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9.届かぬ言葉、伝える言葉 -メガ・ラニカ1xxx-

 振るわれた刃は、魔を断つ刃。
「………おかしい」
 一刀のもとに崩れ落ちるゴブリンを見遣り、男は静かにそう呟いた。
「別に珍しくはないだろう。ゴブリン程度」
 細剣にまとわりつく鮮血を刃のひと振りで払い、青年は首を傾げてみせる。
 メガ・ラニカにも魔物と呼ばれる生物群はいる。その大半は古の魔法実験で生み出された魔法生物のなれの果てなのだが……その中でもゴブリンは比較的多く繁殖しており、冒険者達の討伐対象となる事も珍しくない。
「ゴブリンじゃない。お前らも見ただろう?」
「さっきのコボルトとか?」
 こちらに近付いてくる竜馬の群れを降り注ぐ稲妻で蹴散らしつつ、黒衣の少女が男に応じる。
「ああ。コボルトが暴れるなんて話、聞いたことあるか?」
 コボルトも多く繁殖している魔物だが、総じて大人しい性格を持ち、森の中で穏やかに暮らしているものばかり。冒険者が目にする事は珍しくないが、討伐に至る事はごく希だ。
 その大人しい魔物がぎらついた目で襲いかかってきた様子は、さすがの男も初めて目にする光景だった。
「確かに、珍しくはあるね」
 男だけではない。青年の記憶の中にも、コボルト討伐などという依頼を受けた覚えは一度もなかった。
「……やっぱり、変だ」
「だろ?」
 発動体たる長杖を引き戻した少女の呟きに、今度は男が応じてみせる。
「違うよ。マナだよ、マナ。気付かない?」
 魔法の発動媒体となる、魔法物質だ。メガ・ラニカの魔法使いはこのマナに干渉することで、奇跡に等しい超常の力を引き出すことが出来る。
「お前みたいに何百年も魔法の修行をしてるわけじゃないんだぞ」
 少女の『自称』を引き合いに出し、男は苦笑。
 男もメガ・ラニカの住人だから、簡単な魔法なら使えなくもない。だがこれほどの激戦で実用に足るだけの魔法は、魔術師や魔女と呼ばれる実力ある魔法使いでなければ使うことは出来ないだろう。
 そして目の前の幼い少女は、その見かけとは裏腹に、間違いなく魔女に匹敵する実力を持っていた。
「あたしだってこんなの初めてだよ。確かに、マナのベースは蚩尤の邪気だけどさ……」
「……シユウ?」
 聞き慣れぬ単語に首を傾げる。魔法用語の一つではあるのだろうが……あまり、耳障りの良い単語ではない。
「気にしないで。とにかく、変だって事! それより、先を急ごうよ」
 次の魔物の群れが近付いてくるのを目にし、少女が放つのは警戒の言葉。
「あれは………」
「天候竜か? なんでまた、こんな所に」
 そんな戦場の中。
 暗雲たれ込める空に唐突に飛来したのは、メガ・ラニカの空の王。
 天の気とマナが感じ合って生まれた、天候の化身。
「………まずい! 二人とも、逃げるよ!」
「天候竜からかい?」
 天候竜は、基本的に無害な存在だ。こちらから手を出さない限り、向かってくることはまずない。
 だが、黒猫の魔女はその竜から逃げろと言う。
「そう! ここまでマナが邪気に染まってるって事は……」
 天の気とマナが感じて生まれたのが天候竜だ。
 そして、天候竜は天の気の変化……天候の変化に従って、その姿を自在に変じさせる。
 ならばそれと同じように、竜の体の半身となるマナが悪い力に染まっていれば……?
「天候竜が……黒く染まっていく………?」
 暗雲……曇り空を司る、クラウドドラゴンではない。
 その翼は灰色を越し、漆黒に。
 曇天色のはずの重殻も、やはり変わる色はおぞましきどす黒い色。
「来るよ!」
 不吉な暗雲を背に、黒き天候竜の咆哮が響き渡り。
 大きく開けた顎門から放たれたのは……。
「………まずい!」
 刹那。
 世界が、黒い閃光に包まれる。
「後ろに! メガ・ラニカの魔法じゃ、止めきれないよ!」
 黒猫の魔女が放つ防御の結界が、その閃光を受け止めて……。


