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6.カントリー・ロード

 ローゼリオンの花屋から、三つ通りを過ぎた先。
 辺りでも有数の大通りの中央に、その屋敷はあった。
「……結構、大きいのね」
 街中の屋敷だから庭の類があるわけではないが、明らかに周囲の家よりも大きな作りだ。奥行きは他の家と同じにしても、幅だけで倍近い。
「自分の家じゃないのか」
「初めて来たんだもん……」
 混ぜ返す八朔の言葉にぶちぶちと言い返しつつ、リリは入口のノッカーを数度叩きつける。
 四度目を叩こうとした所で、扉の向こうから響くのは鍵の開く音だ。
 まずは指二本の幅で薄く扉が開き、その間から見えるのはリリによく似た碧く澄んだ瞳。外の様子を確かめて、ようやく扉は半解放。
「……姉さん?」
 そこに立つのは、リリと同じくらいの細身の男の子だった。
「海、久しぶり! 元気だった?」
「うん。姉さんも元気そうだね」
 丁寧にアイロンの当てられた上着を着こなし、穏やかに微笑むその様子は、躾の行き届いた良家の子供そのものだ。海と呼ばれた少年はリリのことを姉と呼んでいるが、むしろ、兄と妹と言っても誰も疑わないだろう。
「あと、お婆さまは急用で出かけてるよ。明日には帰れるみたいだけど、間に合いそうにないからごめんって」
 大魔女という地位に就いている以上、相応の責任と任務がついて回るのは当然のことだ。大半の魔女は地位よりも付随する面倒ごとを嫌って大魔女にはなりたがらないのだが、彼女たちの祖母はその数少ない例外の一人だった。
「ハロルド先輩もありがとうございます。姉さんを案内してくれて」
 そして、海が次に言葉を向けたのは……。
「……ハロルド先輩?」
 リリでも、八朔でも、セイルでもない。
 その言葉は、ウィルに向けてだ。
「……ああ。君が弟の手紙にあった後輩君か」
「ハロルドって、ウィルにそっくりな弟って奴か?」
 ウィルに双子の弟がいる事は、以前彼から聞いていた。たまに手紙が届くから、名前だけは八朔も聞き覚えがある。
「ハロルド先輩のお兄様でしたか。……じゃあ、姉さんのパートナーは? 大ブランオートのお孫さんって聞いてたけど……」
 姉からの手紙には、パートナーを連れてくるとはあったが、それ以外の客人の来訪は聞いていない。華が丘高校のパートナーは二人ひと組だから、セイル以外のパートナーはいないはずだが……。
「うん。こっちが、パートナーのセイルくん。後の二人は、クラスの友達だよ。ここまで案内してもらったの」
 紹介を受け、セイルは海に向かって軽く頭を下げてみせる。
「そうですか……」
 姉が、少年がメガ・ラニカに来る前から進歩していないとすれば、どうせ適当に進んで適当に迷ったのだろう。
「不肖の姉が、いつもお世話になっています。皆さんも、良かったら上がっていってください」
 深々と頭を下げる少年の様子は、やはりどう考えてもリリの弟には見えなかった。


