古強者の名に、ハークも実行委員を呼ばざるをえないのだった。


続劇

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