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18.華が丘、最後の一日

 山の彼方から聞こえてくるのは、連なり炸裂する花火の音。
 夜の花火ではない。東の空は暁の赤に染まっている。
「もう十六年に……なるんですね」
 花火の打ち上げが行われているのは、山をひとつ越えた先にある、華が丘高校から。ここからであれば、山を貫く長い長いトンネルをひとつ抜ければすぐの場所だ。
「……実感などありませんよ。この墓の下に、柚子さんはいないのだから……」
 先祖代々伝わる墓標の前に静かに立つのは、和装の老女。さすがに街の家からここまで歩いてきたわけではなく、墓地の片隅には黒塗りのハイヤーが停められている。
「いよいよ……ですね」
 今のところ、物語は彼女たちの知る限りの道のりを辿りつつある。
「……ええ。頼みましたよ、ルーナレイアさん」
 ここまでは、だ。
 だが、ここからなのだ。
「……あたしじゃなくて、ウチの息子やそちらのお孫さんに言ってください」
「……八朔さんですか」
 華が丘高校魔法科十六年の歴史の中で、最も初めにパートナーを失った娘と、最も初めに娘を失った母親は……互いにそう呟き合うのみ。


 運動会の当日であろうと、すべきことは変わらない。
 振るう拳に、唸る光刃。
 打ち交わされるのは、本気の一撃と一撃だ。
 勝たねばならぬ固い意思と、負けるわけにはいかぬ強い誇り。
 それが拳に一足飛びの力を与え、追いつかれる側の刃にも容易く抜かせぬ想いを与えている。
「でぇぇぇぇぇぇいっ!」
 そして。
 至るのは、意思と想いが実力差に追いつく一瞬だ。
 撃ち込んだ拳の反動は全身を音もなく抜け、一切の衝撃を残さない。完璧なクリーンヒットというものはこういうものなのだと、生まれて初めて全身で理解する。
「……………な……」
 だが。
 その一撃を受けてなお、相手は倒れようとも……膝を折る気配すら、ないままで。
「惜しいが……まだ、それで倒れるわけにはいかないな」
 振るわれるのは、レリックから生み出された光の剣。
 光の剣に刃は生まれていない。相手に致命傷を与えることなく、打撃武器として機能しているのだ。
 だが、剣に等しい攻撃速度を持つそれは、がら空きの胴に音もなく吸い込まれ……。
「がぁぁっ!」
 吹き飛ぶのは、二メートル近い巨大な体躯。落下の衝撃だけではインパクトを逃がしきれず、ごろごろと転がり、落ち葉にまみれてようやく止まる。
「今日は……これまで」
「お……オレはまだやれる!」
 今日は、騎士団の撤収の日だ。即ち、こうして戦ってゲートへの通行権を勝ち取れるのは、今日が最後のチャンスとなる。
 だからこそ、こんな早朝から勝負を申し込みに来たというのに……。
「いい加減学校に行かないと、体育祭に間に合わないだろ。……俺、葵に殺されたくないぞ?」
 騎士服の青年は、かつて華が丘高校の魔法科に所属していた。さらに言えば、良宇の担任のもとパートナーだったのだという。
「………ありがとうございました」
 故に、良宇はレリックを仕舞い、深く頭を下げてみせた。
 その全ては偶然だが……例え仕組まれた何かがあったにしても、交えた拳に偽りはない。
 良宇は全力で拳を振るい、マーヴァはそれを全力で受け止めた。互角とは言わないまでも、この一週間の出来事は良宇の拳に強い何かを残し続けるだろう。
「残念だったな。だが、こちらこそありがとう」
 静かに戦場を後にし、新たな戦場へと向かう良宇の背中に……。
 マーヴァもまた、頭を下げてみせるのだった。


 唐揚げ、卵焼き、ハンバーグ。
 四月朔日家の台所に並ぶのは、運動会の定番メニューのオンパレードだ。
「後はおにぎり……ですね」
 膨大な量のそれらを慣れた様子で重箱に詰めながら。傍らでご飯の準備をしているファファに声を掛けたのは、純和風の台所には似つかわしくないメイドさんだ。
「はい。多めに作って、朝ご飯にも出しちゃいましょう。皐月さん」
 昆布に鮭、梅干しと海苔。やはり定番の具をたっぷりと用意して、ファファは最初の一つを握り始める。
 おにぎりという料理そのものは、華が丘に来てから覚えたものだ。ただ、四月朔日家はその家庭の性質上、おにぎりなどの大人数で食べられる料理を用意する機会が多く……ほんの半年で、ファファも四月朔日家の定番料理はこなせるようになっていた。
「かしこまりました」
 ファファに続いて皐月もご飯を取り、おにぎりを作り始める。こちらはファファより一年先輩だけあって、なお早い。
「へぇ……今日は随分と豪華なのね」
 そんな戦場の如き台所に顔を見せたのは、冬奈だった。既に朝の稽古も終え、ひと汗かいてきた所である。
「ちょっと、冬奈ちゃん! つまみ食いはダメだからね!」
「つまみ食いなんてしないよ。……ガチだから」
 言うが早いか、まだ揚がって間もない唐揚げをひょいとつまみ上げ、そのまま口へ。
「それはもっとダメだよぅ……!」


