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15.窮奇雷臨

 結界を破るには、術者を倒すか魔法陣を壊すか……結界を物理的に破壊するしかない。
「でぇぇいっ!」
 レイジの叫びと共にかき消えるのは、彼を閉じこめていた隔離の結界だ。
「へぇ……思ったよりやるじゃない」
 どうやら結界に重なるように別の結界を生み出し、そこから物理的な綻びを作ったらしい。牽制程度の技とはいえ、この一瞬で破られるのはさすがに予想の外にある。
「………百音」
「うん」
「お前だけでも、逃げろ」
 悟司を助けようとやってきた百音にレイジが掛けるのは、全く逆の意味の言葉。
「そんな! だって、悟司くんが……」
「悟司は俺が何とかする。だから、他の連中が逃げられるフォローをしてやってくれ」
 困ったように捕まったままの悟司を見れば、悟司も二人の会話の意味を察したのだろう。小さく頷いてみせるだけ。
「…………ちゃんと、帰ってきてね」
 大きく頷き、百音が戦場を離れていくのを確かめて、レイジは全力で前へとダッシュ。
 何らかの結界を重ね掛けしていたのだろうか。踏み込むごとにレイジのスピードは増していき、そのまま圧倒的な勢いで悟司へとタックルを掛ける。
「わぁあっ!?」
 だが、捕獲の手こそはその勢いで逃れたものの……逆を言えば、それだけだ。
「どうするの? 鷺原くんを助けても、逃げ道はないわよ?」
 葵を前に、レイジの息は上がりきっている。
「レイジ、ごめん………大丈夫?」
「見て分かれ。大丈夫じゃねぇよ」
 悟司を取り返しこそしたものの、状況は何ら好転してはいない。むしろ、レイジが魔法を使い切ってしまったぶん、悪化しているとさえ言えた。
「だから言ったでしょう。自分達に出来ることを、やっておけばいいって」
 呟き、葵は再び魔術書を前へ。
 次の結界は先ほどとは違う。華が丘高校のプールを鉄壁の要塞へと変えた、黒い結界を張る構えだ。
 刹那。
「…………なんてな」
 息を切らせていたレイジはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ。
 そのまま、悟司と共にかき消えた。
「転移魔法………いつの間に!?」
 大がかりな転移魔法を使える力は、残っていなかったはずだ。短距離……それも、特定の位置に限定でもした、消費の少ない魔法を使ったのだろう。
 移動先は、市内のどこかではあるのだろうが……この場からとにかく離れるだけなら、切り札の一つとしては申し分ない。
「葵」
 やれやれと呟きつつ魔術書を閉じれば、そこへやってきたのは小さな養護教諭だった。
「あら、ローリ。維志堂くんは?」
「森永くんが説得して、上手く逃げたわ。だいぶ悩んでたみたいだけどね。それより……」
「何よ」
 妙に真剣なローリの様子に、葵も表情をわずかに改めて。
「さっきの葵、すごく悪役っぽかったわよ」
「……………人のこと言えないでしょ、貴女は」
 自分以上に悪役っぽい奴に言われたくない。
 葵はそう思い、ついでに思いっきり口にも出していた。


 重い衝撃に吹き飛ばされるのは、小さな身体。
 ごろごろと落ち葉の上を転がっていくが、大きくバウンドしたところで自身で体勢を立て直し、手にした戦鎚を構え直す。
「大丈夫ですか!? セイルくん!」
「……………平気」
 敵の追撃を自らのレリックで牽制させて後退してきた真紀乃の問いに短く答え、セイルは再び最前線へ。
 ふらつく足に気付いていないのか、それともあえて無視しているのか。いずれにしても、彼の意思は常に前へ前へと向かっている。
「我が子ながら、丈夫ね……。誰に似たんだか」
 分離合体を繰り返し、変幻自在な攻撃を仕掛けてくる人型の小型メカをいなしつつ、苦笑するのは少年の母親だ。
 中距離の誘導弾の対処は、相方との訓練で慣れたもの。会話の片手間に捌く程度は造作もない。
「明らかにお前だろ」
「あたしはもっと繊細よ」
 その呟きに、隣で同様の小型メカを捌いていた男からの返答はない。もちろん必死に真紀乃の攻撃を捌いているわけではなく、それどころか向けられたルーナの視線から気まずそうに顔を逸らすだけだ。
「………何か言いなさいよ!」
 響く声をトリガーに強い意識を戦鎚に集中させれば、ハンマーヘッドの先に生まれるのは力任せの魔力の塊。同じように魔力から生み出された鎖で戦鎚に繋がるそれを、大きく振りかざし……。
「まあ……とにかく、これでお仕置きはおしまいっ!」
 叫びに重なったのは、炸裂する魔力塊ではなく。
「これは………っ!」
 周囲に降り注ぐ、猛烈な雷光の雨だ。