 巨大な翼が緩やかに天を打ち、掴んでいたそれをゆっくりと大地に接地させる。重量物から解放された大型飛竜は再びわずかに上昇すると、置いたばかりの籠の隣に静かにその巨躯を着地させた。
 長時間の飛行で疲れが出たのだろう。喉元で重い唸り声を上げた飛竜は、そのまま翼の内側に長い頸を折りたたみ、幽かな鼾をかき始める。
「着いた……の……?」
 ようやく籠の中から出てきたのは、冬奈だ。
 ふらつく足で大地を踏みしめ、軽く背中を伸ばしてみせる。
「自力で飛んだ方が……良かったかも……」
 自前のレリックで飛ぶときは、もちろん酔ったりなどしない。むしろ、どれだけスピードを出しても平気だと自負していたくらいなのだが……。
「無茶言うな。いくらおめぇでも保たねえよ」
 傍らでやはり鈍った体を伸ばしていたレイジは、苦笑い。
 飛竜の翼だからこの短時間で着けたのであって、普通のホウキや幻獣ならば、どれだけ急いでもこの倍は掛かる。もちろん自力の飛行なら魔力は自分持ちだから、着く頃には竜籠以上にヘトヘトになっているのは間違いない。
 そんな事を話していると、竜籠の中から飛び出した小さな影が、一直線に街の方へと駆けだしていった。
「パパ! ママ!」
 小さなファファは街から歩いてくる長身の男に向けて大ジャンプ。ひとしきりくるくる回ってはしゃいだ後で、傍らにいた小柄な女性にも今度はそっとしがみついた。
「冬奈ちゃん、私のパパとママ! それから、それから……」
「四月朔日冬奈さんだね。ようこそ、メガ・ラニカへ」
 再びファファに首元にしがみつかれたまま、ファファの父親は穏やかに微笑んでみせる。
「それから、あなたたちが……良宇君と、レイジ君ね?」
 様子を見に来た良宇達にも、今度は母親が微笑みかけてきた。
「オレ達の名前まで……?」
 パートナーの冬奈の事を知っているのは分かる。だが、良宇もレイジもクラスメイトとはいえ、ファファとそこまでの繋がりがあるわけではない。
「娘の手紙で、同じクラスでお世話になっていると書いてあったからね。すぐ分かったよ」
「そ、そうですか……」
 レイジや良宇の事まで書いてあるとなると、女子連中は当然として、下手をすればクラスメイト全員の事まで知られているに違いない。もちろん知られて困ることは何もないが、何となく気恥ずかしくはある。
「そうだ。急ぎでなければ、ウチでひと休みしていくといい」
「どうする? レイジ」
 レイジの家は、このオリーザの街から少し離れた村にある。ここで飛竜が捕まえられれば、三十分もかからないだろう。
 クラスメイトの家を見に行くのは、魅力的な提案ではあるのだが……。
「近場なら、ウチから馬車も出せると思うよ?」
「そうしましょうよ。ファファの学校でのお話も聞かせてもらいたいし」
「そういう事なら……いいか? ハニエ」
 穏やかに微笑む二人の言葉に、レイジも折れた。
「うん! 大歓迎だよ!」


 脚の生えた小屋の中に広がる森を抜け。小さな湖の中央に、その屋敷は建てられていた。
「…………これだけで魔法世界はもう十分、って感じだな」
 今頃他の皆も、こんな不思議ワールドを満喫しているのだろうか。
 そんな事を考えながら、悟司は百音の案内で屋敷の玄関をくぐり抜ける。
「小さいお嬢さま! おかえりなさいませ!」
「ただいま!」
 迎えてくれたのは、ごく普通の老婆と……。
「え……? ぬいぐるみ……?」
 ぬいぐるみが、二体。赤毛のアンや若草物語あたりに出てきそうな、キルトの人形だ。
「ぬいぐるみとは失敬な! 我ら、大ドルチェにお仕えし、この『小さなアヴァロン』を管理している魔法人形、ティンキーとリンキーにございますぞ!」
 二体のぬいぐるみは悟司の言葉にぷりぷりと腹を立て、何やら必死に反論を繰り出してきた。
「……森永のワンセブンみたいなもんか」
 祐希の喋るケータイの原理も実はよく分かっていないのだが、とりあえず魔法で何とかしているのだろう。それのすごい版、くらいで何となく納得しておくことにする。
「ささ! ご納得いただけたならお部屋にご案内いたしますぞ! 積もる話もありましょうが、まずはお荷物をお片付けくださいませ!」
 そう叫ぶやいなや、ティンキーと名乗ったぬいぐるみは悟司の荷物を元気よく取り上げ、ひょこひょこと館の奥へと歩き出す。数日分の荷物だけあってそれなりの重量があるはずなのだが、ファンシーなのは外見だけで結構力もあるらしい。
「ねえ、ヤガー。ばーばは?」
「フラン様は至急の用がありまして、お出かけになりました。明日の晩にはお戻りになるという話なのですが……」
 ヤガーと呼ばれた老婆もそれ以上の事は聞かされていないのだろう。せっかくの孫娘の帰郷を出迎えられない事に、困ったような、残念そうな表情を浮かべているだけだ。
「ともかくお話は我々が承っておりますから、小さいお嬢様もお連れさまもごゆるりとなさいませ」
「うん。じゃあ、そうさせてもらおうかな」
 帰るまでに戻ってくるなら、話の一つも聞けるだろう。
 百音も荷物をもう一人のキルト人形に預け、ヤガーに見送られて自分の部屋へと戻ることにする。


