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5.その名はノワール

 青い空を滑るように翔ける飛竜の背中。風防魔法で軽減された風に肩までの髪を遊ばせながら、晶は……。
 珍しく、無言。
 飛行の魔法を自力で使える彼女だが、竜に乗って飛ぶのは初めてのはずだ。高いところが怖いわけでも無し、彼女の性格であればはしゃぎ回って落ちそうになってもおかしくはないのだが……。
「…………ねえ、晶ちゃん」
「何?」
 答えるテンションは、今ひとつ。
 だがハークも、彼女の気分に対してそれ以上の言葉を掛けることはない。
「ホントにウチ、来るの?」
 問うたのは、全く別のこと。
「晶ちゃんの実家もあるんでしょ? こっちに」
 晶は百音やリリと同じく、地上人の父親とメガ・ラニカ人の母親の間に生まれたと聞いていた。ハーフそのものは珍しくもないが、そういった出自を持つのならメガ・ラニカに母方の実家があるはずだ。
 現にリリとセイルは、最初の二日はセイルのブランオート家ではなく、リリの母方の実家に向かうと言っていた。
「………」
 だが、晶はその問いに答えない。
 御者の男も無口な性格なのか、無言のまま。
 高い高い空の上、辺りに響くのは風の音と、時折混じる飛竜の羽ばたきだけだ。
「……なに? 今更、行っちゃダメな理由でもあるの?」
 そして、ようやく戻ってきた言葉には、明らかな苛つきの色が混じっていた。
 ハークが彼女の機嫌を悪くしたわけではないだろう。もしそうなら、既にハークは晶の反撃を受けて酷い目に遭っているはずだから。
 そして彼のパートナーは、相棒に対して遠慮するような性格では全くない。
「今更言うのも何だけど……遠いよ? ウチ」
「別にいいわよ。……いいのよね?」
 念を押すような問いかけに、ハークは頸を縦に振る以外の選択肢を持ち合わせてはいないのだった。


 メガラニウスの花屋前。
「すいませーん」
 店の奥に向かって声を掛ければ、中から出てきたのは人の良さそうな顔をした男だった。
「はいはい、いらっしゃい! どんなお花がご入り用ですか?」
「ええっと……じゃあこれを」
 笑顔に流され、リリはついつい目の前の薔薇を指差してしまう。
 値札を見ると結構良い値が付いていたが、欲しいと言った手前取り下げられるほどの度胸はない。
 セイルが無言で見上げてきたが、見なかったことにした。
「おやおや。ウチの薔薇とはお目が高いね、お嬢さん。だったらこっちもおまけしてあげよう」
 男は笑顔で脇にあった霞草をひと束、ふた束、ついでにもうひと束取ると、それらを手早く花束にまとめてくれる。
「ありがとうございます!」
 明らかに当初の額で買える規模の花束ではない。リリも商売人の娘であるから、儲けはちゃんとあるのかと心配になったが……さすがに失礼なので口には出さずにおく。
「それで……ですね。トゥシノ・クレリックって人の家を探してるんですけど……ご存じないですか?」
「トゥシノさんねぇ……? おーい、ママー」
 リリの問いに、男は店の奥へと声を投げる。
 出てきた男の妻らしい女性も、男に負けない柔らかな笑顔。
「うーん。何通りのクレリックさんか、分からない?」
 ひととおり話を聞いてから、そう聞いてくれるが……リリもセイルと同じように、無言で首を傾げるしかない。
 一応は、聞いていたはずなのだが……。
「通りが分かれば、その通りには案内できるんだけど。困ったねぇ」
 母親からは、通りの名前を忘れてもクレリックと言えばだいだいは通じる、などと大雑把な助言も受けていたのだが、どうやらそれも役に立ちそうにないようだった。
 そんなときだ。
「そうだ! パパ。困ったときは……」
 妻の言葉に、男も力強く頷いてみせる。
「そうだねぇ、ママ。困ったときは……おーい! おーい! 助けてくれー!」
 通りに響き渡るのは、助けを求める男の声だ。
 ついでに妻の声も重なって、通りの全てにピンチを告げる。
「……………なんか、どっかで見たことのある展開だね」
 そして響き渡るのは、彼女達も聞き慣れた高笑いと……。
 向かいの建物の屋根にすいと伸びる、細身の姿!
 だが、現れたその姿は……。


