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10.父、帰る -メガ・ラニカ1xxx-

 世界を焼き尽くしたのは、黒い雷霆。
 黒く染まった天候竜から放たれたそれの前には、水晶の森も、百万の結界も、アヴァロン王城の城壁も、結界術士も、魔法騎士団も、全て等しく薄紙の如く。
 過ぎ去った後に残るのは、ただ……破壊の二文字に蹂躙し尽くされた廃墟のみ。
「ご無事……ですか、姫様………」
 崩れ落ちた老爺の言葉に混じるのは、ひゅうひゅうという呼気の音。
 既に左足は無く、そこから上も雷に灼かれ、原形を留めてはいなかった。ただ、己の張った防護壁でいくらか防ぎ切れたのか、上半身はいくらかマシな様相を見せている。
「私は平気です。けど……喋らないで。今、治癒の魔法を……」
 彼の背後に跪いたまま、姫君は両手を組み合わせ、呪印を結ぼうとする。メガ・ラニカでも最高位にある魔女王の血を受け継ぐものだ。ひと口に治癒魔法と言っても、その効果は並みの魔女のそれを遙かに上回る。
 だが。
「……魔力を無駄になさいますな。私は、姫様をお守りできたことだけで満足にございますれば」
 それだけの魔法の効果を受けてなお……男の命を長らえさせる事は、不可能だろう。
 足元に広がる血溜まりは明らかに手遅れの量を示しており、そもそも最初に受けたのが、致命の一撃だったのだ。むしろ、いまだにこうして話せているのが、奇跡に等しいとさえ言えた。
「いや、まだ………か」
 侍従長の視線の先にあるのは、遙かな空。
 暗雲渦巻く空に在る、黒い翼の天候竜。
 その顎門には黒い雷光がほとばしり、次のブレスが間近であることを示している。
 だからこそ、男はまだ、死ねぬ。
 死ぬわけには、いかぬ。
「姫様。ここはもう一度……私が、抑えますれば」
 まともに動かぬ両手で必死に印を結び、構えを取る。
 初撃を凌げた程の結界は、もはや作れはしないだろう。だがそれでもなお、男はその印を諦めようとはしなかった。
「なりません! 共に……共に、逃げるのです」
「詠唱の邪魔です。早くお逃げを」
 震える腕が、竜を指す。
 天に浮かぶそいつの口は黒い輝きを増し、あとほんの数瞬で、世界を再び焼き尽くすことだろう。
「お早く!」
 血反吐混じりのその声に、娘は弾かれたように駆け出した。
 もはや見えぬ瞳だ。振り返りはしない。まだ機能を保つ皮膚が感じる足音で、娘が逃げていく様を感じ取り。
 男は、死力を賭して魔法を放つ。
「間に合わな……っ!」
 娘の背中に輝くのは、今ひとたび世界を灼きつくさんとする黒い雷光。
 背中に生まれるのは、結界として結ばれたマナの揺らぎ。
 老爺の命を賭したそれは、ほんの一触で砕け散り。
「飛べ!」
 代わりに娘の耳に届いたのは、正面からの男の叫び。
 死んだ侍従長ではない。
 もっと若く、力強い、男の声。
 飛ぶ。
 踏み込み、声の元へと力任せに跳躍する。
 受け止めたのは、太い腕。
 何かにぶつかったと同時に娘の体はくるりと一転し、それに続くのは飛行魔法が解けたときのような落下感。
 どさ、という音がしたのは、何か分厚いものを隔てた向こう側からだった。
「ご無事か、姫様」
 穏やかな言葉と暖かいものに包まれたまま、首を縦に。
「侍従長が……今の一撃を………」
「………すみません。もっと早く辿り着けていれば……」
 包む腕は、わずかに震えている。
 怯えでも武者震いでもないそれは、悔恨の……悔しさからの震えなのだろう。
「いえ。感謝……いたします。冒険者様」
 男の胸元を離れ、ゆっくりと立ち上がる。
 下から天井を見上げれば、意外と高い場所から落ちたようにも見えたが……男がクッションになってくれたらしい。姫君の体には傷一つ無い。
「二人とも、詳しい話は後だよ。まず、早くこんな所は去ろうじゃないか」


「そうだな。……姫様、アヴァロンはもはやこれまで。王女としての想いはありましょうが……」
「……分かっています。ここで私が命を失っては、皆の犠牲が………」
 言いかけ、少女は台本の言葉を止めてしまう。
「…………どうしたんですか? 百音さん」
 その様子に、悟司は思わずその名を呼んだ。
 夜、縁側でのやり取りだ。さすがに勇者役のレムや侍従長役のハークを夜遅くまで鷺原邸に呼ぶわけにもいかず、姫君の相手役は全て悟司が肩代わりしていた。
「ううん。何か、違う気がして……」
「そう? 良い感じだと思ったけど」
 悟司が見る限り、演技に問題があるようには思えなかった。
 空になっていたパートナーのコップに麦茶を注ぐと、自身も脇に置いていたコップからお茶をひと口。
「何だか、違うの。こう、お姫様の気持ちになろうと思ってるんだけど、なりきれてないみたいな……」
 いわゆる役作りというレベルの話だ。
 もちろん演技にとっては大事な事なのだが……台詞を間違えないようにといった相談ならともかく、演者としてひとランク上の問題だから、悟司としてもアドバイスのしようがない。
「難しいなぁ……」
 せめて、本物のお姫様でも知り合いにいれば違うのだろうが……。
「とりあえず、まだ時間もあるんだし、その辺りの性格はまた考えようよ。みんなに聞けば、何かいいアドバイスが思いつくかもしれないし」
「……だね」
 悟司に出来るのは、それが限界だ。


 その日の遅く、四月朔日邸に訪れたのは、一人の男だった。
「………ただいま」
 断りもなく玄関で靴を脱いでいる男に最初に声を掛けたのは、たまたま母屋に戻ってきていた冬奈だ。
「もう帰ってきたの? 父さん」
「もうって………」
 いきなりの物言いに、男はがっくりと肩を落とす。
 半年ぶりに会った娘に出会い頭にそう言われれば、へこむのもまあ、無理はない。
「だって、まだ華校祭ってだいぶ先だし……道場、大丈夫なの?」
 冬奈の父は、四月朔日家の帝都道場の責任者だ。こちらに戻ってきたと言うことは、道場は責任者不在ということになる。
 もちろんこちらに戻った時をふまえて彼も魔法携帯を使っているから、連絡が取れないわけではないが……。何かあったときに戻るにしても、華が丘から帝都までは、ほぼ半日の距離がある。
「お前、だんだん母さんに似てきたぞ……?」
「それ、前も聞いた」
 苦笑する父親をそう切り捨てておけば、騒ぎを聞きつけたのだろう。廊下の向こうから顔を覗かせるのは、四月朔日邸に半年前から暮らしている小柄な少女だ。
「あ、あの……っ!」
 冬奈との会話から、彼が四月朔日家の一員である事に気付いたらしい。ぱたぱたと冬奈の傍らに駆け寄って、ぺこりと頭を下げてみせる。
「ああ、君がファファちゃんか。いつも冬奈がお世話になっているね。冬奈の……父です」
「はいっ! よろしくお願いします!」


続劇

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