 吹きすさぶのは風。
 辺りに走るのは、ぴりと痺れる小さな稲妻。
 風の中央に浮かぶのは……。
「キュウキ………」
 雷光色の髪を持つ、風をまとった細身の姿。
 四つ足の獣ではなく、より人間に近いフォルムのまま。
 直感が下したそいつの名を、真紀乃は無意識に口に出していた。
「レム………レム?」
 周囲を奔る風と雷に隠されて、その表情を知る術はない。
 けれど、わずかに見える口元は……穏やかに、微笑んだようにも見えた。
「レムレムっ!」
 真紀乃の叫びに応えることなく、その場に残るのは瞬間加速の衝撃だけだ。停止状態から一瞬でトップスピードに達したそいつは衝撃波で辺りを薙ぎ払い、到達点では雷の雨を撒き散らす。
「助けて……くれたの…………?」
 キュウキの挙動は、明らかに無差別な破壊ではない。
 確かな意思を持ち……そして、真紀乃達の敵となる騎士団達だけを攻撃しているように見える。
「逃げて! あの子が時間を稼いでくれてる間に!」
 そんな真紀乃の傍らに降り立ったのは、甘いドレスをまとった少女。混乱する戦場に現れるには驚くほど不似合いな姿だが、彼女からすればこれが戦装束だ。
「ハルモニィ!? 何でこんな所に!」
「いいから、早く! あの子はアタシが何とかするから!」
 何とか出来る目算も、確証も無い。
 けれど、ルーナも陸もキュウキに向かい、セイルも既に限界だ。真紀乃もこうして立ってはいるが、レリックを元に戻している辺り、万全の状態とは言い難い。
「早く!」
 重ねた言葉に真紀乃はしぶしぶ頷いて。
 セイルと共に、戦線から離脱していく。


 辺りを駆け抜ける雷光を弾き返すのは、輝く真円の大鏡。
「くっ! ウィルさん!」
 手元に鈍い痺れを残したまま、キュウキが現れるまで傍らにいたはずの少年の名を口にする。
「あの少年は大丈夫さ」
 だが、返ってきた声はウィルのそれとはわずかに違う。
 ゆらりとマントをなびかせるその姿は……。
「貴方………マスク・ド・ローゼ?」
「君も、今のうちに退きたまえ」
 唐突に現れた雷の魔物に、敵陣は大混乱に陥っている。もちろん味方も同じなのだが、向こうは組織として動いていたぶん混乱にさらなる拍車が掛かっている。
 本来ならば、この混乱に乗じて前へと進めばいいのだろうが……この先に待ちかまえるゲートは、ここ以上に危険な場所だ。
 彼の言うとおり、ここは撤退の好機と見るべきだろう。
「でも、レムさんが……」
 それだ。
 空を自在に翔け、衝撃波と雷光を撒き散らすその姿は、キースリンの読んだメガ・ラニカのいかなる書物にも載っていないものだった。けれど、本体となるであろう細身の姿とその特性は……明らかにレムと、彼に憑いた魔物のそれに一致する。
「彼を案じるのは、君だけではないよ。………君は君に出来ることを、成し遂げたまえ」
 仮面の剣士がわずかに視線を向けるのは、キースリンのさらに背後。
 撤退をしようとしつつも、レムの様子に下がれずにいるクラスメイト達だ。
「………すみません、お願いします。……八咫烏!」
 残された魔力で巨大な烏を呼び出して、仲間達にあらん限りの声を絞り出す。
「皆さん、撤退します! 動けないかたは乗ってください!」


