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4.朝、色無地、メイドさん

 茶道家元・大神家の朝は早い。
 最近は住み込みの生徒もいないから、本来はそこまで早くする必要はないのだが……何より規則正しい生活を重視する大神家当主の意向に従って、例え夏休みであろうとも、既に六時には朝食が始まっている。
「ウィリアムさん」
 そんな朝食の席。大神家当主は、先日から共に暮らすことになった異世界人の名を呼んだ。
「あなた宛に、荷物が届いていましたよ?」
「私宛に……ですか?」
 呼ばれたウィルは、穏やかに首を傾げてみせる。
 丁寧に結った髪に、着こなされた色無地。畳の床に正座で座り、箸の使い方も茶碗の扱い方も、そのまま一枚の絵に収まるほど。
 髪の色が白銀でなければ、異邦人と信じる者などいないだろう。
 そして、彼女が日本に来てまだ半年に満たず、あまつさえ彼女が昨日までは男だったと信じる者など……どんな理由を付けようが、誰もいないに違いない。
「あのでかい箱、ウィル宛の荷物だったのか……」
 隣の席で呟いている純正の日本人とは、根本的な何かが違っていた。
 ちなみにこちらは、いつも自分で使っている男物のシャツとジーンズを着込み、あぐらをかいてご飯を掻き込んでいる。
「八朔さん。あなたももう少し、ウィリアムさんを見習って女性らしくしたらどうですか?」
「あ、ああ………っていうか、全然驚かないんですね、お婆さま」
 もちろん昨日家に帰る前に、事情説明の電話は入れていたのだが……。
 帰ったときには何事もなかったかのように二人分の和服が用意されており、変わり果てた二人の姿を見ても祖母は眉一つ動かさなかった。
「ここでの暮らしが長いですから」
 長くてもそこまで慣れるもんじゃないだろう。
 祖母の呟きに八朔はそう思ったが、さすがに口には出せなかった。


 カフェ・ライスの朝は早い。
 田舎町のタイムテーブルに合わせ、いつもだいたい八時には仕事を始めている。かといって閉店時間はそれなりに遅くまで開いているあたり、主人夫婦がいつ休んでいるのか分からないと、常連達からはもっぱらの評判だった。
 そんなカフェに足を踏み入れれば。
「いらっしゃいませ!」
 迎える声は、若い娘の溌剌とした声。
 ふわりと広がるエプロンドレスに、長い髪を抑えるホワイトブリム。背中で結ばれた大きなリボンが、健康的な愛らしさを遠慮なく強調している。
 さして広くもないオープンテラスを息を切らせて駆け回るその姿は……有り体に言えば、メイドさんであった。
 いらっしゃいませの後に「ご主人様」と付けないのが、いっそ不思議なほどであった。
「…………なんだ祐希、その格好」
 そしてそのメイドさんの本来の姿を知るレイジにとっては、ツッコミどころが満載過ぎて何をどこからどう言って良いものなのか、困惑するしかないのであった。
「あ、あの……。あんまり、見ないでくださいよ」
 仕事は仕事と割り切っていたのだろう。友人の思い切り素の発言に、少女は顔を真っ赤にしてうつむくしかない。
 珍しく朝からカフェが賑わっているのはこの所為か……などとレイジが思ったのも束の間。
「可愛いわよねぇ? レイジくんもどう? ひと夏の経験に」
「いえ、色々と用事があるんで。……っていうか、分かるんすか!?」
 当たり前だが、今の所女性化したレイジを初見で認識した相手はいない。
 性別逆転の話は祐希に聞いていたとしても、まだこの場でレイジは名乗っていないし、普通なら分かるはずがないのだが……。
「まあ、仕事だし」
 ほんのひと言で片付けられ、それ以上の追求は無意味なのだと思い知る。
「で、今日はどうしたんです?」
「ああ、祐希がメイドさんやってるからって……」
 そう言って携帯を取り出してみせれば、祐希の表情が露骨に嫌な顔に変わった。
「冗談が分かんねぇ奴だな……マスター、いる?」
 苦笑して携帯を収めたレイジに、店の二人は奥のカウンターを指してみせる。