 振り向いた少女が紡ぐのは、憂いを帯びた静かな言葉。
「………ですが、お前も知っているでしょう? 天の気が乱れ、世界に立ち籠めるマナにも凶の相が現れたと……」
 わずかに目を伏せ、世界の行く末に思いを寄せる。
 真剣なその演技に、縁側に座った悟司はわずかに息を呑み………。
「う、うん。だいぶ……良い感じだと思うよ?」
 ようやく紡げたのは、そんな言葉。
「そう? なんか、悟司くん黙ってたから……良くなかったのかと思ったよ」
「そんな事無いよ。良かったよ……うん」
 まさか、演技に見とれていたなどとは、恥ずかしくて言えるわけがない。
「それより、ちょっと休憩したら?」
 代わりに傍らのコップに麦茶を注ぎ、そう促すのが精一杯。
「ごめんね、悟司くんも全体の統括で忙しいのに」
 悟司は祐希と同じく、全体の統括を行っている。
 本来ならB組の統括は委員長であるレイジがするべきなのだが、レイジは監督として両クラス全体の指揮を執っており、もう一人の副委員長であるレムは劇の主演を担当しているため、実際の作業は唯一手空きの悟司が引き受ける事になっていた。
「家にいる間くらい、百音さんを手伝うよ。せっかくのヒロインなんだし、良い演技をしてもらわないとね」
「うぅ、プレッシャーだなぁ」
 苦笑する百音に、穏やかに微笑み。
 内心は、膝が当たるほどの距離に座る彼女に、緊張を隠しきれない。
「そういえば、夏休みの間に課題って進んだの?」
 そんな中で切り出したのは、彼女の『課題』についてだった。
 彼女の所属する魔法の流派は、魔女と認定されるまでに幾つかの『課題』をこなさなければならないらしい。その内容は流派の秘密として教えてもらえなかったが……主に人助けのようなものと教えられていた。
「困ってる人を助けるのは結構やれたと思うけど、そっちはぼちぼち……かな」
「そっか。出来ることがあったら、何でも言ってね?」
 夏休み中のハルモニィの活躍は、悟司も色々と耳にしている。それが課題に直接結びつくのかは分からないが、少なくとも精力的に活動しているのは確からしかった。
「僕が手伝って良いものなら、劇の練習も課題も、出来る限りのことは協力するから」
「…………ありがとう」
 だが。
 今の百音に課せられた課題は、たった一つ。
 文化祭までに、悟司に告白すること。
(こんな事……言えないよ……)
 男子をパートナーに迎え。
 協力して魔法を使い。
 兄の試練を乗り越え。
 そして、百音と呼んでもらうこと。
 悟司に対するパートナーとしての信頼は、本当のものだ。けれど、今までに彼と成し遂げてきた歩みの数々が、全て『課題』だったなど……。
 そんな事が、言えるはずもない。
(……ごめんね、悟司くん)
 傍らで穏やかに微笑む少年に、心の中で頭を下げて。
「さて。それじゃ、続き、頑張るよ! 悟司くん、また……見てくれる?」
 百音は、元気よく縁側から立ち上がるのだ。