 辺りをまとめて薙ぎ払う嵐に、やはり容赦なく降り注ぐ雷。
「とはいえ、どうしたものか……」
 雑木の上でその様子を眺めつつ、仮面の剣士は小さく呟いてみせる。
 迎え撃つ騎士達は防御魔法を展開し、その猛攻をひたすらに堪え忍んでいる。持久戦で相手の消耗を待つ気なのだろう。
 キュウキの力がどれほどの物にせよ、これだけ強力な力を出し惜しみ無く使っておいて、何の変化もないなどありえない。
 問題は………。
「薔薇仮面!」
「……マスク・ド・ローゼだ」
 視線はキュウキから逸らさないまま。傍らの枝に降り立ったドレスの少女に、ぽそりと小声で訂正する。
「貴方も、あの子を……?」
「無論だ。まあ、あまり時間はなさそうだが……」
 嵐も、雷も、威力が衰えた様子はない。
 けれどその発動間隔は明らかに延びており、わずかなりとも消耗していることは間違いないようだった。
「さて、いつ挑むべきか……」
 問題はそこだ。
「だね……」
 防御に徹する敵陣にはまだルーナレイアや葵達は合流していないようだが、彼女たちが合流すれば騎士団達も大魔法を使ってのより動的な消耗戦に戦術を切り替えてくるだろう。
 それに二人の強襲も、背後からだから一度くらいは成功するだろうが……逆を言えば、チャンスがあるのは一度きりなのだ。無論、ルーナ達が合流すればその成功率は著しく下がる。
(これ……まだ、使えないよね……)
 ポケットの中に、切り札は……あるにはあった。
 ストラップ型ではない。ペンダント型の、古い仕様のレリックだ。
 だが、もう一つのハルモニィとでも言うべきそれは、近接重視の今の彼女の装備とは使い勝手が違いすぎた。いきなりの実戦投入で、果たして力になってくれるのか……。
「それ、あたしがやってあげましょうか?」
 そんな二人に掛けられたのは、聞いたことのない少女の声だった。
「貴方は……?」
 黒衣をまとった少女は、ローゼには見覚えのないものだ。
 ハルモニィに視線を送っても、小さく首を振ってみせるだけ。どうやら、彼女も知らないらしい。
「援護してあげるから合図したら突っ込みなさい。……逃げるのは、得意でしょ?」
 怪訝そうな二人の様子など意にも介さず、黒衣の少女は一方的に言葉を放つ。
「逃げるとは失敬な」
「そうそう。戦術的撤退って………」
 軽口を叩いても、二人が視線をキュウキから離すことはない。
 やがて風と雷の雨が途切れ、細身の体がゆっくりと降下を開始する。
「行って!」
 同時、黒衣の少女の周囲に生まれるのは、黒い魔力の塊だ。嵐と雷の終息に油断していた騎士達は、後方から……それも、雷の威力に匹敵する力の強襲に思わず浮き足立って。
 その隙に混乱の合間を駆け抜けるのは、白い剣士と魔女っ子だ。
「捕まえたわっ!」
「よし!」
 空中でレムを捕まえると同時、二人の周囲に薔薇の吹雪が吹き荒れて。
「………ったく。世話が焼けるわねぇ」
 それを見届けた黒衣の少女は、木の上に身を置いたまま、小さくそう呟いてあくびを一つ。
 眼下にあるのは、数名の魔法使い達。
 ルーナにはいり、葵、ローリ……そして、陸。
 魔法科の生徒程度では逃げることも抗うことも出来そうにない使い手達に取り囲まれてなお、少女はその存在を意に介した様子もない。
「手間掛けさせるわね、陰」
「べ……べつに、あんたたちのためにやったんじゃないんだからねっ! 半年分のためなんだからねっ!」
「………はいはい」
 少女は自らの魔法を解き、黒猫の姿へと転じると……その場を悠然と後にするのだった。
 はいり達の苦笑に見送られながら。


 目の前に降り立った仮面の剣士と魔女っ子に真紀乃が上げたのは、悲鳴に近い声だった。
「レムレム!」
 ローゼの抱いていた細い身体を受け取って、半泣きのまま抱きしめる。
「………ああ、真紀乃さんか。大丈夫だった?」
「大丈夫………ですっ。だから、心配させないでください……っ!」
 弱々しい声は、魔力を使いすぎたせいだろうか。ただ、いずれにしても返ってきたのは無言の異形の視線ではなく、いつものパートナーの声だ。
「………助かったわ、二人とも」
「では、私たちはこれで失礼するよ」
「みんな、気を付けてねっ!」
 晶の言葉に二人の助っ人は大跳躍。住宅街の向こうへ、どこへともなく消えていく。
 その時鳴ったのは、晶の提げた携帯だ。
「あ、ホリンくん? こっちは何とか無事。ハークくんと、ソーアくんと真紀乃、あとファファとリリがいるわ。……ええ、ソーアくんはハルモニィ達が連れてきてくれたの。いつものソーアくんよ」
『なら良かった。こっちも祐希と良宇、あとハルモニアと合流したとこだ。悟司もいる』
 そんなレイジと数語を話し、晶はマイクを押えてレイジとの会話を一時中断。
「ファファ、リリ。冬奈とブランオートくんも無事だって。もうちょっとでホリンくん達と合流するってさ」
 その言葉に、レムを介抱していた治癒術使い達は顔を見合わせ、表情を緩ませる。レムも衰弱しているだけで命に別状はないようだから、とりあえずはひと安心といった所か。
『後は、ウィルと……………百音か』
 ウィルは知らないが、少なくとも百音はレイジと悟司が撤退する前に逃げたはずだ。どちらも携帯はドライブモードになったままだし、この時点で合流してないとなると……。
「やあ、みんな無事だったかい」
「遅くなってごめーん!」
 そんな晶達の前に姿を見せたのは、それぞれ別の道からやってきたウィルと百音だった。
「あ! 今、ローゼリオンくんと百音、来たわ」
 迷っていたのか非常時の合流場所を忘れていたのかはともかく、無事に帰ってきたなら言うことはない。
『そっか………。無事なら無事って連絡しろって、伝えといてくれ。じゃあ、キャッチ入ったから切るな!』
 その言葉を残し、レイジからの電話は切れる。
「あ……あたしにも電話が…………」
 こちらでも、レムの傍らを離れずにいた真紀乃が顔を上げ……。
「誰?」
「……………先生」
 ディスプレイに表示された名を読み上げた真紀乃に、誰もが顔を青ざめさせるのだった。


続劇

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