 メガラニウスから飛竜に乗って、南へ向けて半刻ほど。
 百音達が飛竜から降りたのは、小さな森の入口だ。
「ここに、美春さんの実………」
 そんな事を言いながら森を見回す悟司の言葉は、あっさりと途中で霧散した。
「ああ、来た来た。おーい、こっちだよー!」
 百音は平然としているが、悟司はもはや言葉もない。
 それはそうだろう。
 彼女の呼びかけに応じてこちらへ歩いてきたのは、案内人や動物……いや、生物ですらなく。
 脚の生えた家だったのだから。
「え、ええっと……これが、家?」
 バンガローほどの小屋の底面に、ニワトリの脚が二本ひょこりと生えている。バランス以前に家の重さなどとても支えられそうになかったが、今更物理法則など気にするのも馬鹿馬鹿しい話だろう。
 ガルムにトビムシ、天候竜。メガ・ラニカでは飛竜も見たし、少々の巨大生物には驚かないと決めていた悟司だが、生物どころか家が歩いてくるのはさすがに予想の外だった。
「ほら。入って!」
「あ、ああ……」
 だが、歩く家はそれほど大きくはない。せいぜい中は、八畳ほどの部屋が一つに、最低限の水回りがあるかないかと言ったところだろう。
 こんな小さな家で、百音の祖母を含めた三人が過ごすのは少々厳しい気がしたが……。
「…………ええっと」
 扉を抜ければ、そこにあるのは別世界。
 比喩ではない。
 文字通り、もう一つの森が、扉の奥に広がっていたのだから。


 屋根の上にすいと立つのは、漆黒の影。
 無言で屋根を蹴りつけて、空中を見事に三回転。
「え……? 薔薇仮面……じゃないよねぇ?」
 リリ達の知る薔薇仮面ではない。華が丘の薔薇仮面は白い姿をしているし、なびいているマントも長いマフラーに変わっている。
「薔薇仮面などではないよ」
 目の前に降り立つなりその名を速攻否定するのは、オリジナルとあまり変わりなかった。
「私に助けを求めていたのは、あなた達かい?」
 ローゼのように芝居がかった動作はほとんどない。シルエットを意識した立ち方はオリジナルと同じだが、問いかけも静かで、淡々としたものだ。
「ああ。このお嬢さん達が、クレリックという屋敷を探してるんだ。力を貸してあげてくれないか?」
 だが、さすがにその助けは想定の範囲外だったのだろう。
 黒の少年は微動だにせず、言葉も放たない。
 いや、詰まっていたという方が正しいか。
「…………そういう事は、騎士団の駐屯所にでも聞いた方が……」
 ぽつりとひと言を残し、少年は再び大跳躍。並ぶ屋根や壁を蹴りつけ、街の喧噪へと姿を消していく。
 そして、黒薔薇の少年と入れ替わるよう、雑踏の中から姿を見せたのは……。
「父上、母上!」
「あれ? ウィルくん?」
 ウィルだった。もちろん後ろにはパートナーも連れている。
 荷物も持ったままということは、家に帰る前に辺りを見て回っていたのだろう。
「やあ。リリさん達も観光かい?」
 そこに至って、ようやくリリは気が付いた。
「……って、ウィルくんのパパとママ?」
 ウィルが最初に声を掛けた相手はリリではなく、彼女が話していた花屋の夫妻だったということに。
 花屋の看板をもう一度よく見れば、屋号の中にローゼリオンの字が確かに記されていた。
「ウィリアム。よく帰ってきたね! お屋敷にはもう戻ったのかい?」
「まだだよ。日が高いうちに、パートナーにメガラニウスを案内しようかと思ってね」
 向けられた視線に、傍らにいた八朔も一礼。
 メガ・ラニカ側のパートナーの親族との顔合わせも、この旅の大事な目的の一つ。それはリリも、この場にはいない他の皆にとっても同じ事だ。
「そんなことより、さっきの格好いい黒マフラーの彼は?」
 その大事な任務をほどほどに片付けておいて、ウィルが口にしたのは先ほど店の前に姿を見せた黒い薔薇仮面の事。
「マスク・ド・ノワールがどうかしたのかい?」
「マスク・ド・ノワール……」
 マスク・ド・ローゼと明らかに対を成すその名を、ウィルは口の中で転がしてみせる。彼の位置からはほんのわずかな身のこなししか見えなかったが、それだけでもただ者でないことは十分に見て取れた。
「そうだ、ウィリアム。このコ達、トゥシノさんって人のお屋敷を探しているそうなんだけど……知らないかしら?」
 母親の言葉に、ウィルは首を傾げてみせる。
「リリさん。確か、リリさんのお婆さまというのは……大魔女のクレリックさまだったよね?」
「ああ、そうそう。大クレリックって呼ばれてるとか何とか……」
 大魔女と言われても、華が丘育ちのリリとしてはその地位についての実感などほとんどない。実際のところ魔女王直属の大魔女は、日本で言う大臣クラスの地位にあるのだが……他所の国の政治構造に対する認識など、その程度だ。
「ああ。医療魔女の大クレリックのお屋敷なら、すぐそこだよ。ウィリアム、荷物はウチで運んでおくから、案内しておあげなさい。嵐竜の爪通りは分かるね?」
 頷くウィルに、大魔女というのはそれなりに名の通った存在なのだと認識する。大クレリックと言えば、さしあたり王都で迷っただけなら何とかなるらしい……という程度には。
「八朔くん。ちょっと寄り道になるけれど、構わないかな?」
「おう。じゃ、二人とも、行こうぜ」
 そして、ウィルと八朔を加えた一行は、今度こそクレリックの屋敷に向けて歩き出すのだった。


