6.伝わらぬ便りの宛先に
『前略、父さんへ
先日はお世話になりました。あの時詳しいことは手紙で話すといった事、今からご説明しようと思い、お手紙を……』
そこまで書いた手紙をくしゃくしゃと丸め、レムはそれを机の傍らに押しやった。
押された紙くずは隣の紙くずを押し、それの連鎖が連鎖を呼んで、机の端の紙くずを床へと転がり落としていく。
「……違うんだよな」
明日からは臨海学校だ。そこから戻った後では、また報告が遅くなる。書いておけるのは今日が最後の日なのだが……。
「うー。文才、ねえなぁ……」
箇条書きにもしてみた。
報告書形式でも書いてみた。
だが、箇条書きでは気持ちが伝わらないし、報告書形式など論外だ。あえてタイムテーブルでも書いてみたが、手紙というよりただのスケジュール表になってしまったので、やっぱり没にした。
「つか、言わないなんて言わなきゃ良かった……」
そもそも説明すると言っておきながら、説明できないことが多すぎるのだ。
メガ・ラニカで見、華が丘で知った真紀乃の力。
武装錬金……そして核金と呼ばれるその集大成と、錬金術なる地上世界の魔法体系。
レムの隣の部屋にいる彼女が、レムだけを蚊帳の外に置く理由。
「…………ああもうっ! そんなにオレが信じられねえか!? あの野郎!」
書きかけた文字が間違っているのに気付き、苛立ち紛れに丸めて捨てる。
次の紙に書き始めようとして……。
「……………」
便箋が切れていることに気が付いた。
降松に出かけたついでと一番厚い束を買ってきたはずなのに、どうやらそれを使い切ってしまったらしい。
「……買ってくるか」
空を飛べば、街一件のコンビニまではそれほど遠い距離ではない。机の脇に展開してあった双の刃を取り上げて。
「…………これ、全部焼き払えりゃ、すっきりするんかなぁ」
ぽつりと口を出た言葉に、少女自身がぎょっとする。
「バカかオレ。……ともかく、行ってこよう」
窓から軽く飛び出して。
金の髪をなびかせながら、少女は夜の空へと飛び立って行く。
美春家の居間のテーブルで、大きな毛玉が動いている。
百音が世話になっている鷺原家はもちろん、他の家でも普通は見られない光景だ。
「え? メレンゲ、臨海学校には行かないの?」
手の平に乗るほどのそれが放った言葉に、百音は思わずそんな声を上げていた。
「行けるわけがなかろう。マナがなくては、魔法生物は生きられんのじゃぞ」
百音のお目付役という役割を預かってはいるが、魔法のフクロウはメガ・ラニカで生まれた魔法生物だ。天候竜のようにマナの境界を抜ければ即消滅……というわけではないが、身体を構成するマナが維持できない以上、マナの密度が極端に薄くなれば、それこそ命に関わってくる。
「そっか……来ないのか、メレンゲ……」
「何やら、うれしそうじゃな」
「そ、そんなことないよぅ」
フクロウの何もかもを見透かすような視線に、百音は思わず両手をバタバタ動かし、言葉を否定してみせる。
無論、そのくらいは見抜いているのだろう。メレンゲはほぅ、とひと声鳴くと、羽根繕いの終わった両翼をばたばたと羽ばたかせた。
「じゃが、課題のこと、ゆめゆめ忘れるでないぞ? まだ二つもも残っておるのじゃからな!」
言われ、思い出すのは告げられたばかりの最新の課題。
理不尽だと想いはするが、それをクリアしなければ魔女にはなれない。
そして、パートナーは自分の事をどう思っているのか……。
「わ……わかってるってば。メレンゲのバカ!」
ぐるぐると渦巻きだした思考を無理矢理押しとどめ、百音はテーブルに乗ったフクロウにとりあえず当たり散らした。
長い廊下を隔てた扉の向こうからは、緩やかなハミングとシャワーの音が聞こえてくる。
時折混じるのは、若い娘と、少年の声。
「いいなぁ……ルリの奴。リリと一緒にお風呂って」
その幸せな音をBGMに、瑠璃呉家の主は今のソファーで大きなあくびをひとつ。