 縁側で頭を下げたのは、レイジだった。
「……すまねぇ。何か、悪ノリしちまって」
 傍らにいるのは彼のパートナーだ。頭を下げるレイジを横に、そろそろ出回る量も少なくなってきたスイカに無言で塩を振りかけている。
「なんつーか……百音の事になると、すげぇイライラするようになっちまってよ………。結果的に、おめぇに当たることになっちまった」
 彼女の事が気になり始めたのは、夏休み、メガ・ラニカでの騒ぎがあってからのこと。
 だが、一度気になれば、そこから転がり落ちるのはあっという間だった。何せ、その変化に驚いているのは他ならぬレイジ自身なのだから。
「構わん。パートナーなんだからな」
 そんな状態で、芝居とはいえレムと彼女のラブシーンを仄めかされれば……苛立つ気持ちも分からないではない。
 良宇は短くそう呟き、半月に切ったスイカにかぶりつく。
「お前も食え。美味いぞ」
 三口ほどで食べ終わり、残るスイカの載る皿をレイジに向けて軽く勧めてやる。
「…………悪ぃ」
 レイジも良宇の隣に腰を下ろし、勧められるままにスイカにかぶりつく。
「だが、美春か………」
 百音のパートナーは、悟司。
 良宇が見る限り、あの二人の関係はそれなりに良いもの……だと思っているのだが。
「悟司がいるのは分かってるよ。けど、他人のパートナーだから好きになっちゃいけねぇなんて事……ねぇよな?」
 二つめのスイカを取るレイジに、良宇は無言。
 代わりに二つめのスイカを取り上げて、しゃくりとひとくち口にして。
「すまん。そういう好きだの嫌いだのいうのは、よう分からんのじゃ」
 お前の気持ちが、もう少し分かってやれればいいんじゃが………。
 ぽつりと呟き、残るスイカに歯を立てる。
「十分だよ。聞いてくれるだけで」
 少なくとも、パートナーに話せる程度には落ち着き、考えもまとまっているということだ。それを確認する作業に付き合ってくれるだけでも、ありがたいと云う他にない。
「とにかく、レイジの後悔のないようにすればええ。じゃが、何があっても……美春と鷺原は、恨むな。オレが言えるのはそれだけじゃ」
「………ありがとな」
 それきり、縁側は無言。
 ただ、スイカをかじるしゃくしゃくという音だけが響いている。
「オレはお前と、同じ存在……か」
 良宇の言葉に、レイジは小さく首を傾げて。
「……いや。何でもない」
「そうか」
 短い否定の言葉を紡ぎ合い、男達は再びスイカを腹へと納める作業を再開するのだった。


 風呂上がりにジュースでも飲もうと台所に行けば、そこにいたのは……。
「キースリンさん……」
「え、ええっと………お先に、お休みなさい」
 少年の声にキースリンは弾かれたように席を立ち、ぱたぱたと自らの部屋へ戻っていく。
「…………」
 祐希としては、一緒にジュースでも飲まないかと声を掛けただけだったのだが……。
 明らかに、避けられている。
「なになに? 夜這いでもして嫌われちゃった?」
「だから、しないってば……」
 もちろん、避けられる理由は見当が付く。
「………返事はいつでもいいって言ったけど……」
 祐希としては、急かしているつもりは少しもない。だが、責任感の強い節のあるキースリンからすれば、祐希と顔を合わせるだけでプレッシャーを感じてしまうのだろう。
「答えを急かしてるように……見えるのかなぁ……?」
 ただ、相手の気持ちが分かることと、避けられて傷付かないかという事は、イコールで結びつくわけではないわけで……。


「あれが……アヴァロンだと?」
「残念だが、間違いないね。侍従長殿の手紙も、あながち冗談ではなかったということか………」
 男の呟きに答えるのは、青年剣士の凜とした声。
 わずかな沈黙を挟み……。
「……どうかな、こんな感じで」
 はぁ、と息を吐いて台本を下ろすのは、居間の椅子に腰掛けたレムだった。もちろん相棒となる青年剣士は、ウィルではなくパートナーが読んでくれている。
「いいと思いますよ? じゃ、次行ってみましょう!」
 真紀乃の合図で、再びやり取りが始まって。
「余裕があればな。……行くぞ!」
 力強く声を上げたところで、隣の部屋と隔てる壁が、だん、と荒々しい音を立てた。
「え……?」
 互いに言葉を失って、無言で顔を見合わせる。
「……ねえ、レムレム。隣って」
 隣の部屋は、つい先日まで空き室だったはず。夏休みの間にも、誰か入ってきた様子はなかったのだが……。
「ラップ音じゃないですよね……?」
 先日の心霊現象特番で見た光景を思い出し、真紀乃は小さく身を震わせる。
「それはないと………思うけど」
 それ以前にこんな力強いラップ音など、聞いたことがない。
 神も仏もないメガ・ラニカにも、転生の環から外れた魂……幽霊の概念はあるが、それほど恐れるものでないのも、また事実なのであった。
 どちらかといえば怖いのは正体不明の幽霊より、凶暴そうな隣人だ。
「とりあえず、声は程々にしとこうぜ……」
 レムと真紀乃は顔を見合わせると、声のトーンを幾段か落とし、台本のやり取りをこそこそと再開する。