 応接テーブルに広げられたのは、いくつかの工具らしきものと、図面らしきもの、そして小さな宝石らしきものだった。
 らしきもの、が妙に多いのは、それが地上のいかなる工具、図面、宝石とも違っていたからだ。
 持ち込んだ者いわく、全てホリック使いのための道具……即ち、レリックを調整するための道具なのだという。
「ふむ……どうじゃ?」
 目の前の少女は小さな手の中で何かをひっかいたり、こすったり、撫でたりしているようだが、門外漢の良宇にはそれが何を意味するのかなどさっぱり分からない。
「…………これで、大丈夫」
 だが、それでひとまず終わったらしい。
 セイルが見せてくれたのは、小さな携帯のストラップ。
 もちろん、見た目は今までと何一つ変わっていない。
「……あとは、調整が、少し」
「助かる」
 メガ・ラニカ北方、大ブランオートの屋敷で良宇がレリックをもらったのは、つい先日のこと。
 一度は調整まで済ませたそれだったが、良宇の女性化にともなって細かい再調整が必要になった……らしい。
 いつ何が起こるか分からないからというセイルの意見もあって、こうして朝早くから調整に来ていたのだが……。
「ねえ……」
 ふと口を開いたのは、この場にいるただ一人の男。
「なんじゃ、クレリック」
「ボク……お邪魔?」
 作業中のセイルは黙っているし、それを見ている良宇も無言。
 そんな無言の世界でリリが何をしているかというと、相変わらずセイルを膝の上に乗せているだけだ。
「パートナーと仲がええのは、ええことじゃ。セイルが構わんなら、オレは構わん」
 長身の少年が小さな女の子をだっこしたまま離さないというのは、さすがの良宇も正直セクハラじみた何かを感じたが……いちいち目くじらを立てるほど潔癖なわけでもない。
「セイルくんは……?」
「…………高さが、ちょうどいい」
 恐る恐るのリリの問いにぽつりと答え、再び黙々と手を動かし始める。
「なら、そうしとったほうがセイルのためじゃ」
 良宇の言葉に嬉しそうに微笑むと、リリはセイルの手元を覗き込む作業を再開した。
 そしてまた、無言。
 セイルがレリックを調整する、何かをひっかくような音だけが部屋の中に静かに流れていく。
「それよりのぅ、セイル」
 そんな沈黙を次に破ったのは、良宇だった。
「その格好……何とかならんか?」
 おそらくはリリから借りたのだろう。セイルが着ているのは、胸元の大きく開けられたワンピースだ。それは確かによく似合っていると思うのだが……。
「可愛いでしょ。おっぱいなんて、ボクより大きいんだよ……? ちょっとショック」
「お……おっぱ………」
 だっこはともかく、その直球の言葉は良宇には刺激が強すぎた。黙って立っていれば美少女だというのに、鼻の辺りを押さえつけ、険しい表情をしていては格好も付かない。
「そういえば維志堂くんも、結構大きいよねぇ……。そんなサラシとか付けてると、形変わっちゃうよ?」
 良宇もそれほど長身ではないが、胸囲だけは男の時と変わっていないようだった。もちろん筋肉ではなく、女性の魅力としての胸囲である。
「うぅ……こんなもんがブラブラしとると、落ち着かんのじゃ……」
 唯一の救いは、大神家で借りた女性向けの和服が胸元まできっちり隠れる構造になっていたくらいだ。
「それを言ったら、男の人の方が落ち着かないよ……」
 黙々と作業をしているセイルを尻目に、互いにため息を一つ。
「そうだ。維志堂くんたちもお昼から買い物、行くんでしょ?」
「四月朔日から来とったあれか……ふむ」
 もちろん良宇が見たわけではない。レイジから教えてもらいはしたが、はたして自分に買うべき物があるのだろうか。
 そんな話をする間にも、セイルの作業は黙々と続けられていく。


 カフェ・ライスのレジの脇には、A4判の写真集が数冊、積まれている。
 写真集の名は、『天』。その名の通り、空を写した写真集……ではなく、華が丘の空の支配者・天候竜の写真集である。
 写真集の撮影者の名は、魚沼ナウム。
 いつもカフェの奥で黙々とカップを磨いている印象しかない老紳士がいつの間に撮り溜めていた写真を、つい先日一冊の本として出版したのだ。
「なるほど。天候竜の巣があるのは、やっぱりこの辺り……ですか」
 カフェのカウンターに広げられているのは、華が丘近辺の地図。そこにナウムが大きく丸を付けたのは、華が丘高校よりもさらに北、華が丘ダムに通じる広大な森林地帯の辺りだった。
「正確な場所は分かりませんか?」
 その問いには、さすがの老紳士も首を横に。
 菫の話では、彼は体質的に魔法が使えないのだという。飛行魔法の有無が物を言う山中の撮影行が出来ない以上、巣の探索には自ずと限界が出てくる。
「いえ、参考になりました。ありがとうございます」
 資料になるかもと天候竜の写真集を一冊貸してもらい、カウンターを後にしたその時だ。
「祐希さん!」
 足音と共にか細い声がして、メイドの後ろに小柄な姿が飛び込んできた。
「ど、どうしたんですか、キースリンさん」
 キースリンが息を切らせて走るなど、余程のことだ。少なくとも、授業や戦闘以外で走っているキースリンの姿を、祐希もレイジも見たことがない。
「ちょっと待ってくれよ!」
 やがてやってきたのは、サングラスを掛け、派手なカラーシャツに身を包んだ大柄な男だった。
 ばたばたとテラスに駆け上がり、祐希の後ろにしがみついているキースリンを覗き込もうとする。
「誰ですか! 彼女、嫌がってるじゃありませんか!」
 サングラスの奥の視線に負けることなく。メイドさんは怯える少女を抱いたまま、男を強く見返してみせる。
「いや、何て言うかそれは誤解でだなぁぁぁぁあっっ!?」
 そんな男の声が、途中で唐突に裏返った。
「どしたの、あんたたち。大丈夫?」
 声はすれども姿は見えず。
 されど、足元の靴は二足ある。
 レイジが男の背後に回ってみれば、そこにいたのは……。
「四月朔日……さん?」
「なんで疑問形なのよ……」
 男の背後から腕を捻りあげているのは、冬奈だった。
 いつもの背丈があれば男の肩口あたりから姿が分かったのだろうが、四十センチ近く縮んでしまった今は、大柄な男の後ろに立つとさっぱり見えなくなってしまうのだ。
「てててててっ! 冬奈、俺だよ、俺!」
「オレオレ詐欺に引っかかるほど、年を食っているつもりじゃありませんが?」
「真紀乃! 子門真紀乃!」
 開いた片手でサングラスを引き上げれば、そこにあるのは確かに昨日教室で見た顔だった。
「……子門さんじゃないですか。大丈夫ですよ、キースリンさん」
「は、はぁ……。そんな格好してるから、気付きませんでした」
 同じクラスでもこの状態だ。これでいきなり声を掛けられれば、誰だか分からなくても仕方ないだろう。
「ひでぇなあ………みんな」
 ようやく解放され、肩口の様子を確かめている真紀乃の姿に一同は苦笑するしかない。
 そんな笑いがひと段落したところで、キースリンは首を傾げた。
「あら? 四月朔日……さん?」
 冬奈は昨日の騒ぎで、ファファより背丈が低くなっていた。その姿は昨日確かめており、実際今日もその背丈なのだが……。
「だからなんで疑問形なのよ」
「ええっと、四月朔日さん、薬、浴びましたよね?」
 サイズは小さくなっている。変化があったのは、間違いない。
「でもその格好……」
 そう。
 冬奈が着ているのは、いつもファファが着ているようなひらひらやふりふりの沢山付いた……女物。
「だって……ファファが着ろって。別に好きで着てるワケじゃないわよ」
 そのひと言で一同が視線を移したのは、メイドさんだった。
「……だからってこっち見ないでくださいよ」


