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19.明かされた秘密

 少女の指先に煌めくのは、黄金の輝きだ。
 その光る指で描いた図形は即座に効果を現して、飛びかかってきた晶を受け止めている。
「な、なんでこんな展開になりますのっ!」
 それを見もせず、晶の肢体が降って来ないことで魔法の発動を確かめて。キースリンは更衣室からグラウンドへと飛び出した。
「百音やリリだって、お風呂にちゃんと来るんだから! おっぱいなんか無くったって誰も気にしやしないわよ!」
「ふぇっ!?」
「ちょっとぉ! 何でそこでボクが出てくるんだよっ!」
 後ろからの声は全力で無視。次にキースリンが描いた図形は、やはり即座に発動し。
「八咫烏!」
 現れたのは少女の身よりも大きな三つ足の大烏。少女がひらりと背に飛び乗れば、巨大な翼をひと打ちし、広い空へと舞い上がる。
「リリ!」
「分かってる!」
 晶が声を掛けたときには、リリはホウキを召喚済みだ。それに続いて晶も携帯を取り出すと、軽快なメロディをメニューから数タッチで起動。
「冬奈と真紀乃、森永くんは下から回り込んで!」
 リリのホウキを追うように、その身を魔力で持ち上げる。制約がない分リリよりスピードは出ないが、全身を使った機動が使えるぶん、小回りは晶の方が利くはずだった。
「了解っ!」
「な、なんで僕まで……」
 言いつつ、祐希も冬奈達に続いて走り出す。
「まったくもう、しつこい……!」
 その即席だが効果的なフォーメーションに、キースリンは整った眉をわずかにしかめさせる。
 とはいえ、相手は大切なクラスメイトだ。撃ち落とすわけにはいかないし、かといって効果的な足止めの魔法にも心得がない。
「そこのあなた!」
 そんなある意味絶体絶命のキースリンに掛けられたのは、鈴の鳴るような声だった。
「お困りの様子だけど、手助けはご入り用かしらっ?」
 三つ足の大烏の頭に音もなく舞い降りた、小柄な姿。
「あ……あなた……っ!」
 柔らかく広がるスカートに、フリルのたっぷりあしらわれた可愛らしい上着。無造作に提げられた杖は、見る者が見れば強大な魔力を秘めているのが分かるだろう。
 それは、キースリンがずっと探し求めていた……。
「魔法のお菓子屋さん、スウィート♪ハルモニィ!」
「その名前で名乗らないでくださいましっ!」
 耳を押さえて、速攻悲鳴。
 出会った早々、泣きそうだった。
「あれ? ハルモニィと、キースリンさんが一緒にいる……?」
 そんな半泣きのキースリンだったが、その追跡者達の反応は、もちろん彼女とは違うもの。
「あー。やっぱり、同一人物ってワケじゃなかったんだ?」
「そうよねぇ……。いくらなんでも、ベタすぎるもんねぇ」
 意外なところで疑惑が晴れたりしていたが、残念ながらそんな望んだ光景を確かめられるほど、キースリンに余裕は残っていなかった。
「それより、そこのあなたたち! 困ってる女の子を追い詰めて楽しむなんて、一体どういうつもりかしらっ!」
 そして風上を飛ぶ魔女っ子にも、そんな会話は届いていない。後ろをびしりと指差して、声の届きやすい風下に向けて大声を放り投げるだけだ。
「追い詰めて楽しんでなんかないわよ! ただ、ちょっと確かめさせてもらえればいいだけだってば!」
 何を確かめようというのか、晶は両手で何かを掴むように、わきわきと動かしている。
 何だかもう、ノリノリだった。
「人が嫌がるような事は、やっちゃダメだってママに習わなかった?」
「あなたには関係ないでしょ! 大人しくキースリンさんを渡しなさい!」
「晶さん。すごく……悪役っぽい……」
 そのノリノリすぎる叫びは、地上で成り行きを見守っていた真紀乃さえ苦笑を隠せないほどだ。
「そんな事はさせないわ!」
 攻める晶と、護るハルモニィ。両者の視線がぶつかる音は、確かにばしりと聞こえたと……後に彼女たちの側にいたリリとキースリンは語る。
 だが。
「はーっはっはっはっは! はーっはっはっはっは!」
 一触即発の空気の中に響くのは、高らかな笑い声。
「……この声は!」
「まさか……っ!」
 地上から事の成り行きを見守っていた冬奈たちが声の源を見上げれば。校旗ひるがえるポールの上にすいと立つ、マント姿の影ひとつ。
「聞こえる聞こえる……愛に悩む少女の叫びが! 悪に苦しむ少女の嘆きが!」
 マントをなぶる激しい風に、バラの花弁が吹き荒れて。仮面の奥の鋭い視線が、女性の敵を射抜かんと……。
「あなた、今日はどっちの味方をするつもりよ!」
 射抜かんと……。
 ……射抜こうとする相手も、女性だった。
「………あー」
 バラの嵐が吹き荒れて。
「あ、逃げたっ!」
 そこには既に、女性の味方はいなかった。
「まあ、どっちの味方についても女の子と戦う事になるもんなぁ……」
 しかも、戦いは激しく泥沼だ。ここで退場を選んだ薔薇仮面の選択は間違いなく正しいと、引き際を間違えた少年はため息を一つ。
「何だかなぁ……」
 と、晶も応じたその時だ。
「今よっ! てええええええいっ!」
 ハルモニィがかざした杖から起こるのは、きらきらと輝く光の奔流。
 完璧な、不意打ちだった。
「ちょっ!」
 きらきらと光るそれが愛らしいのは見た目だけ。渦巻く力の本性は、彼女の傍らにいるキースリンが思わず目を見張るほどに強く、重い。
「きゃああああっ!」
 力の渦に為す術もなく巻き込まれ、ホウキのリリとしがみつく晶の身体が、くるくると宙を舞う。
「ありゃ、やりすぎた?」
 魔法を消しても、力学の法則まですぐに消えるわけではない。制御を完全に失った二人の身体は、一直線にグラウンドの上へ。
「ちょっと、お菓子屋さん!? 八咫烏っ!」
 追われていたが、友達だ。見捨てることなど出来るはずもなく、キースリンは三つ足の大烏を彼女たちの落下地点へと突撃させる。
「二人ともっ!」
「ああ!」
「わかってます!」
 もちろん地上の冬奈達も、地上をまっしぐらに目指す四人のフォローに走り出した。
 落ちる二人と、加速する二人。
 そして走る三人が、ただ一点で重なり合って。
 巻き起こるのは衝撃音と……大量の、砂煙。