 窓の外から聞こえてくるのは、小さなノックの音だった。
 キースリンの部屋にはベランダはない。そのまま雨戸があるだけのはずだ。
「あ……祐希……さん?」
 再びのノックにカーテンの隙間から外を覗いてみれば、窓枠の所に立っているのはもちろん祐希ではなく……。
 手足の生えた、携帯電話。
 祐希の作った、魔法人形だ。
「入りたいんですの?」
 手を振る人形に柔らかく微笑み、小さな祐希の分身をそっと部屋へと招き入れた。机の上へと乗せてやれば、そいつはややぎこちない動作でひょこりと立ち上がってみせる。
「……ごめんなさいね。お前にまで気を使わせてしまって」
 人型のそれが祐希の魔法で動き、五感を祐希と共有する存在であることは分かっていた。
「祐希さんの気持ちは嬉しいけど……どうしても、祐希さんの顔を見ると……」
 けれど、巨大なドットで描かれた簡素な表情は、祐希のそれではない。その事だけで、同じ祐希を相手にした会話でも、自然に言葉を紡ぎ出すことが出来た。
「嫌だというわけではないんですの。でも、早く答えを出さないと……と思ってしまって……」
 やがてワンセブンのディスプレイに浮かぶのは、ドットの表情ではなく……。
『イソガナクテ、イイ』
 やはり簡素な、数語のカタカナだ。
「………ありがとう。祐希さん」
 ワンセブンの頭頂部を軽く撫でてやると、恥ずかしくなったのか、そいつは部屋の外へぱたぱたと駆け出していくのだった。


 風呂を終えて部屋に戻れば、そこに広がるのは布の海。
「ファファ。……あんまり根詰めると、体に悪いよ?」
 パターン通りに切られたそれをうかつに踏まないよう、ベッドサイドまでおっかなびっくり歩きつつ、冬奈は布の海の中心にいる少女に向けて声を掛ける。
「まだ本番まで、時間はあるんだから」
 ファファが縫っているのは、華校祭のファッションショーで使うドレス……服飾研の準備品である。
 本来であればメガ・ラニカから戻った段階で作業に取りかかるつもりだったのだが、性別逆転騒動のおかげで型紙が起こせず、当初の予定よりも大幅に遅れてしまったのだ。
「冬奈ちゃん、ありがと。もう寝るよ」
 ふわ、とあくびをひとつして、パジャマ姿のファファは針箱へ道具を片付けている所だった。
「そっか。ならいいか……」
 冬奈も片付けの手伝いくらい出来ればいいのだろうが、切った布の山のどれがどこの部品かすら分からない以上、うかつに手を出せばファファの迷惑になるだけだ。
 心配することと、見ていることしか出来ない。
「けど、劇の方の服まで引き受けて、大丈夫?」
 そして、心配の種がもう一つ。
 劇の衣装係の所に、ファファの名前があったことだ。
「大丈夫だよ。あっちは、キッスちゃん達がほとんどやってくれるって言ってたから」
 ファファはそう答えると、脇に置いてあった携帯を取り上げてみせる。
 メールの確認というわけではない。携帯から紡ぎ出されるのは、穏やかで流れるようなメロディだ。
「……何の魔法? 掃除?」
「違うよぅ。冬奈ちゃんも習ったでしょ? 汎用魔法で、体力の回復速度を速めるやつ」
 魔法の授業は基本的に各々で決めた課題を進めていく事が大半だが、共通で習う魔法もないわけではない。
 魔法の基礎と言われる灯火の魔法もそうだし、たった今ファファが使った治癒力補助の魔法もそうだ。
「そんなのもあったっけ……けど、効くの?」
 ただ、全員が習う魔法とはいえ、実用レベルまで使えるかはまた別の問題だ。冬奈はどちらもそれなりの効果しか得られなかったため、着スペル化するまでには至っていない。
「……もぅ。効かなかったら、パパたちもお医者さんなんてやってないよぅ」
 苦笑しつつ、手元でもう数語を呟けば、ふわりと浮かぶのはほのかな明かり。
 これも先ほど共通で習った魔法の一つ。灯火の魔法である。
 片付けた材料に抜けがないことを確かめて部屋の明かりを消し、冬奈のベッドへと潜り込んでくる。
「そりゃそうか。……じゃ、おやすみ、ファファ」
 そして冬奈はファファをそっと抱きしめた。
 残る唯一の明かり……部屋に浮かぶ灯火も、ファファの言葉に従って、ゆっくりと光度を落としていく。


続劇

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