 青い空を、巨大な影がゆっくりと翔けていく。
 十メートルにも及ぶ体躯は通常の飛竜の倍はあるだろうか。幾年もの時を経て十分な厚さと輝きを得るに至った重鱗をざらりと鳴らし、幾層にも厚みを増した翼膜は巨体の重量に負けることもなく、羽ばたく度に大気を強くかき回す。
 そんな巨竜の背に乗っているのは、御者の竜使いが一人だけ。
 残りの乗客は、全て竜が掴み提げた籠の中に。
「うぅ……」
 その籠の中で青い顔をしていたのは、冬奈だ。
「大丈夫か? 四月朔日」
「あんまり、大丈夫じゃない……」
 竜が提げるゴンドラは、風防だけでなく、振動軽減の魔法も施されていると聞いていたが……その減衰があってなお、籠を包む揺れは自動車のそれをはるかに凌ぐ。
 籠は大きいとはいえ、大人が四人乗れば一杯になってしまう程度の大きさだし、竜は地上ではなく空を翔けているのだ。揺れが激しいのも、当たり前と言えば当たり前なのだが……。
「…………硬くないか? ハニエ」
「大丈夫だよー」
 重量バランスの都合で、向かいの良宇の膝上に座っているパートナーの様子を横目に、冬奈は傍らのレイジへと。
「ねえ、レイジ。竜籠ってこんなに揺れるもんなの?」
 突然の下降に、胃の中身がぐっと押し上げられるような感覚が続く。一応まだ耐久の範囲内だが、これがずっと続くようならいろいろな意味で厳しい気がしてくる。
「まだ静かな方だぜ。そっちの二人は平気か?」
「おう」
「うん!」
 そんな事を話していると、籠の脇に付けられた伝声管が騎上の御者の声を伝えてきた。
「ほら、でっかい兄さん! あんまり隅っこに寄らんでくれるか? 竜が疲れて落ちちまっても知んねえぞ?」
 どうやら冬奈を心配するように、身を乗り出していたらしい。
「お、おう……!」
 良宇は慌てて、体の位置を籠の中央へと戻す。


続劇

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