「けほ………っ」
 流れる風が、砂煙をゆっくりと押し流していく。
「ぶ、無事…………? みんな」
「な……なんとか…………」
 晶は帰ってくる声に安堵しつつ。口の中のじゃらりとした感覚に気が付いて、思わず顔をしかめさせる。
 口の中と言わず髪の中と言わず、砂だらけ。どうしてよりにもよってお風呂の日の次の日に、こんな目に遭わなければならないのか。
 もちろん、発案者が自分という事など、棚の上にとっくに上げてある。
「けほっ」
 そんな中、砂埃に咳き込む小さな声。
「あれ? 百音……?」
「だ、大丈夫? みんな」
 それは、美春百音だった。途中から姿が見えなくなっていたから、冬奈や祐希とは別方向からキースリンを追っているのだと思っていたが……。
「あんた、いつの間に……?」
 冬奈が落下地点に滑り込んだときには、視界には入っていなかった。全体を把握できる位置にいたはずなのだが、それより後ろから飛び込んだのだろうか。
「みんなが落ちそうになってたから、びっくりして……」
 どうやら、冬奈が考えたとおりらしい。
「そか、ありがと」
 冬奈はそう言い軽く笑み、百音の砂まみれの髪をわしゃわしゃと撫でてやるのだった。


 そして。
「ハルモニア……さん?」
 祐希が思わず抱き留めたのは、キースリンの細い肢体。
「うぅ………」
 気を失っているわけではないらしい。わずかに身じろぎし、瞳を開けば……。
「祐希……さん?」
 ほつれ、乱れた黒髪の奥。澄んだ瞳が映すのは、こちらを見つめる少年の瞳。
 召喚獣の姿は既に無い。大量の魔力を急激に消費し、軽く上気した少女の頬は……汚れ、埃にまみれているはずなのに、その気高さを失わず。むしろどこか艶っぽく、微かな色香すら漂わせるほど。
「大丈夫、ですか?」
 そんな少女を目の前に、少年は思わず息を呑む。
 指一本も伸ばさぬ理性が保てたのは、賞賛に値するだろう。
「ええ……何とか」
 少年の胸元にいることに気付いているのかいないのか。キースリンはそのまま、ゆっくりを半身を起こす。
 落下の衝撃と、八咫烏の急な機動が祟ったのだろう。丈夫に作られているはずの上着のボタンはいくつか千切れ飛び、その下にある白いブラウスも似たような有様だ。
 それは、即ち……。
「………キースリンさん。胸元……」
 祐希は露わになったその場所に気付き、反射的に目を瞑ろうとして。
 そこにある光景に、そのまま視線を釘付けに。
「あ………」
 彼の表情が意味するところに気付いたのだろう。キースリンは耳まで真っ赤に染めて、慌ててはだけた胸元を手繰り寄せる。
 そこまでなら、誤魔化し切れただろう。
 だが。
「……あ、あの………」
 祐希の太ももあたりに伝わる感触。
 馬乗りになったキースリンの股間が当たる、その場所から伝わるのは……。
「え……? え、っと…………」
 キースリンにはあるはずのない。祐希にとっては生まれてずっと慣れ親しんだ、柔らかさと固さの混ぜ合わさった、奇妙な感触。
 少女は慌ててその場を飛び退き、少年を必死の形相で睨み付ける。
「………あ、あの。キースリン……さん?」
「見ましたね」
 呟くのは、たったひと言。
「その……」
 祐希は『それ』を知ってしまった。
 けれど、理解するまでには至らない。
 まさか。
 まさか。
 まさか。
 あまりに、まさかが多すぎたからだ。
 想像を絶する、ではない。その言葉が示すのは、少なくとも近い状況は想像できた、ということだ。けれど祐希は、その最低限の想像すら出来ていない。
 出来るはずも、ない。
「私の秘密、知りましたね……?」
 自分は、知ってはならないことを、知ってしまった。
 それだけは、分かる。
「…………ま、まあ」
 だから、思わず首を縦に振ってしまった。
「責任……取ってください」
 ぽつり呟く少女は、その姿勢のまま祐希にずいと詰め寄った。
「……取ってください!」
 二人の距離は、息すら届く。そこで瞳に大粒の涙を溜め、少女はこちらを必死に睨み付けている。それはいつもの超然とした彼女にはない、ごく普通の女の子の顔。
 いや。
 正確に言えば、『超然とした少女を演じていた少年』の、ごく普通の女の子の顔。
「取ってください!」
 そして、その勢いに思わず少年は頷いて。
「…………はい」
 キースリンと祐希のパートナー関係は、こうして成立したのであった。