妻は勿論、息子に変わったとはいえ、娘が大事なことも変わりない。本当なら、風呂場に飛び込んで家族の時間を満喫したいのは山々だったが……さすがに愛娘が本気で嫌がる事は、する気にはなれなかった。
「なあ、セイル……」
仕方なく、向かいのソファーでレリックをいじっている小柄な少女の名を呼んだ。
「…………?」
手を止め、セイルは無言で首を傾げてみせる。
「お前、やっぱりルーナだろ」
昨日から二度目の呼びかけに、少女はやはり無言で首を傾げ……ようとして。
「………ンだよ。気付いてたのか、陸」
セイルが浮かべたのは、いつもの無表情とはほど遠い、好戦的なそれだった。
「月の魔女は魂を寄せるって、お前から散々聞いてたからな。でもお前がセイルの体に入ってるって事は……なんだ? 生き霊?」
「そんな感じみたいだね。まあ、便利だから何でも良いんだけど。……でも、それだけで気付いたワケじゃないよな?」
月の魔女は魂を寄せる。その話は、確かにかつて陸やルリには幾度もした。
特性を覚えていたことは賞賛に値するが……それ自体とルーナの間には、イコールとなる理由が存在しない。
「セイルのレリック、元の形に戻せるようにしてたろ? 調整くらいなら俺でもやるが……そこまで出来るなら、もう駆け出し職人のレベルじゃねえよ」
セイルの使うハンマーは、もともと彼女の母親……目の前の彼女が使っていたレリックを調整したものだと聞いていた。
それをわざわざ元の姿に調整し直す必要を持ち、なおかつそれだけのホリックの技術を持つ者など……そうはいない。幾つかある否定の可能性をさしおいてなお最も正解率の高そうな答えを、陸は選んだだけだ。
「だって、あの鉄球もこっちに持ってきてあったんだもん。本体のレリックが使えないなら、似たようなもんで誤魔化すしかないだろ」
いじっていたキーホルダーサイズのレリックを一つにつなぎ合わせ、鉄球をくるりと一度回してみせる。
体の主は、鉄球だけを別の何かに使おうと思っていたのだろう。もちろんその『何か』の邪魔をする気はないが……。かつて身の一部と思うほどに使い込んだレリックだ。その邪魔にならない程度にこちらの都合がいいように調整するくらい、彼女にとって造作もない事だった。
「それにしても、何で今頃こっちに……。四凶はまだ、全部封印出来てないのか?」
「ナンクンとキュウキがまだだね。つか、月瀬のバカがミスリルバレットを一発なくしちまってね。それを追ってきたんだけど……華が丘まで出てきたら、このザマさ」
当然ながら、その体の主が己の息子だと気付いたのは、状況を理解してからのこと。まさか息子だった者が娘になっており、なおかつ人狼の性質まで性差に沿って反転しているなど、予測できようはずもない。
「ミスリルバレットか……リリから聞いたぜ? 時の迷宮で迷ってたリリの友達、怪物から助けてくれたんだってな」
確か、薔薇獅子の亜種だったか。無数の触手で這い回る、砂色の怪物だったと陸は聞いていた。
「……ああ。三ヶ月くらい前……だっけ」
「相変わらずそっちは時間感覚目茶苦茶だな……。つか、俺あんとき近くにいたんだぜ? 十六年前だけど」
陸のその言葉に、ルーナも苦笑。時間の流れの狂ったあの地で正常な時間感覚を保てる者など、そうはいない。
もちろん華が丘のカレンダー的を基準に据えれば、晶とハークが怪物に追い掛けられてから、まだ一週間と経っていないのだが。
「十六年前っていや、お前らがリリ作って大騒ぎになってた頃か……っと、ルリが戻ってきた。それじゃ、またな」
繋ぎ合わされていたレリックを二つに分かち、ルーナと呼ばれた少女は静かに瞳を閉じる。
「もう会いたくねえよ。オオカミ女」
再び瞳を開けたとき。
苦笑いを浮かべる陸に、セイルは首を傾げるだけだった。
続劇
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