 その日の朝食も、誰もが無言のままだった。
 用意されていた朝食を黙々と食べ終え、昨日のうちに準備していた鞄を取り上げる。
「…………行ってきます」
 その挨拶も、学校に通うようになってからの習慣だから言っているだけで、それ以上の意味はない。
 出来ることなら、口も聞きたくはないのだから。
「リリ。後で応援に行くからな」
「ふんっ。……セイルくん、いこっ!」
 リリの言葉に、セイルもぱたぱたとパートナーの後を追う。
「…………キツいなぁ」
 これだけ沈黙に包まれた食事の席など、リリの弟がメガ・ラニカに修行に行って以来のこと。ただその時と違うのは、弟の修行はリリも理解していたが、今度の件は全く理解も納得もしていないこと。
 無理もないし、予想も出来たことだが……分かっていてなお、厳しい物がある。
「いつかは、リリも分かってくれるわよ。陸さん」
 それが分かるのは、もうすぐ……。
 もうすぐ、なのだ。


 朝のランニングを終え、ひと汗流してきた真紀乃に差し出されたのは、ずっしりと重い弁当箱だった。
「え? いいの?」
 弁当箱だけではない。小さなタッパーには、どうやらハチミツに漬けたレモンなども入っているらしい。
「そりゃね。俺はこんなだから、そのぶん真紀乃さんには頑張ってもらわなきゃ」
「頑張ってって……あたしとレムレム、別の組だよ?」
 今年のチーム分けは、真紀乃のA組が紅組、レムのB組が白組だ。立場上、真紀乃がレムを応援するのは色々と問題がある。
「…………レイジ達には、内緒な」
 苦笑するレムに、真紀乃も笑顔。
「うん。じゃ、行こうか」
 そして二人は朝食を済ませ、アパートの二人の部屋を後にして……。


「で、ホントに一本も取られなかったのか? マーヴァ」
 青年騎士に掛けられたのは、ふらりと現れた騎士団長の言葉だった。
 いくら何でもタイミングが良すぎる。恐らく離れたところで戦況を見守っていたのだろうが……だとすれば、誤魔化すわけにもいかなかった。
「…………有効なら、食らいましたけどね」
 短衣の裾を捲り上げれば、そこに刻まれているのは拳の跡。反射的に防御魔法を使っていなければ、立ち上がることさえ出来なかっただろう。
 少年の意思は、確かに男に追いついていた。
 ただほんの半歩だけ、男の経験が勝っていた……それだけのこと。
「自分の半分しか生きてない子供を素直に認めるのって……結構、悔しいですね」
「ははは。師というのは、そういうものさ」
 一本の時の約束はした。
 では、有効の時はどうすべきか。
 ハルモニア騎士団の騎士団長は、わずかに思考を開始して……。


「……………」
 玄関を抜け、目の前にいたのは……。
 一人の、女だった。
「忘れてはいないわね? 今日という日を」
 無論、忘れたいと思った。
 無かったことにしたいと、思った。
 けれど、忘れられない。忘れられよう、はずがない。
 故に、頷かざるをえなかった。
 今日は……。
 約束の日だ。
 体育祭は、自身にとっての最後の餞なのだろう。今の場所、今の時、そして今の友達と過ごせるのは……これが恐らく、最後となる。
「……………」
 頷く様子を満足そうに見遣る女からその姿を塞ぐように割り込んだのは、自身のパートナーだ。
「……………」
 紡ぐ言葉は何もない。
 だがその瞳に宿るのは、己の大事なパートナーを連れて行くことを拒もうとする、強い意思の輝きだ。
「……………」
 それに女は答えない。
 パートナーも、黙ったまま。
 やがて、痛いほどの沈黙が過ぎ去って……。
 女は肩をすくめると、悠然とその場を後にするのだった。
「……………行かせない」
 ただひと言、パートナーの決意の言葉を背に受けて。


続劇

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