 紅い夕日に染まるのは、メガラニウスの町並みだ。
 紅く輝く小さな海を従えて、王城塔は街の外にまで伸びるほどの長い影を曳き、街のあちこちからは炊事の細い煙が立ち上っている。
「楽しかったねぇ、レムレム!」
 街中を散々遊び回って、最後に着いたのは王都から少し離れた丘の上。メガラニウスと小さな海を一面に見渡せるそこで、真紀乃はカメラのシャッターを切る。
 いつも使っている携帯のカメラではない。その場で写真そのものが現像される、インスタントカメラだ。
「面白いな、それ……」
 舌を出すように吐き出されてきたフィルムを受け取って、レムはそのまま軽く振り始める。
「これなら、お義母さま達にもすぐ写真渡せるしね!」
 一枚当たりの単価がフィルムに比べても高いことと、この夏には純正のフィルムの生産が終了してしまうという問題はあるが……。フィルムカメラの現像設備はおろか、電気さえないこのメガ・ラニカで使うには、それを補って余りあるメリットがある。
「だから、お義母さまとか言うなよ……頼むから……」
「えー。いいじゃん! レムレムのケチー!」
 正直、真紀乃を止めるのが無理な事は分かっていた。だが、無理だからと言って最初から諦めるよりも、幽かな可能性に賭けてみたい……。
 と、そんな事を話しているうちに、フィルムの現像が終わったらしい。
「…………」
 手の中のそれを確かめたレムは、無言。
「…………」
 その脇から覗き込んできた真紀乃も、やはり無言。
「ブレまくってるな……」
 カメラの構造上、ピンボケとなるケースはほとんどない。
 だが、電源不要のカメラだからこそ、手ぶれ補正も存在しないのだ。
「そ……そうよ、わたしの腕が悪いんじゃない。この世界が私に撮られたがってないのよ!!」
 真紀乃はその写真をレムからひったくって無茶苦茶な理論でまとめると、もう一度カメラを構え直す。


 山の彼方に、ゆっくりと夕日が沈んでいく。
「やっと……着いた…………」
 眼前に見えるのは、ゆらりと細く立ち上る炊事の煙。
 ようやく、目的の地に着いたらしい。
「だから遠いって言ったでしょ」
「いや、ここまで遠いなんて思わなかったって……」
 飛竜であっという間だったのは隣の村まで。山の麓にあるというハークの村は乱気流が多く起こって危ないそうで、飛竜もホウキも空中からは近付けなかったのだ。
 本来なら馬車を捕まえればすぐの道のりだったのだが、運悪くその便もなく、ここまでずっと徒歩である。
「まあ、明日っからは村の馬車も借りられると思うから、ちょっとは楽になると思うよ」
「その前に、気流って魔法で何とかならないの……?」
「……別にボク達も、魔法で何でもしてるわけじゃないんだよ?」
 大気を何とかできるほどの魔法使いを雇うお金は村にはないし、上空に天然の風の防壁があるおかげで、野生の空飛ぶ怪物から羊や山羊を守れるという面もある。不便なことが全てデメリット、というわけではないのだ。
「ふぅん……色々あるのねぇ」
 こういう時は飛行系の魔法ではなく、セイルのような走行系の魔法があると便利よね……などと思いながら、村までの距離をもう一度確かめる晶。
 その視線の向こう。村の入口に、女性の影がある。
 よく見れば、こちらに手を振っているようにも見えるそれは……。
「おかえりなさい、ハーキマー」
「ただいま! 母さん!」
 どうやらハークの母親らしい。
 だが。
「…………?」
 元気よく手を振り返すハークの様子に、晶は心の中で首を傾げるのだった。


続劇

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