 駆け回るメイドさんを眺めながら、レイジ達はテラスの一席で即席の作戦会議を始めていた。
「で、四月朔日も天候竜の話、聞きに来たわけか……」
「まあね。後で話、聞かせてくれる?」
 答える代わりに地図を広げ、山中に描かれた大きな丸を指してみせる。
「ん。巣の予想位置はマスターに教えてもらえたから、後は細かいところだな……悟司やレム達の意見も聞きたいところだが……」
 本格的な作戦会議は、セミナーハウスの時か、午後からの買い物の合間になるだろう。
「空から探すのか?」
「巣の特定の最終段階はそうだろうな。天候竜を見つけるところまでは、人海戦術だろうが……他に何か、効率の良い手段があればいいんだけどよ」
 天候竜の飛行速度は、華校生の標準的な移動手段をはるかに凌ぐ。スピードの出せる飛行魔法が使えることは、追跡の最低条件だ。
「大変ねぇ……」
 テーブルを一つ陣取る以上、注文をしないわけにもいかない。
 人数分のコーヒーを置きながらの菫を、冬奈はわずかに呼び止めてみせる。
「そういえば菫さん。母さんから、昔天候竜と戦ったことがあるとか聞いたんですが……」
「そうなんですか!?」
 人との交わりが極端に少ない天候竜との交戦記録は、長いメガ・ラニカの歴史でもほとんどない。ただ、レイジ達の魔法が全く通じなかった女王トビムシを容易く噛み潰した事だけでも、その強さが彼等とは天と地ほどの差がある事を示していたが。
「それを言うなら、あなたのお母さんの方が凄いでしょう。確か、天候竜を投げ飛ばしたとか何とか……」
「……そうなんですか?」
 冬奈の驚き方には、先ほどのレイジのそれとは全く違う、多分の疑惑の感情が含まれている。
 まあ、天候竜にパンチを食らわせたとか、魔法を撃ち込んだならまだしも、投げ飛ばしたは言い過ぎだと他の一同も思ったが。
「もぅ……冬奈ちゃん、早いよぅ……」
 今ひとつ決定打に欠ける会議を続けていると、テラスの中にようやく小さな影が姿を見せた。
「あら? ファファちゃん、いらっしゃい」
「こんにちわ、菫さん!」
 元気よく挨拶するファファに、菫は首を傾げてみせる。
「………ファファちゃんも薬、浴びたのよね?」
 その割には、ファファの姿はいつもと同じ。
 顔も、体つきも、服装さえも。
 あまりの変化の無さぶりに、変化前と写真を突き合わせれば間違い探しが出来るのではないかと思うほどだ。
「あんまり変わらなかったの。一応、男のコにはなってるんだけど……」
 そう呟いて、ファファにしては珍しく、どこか翳りのある表情をしてみせる。
 どうやら、何か思い出したくないことがあったらしい。
「まあ、似合ってるからいいんじゃないですか?」
「なんか、全然嬉しくないんだけど……」
 メイド姿の祐希に視線を向けられた冬奈も、どこか疲れたようにそう呟くだけだ。


続劇

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