「キースリンさん、大丈夫!?」
 やや離れた所に落ちたキースリンと祐希の所に女子達がやってきたのは、それからわずかに後のこと。
「ええ。祐希さんが、助けてくださいましたわ」
 破れた上着の代わりに祐希の上着を羽織ったキースリンは、いつも通り、穏やかに微笑んでみせる。その様子から、たおやかな深窓の令嬢以外の姿を見いだすことは……限りなく不可能に近い。
「さっすが委員長。やるときは、やるねぇ」
「はは……どうも」
 穏やかに笑いながら、背中に刺さる視線が痛い。
 もちろん彼の背後にいるのは、キースリンだ。
「どうしたんですか? 森永さん。なんか顔、青いですよ?」
「や。何でもありませんよ……」
 引きつった笑みで真紀乃に答える祐希だが、ただ一人、こちらを向いていない少女の姿に気が付いた。
 どうやら何かを見つけ、拾い上げようとしているようだが……。
「ねえ、キースリンさん。これ……」
 振り向いたのは、百音だった。
 そして、その手に握られているのは……。
「あ………」
 レモンのような形をした、肌色の物体だ。さして力を掛けている様子もないのに、百音の手の中でふにゃりと形を歪ませている。
「キースリンさん……まさか……」
「あ、あの、それは……」
 囲む少女たちに、キースリンは言葉もない。
 妙にスカスカになったブラウスの胸元を押さえ、怯えたように友達『だった』少女たちを見上げるだけだ。
「……だから、パットで誤魔化すなら、それはそれでいいんだってば」
 呆れたようにそう言いきって、晶はため息を一つ。他の皆も、笑ったほうが良いような、笑うのは悪いような……そんな、微妙な表情をしているだけ。
 怒りの色は、一つもない。
「気持ちは分かるし……別に、気にしないから。男子には黙っとくし、ね?」
「は……………はぁ」
 そう言って肩を叩く冬奈にも、間の抜けた頷きを返すしかない。
「いや、冬奈ちゃんは気持ちは分かんないでしょ」
「何よぅ」
 混ぜっ返すリリに拳を振り上げる冬奈の表情は、いつもの笑顔だ。
「そうだ。委員長は?」
「森永くんは、ちゃんと黙っててくれるよね?」
「はは……そりゃ、もちろんだよ」
 パットなどよりはるかに大変な秘密を知ってしまった祐希は、笑って良いやら悪いやら。
 いや。
 もう、笑うしかなかった。
「まあ、どうしても恥ずかしいっていうんなら、しょうがないけどねー。けど、夏の臨海学校くらいまでには治して欲しいなぁ」
「だね。みんなでお風呂、入りたいもんね」
 夏休みの後半、お盆前には臨海学校がある。華が丘は海も近いから、わざわざ学校行事で行く意味はあまりないのだが……それでも、みんなで楽しく遊べるならば、相応の価値はあるだろう。
「努力……しますわ」
 意外に近く切られた期限に困ったような笑みを浮かべつつ。
 それでも、今すぐにはばれなかった秘密に、キースリンは心の中で安堵する。
「よろしい!」
 これで、一件落着だ。
 誰もがそう思った。
 天を翔ける巨大な何かが、彼女たちの元へと影を落とすまでは。
「………え?」
 天を舞う影は、気象が具現化した天候竜ではない。
 逆関節の鳥脚に、身よりも大きな黒い翼。女性の上半身を模した胴体に、醜く歪んだ女の顔をしたものが張り付いているそれは……。
「………セイレーン……?」
 誰かが呟いたその名は、華が丘には存在し得ない、伝説の怪物の名前だった。


続劇

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